[2860] またまた「男たちの絆」

投稿:  著者:  読了時間:28分(本文:約13,800文字)


《あえて損な選択をする男たち》

■映画と夜と音楽と...[465]
 またまた「男たちの絆」
 十河 進

■ところのほんとのところ[39]
 [ところ]最大の個展開催中に三度も海外に
 所幸則 Tokoro Yukinori

■デジアナ逆十字固め...[106]
 宙玉レンズ、ブレイクか?
 上原ゼンジ


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■映画と夜と音楽と...[465]
またまた「男たちの絆」

十河 進
< http://bn.dgcr.com/archives/20100604140300.html >
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〈ジョニーはどこに/アイドルを探せ/冒険また冒険/列車に乗った男/冷たい雨に撃て、約束の銃弾を〉

●シルヴィー・ヴァルタンの夫だった歌手ジョニー・アリディ

シルヴィー・ヴァルタンの「アイドルを探せ」がヒットしたのは、1964年秋のことだった。ビートルズが「抱きしめたい」をヒットさせた年、「ひょっこりひょうたん島」が始まった年、そして東京オリンピックが終わった年でもあった。当時のヒット曲は息が長く、翌年の春になっても高松市の常磐街にあったタマルレコードの店頭で、「アイドルを探せ」は大音量でかかっていた。僕は13歳だった。

「アイドル」という言葉を僕が最初に覚えたのが、その曲だった。同じ頃、僕はグレアム・グリーン全集の「第三の男」が入っている巻を古本で入手し、そこに掲載されていた「落ちた偶像」の原題が「ザ・フォーリン・アイドル」であり、「アイドル」が「偶像」と訳されているのを知る。キャロル・リード監督のために書かれた中編だった。「落ちた偶像」(1948年)は「第三の男」の前年に映画化されていた。

「アイドル」という言葉は、当時、まったく一般的ではなかった。その言葉を広めたのは、間違いなく「アイドルを探せ」だった。「アイドルを探せ」(1963年)というフランス映画が1964年11月に日本公開になり、その主題歌が大ヒットしたのである。シルヴィー・ヴァルタンはアイドルになり、後に「ウルトラマン」に登場した「バルタン星人」という名前は、彼女にちなんでいるという説を生んだ。

当時、海外ポップス・ファンの情報源は月刊「ミュージック・ライフ」くらいしかなく、中学生になった僕もその雑誌を買い始めた。編集長が湯川れい子さんから星加ルミ子さんに交代した頃だったと思う。その雑誌には海外ミュージシャンのゴシップ欄があり、そこで僕は初めてシルヴィー・ヴァルタンがすでに結婚をしており、相手はフランスで人気ナンバーワンの歌手ジョニー・ハリディという男だと知った。

「アイドルを探せ」でシルヴィー・ヴァルタンは、ジョニー・ハリディと共演していたが、「ジョニーはどこに」(1963年)でも共演をしている。当時、フランスではジョニー・ハリディの方がずっと大物だったのだ。そのジョニー・ハリディが正確な発音に近い「ジョニー・アリディ」と日本で表記されるようになったのは、いつ頃だったろう。フランス語の無音のH(アッシュ)をそのまま英語読みし、フランソワーズ・アルディもハーディと表記されていた。

僕が関心を持たなかったからかもしれないが、ジョニー・アリディに関しては、その後、日本でそれほど知名度が上がったとは聞いていない。ヒット曲もすぐには浮かばない。フランスではずっと男性歌手として人気抜群で、時々は映画にも出ていた。僕のお気に入りのリノ・ヴァンチュラ映画「冒険また冒険」(1972年)に出演しているらしいが、僕はまったく記憶にない(ヴァンチュラたちがアリディ本人を誘拐するのだったかな...)。僕の中で、ジョニー・アリディは過去の人間であり、存在することさえ忘れていたのである。

そのジョニー・アリディがしわだらけの顔になり、鋭い眼光を放つ初老のギャングとして登場してきた「列車に乗った男」(2002年)を見たとき、僕はひどく驚いたし、何だか懐かしい気分がした。監督のパトリス・ルコントが、アリディをリスペクトする意味でキャスティングしたのが伝わってきた。監督自身のアリディに対する憧れが、主人公の初老の元教師を通して表現されていた。

年老いたギャング役のジョニー・アリディが素晴らしかった。独特の細く鋭い瞳。への字に堅く結んだ唇。短く刈り込んだ髪は天を差し、口ひげが寡黙な男の魅力を醸し出す。1943年生まれのジョニー・アリディは、そのとき59歳。今の僕とほとんど同じ年だった。何十年も犯罪者として生きてきた男の、深い孤独が僕の胸を打った。彼は、教師として地味に生きてきた主人公の人生に対する憧れを、静かに身の裡に秘めて死んでいく。

そのジョニー・アリディが、香港ノアールのジョニー・トー監督の新作「冷たい雨に撃て、約束の銃弾を」(2009年)に出演した。ジョニー・トーは、最初、アラン・ドロンにオファーしたのだが交渉が難航し、フランス側のプロデューサーがジョニー・アリディを推薦してきたという。ジョニー・トーは、その間のいきさつを語り、朝日新聞の記者に対して、こう答えている。

──フランスでは超大物だが、香港では知られていない。大丈夫かなと思ったが、会った瞬間に不安は吹っ飛んだ。鋭い眼光、懐の深い人柄。私がイメージする殺し屋にぴったりだった。

●「冷たい雨に撃て、約束の銃弾を」の扉の前には誰もいない

上映開始は19時だった。僕は30分前に新宿武蔵野館の階段を上った。受付で長いタイトルを言うのが面倒で「大人一枚、ジョニー・トーの映画」と言うと、受付の若い男性が「『冷たい雨に撃て、約束の銃弾を』ですね」と、タイトルをフルフレーズで口にして念を押す。「ええ」と曖昧に返事をして、僕は半券と整理券を受け取った。整理券の番号は「6」だった。

ロビーに数人の客がいた。しかし、「冷たい雨に撃て、約束の銃弾を」上映中の扉の前には誰もいない。他の作品上映中の扉の前のソファに、若いカップルが座っていた。入場開始まで20分もあった。僕は壁に貼られた「冷たい雨に撃て、約束の銃弾を」に関する記事の切り抜きを読み始めた。新聞や雑誌で取り上げられたジョニー・トー監督のインタビューが多かった。

僕がオフィシャル・サイトで何度も見た予告編が、ロビーに置かれたモニターで流れている。陰影に深く刻み込まれたジョニー・アリディのしわだらけの顔がアップになり、「私の娘、娘の夫、私の孫たち...」としわがれた声が英語で響く。無惨に撃ち殺された彼の娘一家の現場写真が映る。

大きなサングラスで目の表情を隠したアンソニー・ウォンが、やはり英語で「心配するな...約束は守る」と答える。その言葉がタイトルロールで流れて、銃撃戦が始まる。古紙を圧縮して固め一メートル四方はありそうな、巨大なサイコロのようになったものを楯にしながらの銃撃戦だ。アンソニー・ウォンの右腕から血が噴き出す。彼は「レ・フレール」と叫ぶ。

僕は、繰り返し、その予告編を見た。予告編だけで、物語は予測できる。マカオで暮らす娘一家を惨殺された、フランス人の老シェフが復讐を誓う。彼が、現地で知り合った三人の殺し屋に、「君たちに頼みたい仕事がある」とたどたどしい英語でつぶやくシーンもある。地下通路のような場所で、ジョニー・アリディの黒いソフトをかぶった顔を点滅する蛍光灯の光が照らす。

主人公のシェフが「拳銃がほしい」と言うと、「使ったことがあるのか」と問う声がして、広い荒れ地に棄てられた自転車を的に自動拳銃を試射するシーンが流れる。男は手慣れた風に自転車を撃つ。命中し、自転車は勝手に動き出す。それは、スローモーション撮影だ。顔をほころばせたアンソニー・ウォンが撃つ。ラム・カートンが撃つ。ラム・シュが撃つ。それだけで、男たちが強い絆で結ばれたことが伝わってくる。

「殺し屋」映画は、数限りなくある。今更、そこに手あかにまみれた物語を加える必要なんかないと、山田洋次作品に感激する良識のある映画ファンたちは思うかもしれない。しかし、この予告編を僕は何度、見ただろう。その映像にゾクゾクし、期待感に心が震えた。もちろん、すべてはおとぎ話だ。手あかにまみれた殺し屋たちの物語は、このスタイリッシュな映像を作り出すための素材なのである。

●ジョニー・トーが描く「男たちの絆」に涙するには人生の歴史が必要

入場が始まった。「10番までの整理券をお持ちの方」と呼ばれて、最初に劇場に入った。バラバラと、みんな自分の狙いの席に向かう。僕は、いつもの位置。左サイドの廊下側の後ろからいくつかめ。スクリーン全体がよく眺められる席だ。あまり人気はない。だが、僕はいつも端っこの席に座る。見渡すと、いつの間にか三分の一くらいが埋まっていた。中年の男たちが目立つ。

月曜日だった。雨が降っていた。映画館がいっぱいになる日ではない。それでも40人ほどの人間が、仕事や学校を終えて「冷たい雨に撃て、約束の銃弾を」を見るためにやってきているのだ。先ほどの回が終了して出てくる観客たちを見ていたが、やはり若い人は少なかった。ジョニー・トーが描く「男たちの絆」に涙するには、それなりの人生の歴史が必要なのだと、ひとり言い聞かせる。

映画が始まった。フランス女性が夕食の準備をしている。夫がふたりの子供たちと一緒にクルマで戻ってくる。ドアのチャイムが鳴る。夫が開けようとしたとき、いきなりショットガンが撃ち込まれる。問答無用のオープニングである。分厚いドアを吹き飛ばしたショットガンの威力は、サム・ペキンパー監督の「ゲッタウェイ」(1972年)で初めて見せつけられた。記憶が甦る。

次のシーンはマカオに着いたジョニー・アリディが病院を訪ね、口もきけない重体の娘を見舞うところである。彼は新聞を使って、娘と意思疎通をはかる。娘は、復讐を望む。女刑事が彼に声をかけ、男は警察署に同行する。名前を聞かれた男は「フランシス・コステロ」と答える。そのとき、僕は思った。やっぱり、ジョニー・トーは「サムライ」が作りたかったのだ。

ジャン・ピエール・メルヴィル監督の「サムライ」(1967年)は、「殺し屋」映画の代表的な作品である。主人公ジェフ・コステロを演じたのは、三十代のアラン・ドロンだった。「冷たい雨に撃て、約束の銃弾を」の主人公は、パリでレストランを持つオーナー・シェフであるが、それはジェフ・コステロの老いた姿でもある。マカオの三人の殺し屋たちに、「俺も同業だった」と彼は告げる。

「サムライ」とそっくりなシーンがある。コステロはホテルに帰ったとき、仕事を終えた三人の殺し屋(アンソニー・ウォン、ラム・カートン、ラム・シュ)を目撃するのだが、何も言わず部屋に入る。翌日、警察に呼び出されたコステロは、何人かの男の面通しをさせられる。そのシーンは「サムライ」だった。そして、「サムライ」と同じように、彼は犯人がいたにもかかわらず「この中にはいない」と刑事に告げるのだ。

コステロは三人を伴い、娘の家へいく。男たちが銃弾の跡などを検分しながら、「殺ったのは三人組」と推測していくシーンがゾクゾクする。彼らのセリフに続いて、現実のシーンがインサートされる。「ひとりは左利きだ」とラム・カートンが断言する。「ワン・ショットガン」とつぶやき、「マッドマックス」と続ける。ラム・シュが「ワン・マグナム」と言う。僕は銃の種類には詳しくないのだが、マッドマックスという名のショットガンがあるらしく、それが犯人捜しの手がかりになる。

男たちが事件現場を検証し事件を再現している間に、コステロは娘が残した冷蔵庫の食材を使って料理をする。その匂いが男たちに届く。凄惨な殺人事件があった現場に漂う料理の香り...。その後。四人の男たちの幸せそうな食事の場面が続く。彼らはうまそうに食べ、次第に心を通わせる。コステロは「拳銃がほしい」と告げ、「使ったことはあるのか」と聞き返されると、目隠しをして自動拳銃を分解し再び組み立てる。

その後、彼らはアンソニー・ウォンの従兄弟がやっているスクラップや古紙を集めただだっ広い荒れ地に赴き、武器ブローカーの従兄弟から入手した新しい拳銃を試す。まるで、子供のような顔に戻った楽しそうな四人は、次々に自転車を撃ち、心を通わせ合う。ああ、こんな仲間たちがいたらなあ、と心から羨ましくなる。彼らは強い絆に結ばれたのだ。

──レ・フレール...、「兄弟」という意味だ。私が持っているパリのレストランの名前だ。君たちのものだ。

●アンソニー・ウォンのクールな演技がしみじみとした味わいを醸し出す

アンソニー・ウォンを意識したのは「インファナル・アフェア」(2002年)で、トニー・レオンに過酷な潜入捜査を命じる警視を演じたときだった。凄くよかった。その後、DVDでジョン・ウーの古い香港映画を見ていると、若い頃のアンソニー・ウォンが悪役で出ていた。若い頃は色悪みたいだったんだなと思ったが、「エグザイル/絆」(2006年)で僕は惚れ込んだ。渋い役者である。

香港・マカオの黒社会で暮らす三人の殺し屋のリーダーであるクアイを演じた、アンソニー・ウォンのクールな演技が「冷たい雨に撃て、約束の銃弾を」のしみじみとした味わいを醸し出す。英語のセリフにしたせいか、意図的にセリフを削ったのか、出てくる男たちは無駄口を叩かない。短いフレーズを口にするだけで、彼らは理解し合う。

「ドント・ウォーリー」とアンソニー・ウォンはコステロに言う。「約束は守る」と。そして、コステロの拳銃に娘一家を惨殺させた黒幕の名前をマジックペンで書く。忘れないようにしろ、という意味だ。そんなぶつ切りのセリフやきびきびした動きが、黒社会の中で生き抜いてきた男の姿を感じさせ、切なくなる。女であろうと非情に人を殺すクアイは、ときにやさしい心遣いを見せる。

この映画に独特の情感を与えているのは、コステロがかつて頭を撃たれ、銃弾が残っているため、記憶を失い始めていることである。コステロは三人の男をポラロイドカメラで撮り、そのプリントの余白に彼らの名前を書く。忘れないようにするためだと言う。そのシーンで初めて、警察から隠しとってきた殺人現場の写真に、コステロが「復讐」と書き続けた意味がわかる。その切なさが身に沁みる。「自分が記憶を失っても...」と口にするコステロに、クアイが黒幕の名前を書いてやるシーンに悲しみが湧き起こる。

三人の男たちは、コステロの仕事を引き受けたが故に、窮地に陥る。しかし、彼らはコステロとの約束をまっとうしようとする。それは、コステロが全財産を彼らに提供すると申し出たからではない。損得勘定で彼らは動いていない。いや、あえて損な選択をする。自分たちが追いつめられても、約束は守る。仕事は果たす。

なぜなら、それが心を通じ合わせた男への返礼だからだ。敬意の示し方だからだ。そのとき、彼らは単なる殺し屋ではない。自らの命をかえりみず、約束を果たそうとする崇高な存在である。だから、古紙を固めたサイコロ状のものを楯にしながら、黒幕が放った数十人の殺し屋たちに銃弾を雨あられのように浴びせかけられようとも、彼らは笑っていられる。それが、己の信じる筋の通し方だからである。

それにしても雨・雨・雨...。雨の描写が素晴らしい。雨に濡れた世界を、夜の光が美しく描き出す。陰影に彩られた男たちの闘いが、裏社会に生きる男たちの美しさが、降りしきる雨と共にスクリーンに充ちあふれる。そんな男たちの美しい生き方を通したい、と僕はいつも願っている。

すべてにわたる僕の判断基準は、ひとつしかない。美しいか、否か...、それだけだ。しかし、それであるが故に、日々、美しくない己の言動に腹を立てざるを得ない。みっともなく、未練がましく、潔くない自分だから、「冷たい雨に撃て、約束の銃弾を」のような美しい男たちの映画を見て、戒め続けるしかないのである...。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com < http://twitter.com/sogo1951 >
現在のマンションへ引越したお祝いで、デザイナーのKさんにもらった壁掛け時計がとうとう壊れた。逆に考えると、20数年ももったわけだ。Kさんとは、ずいぶん無沙汰をしてしまったが、昨年、久しぶりに顔を合わせた。あまり変わっていない。僕の方はずいぶん老けてしまったけれど...。

●306回〜446回のコラムをまとめた「映画がなければ生きていけない2007-2009」が新発売になりました。
< http://www.bookdom.net/suiyosha/1400yomim/1447ei2007.html >
●305回までのコラムをまとめた二巻本「映画がなければ生きていけない1999-2002」「映画がなければ生きていけない2003-2006」が第25回日本冒険小説協会特別賞「最優秀映画コラム賞」を受賞しました。
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■ところのほんとのところ[39]
[ところ]最大の個展開催中に三度も海外に

所幸則 Tokoro Yukinori
< http://bn.dgcr.com/archives/20100604140200.html >
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5月30日、[ところ]にとって21世紀になってから最大の個展「PARADOX」が終わった。展示の様子はこちらを見て下さい。
< http://www.tokoroyukinori.com/gallery/exhibition.php >

なんだか複雑な気持ちだ。広さ、空間としても最大だったけれど、時間としても2か月という会期はずっとずっと続いていくような気がするくらい、[ところ]にとっては長かった。20世紀を振り返っても一番長くて1か月だったと思う。その割には、あっさり終わってしまった。そう思う最大の理由は、会期中3回も国外に行っていたということだろう。

[ところ]としては、この個展中はずっと日本にいるつもりだった。個展が決まったときは完全にそう思っていた。そのはずだった。しかし、その後、上海に連れて行かれて、上海でも個展をすることになる。上海に何度も足を運ぶようになり、同時期に世界6都市を撮るプロジェクトの話も来たりして、この半年間は半分ぐらいしか日本にいられない状況になってしまった。

それでも4月と5月は空けるつもりでいたけれど、いろんな事情で世界6都市を撮るプロジェクトのスタートが3か月も遅れてしまって、その時期に撮らないといけなくなってしまった。昨年の9月、10月、12月にまったく行けなかったのが随分響いた。

新しい[ところ]、都市の風景をモノクロームで表現する[ところ]、一秒という時間を表現する[ところ]、その最大の個展にぴったり付いていたかったけれどいられなかった[ところ]。なんだか大事な時期に側にいてやれなかった父親と子のような、切ない気持ちになっている。

オープニングレセプションや、ギャラリートーク、そして最終日もなんとか居ることができたんだけど、本当は会期の半分ぐらいは在廊したかったんだ。普通は、大きな個展で写真家が会場にしょっちゅういるもんじゃないんだけど。そのあたり、[ところ]はまだ慣れてないんだろうな、大きな写真展に。実際、11月の上海の個展が2週間、といっても毎日いられるわけない。オープニング近辺はいるけど。

実は10月にやる西麻布のギャラリーバー「アムリタ」での個展だって、毎日は無理だしね。10月にはさらにもう一か所、ギャラリー冬青でもやる話だけど、随分長くコンタクト取ってないので日本に帰ったら連絡しなくては(今は上海にいます)。全部テーマが違い、見せ方も違う展示になるから大変......。回りの状況の変化に[ところ]が付いて行ってないような気がする。

前回、上海万博のプロジェクトに参加していたことを書いたけれど、その後日本に帰ってきて、すぐに韓国に撮影に行って、一度戻って「PARADOX」最終日を見届けて、また上海にいます。といっても、すぐに重慶に飛ぶんだけど。中旬に日本に帰って、一週間としないうちに今度はロシアに行く予定。

ロシアといっても、モスクワとシベリアとサンクトペテルブルグぐらいの地名が出る程度の知識しかないので、本屋で「地球の歩き方・ロシア」とか見てて、ついでに中国の重慶のページを開いたら、びっくり! 人口が中国の都市の中で最大で、現在都市の成長速度ランキングでドバイを抜いて1位の重慶が、街としては2ページしかない! 周辺地区も入れると6ページほどあったけど、凄いギャップを感じた。とはいえ、[ところ]もニュースで暴動が報じられた時に、地名だけ知ったくらいのものだったんだけど。

飛行機のなかで見た映画に、なんだか妙に納得させられた台詞がありました。「守りたい人には嘘をつく」─中谷美紀が「スイートリトルライズ」という映画のなかで、言う台詞だ。実はちゃんと憶えていないんだけど、おおむねそういう台詞だった。自分にとって大事にしたい、関係をずっと維持したい相手には、なんでも本当のことをズバズバ言ったりしない、というような意味だ。

上海までたった2時間45分程度のフライトでは映画は一本しか見れない。「アリス・イン・ワンダーランド」とどっちを見るかで、迷った末こっちを見た。もっとも、理由はアリスは大きな画面で見るべきかなというのもある。当たりだった、お薦めです。はっきり言って中谷美紀はあまり好みではない。なぜか女性という感じがしないというのが理由だったのだけれど、この映画を見てぼくのなかで彼女に対する見方がちょっと変わったような気がする。大きな画面でもう一度見てみようと思う。

そうそう、「写真芸術の現場スペシャルインタヴュー」で、ギャラリストの太田菜穂子さんが「PARADOX」のことや[ところ]のことを個展会場で語っています。僕も語ってます。是非見てみてください。
< http://polosonearth.com/05/27/写真芸術の現場%E3%80%80special-interview-vol-3/ >

【ところ・ゆきのり】写真家
CHIAROSCUARO所幸則 < http://tokoroyukinori.seesaa.net/ >
所幸則公式サイト  < http://tokoroyukinori.com/ >

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■デジアナ逆十字固め...[106]
宙玉レンズ、ブレイクか?

上原ゼンジ
< http://bn.dgcr.com/archives/20100604140100.html >
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先日は、「Make:Tokyo Meeting 05」(MTM05)に参加してきた。オライリー・ジャパン主催の工作イベントで、日本中から工作や手作りが好きな人達が集まってくるという楽しい催しだ。電子工作の割合が多いが、最近は手芸関係も増えてきているし、自転車、飛行機、楽器など、本当にいろんなものが出展されていて面白い。ただし、今回は自分も出展側に回ってしまったので、他の人の展示があまり見れなかったのが、ちょっと残念。

私は「宙玉レンズ」や「蛇腹レンズ」を持って参加したのだが、隣りではカミさんがマトリョミンの展示も行っていた。マトリョミンはマトリョーシカの中にテルミンが入った楽器だけど、さすがMTMの会場ということで、中の電子部品を見せて欲しいというリクエストがけっこうあったようだ。中身はカミさんが作っているわけではなく、外身をペイントしてるだけなんだけどね。神田敏晶さんからも取材を受けてました。

こういうブースに立っても、あまり愛想のいい応対はできないんだけど、まあカメラを持っているので、「ちょっと覗いてみますか?」という感じで、カメラを渡してファインダーを覗いてもらえれば、後はなんとか説明をすることもできた。

「宙玉レンズ」や「蛇腹レンズ」でピントが合うというだけで、けっこう感動してくれる人も多かったので、こちらも嬉しかった。私は写真を撮る場合にマニュアルでピント合わせをする機会がいまだに多いけれど、初めてマニュアルで合わせたという人も多かったようで、それが私にとっては新鮮な驚きだった。まあ、レンズのデフォルトは今やオートだもんね(だいぶ前からかw)。

蛇腹レンズというのは、オモチャの双眼鏡などをバラして取り出したレンズを一枚だけ使って撮影するための自作レンズだ。ピントを合わせるためには蛇腹を伸ばしたり、引っ込めたりする。この伸ばしたり、引っ込めたりでピントが変わることが不思議だったみたいだけど、ようするにこの距離の変化でピントを調整するわけだ。カメラの仕組みを理解するには、なかなかいいオモチャだと思う。アオリやシフトまで出来ちゃうしね。

ブースでは「蛇腹の折り方ワークショップ」というのもやった。蛇腹を折ってみたいという人の隣りに座って、折り方をお教えした。さすがに「Make:」イベントに参加しているだけあって、皆さん器用に折っておられた。早速、工作の成果を報告してくれた方もいる。シグマDP-1に装着された姿がなかなかかっこいいんだけど、これはインチキですね(笑)

・ブログに「MTM05」の写真をアップ
< http://zenji.jugem.jp/?eid=46 >

●「宙玉レンズ」を製品化してみた

「宙玉レンズ」というのは、この連載でずうっと紹介していた透明球レンズを使った写真のこと。自分でも呼び方が確定していなくて「ビー玉レンズ」とかいろいろ言っていたんだけど、宙に浮かぶ玉の中に光景が映るので、「宙玉レンズ」(そらたまれんず)という名称に統一することにした。

4月からやっている「ゼンラボ・ワークショップ」の中で、受講生のみんなにもチャレンジしてもらおうと思ったんだけど、透明のアクリル板に穴をあけてアクリル球を接着する、という作業はちょっと工作の難易度が高い。そこで、その部分の工作だけをアクリル関係の業者に依頼することにした。

ただ、なるべく安く済ませたいということで、「チップスター」の円筒形の空き箱を利用して工作をすることにした。そして、その工作の方法はYouTubeにも公開した。「ギズモード」なんかで紹介してもらったおかげで、アクセス数はぐんぐん伸びてゆき、今チェックしてみたら、8,000人以上の人が見てくれたようだ。これってなんだか凄いことだよな。

前から参加を決めていた「MTM05」でも、この「宙玉レンズ」を見てもらおうと思い、新たに業者に発注して持ち込んでみた。そしてブースで、その透明の部品だけを売ってみたんだけど、自分でも作ってみたい、という人が沢山現れた。今まで、自分では面白いと思ってたんだけど、今ひとつ広がりが出なかったのが、レンズ部分の細工が出来たことにより、かなり工作の敷居が低くなったようだ。

そして、iPadの発売日に余っていたレンズをネットで販売してみたところ、3時間ほどで完売。どうやら、お金がなくてiPadを買えない人たちが、みんなこちらの方に流れてきたらしい。まあ、「宙玉レンズ」の方が相当安いからな。私の作戦勝ちということか。

というわけで、現在は追加を業者に発注して待っているところ。でもネットで「宙玉レンズ」を検索してみると「欲しい、欲しい」と言って、身悶えしている人がかなりいるようだ。6月4日から予約販売を開始するんだけど、どうなることでしょうか? 入荷したら、家族みんなで梱包して出荷するからね。申し訳ありませんが、しばしお待ちを!

・宙玉レンズの販売について
< http://www.zenji.info/cn21/pg243.html >

◇カラーマネージメントセミナー参加者募集中!
「色のトラブルを回避する! カラーマネージメントの最低限の知識とワークフロー」
日時:6月18日(金)19:00〜21:00
会場:喫茶室ルノアール新宿3丁目ビックスビル店マイスペース
参加費:3,000円(消費税込み)
< http://www.zenji.info/cn25/pg237.html >

◇上原ゼンジ写真展「手ぶれ増幅装置、その他の実験」
会期:6月25日(金)26日(土)27日(日)の3日間 13:00〜19:00
会場:GALLERY街道リぼん(東京都杉並区成田東5-23-2 いわとうアパートメント2F TEL.050-3023-4582)
< http://www.zenji.info/news/ribbon.html >
< http://kaido-ribbon.com/ >

【うえはらぜんじ】zenstudio@maminka.com
◇上原ゼンジのWEBサイト
< http://www.zenji.info/ >
◇Twitter
< http://twitter.com/Zenji_Uehara >

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■お詫びと訂正──編集部

2859号(6/3)の「わが逃走[66]デザイン教育!の巻」で致命的な間違いを犯しました。お詫びして訂正させていただきます。

なお30案と指示されて30案考えればいいと思ってしまいがちだが、実はそうではない。50案、100案と考えた中から自分の納得いくアイデアを30案に絞るのだ。ここまで行けるかそうでないかでステージが分かれる。思うに、デザイナーの仕事で最も難しいことは、"創造"ではなく"選択"なのではなかろうか。これが効率的かつ確実にできるようになれば一流になれる! ような気がする。

で、なんだかんだで少なくとも『一人●案』は出せたみたい。質のばらつきは当然あったけどね。全体として「エロティシズム」という言葉に引っ張られすぎて、澁澤の世界観みたいなところまで考えられていない傾向にあった。このへんは気にしなきゃいけないポイントだ。そして、各自オレ様のアドバイスを受けつつ制作する案を決定、これを2週間で仕上げることとなるのだった。

●の部分、原稿整理のミスで「3」案としてしまいましたが、正しくは「30」案です。3案では話が通じない! 齋藤さん、読者のみなさん、ごめんなさい。

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■編集後記(6/4)

・読売新聞夕刊の連載「いやはや語辞典」がお気に入りである。気になる言葉、嫌な使われ方をされる言葉、抵抗を覚える言葉が毎回登場する。5/28は綿矢りさが「さんざんお世話になった言葉にいまさらケチをつけるのはどうかと思うけど」という書き出しで、「最年少」ついて書いている。最年少で芥川賞を受賞したときの周囲の人たちの言葉には、いろいろ考えさせられた。褒める人、けなす人はたくさんいたけれど、「頑張っているみたいだね。これからも気を抜かずに日々精進していきなさい」と言ってくれた大人は少なかった。その反応が意外だった。というが、たぶん「最年少」に対する心ない反応が多く、19歳を傷つけたに違いない。だから綿矢りさは、年下でがんばっている人がいたら、ちょっと年上ぶって、これからもがんばれと元気づけるつもりだ、それが年上の役割だ、と書く。胸に沁みる。ひるがえって、わたしは年下を励ましたことがあったか。「辛辣」を自分のキャラにしていたので、積極的に若手を励ましたりはしなかったなあ、悪かったなあといまさら反省している(ホント?)。「最年長」は、わたしがよく使っていた言葉だ。「デジタルの現場、どこに行っても最年長」の時期があって、教えを乞うた人は(後から知ったが)ほとんどが年下だった。年下に励まされていたんですよ......。(柴田)

・新しいディスプレイ。箱を机の横に移動して、開けて、取り出して、机の上に置いて、DVIケーブルと電源ケーブルをそれぞれ接続して、電源を入れた。広っ。引っ越しのため、13インチのMacBook Proで作業をする癖がつき、なんとなくそのままになっていた。メルマガを作る時だとテキストエディタ、メーラー、Webブラウザは最低開かないといけなくて、狭い画面内でそれらのアプリを行ったり来たり。気になるところがあったら、テキストデータをコピーし、メーラーを前に持ってきて貼付け、ブラウザとテキストエディタを交互に前に持ってきつつ修正をし(横幅いっぱいにタイトル画像が貼られていたりして、横に並べる方が一覧性に欠ける)、修正したものをまたコピーしてメーラーに貼付けて、Before Afterの報告をする。時々イラッとするサイトもあるが、ショートカット使えばさほどしんどくはない。Spacesを使えば、仕事関連の作業も並行してやれたり(電話がかかってきて急遽対応とか)。MacBook Proだとマルチタッチトラックパッドがあるのも大きい。で、新しいディスプレイに繋いで、マウスの移動距離が長いとか、古いテンキーつきキーボードを繋いだら、体がゆがんでいるような気がする......マウスまでが遠い、とか、とっても違和感。目の運動にはなりそう。ってディスプレイ自体の話にまで行けなかった...。(hammer.mule)
< http://www.apple.com/jp/macbookpro/features.html >
マルチタッチトラックパッド
< http://www.apple.com/jp/findouthow/mac/ >
し、知らなかったことが......