デジクリトーク これでもまだまだ苦労が足りないと思うこともしばしば〜広島在住イラストレーターの戦い/田中修一郎

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「あの〜、先日描いたポスターのイラストの件なんですけど、、、、、、、請求書を、、、」

「あ〜ぁ、あの仕事ね、クライアントに見せたらやっぱり今年はポスターなしにしよう、ってなってね。なくなっちゃったのよ〜。だから、なくなっちゃったから、よろしく〜」

明るく電話を切られてしまった。なくなった。。。。。。。。
なんで事前に連絡がない????
またタダ働き??????


●いつも笑顔のイエスマン

広島のイラストレーターに人権はない。いわゆる「下請け」でしかない。それも個人なので、下請けの中でもとっても弱い立場の下請け。ギャラもたたかれる。蒲田や東大阪の町工場よりたたかれる。デザイン会社の下請けとすれば、広告代理店の孫請け。ヘコヘコである。

東京も大阪も、日本全国どこでも多かれ少なかれそういうところはあると思うが、広島のその比率は抜群に高い。たまにこっちが反撃して文句をいうと、意外と相手は弱かったりするのであるが、どこの代理店もデザイン会社も同じような下請けの対応なので、いちいち怒っていると身体が持たないのだ。

戦ってみるとわかるのだが、相手には悪気がない。イラストレーターに人権がないのが当たり前と思っているから始末が悪い。だから、こっちが文句を言っても意味がよくわからないようなので、上司を呼んでもらって話をすると、上司もよくわかっていない。「裁判」って言葉で脅してみると、急に事の重大さがわかってきて、やっと相手も真剣に対応してくれるようになる。こんな事を仕事の度にやっていると疲れる。熱が出て倒れる。身体が保たない。。。。。

「人間とは何だ。生まれてきた意味はなんなのだ」変な方向に考えが行ってしまい、仕事の意欲もなくなってしまう。やってらっか! イラストレーターってもっとカッコイイ商売と思っていたのに。

どこの世界にも悪いヤツはいる。しかし、私が相手にしている人は悪いヤツではない。酒を飲むと結構いいヤツでもあったりする。さまざま要因がこういう状態を生み出しているわけで、イラストレーターはどこかのデザイン会社や広告代理店に一生懸命ぶら下がって生きていかなければ食っていけない現状がある。デザイン会社や広告代理店のすぐ近くに事務所を借りて、電話があったら10分以内で駆けつける。そんな涙ぐましい努力の末、なんとか飯にありつける。感情など殺してゆかなければやってはいけない。

東京や大阪、名古屋に比べて広島の市場はとても狭い。依頼される会社も数も限られているから、私のように文句を言ったりすると二度と仕事は依頼されないわけで、文句など言ってはいけない。いつも笑顔のイエスマン。

「東京のイラストレーターの◯◯さんのようなイラストが欲しいんだよねえ。こういうイラスト(雑誌を見ながら)今日の夜までにこういうイラスト描いてメールで送っておいて。3〜4パターンね」

こんな程度で文句を言ってはいけない。「◯◯さんに頼めばいいじゃないですか」「今日の夜なんて間に合うわけないじゃないですか」と心の中だけでつぶやくのだ。

●こうしてイラストレーターになった

私がイラストレターになったのは35才くらいで、この世界に入ったのは結構遅い。いろんな業界で働いてきたので、広告業界の不思議が目に付くのかも知れない。それまでは印刷会社でDTPのまねごとのような仕事をしていた。デジタルを憶えたのもこの時で、コンピュータで絵が描けることを知ったのも30過ぎてからだった。

あの当時、Painterのペンキ缶のようなパッケージに大いなる可能性を感じたが、見つめるだけでなかなか買えなかった。ただただお金がなかった。そんな私を見てPainterを買ってプレゼントしてくれた友人がいた。なんとありがたい、持つべきは友人である。

がむしゃらにコンピュータに向かって描いた。それまでアナログ人間を突っ走っていただけに(テレビとビデオさえつなげなかった)だからよけいに新しい画材として染みいるように描きまくった。楽しかった。今考えるとPainterを当時のコンピュータのスペックでハードに動かしていたのが信じられない。一日に何度ものフリーズも機械に弱いだけに受け入れていたほど夢中だったと思う。

若い頃、ペーター佐藤さんに憧れ、イラストレーターを目指すが、目指すだけでこれといって活動はせず「俺を求めない社会が悪い」くらいの勢いで遊んでばかり。そんな不真面目で絵を人に見せるわけでもなく、営業もしない若者がイラストレーターになれるはずもなく、印刷会社に落ち着いていたが、30才も過ぎ、イラストなんか描かず、印刷を真剣にやろうと決め、イラストとのお別れの証として、尊敬するペーター佐藤さんがお亡くなりになられてからできたペーター賞というコンペの賞が欲しくて、これがいただければイラストから縁を切るつもりだった。カッコつけた言い方だがホントにそうだった。未練タラタラだけどケリをつけるべきだと。

彼女との別れ話のときに「最後に一回やらせて、、、、いや?、、、、じゃあキスだけでも」みたいなものだろうか。。。。。。

自分でもビックリだったが、ペーター賞を見事に受賞した。これでイラスト人生は終わり。のはずが、そこは人の性「これ、いけるんちゃう??」と思い込み色んなコンペに出してみた。そしてほとんどのコンペで賞をいただくことになってしまった。それが雑誌に載り、イラストの仕事が来るようになってしまった。なってしまったのである。真剣にやろうと思った印刷の仕事など上の空。いいかげん。

東京を中心に全国各地から、新しもの好きの編集・デザインの皆様からイラストの依頼をしていただき、なんせ急になのでこちらもビックリ。初めての仕事は新宿の有名なデパートの広告。以前、ペーター佐藤さんもここのポスターを描いていた。今思うと、それはそれはイラストレーターとして素晴らしい扱いを受けた。アーティストとして扱っていただける。アートとしてイラストに求められる要求も高い。仕事をしやすいように進めていただけるので、高い要求にも心が躍る。イラストも良いものが出来上がっていく。

そんなのが最初の仕事だった。その次は出版社。文庫の表紙。団鬼六さんのカバーだった。特に出版社はイラストレーターをちゃんと扱ってくれる。納期はたっぷりある。初めての書籍だったので、これが本屋に並ぶのかと思うとワクワクする。「なるほど、イラストはこうやって進んでゆくんだ」と知り、それがイラストレーターの仕事だと勝手に決めつけ、擦り込まれていくことになる。イラストレーターはアーティストなのだ! しかしまだ広島の現状を知らない。

●「噂の田中修一郎」

その頃、広島の友人のお店が「絵を飾って」というので、私の絵を渡していた。たまたまそこへ、大企業の役員をしている人が来て私の絵を見た。広島の経済界をすみずみまで知り尽くしている人物である。その人が、私の友人に対して「いい絵だねえ。広島の人? イラストレーターなの? そうかあ、いい絵だねえ〜。でも広島の仕事はしてないでしょ。広島はねえ、こういう人は三年くらい経たないと使わないのよ。三年我慢してなさいって、そのイラストレーターの人に言っておいて」と言って出ていったそうである。

東京を中心に仕事をいただいていて、広島の仕事がなかったので、広島のデザイン会社をファイルもって回っていた頃である。営業下手ということもあるけれども、その手応えのなさに悩んでいた矢先であった。どうも東京のデザイン会社と雰囲気が違う。明らかにウェルカムではない。東京でデザイン会社や出版社などに電話してファイルを持ってゆくと、いくら忙しくても見てくれた。無理な場合もあったけど、それでも何とか会おうとしてくれた人が多い。そしていろいろなご意見をいただくことができたので、高くなりがちな鼻をへし折っていただいた人達には今思えば感謝にたえない。

でも広島は違った。意見はない。「会ってやってやる」の空気。むしろ「自分はどこどこの有名な仕事をした」「有名なイラストレーターと仕事をした」など自慢話を聞かされるハメになる。私のイラストなど全く興味がない。

「このあいだ藤井フミヤと仕事してさあ〜」(後で知ったが広島コンサートのポスターデザインの下請け)
「いや〜忙しくてさあ。寝てないよ」(寝てないよ自慢)
イラストを見て、僕はこう思うという意見など全くなく「東京で有名になったら使ってあげるよ」そう言うことを何度も言われた。

上から目線は立場上しかたがないけれども、初対面なのに足を組む。何故かため口。最新の服に髪型・メガネ。(ホントに一流なのかも知れないが)カッコは一流。そんなグラフィックデザイナーが多い。もちろんすべてはないけどそういう人が多い。ちょっと言い過ぎかもしれないけど素直な感想。

そんなこんなで三年間、広島の仕事はなかった。三年たった頃、嘘のように広島から仕事が来るようになった。三年我慢と大企業の役員さんが言ったことが本当に現実のモノとなる。占い師もビックリ。しかし、今まで話を聞くだけだった「広島イラストレーター残酷物語」を自ら体現してゆくこととなる。

無断使用・イラストを勝手に修正・お金を払わない・仕事がなくなる・いつの間にかイラストを買い取ったと主張・下請け業者として小間使い・ラフだけ描かせて仕事を奪う・今度別の仕事発注するからこれタダでやってという嘘、など細かいことまで入れると書ききれないくらいあるけれど、広島の他のイラストレーターの話を聞いていると、まだまだ苦労が足りないと思うこともしばしば。広島のイラストレーターの皆さん頑張っています。

10年たってやっと、付き合うべき会社・人が見えてきて、トラブルも少なくなった。基本的には広島の仕事は在住ながら二割程度。何年か前、日本でも三本の指にはいる大きな広告代理店の広島支店さんと大げんかになり、役員さんに詫びを入れてもらう事件があったので、広島の広告業界には「田中修一郎は鬼のような人間」と思われていて、新規の仕事の依頼はほとんどない。

時々、代理店主導で仕方なくケンカをしたことがある会社のデザイナーと仕事をするとき(本人とは初対面)相手の様子がおかしい。くちびるがピクピクと震えている。鬼と言われる「噂の田中修一郎」と初めて対面してびびっているのである。一生懸命しゃべっているが相当に怯えている。

どんな噂が流れているのだろうか? 打ち合わせでいきなり怒鳴ったり、殴りかかったり、ブレンバスターをしてきたりすると思っているのだろうか? そんな空気なのである。そんな人間ではない。見た目はともかく、おとなしく、トラブルが嫌いで、彼女にふられて二ヶ月もご飯を食べられなかった気の小さい人間なのである。車も事故に遭うのが恐くて、運転をしないくらい小さい肝っ玉の持ち主なのに・・・・・。

広島の広告業界にはびこる田中修一郎のイメージが変わるのは、まだまだ何年もかかるのだろう。笑顔笑顔。

息子が通っている小学校にはイラスト部というのがあって、イラストレーションが盛んである。プリントなどにも子供達のイラストが各所に使ってあって、ほほえましくて素晴らしいモノが多い。年に一度発行される小冊子の中の「将来の夢」っていうところに1クラスに3〜4人「イラストレーター」って書いてある。人気があるなあと思いながらも、複雑、、、、、、なのである。

息子は、父がイラストレーターであることをお友達には絶対に言わない。聞かれたら「コンピュータ関係」というらしい。端で見ている息子が一番イラストレーターの現状を知っているのかも知れない。ちなみに彼の将来の夢は「勉強して一流企業に入ること」だそうだ。なんじゃそれ!

【たなか しゅういちろう】Illustrator・絵師
< http://www.shuichi.ro/ >
< tanaka@shuichi.ro >
書籍と広告を中心にイラストを描いています。デジタルながら日本画っぽい空気感を目指しています。広島在住。

[書籍等の進行中の仕事です]2007.6月現在
スポーツニッポン新聞小説挿絵、週刊アサヒ芸能コラム挿絵月刊小説推理/岩井志麻子挿絵、月刊問題小説/神崎京介挿絵、月刊小説NON/平安寿子挿絵、日本航空機内誌アゴラ/林えり子挿絵、広島市情報誌Toyou表紙、幻冬舎アウトロー文庫/藍川京シリーズ、徳間文庫/末廣圭シリーズ、学研M文庫/雑賀俊一郎/蛸六シリーズ、ラブロマンス文庫/藍川京シリーズ、など

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