[3511] 「きみが必要」というスイートな言葉

投稿:  著者:  読了時間:33分(本文:約16,100文字)


《ノルム空間とかバナッハ空間とかヒルベルト空間とか》

■映画と夜と音楽と...[595]
 「きみが必要」というスイートな言葉
 十河 進

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■映画と夜と音楽と...[595]「きみが必要」というスイートな言葉/十河 進
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〈ガール/サウスバウンド/イン・ザ・プール/麒麟の翼/リリイ・シュシュのすべて/毎日が夏休み〉

●奥田英朗さんの「沈黙の町で」が気になって読んでみた

朝日新聞に連載しているときは読んでいなかったが、単行本にまとまった奥田英朗さんの「沈黙の町で」が気になって読んでみた。奥田さんの直木賞受賞作はムチャクチャな精神科医・伊良部を主人公にしたシリーズだが、本領は「オリンピックの身代金」のような社会派的テーマのシリアスなものにあるのではないか。全体小説のように多視点で描かれる作品の方が僕には面白い。

「オリンピックの身代金」については、「映画がなければ生きていけない」第三巻の「田沼雄一が青山通りを駆けた頃」という回で絶賛したけれど、やはり評価が高く、その後、吉川英治文学賞を受賞した。僕としては、誰か「オリンピックの身代金」を映画化してくれないかと思っているのだけれど、今のところそういう話は聞かない。奥田英朗さんの小説は、けっこう映画化されているのになあ......

最近では、香里奈、麻生久美子、板谷由夏、吉瀬美智子を主演にした「ガール」(2011年)がある。30代の四人の女性の恋愛と仕事を描いた作品だ。時代遅れの全共闘オヤジ(豊川悦司)を主人公にしたのは「サウスバウンド」(2007年)だったが、僕の世代から見ると単なるおフザケ映画にしか思えない。映画に細かくツッコムのも大人げないので笑って見ていたけれど、笑ってばかりもいられなかった。

「サウスバウンド」もそうだが、奥田さんは極端なキャラクターを出して笑わせる物語が得意なのかもしれない。精神科医・伊良部シリーズがまさにそれだ。これは映画化もされたし、テレビでは阿部寛や徳重聡が伊良部を演じた。徳重版は、何と連続ドラマである。映画版「イン・ザ・プール」(2005年)で伊良部を演じたのは、怪優であり作家であり劇団「大人計画」主宰者の松尾スズキだった。

原作のイメージとは違うが、松尾スズキの伊良部一郎は怖くて不気味で僕は好きだ。阿部寛や徳重聡のような二枚目では、あのアクの強さは表現できない。松尾スズキが演じると狂気じみた不条理性がにじみ出す。この世には訳のわからないこと、きちんと説明できないことが存在するのだ、と肌で感じられる。さすが、宮藤官九郎、阿部サダヲ、荒川良々など、妙な役者を抱える劇団「大人計画」主宰者だ。

「イン・ザ・プール」で伊良部総合病院の精神科診療室を訪れるのは、プール依存症のエリートビジネスマン(田辺誠一)、同僚と浮気した妻に棄てられた気の弱いサラリーマン(オダギリジョー)、家を出た途端にガスの元栓や電気器具のことが気になるフリーライター(市川実和子)などである。とりわけ、印象に残るのが勃起したまま治まらない症状に悩むオダギリジョーのエピソードだ。

どこの診療科でも原因がわからず、精神科にまわされてきたオダギリジョーの分析を行った伊良部は「あんたの病気は、浮気をして出ていった女房が原因だ」と断言し、「今から、その女のところにいって罵倒してやろう」と立ち上がる。オダギリジョーは仕方なく元妻の勤め先にいき面会を求める。伊良部が現れ、元妻に向かって「クサレ売女、クサレ売女、クサレ売女......」と罵る。

まあ、とんでもない精神科医である。よく医師免許が取得できたものだと思う。松尾スズキがゲームのキャラクターのように、無表情で横歩きしながら汚い言葉を投げつけると苦笑するしかない。患者であるオダギリジョーも同じ思いなのかもしれない。いつの間にか、彼の病気も治ってしまう。世の中、クヨクヨ悩んでも仕方ないなと思わせてくれるので、それはそれで名医なのかもしれない。

●地縁や血縁がまだ色濃く残る地域社会で起こったいじめ事件

「沈黙の町で」は、中学生のいじめ事件の物語だ。関東の地方都市、地縁や血縁がまだ色濃く残る地域社会で起こった事件を、教師、刑事、検事、新聞記者、死んだ中学生の母親、いじめをしたと言われる級友の両親など、様々な登場人物の視点で語られる。中学二年生の少年が、二階建て校舎のそばの大きな銀杏の木の下で死んでいるのが発見される場面から小説は始まる。

二階建て校舎は運動部の部室が入っていて、その屋根に昇り少し離れた大きな銀杏の木に飛び移るのが中学生たちの度胸試しになっていた。少年は度胸試しをしようとして飛び移り損ね、側溝の角で頭を割って死んだのかもしれない。しかし、屋根に五人の足跡があり、飛び移ることを強要されたのではないかと警察は疑う。二階の屋根から飛び降りて自殺する人間はいないだろうと、自殺説は否定される。

少年の背中にはつねられた内出血の跡が20以上もあり、日常的ないじめがあったことが確認される。全校生徒の聞き取りを行った警察は、死んだ少年といつも一緒にいた同じテニス部の2年生四人を傷害罪で逮捕する。ただし、14歳になっていた二人を逮捕し、13歳だったふたりは補導という形で身柄を拘束する。少年法は14歳以上が対象なのだ。つまり、13歳までは何をしても逮捕はされない。

何年か前、少年犯罪について様々な議論があり、少年法の対象年齢が問題になっていたのは知っていたが、それが14歳以上だとはこの小説を読んで知った。たった一週間前に14歳になっていたために逮捕された少年の母親は、そのことを理不尽に思う。いじめで死んだ子がいたとしても、その子をいじめていたのが我が子だとしても、親は自分の子だけが大切なのだ。その心理が詳細に書き込まれる。

警察が四人の少年を逮捕および補導した理由として、過去のいじめ事件で少年たちの逮捕を躊躇したために口裏を合わせられ、さらに人権派の弁護士たちの介入によって明らかな殺人事件を無罪にされてしまったことが挙げられていた。その事件は「数年前の夏、北陸地方の中学校で起きた『中学生プール溺死事件』」として説明されており、僕は現実の事件なのかと思った。

僕がそう思ったのは、昨年見た人気作家・東野圭吾原作の「麒麟の翼」(2011年)で似たような事件が取り上げられていたからである。もしかしたら現実の事件から東野圭吾が触発されたのではないか。そう思ってネットで検索してみたが、そんな事件はヒットしなかった。ただし、「いじめによる事件」については夥しい数がヒットした。いじめが原因の事故死あるいは自殺である。

いじめによる死が悲惨なのは、いじめた人間たちが直接手を下していないけれど、事故死にしろ自殺にしろ、それが殺人と等しいことである。手足の自由を奪ってプールに投げ込む、あるいは体育館のマットの下に入れて大勢でのしかかる。その結果、溺死したり窒息死するのは、本当に事故死なのか。いじめられ地獄の日々を逃れるために自殺するのは、本当に自殺なのか。

「沈黙の町で」の警察は、少年が仲間に強要されて部室のある校舎の屋根から大きな銀杏の木の枝に飛び移ろうとして落下し、側溝の角で頭を割って死んだとすれば、それは殺人に匹敵する未必の故意だったと立証しようとする。殺意はなかったにしろ、死ぬことが予想できたいじめだったというわけだ。だが、いじめたとされる少年たちの親は、子どもの将来のために必死で戦おうとする。加害者と被害者、様々な思惑が交錯する。

●大人としての分別もない中途半端な時期にあるのか

「沈黙の町で」の中で繰り返し記述されるのが、中学生という時期の残酷さだ。彼らは無邪気な子ども時代を過ぎたにもかかわらず、大人としての分別もない中途半端な時期にあり、それ故にいじめの限度を知らないのではないか、あるいは過剰ないじめになってしまうのではないか、と奥田さんは書いている。もちろん小学生にも高校生にもいじめはある。だが、中学生によるいじめ事件が陰惨なものになりがちだと言われれば、僕も何となくわかる。

「リリイ・シュシュのすべて」(2001年)という映画がある。中学生たちの凄まじい「いじめ」が描かれる岩井俊二監督作品だ。蒼井優がデビューした記念すべき映画だが、あまりに重すぎて僕は一度見ただけである。今でも見終わった後の、何ともやりきれない気分が甦る。叙情派だと思っていた岩井監督のダークサイドを見てしまった気がした。

だが、この映画を見たことで僕は想像できなかった中学生のいじめの凄惨さを実感した。地獄である。まるで僕自身が劇中でいじめられているような感覚に陥り、自殺したくなってくる。中学生たちが、なぜ外に救いを求めず自分の中にこもり自殺するのか、身に染みてわかった。感覚的に伝わってきた。同時に、いじめる側の心の叫びのようなものも描くのだから、大した作品だ。一度見ただけで永遠に記憶に焼き付けられる。だけど、やっぱり重すぎる。

「リリイ・シュシュのすべて」から目を背けようとする気持ちは、いじめによる自殺などの事件を知らなかったことにしたいという逃げに通じる。いじめが発覚すると、教師たちは一様に「知らなかった」とか「気付かなかった」と言うが、それも同じ心理なのかもしれない。大人たちは、子どもたちの残酷さから目を背けたいのだ。あるいは、気付かない振りをしていたい。

いじめられる対象になる少年は、今や人気俳優になった市原隼人である。仲の良かった友人(忍成修吾)が豹変し、凄惨ないじめのリーダーになる。彼には誰もが逆らえず、級友たちは命じられるまま残酷な行為を行う。彼は女子生徒には援助交際を強要し、客から得た金銭を巻き上げる。彼は14歳の少年だが、成人だとすればやくざと同じことをやっている。非情な犯罪者である。

市原隼人が演じた少年は、残酷ないじめに耐えながら地獄の日々を送っている。彼は、そんな日々から逃れるようにカリスマ的な女性アーティスト「リリイ・シュシュ」のファンサイトを立ち上げ、そこに心情を綴り救いを見出そうとする。だが、そんな救いも奪われ、彼は追いつめられていく。まったく、そこまで追いつめなくても...と僕は思ったけれど、現実にはいじめで自殺にまで追いつめられているのだ。映画は現実を描く。

「リリイ・シュシュのすべて」はすぐれた作品だが、人に勧めたことはない。誰が見ても重い荷物を受け取ることになるからだ。「どうして、あんな映画を勧めたのだ」と、怒る人がいるかもしれない。僕自身、見ておいてよかったとは思うけれど、再見は逃げている。それでいながら、もう一度きちんと対峙しなければいけないという思いは消えない。借りを負ったまま生きている気分だ。いつかは、もう一度見なければならないが、その覚悟がなかなかできない。

●自分を必要とする人間とだけ付き合えればいいのだが...

もうずいぶん前の事件だが、体育館のマットの中に逆さまに押し込まれ、少年が圧死した事件があった。窒息死だった。このとき、14歳の少年三人が逮捕され、13歳の少年四人が補導され、少年をマットに逆さに押し込んだことを自供した。しかし、少年たちは公判では自供を翻し裁判はもつれた。「沈黙の町で」に出てきた北陸地方での「プール溺死事件」とされているのは、この事件のことだったのではないか。

この事件を聞いたとき、僕は窒息死した少年の苦しさを想像し息苦しくなった。記憶が甦ったのだ。僕は12歳。小学校の修学旅行のことだった。誰もが経験しているのかもしれない。いわゆる布団蒸しをやられたのだ。いきなり布団がかぶせられ、級友たちが上に重なった。あのときの苦しさは、今も忘れていない。僕はあまりの苦しさと恐怖で、狂ったように暴れた。じっとしていたら、窒息していたかもしれない。

僕はいじめられっ子ではなかったが、狙われやすい存在だった思う。級友たちにとって、布団蒸しは遊びである。ちょっとした悪戯心から、彼らは僕を布団蒸しにした。その結果、僕が窒息死すれば、それは事故だ。彼らは蒼くなり、後悔し、心の傷を残すかもしれない。しかし、おそらく罪悪感はない。いや、最初は感じるかもしれないが、やがて消えるだろう。しかし、僕の方はそのときの苦しさを50年も引きずっている。

現実を反映してか、いじめが登場する映画は多い。「リリイ・シュシュのすべて」のように「いじめ」を正面からシリアスに描いた作品もあるけれど、もう少し心温まる作品を紹介しておきたい。「毎日が夏休み」(1994年)という大島弓子のマンガを原作にしたコメディである。見終わって、ほのぼのした気分になれる。こういう後味を得るために人は映画を見る。この映画なら何度見てもいい。

主人公は13歳の海林寺スギナ。瞳が特徴的な杉浦日菜子が演じた。この映画のためにデビューしたと思えるほどの適役だった。スギナは学校でいじめに遭い、登校拒否を続けている。母親(風吹ジュン)が再婚した義父(佐野史郎)は大企業に勤めるエリートだったが、出社拒否に陥り娘と一緒に「毎日が夏休み」の状態にある。父の同僚たちが出世欲・権力欲の俗物に描かれるのはコメディのお約束通りだが、それだから効果的である。どんな映画も悪役、憎まれ役は必要だ。

当然、スギナをいじめるクラスメイトの女子たちもステレオタイプだ。しかし、現実もそんなものだろうという説得力はある。久しぶりに登校したスギナの下駄箱にゴミを入れたり、スギナを囲んで「臭い、臭い」と言ってみたり、子どもだから実に子どもっぽい。そんないじめに耐えるスギナに義父から電話が入る。何でも屋を始めた義父は、「きみが必要だ。手伝ってほしい」と言う。

その電話を聞いて、スギナはステップを踏みながら廊下を走る。「きみが必要、きみが必要、何てスイートな言葉...、こんなスイートな言葉があったわけだ」と、スギナのナレーションが重なる。この映画のハイライトシーンである。スギナは「何でも屋・海林寺社」の副社長として、生き生きと働き始める。そう、人は必要とされるから歓びを感じる。

いじめは拒否であり、おまえは不要だというメッセージだ。だったら、自分を必要としない人間を相手にしなければいい。そう思っても、学校や職場でいじめられると逃げ場がない。だけど、登校拒否、出社拒否になればいいじゃないかと「毎日が夏休み」は教えてくれる。必要と思ってくれる人間と付き合えばいいのだ。そして、人には「あなたが必要だ」というスイートな言葉だけを伝えよう。「毎日が夏休み」を見ると、そんなやさしい気持ちになる。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com < http://twitter.com/sogo1951 >

久しぶりに兄貴分カルロスのスペイン料理の店へ顔を出した。5月に出た婦人公論のよしもとばななさんのエッセイで店が紹介されていた。もっとも、僕は頻繁にいっているわけではないので、一度もばななさんには会ったことはない。昔、隣のテーブルで山本モナさんが食事していたことはあったけれど......

●長編ミステリ三作が「キンドルストア(キンドル版)」「楽天電子書籍(コボ版)」などで出ています/以下はPC版
< http://forkn.jp/book/3701/ > 黄色い玩具の鳥
< http://forkn.jp/book/3702/ > 愚者の夜・賢者の朝
< http://forkn.jp/book/3707/ > 太陽が溶けてゆく海
●日本冒険小説協会特別賞「最優秀映画コラム賞」受賞のシリーズ4巻発売中
「映画がなければ生きていけない1999-2002」2,000円+税(水曜社)
「映画がなければ生きていけない2003-2006」2,000円+税(水曜社)
「映画がなければ生きていけない2007-2009」2,000円+税(水曜社)
「映画がなければ生きていけない2010-2012」2,000円+税(水曜社)
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「1999年版 天地創造編」100円+税
「2000年版 暗中模索編」から「2009年版 酔眼朦朧編」まで 各350円+税
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■Otakuワールドへようこそ![178]数学を試食してみることは可能か/GrowHair
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ウェブのコンテンツ制作の方面の人から、画像の色合わせに苦労しているという相談を受けたので、ちょちょいと考えてみた。リンゴのマークの入ったスマホがテーブルから落ちるのを見て、ピンとひらめいた。

色変換関数を連続な基底関数の線形和で表現しておいて、係数を未知数とする劣決定系(underdetermined)連立一次方程式に落とし込み、色変換に都合のよいように拘束条件を設定することによって解が一意に決定するようにしておいて、あとは解けば目的にかなう解が求まるのではなかろうか。

UNIX上のC言語でちょちょいとプログラムを組んで、試してみた。これがけっこううまくいく。この手法、私よりも先に思いついた人はいるだろうか。特許検索かけてみた。2003年にキヤノンから似たようなのが出ている。けど、ちょっと異なる。

色変換に関する発明である点は共通するけれど、そもそも目的が異なる。それに伴い、都合のよい拘束条件も異なってくる。私のは、ノルム最小化ではなく、もう少し工夫が加えてある。とりあえず、特許出願しておこう。

キヤノンのとは本質的に異なる手法だと私は思ってるけど、似てると言えば似ている。審査を通過するかどうかは微妙なところだ。当該分野に携わる者が、公知の技術から容易に思いつくことができるものは、「進歩性なし」として拒絶されることになっている。その判定は審査官にゆだねるしかない。

方程式を解くプログラムを作成する際に必要な数学の知識については、ウェブを検索して調べることで事足りた。けど、特許を書くにあたっては、ちゃんとした参考文献を挙げておいたほうがいい。ウィキペディアに書いてあります、ってわけにはいかないだろう。あれは誰でも書き込めるし、内容が正しいって保証はないし、ちょくちょく書き替わるからなぁ。

というわけで、紀伊國屋書店新宿南店へ線形代数の書籍を漁りに行った。ムーア・ペンローズの一般化逆行列について記述してる本、あるかな。線形代数の書籍がずらーっと並ぶ中に、「海老原 円」という著者名が目に入った。

ん? この名前、見覚えあるぞ。どこで見たんだっけ。思い出した。四谷大塚進学教室で万年トップだったやつやんけ。検索かけてみると、やはり私と生まれ年が同じだ。東大の数学科を出て、今は埼玉大学の講師をしているらしい。実に38年ぶりに見る名前だ。

彼の著書『14日間でわかる代数幾何学事始』をほめちぎっているウェブページがある。題して「数学って「思想」なんだよな」。いわく「この本の何がいい、って、それは「思想臭むき出し」で書いている、ってことだ」。

つまり、定義・定理・証明などが無味無臭の体で簡潔に書き並べてあるのではなく、その裏にある「ココロ」みたいな部分を描写しているので、イメージがわいて、理解の助けになるということだ。本当に頭のいい人は、難しいことを平易に説明してくれる。
< http://d.hatena.ne.jp/hiroyukikojima/20121227/1356623142 >

●数学は割り勘の計算をする学問ではない

21世紀に生きているわれわれは、意識しようとしまいと、生活を通じて直接間接に有形無形の先端技術と関わり、利便性や安全性や健康や娯楽といったさまざまな恩恵を享受し、この時代に特徴的な文化にどっぷりと浸っている。

財布から現金を取り出すことがめっきり少なくなり、たいていの会計はカードで済んじゃうし、ネット通販で買い物をすれば、これを買った人はこんなのも買ってると薦めてくれるし、ツイッターやフェイスブックのようなソーシャル・ネットワーキング・サービスにアカウント登録すると見知らぬ人が友達申請したりフォローしたりしてくるし、検索サイトに行ってキーワードを放り込めばたいていの調べ物は片がついちゃうし、液晶画面で本が読めちゃうし、今すぐセックスしたがっている女の子と出会えるサイトの宣伝やチンコのサイズを大きくする薬の宣伝メールが頼みもしないのにどさどさ届くし。

そういう点においては、確かに、間違いなく、今この時代の空気を吸って生きているのだと言える。しかし、一方では、科学や技術の最先端がどうなっているのかは、ごく少数の専門家のものとなっていて、われわれ一般人にはとうてい手の届かない壁の向こうへ行ってしまっているという感覚がある。

宇宙の真理を知りたいという探究心や、数学や哲学といった抽象的な精神の営みを通じて神の領域である理想の高みへ到達したいという憧憬などは、ギリシア時代の人々よりも退化しているんじゃないかという疑いすらある。生活は便利で安全で快適で垢抜けているのに、精神はどこかフニャけてないだろうか。

飲み会の場などで、うっかり私が大学時代に数学を専攻していたことなど言うと、そういう人を待ってましたとばかりに割り勘の計算を任される。単純に合計金額を人数で割るくらいの計算ならやってやれないこともないのだが、誰々は主賓だからタダだとか、偉い人は多く出すだとか、あんまり飲まない女子は半額だとか、けっこうややこしい。挙句の果てに計算を間違える。面目丸つぶれ。数学ってのはそういう学問じゃないんだよー!!! と心の中で大絶叫。

まあ、無理もない。一般の人々って、数学とはどんな学問であるか、イメージする機会すらほとんどないんだよね。ピタゴラスの定理なんて紀元前の話だし、理系に進学することにすると高校で三角関数の微分積分あたりまでたどりついてヒーヒー言ってるけど、それだってやっと16世紀ごろの話だし。20世紀の数学がどっちのほうに行っちゃってるかをちょっとでも垣間見る機会が与えられるのは、大学で数学を専攻するごくごくわずかの人類の特権なのだ。

人間味が完全に排除された、無味無臭の冷たーい世界だと思ってやしません? 面白くもなんともない計算ドリルみたいな苦役を人間に強いることで、人間を機械みたいに扱う拷問だと思ってやしません? 数学者って、もはや人間の感情をもたない、どんな恐ろしいことでも冷徹にやってのける冷血漢に違いないとか思ってやしません?

東野圭吾『容疑者Xの献身』あれは小説としては非常に面白かったけど、えー、もしかして数学屋って世間一般からはそんな人物みたいにみられてるのー? ってあたりが、なかなかショックでもあった。小川洋子『博士の愛した数式』は、数学者を人格的にも高潔で、人柄も優しい、いい人として高く持ち上げて描いてくれてて、私が言うのも変だけど、ありがたい。

数学屋さんを魅力的な人物として描写してくれてるのはいいのだけれど、数学の魅力にまで迫れたかというと、ちょっと疑問なところはある。小説の中にオイラーの公式が登場する。ま、私も中学のころ、それに出会ってあまりの美しさに衝撃を受けて一目惚れ、恋は盲目状態で、ワタシ、何があっても一生ついていきます〜状態になってたクチではあるのだけれど。

その美しさってやつをちゃんと説明するのって難しいよね。π とe と i という、別々の方面から出てきた基本的な定数が、非常に簡潔な式で互いに結びついてるー、とか。指数関数と三角関数という、これまた別々の方面から出てきた関数どうしが、指数の肩に純虚数を乗せることで、実は同じものだという本質が浮かび上がってるー、とか。

どうだ美しいだろー、感動的だろー、とどんなに声を大にして訴えてみたところで、これ、なかなか世間の人々には伝わらないだろうなーというフラストレーションは、尾道の坂道で階段から階段が生えてるのを見てこの造形のすばらしさがどうとかこうとか言って大興奮している齋藤浩氏に通じるものがあるかもしれない。

で、こっちが会計計算に悪戦苦闘している間、ほかのみんなは、自分がいかに数学が苦手か、みたいな自慢話をして、共感しあって盛り上がってる。数学が得意とか言ったら、完全にのけ者、敵キャラ状態ではないか。徹底的にモテない。くぬやろ〜〜〜。

スポーツをしない人間であっても、野球を観戦することはできる。すると、野球とはどんなスポーツであるか、だいたいイメージがわく。音楽のジャンルの好みは人それぞれだろうけど、音楽というものが丸ごと大嫌いという人はそう多くはないのではなかろうか。音楽の美しさと数学の美しさって、だいたい似たようなもんなんだけどなー。

野球をしない人でも観戦して楽しむことはできる。楽器を演奏しない人でも音楽を聴いて楽しむことはできる。それと同じように、数学の研究に直接携わることのない人でも、ちょこっと味見して、鑑賞して楽しむってことは、できないものだろうか。この時代を生きていながら、現代数学とまったく接点をもたないというのももったいない話だ。

●空間をぺろっとなめてみよう

現代の数学は、数や図形そのものをいじくり回すよりも、それらを容れている空間のほうを研究対象とする傾向があるのが特徴的なのではなかろうかと私は捉えている。空間とは何であろうか。

我々が住んでいるこの世界は3次元空間で、それに時間軸を加えると4次元空間とみることもできる。けど、それは物理学でいう空間であって、数学的でいう空間のほんの一例にすぎない。数学でいう空間とは、集合とほぼ同義である。しいて言えば、集合になんらかの構造が導入されたものが空間である。

集合は小学校でも習うので、なんとなくイメージできるのではないでしょうか。「果物の集合」といえば、その要素には、たとえばリンゴやミカンやスイカや柿がある、とか。「円とは一定点からの距離が一定な点の集合である」とか。それだけだと、袋の中にバラバラにものが入っているイメージなのだが。

果物どうしでも、夏ミカンとハッサクはなんとなく近いけれど、柿とパイナップルはあんまり似てないなぁ、という感覚がある。この近い・遠いの概念を導入すると、空間っぽくなってくる。

「色の集合」といえば、その要素には、赤とか青とか水色とかあるわけだけど。やはり色にも近い・遠いの概念が導入できる。さらに、色は足し算ができる。白い壁に赤い光のスポットを投影する。もうひとつ緑色の光のスポットを投影する。それらを互いに近づけていって、重なり部分ができるようにすると、そこには黄色が現れる。つまり、赤と緑を足すと黄色になるというわけで、色の集合には足し算という演算が導入できることになる。

どんなふたつの色をとってきても、必ず互いに足し算することができて、その結果もまたある色になっている。つまり、色の集合は足し算という演算に関して閉じている。「色の集合」という袋の中に、あらゆる色がバラバラに入っているのではなく、足し算という演算によって、あらゆる要素が互いに結びついている。これで空間っぽくなった。

空間にはいろんな種類がある。集合に「ご近所」という概念を導入して得られる近傍空間とか。その近傍がハウスドルフの分離公理を満たしているハウスドルフ空間とか。距離を導入した距離空間とか。足し算という演算を導入した「群(ぐん)」もまた空間の一種と言ってよかろう。足し算と掛け算のふたつの演算を導入した「環(かん)」とか。環の一種で、掛け算の逆元が存在する「体(たい)」とか。

足し算に関して群であって、なおかつ、別に用意した体の要素との掛け算が導入されたベクトル空間とか。ベクトル空間にノルムの概念が導入されたノルム空間とか。ノルム空間の中でも特に極限に関して閉じているバナッハ空間とか。ベクトル空間に内積の概念が導入された内積空間とか。内積空間の中でも特に極限に関して閉じているヒルベルト空間とか。

この辺まで来ると、20世紀の香りがぷんぷんと漂ってくる。ではなぜ数学は、数や図形といった対象物を研究する学問から、それを容れている空間を研究する学問へとシフトしていったのか? 単なる気まぐれで興味が移行したのか、そっちのほうが面白そうだったからか、切羽詰まった必然性があったからなのか。

空間を研究対象とするメリットはいろいろあるのだが、そのひとつは、不可能の証明であろう。ギリシア時代から人類の頭を悩ませてきた問題に、角の三等分問題がある。定規とコンパスを有限回使って、与えられた角度を三等分する角度を作図することが可能か、という問題。19世紀に決着がつくまで、実に2000年も悩んだんだね。

頭のいい人がさんざん悩んだけど、答えが見つからなかった、というのは、なんとなく実は解が存在しないのではなかろうか、というムードを漂わせはするけれど、それじゃ決着しない。

コンパスと定規を使って作図することの可能な図形全体の集合、みたいなものを考えて、その集合のあらゆる要素を調べつくしても答えがない、ということを言わなくてはならない。といっても、要素は無数になるので、片っ端から根気よく調べていっても永久に終わらない。

空間の構造を調べていって、構造上、中に解が潜んでいることはありえない、と証明しないことには決着がつかない。実際、コンパスと定規で作図できる線分の長さは、2次以下の方程式を解いて得られる数ばかりで、3次以上の方程式の解は作り出すことができないことが解明される。一方、角の三等分ができると仮定すると、3次方程式の解が得られたことになる。よって、不可能、となる。

5次以上の方程式の一般解法も人類の頭を悩ませてきた。数式をごちゃごちゃいじくり回して解けるのは4次方程式までで、5次以上の方程式は、どんなにやってても一般解には到達できないのだ。これも、数式をいじり回し続けていたのでは、無限に広い空間を調べ尽くすことはできず、空間の構造に目をつけて、不可能という決着をみる以外になかった。

空間を研究対象とするもうひとつのメリットとして、難しい問題を易しい問題にたとえることで、問題を解きやすくする、比喩のはたらきがあるのではないかと思う。

数値と関数とは互いにまったく別々の概念ではあるけれど、連立一次方程式を解いて数値として解を得ることと、線形常微分方程式を解いて関数として解を得ることとは、なんとなく似てるよね、という感覚がある。その「似てる」の正体がベクトル空間だったというわけだ。

物理で言う3次元空間は、有向線分の集合としてのベクトル空間であるが、このベクトル空間の概念をもうちょっと代数的に抽象化しておくと、関数全体の集合、みたいなのもやっぱり同様の構造をしている空間だったということが分かる。

そうすると、無数にたくさんある関数も、実は、互いに一次独立な基底関数の線形和で表現できるのだな、ってことになる。フーリエ級数展開が、その一例。ただ、3次元の有向線分によるベクトル空間とは異なり、次元が無限次元だったりするわけだけれども。

理系でも誤解してる人が多いので注釈を加えておくと、ベクトル空間というだけでは、まだ大きさの概念も向きの概念もない。ノルムを導入して初めて大きさの概念が生じ、内積を導入して初めて向きの概念が生じる。

この辺の話、数学のよく分かった人からは「甘い!」と叱られそうだし、数学の全然分かってない人からは「ちんぷんかんぷん!」と叱られそうである。結局、誰に向かってしゃべっているのか分からない、孤独な独白の様相を呈してくる。いい加減にしよう。

ま、そういうわけで、あたかも音楽を聴くように、野球を観戦するように、数学を学ばずして鑑賞して楽しむことって、できないものだろうかと思う。不正確・不明瞭な文学的・感覚的表現は、誤解を招きやすいから有害だと批判する人がいるでしょうけど、数学専攻者が飲み会の会計で重宝するなんて誤解に比べたら、マシなほうでしょう。

海老原氏は、『入門書ですらない! 数学傍観者のためのチラ見せ多様体』みたいなのを書いてはくれないだろうか。立ち位置的には、『ゲーデル・エッシャー・バッハ』みたいなやつ。あれは、数学門外漢のためのチラ見せゲーデルの不完全性定理、みたいな位置づけだからね。

一般の人々が、数学とは音楽のようなものだ、と捉えるようになってくれたら大成功。私のような者はもはや会計計算を任されることはなくなり、若い女の子たちにモテモテのウハウハになることであろう。

【GrowHair】GrowHair@yahoo.co.jp
セーラー服仙人カメコ。アイデンティティ拡散。
< http://www.growhair-jk.com/ >

関西方面のみなさま、たいへん長らくお待たせしましたっ! TBSテレビ『有吉ジャポン』の私が出演した回が、7月6日(土)深夜24:58〜25:28、MBS毎日放送で放送される予定です。

○テレビには一切出ないもののインターネット上で話題になっている人物が続々誕生!
○その中でも今、特に人気がある人物を密着取材!
○"ブサイクなアイドル"と"セーラー服おじさん"に迫る!
○5月24日(金)に関東地方で放送された内容です。
< http://www.mbs.jp/pgm2012/1372518009.shtml >

6月13日(木)に「日刊サイゾー」(紙媒体ではなくウェブ版のほう)の取材で、キャンディ・ミルキィさんと対談しましたが、その内容が7月3日(水)に記事になりアップされました。

キャンディおじさん×セーラー服おじさん 東京2大女装おじさん対談「女装なんてドラッグに比べたら健全!」中年おじさんが"不完全女装"にハマるワケ
< http://www.cyzo.com/2013/07/post_13776.html >

7月5日(金)、このコラムの配信日ですが、関東圏に電波の届くFMラジオの生放送の番組に出演します。J-WAVE の『GOLD RUSH』という番組。5:40pmから5:50pmまで10分間。番組のウェブサイトでは、「会うと幸せになれるとネットで話題の"セーラー服おじさん"を探して下北沢から生レポート!!」と予告が出ています。
< http://www.j-wave.co.jp/original/goldrush/ >


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編集後記(07/05)

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●わがマンションでも、ようやく防災対策が理事会の主要テーマになった。230世帯を超すこのマンションで、今まで防災がまともに語られたことは一度もなかった。今期の理事会が掲示板で防災委員を住民から募集したのが4月頃で、それに応じたのがなんとわたし一人であった(!)。住民はみな何事にも無関心なのだ。なにしろ、毎年1月に開かれる定期総会のリアル出席者は15%以下なのだから。

その後、再度募集をかけたが手を挙げる人はいなかった。たぶん今期の理事会とわたしの14人で、防災マニュアル策定や、居住者名簿の作成、備品の購入など困難な作業にあたることになるのだろう。こんな年に理事に選任された人は気の毒だ。わざわざ手をあげた、わたしのような酔狂もいるけど。

防災マニュアル策定は、とても素人の手に負えるものではない。専門会社の協力を得るわけだが、基本テンプレートとヒアリングなどで数10万円かかる。彼らは「外部からは助けが来ないという覚悟をもて」と言う。マンションは倒壊のリスクはほぼない。自室で滞留生活を送れる。避難所に行っても追い返されるだけだろう。そのための準備は今すぐでもとりかからなければならない。

いざというとき、在宅者が初動を行う必要がある。わたしは間違いなく在宅者なので、やるべきことは山ほどある。災害対策本部を立ち上げ、居住者の安否確認を行い、マニュアルに沿った的確な行動を......ああ考えただけでパニックになりそうだ。じつはまだ防災マニュアルはできていないし、難関である居住者名簿の作成はヒトモメありそうだし、これからが大変だ。

10年以上前、当時住んでいた浦和市の一戸建ての近隣に大規模高層マンションが建設されることになって、町内会で対策会議をたちあげて建設側とやりあったことがある。リーダーシップを握りたい人や、大声出せば自分の言う通りになると思っている人や、他人の誹謗中傷ばかりする人など、集団には不愉快な人物がいくらでもいたが、若輩のわたしはじっとこらえて事務方に徹し、山のように書類を書き、いちおう円満に決着させた。あの経験があれば、マンションの無関心人間どもなどへっちゃら、とは思うのだが、あくまでも穏やかで誠実な老人を「演ずる」ことにした。それもおもしろいかも。(柴田)


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●Incocoネイル。お試し体験イベントをやっていた。ネイルシールが並んでいて、今までの製品とどう違うんだろうと興味を持った。ら、店員さんから20秒くださいー的なことを言われ、やってもらうことにした。

個包装を破る。絆創膏の包装みたいに、シール本体の外側をはがす。爪の根元に乗せ指で仮固定。位置が良くなければ何度か貼り直しはできる。で、位置が決まれば、先に向かって引っ張りながら、セロファンテープを切るみたいに、自分の爪を利用してシールをカット。多少はみ出たものは付属のヤスリで削る。終わり。

これの凄いところは、乾かす時間がいらないところ、ムラにならないところ、爪に元からある油脂を飛ばす必要がないところ(さすがにハンドクリーム使った後は、リムーバーで飛ばす必要はありそうだが)、ネイルアートされたままで売っているところ、トップコートまで一体化されているところ、フレンチネイル用のもあるところ、などなど。

打ち合わせがあって一週間ほどでオフしたが、それまでびくともしなかったよ。シート自体はネイルなので、オフはリムーバーでOK。店員さんは二週間は保つとの話だった。乾かす時間がいらないのって本当にいいっ! (hammer.mule)

< http://www.incoco.jp/s/ >
公式
< http://www.incoco.jp/s/user_data/how_to.php >
使い方
< http://www.incoco.jp/s/user_data/how_to02.php >
フレンチネイルは難易度があがる
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こんな柄でも貼るだけ
< http://www.incoco.jp/s/products/detail.php?product_id=109 >
店員さんが貼ってくれたのはコレ。宝塚に良く似た衣装があったわ