映画と夜と音楽と...[465]またまた「男たちの絆」
── 十河 進 ──

投稿:  著者:


〈ジョニーはどこに/アイドルを探せ/冒険また冒険/列車に乗った男/冷たい雨に撃て、約束の銃弾を〉

●シルヴィー・ヴァルタンの夫だった歌手ジョニー・アリディ

シルヴィー・ヴァルタンの「アイドルを探せ」がヒットしたのは、1964年秋のことだった。ビートルズが「抱きしめたい」をヒットさせた年、「ひょっこりひょうたん島」が始まった年、そして東京オリンピックが終わった年でもあった。当時のヒット曲は息が長く、翌年の春になっても高松市の常磐街にあったタマルレコードの店頭で、「アイドルを探せ」は大音量でかかっていた。僕は13歳だった。

「アイドル」という言葉を僕が最初に覚えたのが、その曲だった。同じ頃、僕はグレアム・グリーン全集の「第三の男」が入っている巻を古本で入手し、そこに掲載されていた「落ちた偶像」の原題が「ザ・フォーリン・アイドル」であり、「アイドル」が「偶像」と訳されているのを知る。キャロル・リード監督のために書かれた中編だった。「落ちた偶像」(1948年)は「第三の男」の前年に映画化されていた。

「アイドル」という言葉は、当時、まったく一般的ではなかった。その言葉を広めたのは、間違いなく「アイドルを探せ」だった。「アイドルを探せ」(1963年)というフランス映画が1964年11月に日本公開になり、その主題歌が大ヒットしたのである。シルヴィー・ヴァルタンはアイドルになり、後に「ウルトラマン」に登場した「バルタン星人」という名前は、彼女にちなんでいるという説を生んだ。

当時、海外ポップス・ファンの情報源は月刊「ミュージック・ライフ」くらいしかなく、中学生になった僕もその雑誌を買い始めた。編集長が湯川れい子さんから星加ルミ子さんに交代した頃だったと思う。その雑誌には海外ミュージシャンのゴシップ欄があり、そこで僕は初めてシルヴィー・ヴァルタンがすでに結婚をしており、相手はフランスで人気ナンバーワンの歌手ジョニー・ハリディという男だと知った。

「アイドルを探せ」でシルヴィー・ヴァルタンは、ジョニー・ハリディと共演していたが、「ジョニーはどこに」(1963年)でも共演をしている。当時、フランスではジョニー・ハリディの方がずっと大物だったのだ。そのジョニー・ハリディが正確な発音に近い「ジョニー・アリディ」と日本で表記されるようになったのは、いつ頃だったろう。フランス語の無音のH(アッシュ)をそのまま英語読みし、フランソワーズ・アルディもハーディと表記されていた。



僕が関心を持たなかったからかもしれないが、ジョニー・アリディに関しては、その後、日本でそれほど知名度が上がったとは聞いていない。ヒット曲もすぐには浮かばない。フランスではずっと男性歌手として人気抜群で、時々は映画にも出ていた。僕のお気に入りのリノ・ヴァンチュラ映画「冒険また冒険」(1972年)に出演しているらしいが、僕はまったく記憶にない(ヴァンチュラたちがアリディ本人を誘拐するのだったかな...)。僕の中で、ジョニー・アリディは過去の人間であり、存在することさえ忘れていたのである。

そのジョニー・アリディがしわだらけの顔になり、鋭い眼光を放つ初老のギャングとして登場してきた「列車に乗った男」(2002年)を見たとき、僕はひどく驚いたし、何だか懐かしい気分がした。監督のパトリス・ルコントが、アリディをリスペクトする意味でキャスティングしたのが伝わってきた。監督自身のアリディに対する憧れが、主人公の初老の元教師を通して表現されていた。

年老いたギャング役のジョニー・アリディが素晴らしかった。独特の細く鋭い瞳。への字に堅く結んだ唇。短く刈り込んだ髪は天を差し、口ひげが寡黙な男の魅力を醸し出す。1943年生まれのジョニー・アリディは、そのとき59歳。今の僕とほとんど同じ年だった。何十年も犯罪者として生きてきた男の、深い孤独が僕の胸を打った。彼は、教師として地味に生きてきた主人公の人生に対する憧れを、静かに身の裡に秘めて死んでいく。

そのジョニー・アリディが、香港ノアールのジョニー・トー監督の新作「冷たい雨に撃て、約束の銃弾を」(2009年)に出演した。ジョニー・トーは、最初、アラン・ドロンにオファーしたのだが交渉が難航し、フランス側のプロデューサーがジョニー・アリディを推薦してきたという。ジョニー・トーは、その間のいきさつを語り、朝日新聞の記者に対して、こう答えている。

──フランスでは超大物だが、香港では知られていない。大丈夫かなと思ったが、会った瞬間に不安は吹っ飛んだ。鋭い眼光、懐の深い人柄。私がイメージする殺し屋にぴったりだった。

●「冷たい雨に撃て、約束の銃弾を」の扉の前には誰もいない

上映開始は19時だった。僕は30分前に新宿武蔵野館の階段を上った。受付で長いタイトルを言うのが面倒で「大人一枚、ジョニー・トーの映画」と言うと、受付の若い男性が「『冷たい雨に撃て、約束の銃弾を』ですね」と、タイトルをフルフレーズで口にして念を押す。「ええ」と曖昧に返事をして、僕は半券と整理券を受け取った。整理券の番号は「6」だった。

ロビーに数人の客がいた。しかし、「冷たい雨に撃て、約束の銃弾を」上映中の扉の前には誰もいない。他の作品上映中の扉の前のソファに、若いカップルが座っていた。入場開始まで20分もあった。僕は壁に貼られた「冷たい雨に撃て、約束の銃弾を」に関する記事の切り抜きを読み始めた。新聞や雑誌で取り上げられたジョニー・トー監督のインタビューが多かった。

僕がオフィシャル・サイトで何度も見た予告編が、ロビーに置かれたモニターで流れている。陰影に深く刻み込まれたジョニー・アリディのしわだらけの顔がアップになり、「私の娘、娘の夫、私の孫たち...」としわがれた声が英語で響く。無惨に撃ち殺された彼の娘一家の現場写真が映る。

大きなサングラスで目の表情を隠したアンソニー・ウォンが、やはり英語で「心配するな...約束は守る」と答える。その言葉がタイトルロールで流れて、銃撃戦が始まる。古紙を圧縮して固め一メートル四方はありそうな、巨大なサイコロのようになったものを楯にしながらの銃撃戦だ。アンソニー・ウォンの右腕から血が噴き出す。彼は「レ・フレール」と叫ぶ。

僕は、繰り返し、その予告編を見た。予告編だけで、物語は予測できる。マカオで暮らす娘一家を惨殺された、フランス人の老シェフが復讐を誓う。彼が、現地で知り合った三人の殺し屋に、「君たちに頼みたい仕事がある」とたどたどしい英語でつぶやくシーンもある。地下通路のような場所で、ジョニー・アリディの黒いソフトをかぶった顔を点滅する蛍光灯の光が照らす。

主人公のシェフが「拳銃がほしい」と言うと、「使ったことがあるのか」と問う声がして、広い荒れ地に棄てられた自転車を的に自動拳銃を試射するシーンが流れる。男は手慣れた風に自転車を撃つ。命中し、自転車は勝手に動き出す。それは、スローモーション撮影だ。顔をほころばせたアンソニー・ウォンが撃つ。ラム・カートンが撃つ。ラム・シュが撃つ。それだけで、男たちが強い絆で結ばれたことが伝わってくる。

「殺し屋」映画は、数限りなくある。今更、そこに手あかにまみれた物語を加える必要なんかないと、山田洋次作品に感激する良識のある映画ファンたちは思うかもしれない。しかし、この予告編を僕は何度、見ただろう。その映像にゾクゾクし、期待感に心が震えた。もちろん、すべてはおとぎ話だ。手あかにまみれた殺し屋たちの物語は、このスタイリッシュな映像を作り出すための素材なのである。

●ジョニー・トーが描く「男たちの絆」に涙するには人生の歴史が必要

入場が始まった。「10番までの整理券をお持ちの方」と呼ばれて、最初に劇場に入った。バラバラと、みんな自分の狙いの席に向かう。僕は、いつもの位置。左サイドの廊下側の後ろからいくつかめ。スクリーン全体がよく眺められる席だ。あまり人気はない。だが、僕はいつも端っこの席に座る。見渡すと、いつの間にか三分の一くらいが埋まっていた。中年の男たちが目立つ。

月曜日だった。雨が降っていた。映画館がいっぱいになる日ではない。それでも40人ほどの人間が、仕事や学校を終えて「冷たい雨に撃て、約束の銃弾を」を見るためにやってきているのだ。先ほどの回が終了して出てくる観客たちを見ていたが、やはり若い人は少なかった。ジョニー・トーが描く「男たちの絆」に涙するには、それなりの人生の歴史が必要なのだと、ひとり言い聞かせる。

映画が始まった。フランス女性が夕食の準備をしている。夫がふたりの子供たちと一緒にクルマで戻ってくる。ドアのチャイムが鳴る。夫が開けようとしたとき、いきなりショットガンが撃ち込まれる。問答無用のオープニングである。分厚いドアを吹き飛ばしたショットガンの威力は、サム・ペキンパー監督の「ゲッタウェイ」(1972年)で初めて見せつけられた。記憶が甦る。

次のシーンはマカオに着いたジョニー・アリディが病院を訪ね、口もきけない重体の娘を見舞うところである。彼は新聞を使って、娘と意思疎通をはかる。娘は、復讐を望む。女刑事が彼に声をかけ、男は警察署に同行する。名前を聞かれた男は「フランシス・コステロ」と答える。そのとき、僕は思った。やっぱり、ジョニー・トーは「サムライ」が作りたかったのだ。

ジャン・ピエール・メルヴィル監督の「サムライ」(1967年)は、「殺し屋」映画の代表的な作品である。主人公ジェフ・コステロを演じたのは、三十代のアラン・ドロンだった。「冷たい雨に撃て、約束の銃弾を」の主人公は、パリでレストランを持つオーナー・シェフであるが、それはジェフ・コステロの老いた姿でもある。マカオの三人の殺し屋たちに、「俺も同業だった」と彼は告げる。

「サムライ」とそっくりなシーンがある。コステロはホテルに帰ったとき、仕事を終えた三人の殺し屋(アンソニー・ウォン、ラム・カートン、ラム・シュ)を目撃するのだが、何も言わず部屋に入る。翌日、警察に呼び出されたコステロは、何人かの男の面通しをさせられる。そのシーンは「サムライ」だった。そして、「サムライ」と同じように、彼は犯人がいたにもかかわらず「この中にはいない」と刑事に告げるのだ。

コステロは三人を伴い、娘の家へいく。男たちが銃弾の跡などを検分しながら、「殺ったのは三人組」と推測していくシーンがゾクゾクする。彼らのセリフに続いて、現実のシーンがインサートされる。「ひとりは左利きだ」とラム・カートンが断言する。「ワン・ショットガン」とつぶやき、「マッドマックス」と続ける。ラム・シュが「ワン・マグナム」と言う。僕は銃の種類には詳しくないのだが、マッドマックスという名のショットガンがあるらしく、それが犯人捜しの手がかりになる。

男たちが事件現場を検証し事件を再現している間に、コステロは娘が残した冷蔵庫の食材を使って料理をする。その匂いが男たちに届く。凄惨な殺人事件があった現場に漂う料理の香り...。その後。四人の男たちの幸せそうな食事の場面が続く。彼らはうまそうに食べ、次第に心を通わせる。コステロは「拳銃がほしい」と告げ、「使ったことはあるのか」と聞き返されると、目隠しをして自動拳銃を分解し再び組み立てる。

その後、彼らはアンソニー・ウォンの従兄弟がやっているスクラップや古紙を集めただだっ広い荒れ地に赴き、武器ブローカーの従兄弟から入手した新しい拳銃を試す。まるで、子供のような顔に戻った楽しそうな四人は、次々に自転車を撃ち、心を通わせ合う。ああ、こんな仲間たちがいたらなあ、と心から羨ましくなる。彼らは強い絆に結ばれたのだ。

──レ・フレール...、「兄弟」という意味だ。私が持っているパリのレストランの名前だ。君たちのものだ。

●アンソニー・ウォンのクールな演技がしみじみとした味わいを醸し出す

アンソニー・ウォンを意識したのは「インファナル・アフェア」(2002年)で、トニー・レオンに過酷な潜入捜査を命じる警視を演じたときだった。凄くよかった。その後、DVDでジョン・ウーの古い香港映画を見ていると、若い頃のアンソニー・ウォンが悪役で出ていた。若い頃は色悪みたいだったんだなと思ったが、「エグザイル/絆」(2006年)で僕は惚れ込んだ。渋い役者である。

香港・マカオの黒社会で暮らす三人の殺し屋のリーダーであるクアイを演じた、アンソニー・ウォンのクールな演技が「冷たい雨に撃て、約束の銃弾を」のしみじみとした味わいを醸し出す。英語のセリフにしたせいか、意図的にセリフを削ったのか、出てくる男たちは無駄口を叩かない。短いフレーズを口にするだけで、彼らは理解し合う。

「ドント・ウォーリー」とアンソニー・ウォンはコステロに言う。「約束は守る」と。そして、コステロの拳銃に娘一家を惨殺させた黒幕の名前をマジックペンで書く。忘れないようにしろ、という意味だ。そんなぶつ切りのセリフやきびきびした動きが、黒社会の中で生き抜いてきた男の姿を感じさせ、切なくなる。女であろうと非情に人を殺すクアイは、ときにやさしい心遣いを見せる。

この映画に独特の情感を与えているのは、コステロがかつて頭を撃たれ、銃弾が残っているため、記憶を失い始めていることである。コステロは三人の男をポラロイドカメラで撮り、そのプリントの余白に彼らの名前を書く。忘れないようにするためだと言う。そのシーンで初めて、警察から隠しとってきた殺人現場の写真に、コステロが「復讐」と書き続けた意味がわかる。その切なさが身に沁みる。「自分が記憶を失っても...」と口にするコステロに、クアイが黒幕の名前を書いてやるシーンに悲しみが湧き起こる。

三人の男たちは、コステロの仕事を引き受けたが故に、窮地に陥る。しかし、彼らはコステロとの約束をまっとうしようとする。それは、コステロが全財産を彼らに提供すると申し出たからではない。損得勘定で彼らは動いていない。いや、あえて損な選択をする。自分たちが追いつめられても、約束は守る。仕事は果たす。

なぜなら、それが心を通じ合わせた男への返礼だからだ。敬意の示し方だからだ。そのとき、彼らは単なる殺し屋ではない。自らの命をかえりみず、約束を果たそうとする崇高な存在である。だから、古紙を固めたサイコロ状のものを楯にしながら、黒幕が放った数十人の殺し屋たちに銃弾を雨あられのように浴びせかけられようとも、彼らは笑っていられる。それが、己の信じる筋の通し方だからである。

それにしても雨・雨・雨...。雨の描写が素晴らしい。雨に濡れた世界を、夜の光が美しく描き出す。陰影に彩られた男たちの闘いが、裏社会に生きる男たちの美しさが、降りしきる雨と共にスクリーンに充ちあふれる。そんな男たちの美しい生き方を通したい、と僕はいつも願っている。

すべてにわたる僕の判断基準は、ひとつしかない。美しいか、否か...、それだけだ。しかし、それであるが故に、日々、美しくない己の言動に腹を立てざるを得ない。みっともなく、未練がましく、潔くない自分だから、「冷たい雨に撃て、約束の銃弾を」のような美しい男たちの映画を見て、戒め続けるしかないのである...。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com < http://twitter.com/sogo1951
>
現在のマンションへ引越したお祝いで、デザイナーのKさんにもらった壁掛け時計がとうとう壊れた。逆に考えると、20数年ももったわけだ。Kさんとは、ずいぶん無沙汰をしてしまったが、昨年、久しぶりに顔を合わせた。あまり変わっていない。僕の方はずいぶん老けてしまったけれど...。

●306回〜446回のコラムをまとめた「映画がなければ生きていけない2007-2009」が新発売になりました。
< http://www.bookdom.net/suiyosha/1400yomim/1447ei2007.html
>
●305回までのコラムをまとめた二巻本「映画がなければ生きていけない1999-2002」「映画がなければ生きていけない2003-2006」が第25回日本冒険小説協会特別賞「最優秀映画コラム賞」を受賞しました。
< http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4880651834/dgcrcom-22/
>