Otaku ワールドへようこそ![279]日本は大AI帝国を目指すのか? Society 5.0にツッコミたい/GrowHair

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日本は少子高齢化や地方の過疎化や貧富の格差などの、社会問題を長らく抱えており、国政的な施策がとられてきたが、抜本的な解決には至っていない。

政府はついに自力解決をあきらめて、すべての問題を人工知能(AI)に丸投げしようとしているのか。万世一系のAI陛下を頂点に据えた、大AI帝国を築こうというのか。

いやいや、まさかそういうことではないと思うけど。2016年に政府が打ち出したSociety 5.0というコンセプトをぼーっと眺めていると、そんなふうに受取れなくもないかなという気がしてくる。そういう屁理屈をこねるやつが現れないようにと、いちおう「人間中心の社会」って釘を刺してはあるんだけどね。





●Society 5.0は「超スマート社会」

「Society 5.0」は2016年、「第5期科学技術基本計画」において政府が初めて提唱した、我が国が目指すべき未来社会の姿を構想したものである。では、まず、科学技術基本計画とは何か。

内閣府のウェブサイト内に科学技術基本計画の階層が設けられ、そのトップページで成り立ちが説明されている。さらに、第5期の内容についても概略が述べられている。

また、本文、概要、参考資料がそれぞれPDFファイルで提供されている。参考資料集のページでは、章ごとのさらに詳しい資料がPDFファイルで提供されている。
http://www8.cao.go.jp/cstp/kihonkeikaku/index5.html

科学技術基本計画とは、1995年(平成7年)に制定された「科学技術基本法」に基づいて政府が策定する科学技術政策である。5年ごとに5か年計画が立てられる。

第1期(平成8〜12年度)、第2期(平成13〜17年度)、第3期(平成18〜22年度)、第4期(平成23〜27年度)と来て、第5期(平成28〜32年度) の内容は2016年(平成28年)1月22日に閣議決定された。

第5期において、日本の科学技術の現状をどう認識しているかが2点、挙げられている。第一に、情報通信技術(Information and Communication Technology; ICT) の進化等により、社会・経済の構造が日々大きく変化する「大変革時代」が到来し、国内外の課題が増大、複雑化する中で科学技術イノベーション推進の必要性が増していること。

第二に、科学技術基本計画の過去20年間の実績として、研究開発環境が着実に整備されていき、LEDやiPS細胞などのノーベル賞受賞に象徴されるような成果が上げられた反面、課題として、科学技術における「基盤的な力」が弱体化し、政府研究開発投資の伸びが停滞していること。

こうした背景のもと、先を見通し戦略的に手を打っていく力(先見性と戦略性)と、どのような変化にも的確に対応していく力(多様性と柔軟性)を重視する基本方針の下、4つの目指すべき国の姿を掲げている。

1. 持続的な成長と地域社会の自律的発展
2. 国及び国民の安全・安心の確保と豊かで質の高い生活の実現
3. 地球規模課題への対応と世界の発展への貢献
4. 知の資産の持続的創出

このような国の実現に向け、第2章〜第5章では、4本の柱を掲げている。

1. 未来の産業創造と社会変革
2. 経済・社会的な課題への対応
3. 基盤的な力の強化
4. 人材、知、資金の好循環システムの構築

上記1.の中でSociety 5.0を打ち出している。この構想が出てきた背景について、参考資料集・第2章の資料の中で述べられている。

比べるべき海外の取組みとして、ドイツのIndustrie 4.0と米国の先進製造パートナーシップ(Advanced Manufacturing Partnership; AMP)があるが、いずれも製造業における生産効率化を狙いの中心に据えるものである。

Society 5.0では、サイバー空間の活用を、もの作りの産業分野のみならず、社会の様々な分野に広げ、人々に豊かさをもたらす「超スマート社会」を世界に先駆けて実現することを狙いとしている。

Society 5.0については、内閣府のサイト内に別個の階層が設けられているので、内容については、そっちを参照したい。
http://www8.cao.go.jp/cstp/society5_0/index.html

Society 5.0を端的に定義すると、次のようになる。「サイバー空間(仮想空間)とフィジカル空間(現実空間)とを高度に融合させたシステムにより、経済発展と社会課題の解決を両立する、人間中心の社会」。

5.0と呼称するからには、過去バージョンがあるはずだが、それは次のようになっている。

・Society 1.0:狩猟社会
・Society 2.0:農耕社会
・Society 3.0:工業社会
・Society 4.0:情報社会

Society 5.0を「ナニナニ社会」と一言で表すとどうなるか。「超スマート社会」と言ってはいるけど、先行4バージョンに比べると表現があんまりスマートではない。内容からすると「AI社会」と言ってよさそうだが、その表現に踏み切るのは避けたのだろうな、というニオイがする。これについては、次のツッコミコーナーで料理する。

歴史的な大きな流れからすると、狩猟社会→農耕社会→工業社会→情報社会→AI社会という推移は自然であり、必然であるようにもみえる。

しかし、予言ではない。いつ来るとは言っていない。デモ映像の中に「20XX年」と出てくるぐらいである。XX = 99 だとしたら、あと80年はある。来るぞという予言ではなく、目指す姿であると言っている。

Society 5.0の内容については、上記ウェブページの中で、よく整理され、わりと詳しく述べられている。

Society 5.0で実現する社会について、次のように言っている。

第一に、IoT(Internet of Things)ですべての人とモノがつながり、様々な知識や情報が共有され、今までにない新たな価値が生み出されること。第二に、人工知能(AI)により、必要な情報が必要な時に提供されるようになり、ロボットや自動走行車などの技術が我々の生活の場に提供されること。

その二つの恩恵により、我々の生活においては、必要なモノやサービスを必要な人に、必要な時に、必要なだけ提供されるようになり、膨大な情報から必要なものを探し出して分析する作業負荷が軽減されたり、年齢や障害などによる労働や行動範囲の制約が解消されたりする。

また、我々の社会においては、少子高齢化、地方の過疎化、貧富の格差などの課題が克服される。「社会の変革(イノベーション)を通じて、これまでの閉塞感を打破し、希望の持てる社会、世代を超えて互いに尊重しあえる社会、一人一人が快適で活躍できる社会となります」。

それを実現するしくみについても、項目が設けられ、説明されている。

1. フィジカル空間のセンサーからの膨大な情報がサイバー空間に集積される
2. サイバー空間では、人間の能力を超えたAIが、このビッグデータを解析する

3. その解析結果がロボットなどを介してフィジカル空間の人間に様々な形でフィードバックされる

4. 結果、これまでにはなかった新たな価値が産業や社会にもたらされる

この情報処理の手順は、図でも描写されている。上記ウェブページの中段にSociety 4.0と5.0の構図を横に並べて比較した図が掲載されている。

左側の4.0(情報社会)でも、すでにフィジカル空間とサイバー空間との分離は起きている。フィジカル空間で起きている森羅万象を反映したデータが、クラウドという形で実装されたサイバー空間に預けられる。

そこから必要な情報を取得して、生活や生産で利用するという構図は同じである。ただし、クラウドのデータにアクセスして情報を入手・分析するのは人である。

右側の5.0では、そこが違う。IoTにより、環境情報、機器の作動情報、人の情報などが自動的に収集されるため、サイバー空間に蓄積される情報は桁違いに膨大なものになる。これをビッグデータという。もはや人が見渡せるような分量ではなくなるため、解析する主体はAIに移行する。

解析結果として、高付加価値な情報が得られ、この新たな価値が、提案という形で人々の生活に還元されたり、機器への動作指示という形で生産に還元されたりする。この図を見ると、「超スマート社会」とは、実質的に「AI社会」と言い換えてよいように思える。

ウェブページの下のほうに「関連リンク」があり、Society 5.0の政府広報へリンクが張られている。そのページの下のほうに動画が置いてある。

「これを見れば、未来がもっと楽しみになる! WEB限定ムービー」と題する5分03秒の映像。
https://www.gov-online.go.jp/cam/s5/

20XX年に到来したSociety 5.0の下、地方在住の女子高生の朝の光景が描写されている。縁側にて、空中でホバリングしているドローンから宅配の荷物を受取る。冷蔵庫に話しかけると、今ある食材でまかなえるメニューを提案してくれたり、残り少ない食材を注文してくれたりする。

おばあちゃんは、ディスプレイを前に、遠隔診察を受けている。行きがけの道の脇の田んぼでは無人トラクターが耕している。無人走行バスで学校へ。

この映像で描写されているのは、Society 5.0の構想の中でも、個人の生活の利便性に関する部分であり、技術的にはあと2〜3年で実現しそう。一方、社会問題がどう解決されていくのかは分からない。

文部科学省は5月1日(火)、「Society 5.0 実現化研究拠点支援事業」について、公募を開始することを発表した。イノベーションを実現するための先導役となるような大学等を1件程度募集しており、採択されると、5〜10年間にわたって毎年7億円を上限とする補助金が支払われる。
http://www.mext.go.jp/b_menu/boshu/detail/1403785.htm

●ポエム5.0? バラ色の描写とオレの懸念

では、お待ちかねのツッコミコーナーです。さて、どこからツッコんだものか。ツッコミどころが多すぎて困る。

ソフトウェアでないものにバージョン番号を添えて表現する風潮は、Web2.0に端を発したものらしいが、そこから始めてると進まないので、スルーして、と。

【呼称について】

「AI社会」という呼称を避けて、「超スマート社会」というスマートでない表現にしていることについて。「AI社会」は「名詞+名詞」の形をしている。この形だと、間に動詞を補いたくなる。「AIが支配する社会」とか。人間よりもAIのほうが偉いんだね? ちょっとした脅威のムードが漂う。

一方、「超スマート社会」は「形容動詞の語幹+名詞」の形をしている。この形だと、超スマートである主体は社会にあることになる。これならいいよね? いいけど、文法構造が異なるだけで、実質的な内容は一緒なんじゃなかろうか。表現の稚拙化という技巧でアク抜きですか。

【生活の利便性と社会課題の解決】

Society 5.0で構想する内容は、短期的なものと長期的なものの、二階層からなる点に注意が要る。

前者は、「必要なモノやサービスを必要な人に、必要な時に、必要なだけ提供される」と謳われているように、人々の生活の利便性に関するものである。後者は「少子高齢化、地方の過疎化、貧富の格差などの課題が克服される」とあるように、社会課題の解決に関するものである。

まずは前者から。宅配ドローンのおかげで辺鄙な山村にも物が迅速に届くとか、遠隔診療のおかげで通院の労が軽減されるとか、たいへんありがたいことではある。

しかし、女子高生の朝の映像で描かれているのは、すでに技術的基盤がほぼ整っているとみられるモノやサービスの列挙であり、2〜3年先ぐらいに実現しそうな世界である。

政府がわざわざ目指すぞと号令かけなくても、今までの流れを延長して考えれば、自然にそうなっていく姿なのではなかろうか。あるいは、技術的には可能であっても、ソロバン勘定をして、収益性が見込めなければ、誰も手出ししない世界なのかもしれないけど。

これが実現したとしても、政府の手柄によるところは限定的だろう。役割としては、せいぜい、大学や企業の研究開発部門に補助金を出すとか、公共事業を民間企業に発注するくらいか。

あと、法整備か。セグウェイの二の舞にならないことを祈りたい。2004年、原宿の公道で率先的に乗ってみせた神田敏晶氏が、現行法に触れると逮捕されて、東京拘置所で一週間過ごしている。生産的なアウトプットは、デジクリに寄稿された獄中記ぐらいか。
http://bn.dgcr.com/archives/20040830000000.html

その後、法改正されるでもなく、セグウェイは普及しなかった。ドローンや自動運転車が同じ轍を踏むことはないと思うけど、概して変化を好まない、メンタリティが老人化した日本社会だから、多少心配だ。

映像にはポエムが散りばめられていて、ムズムズする。

・高度な先進技術の導入であらゆる課題が解決されていく 少子高齢化、環境問題、災害・テロ、地方活性化、担い手の不足、都市集中
・Society 5.0が世界をリードしていく
・未来は、もう目の前に
・それは、いつもの毎日にやってくる、半歩先の未来

演出で未来への期待ムードを盛り上げようとしているけど、内容的には、今までだってそれなりに続いていた個人生活の利便性の向上が、これからも続きますよと言っているだけなのだから、そんなにわくわくしない。利便性が向上したからといって、実感できる幸福度には直結しないんだよなぁ。

もう一方の社会課題の解決のほうは、どうだろうか。少子高齢化、地方の過疎化、貧富の格差などの社会課題は何年も前から認識されていたことで、政府だってそれなりの施策を打ってきたはずである。個別には多少の成果をあげたのかもしれないけど、抜本的な解決にまでは至っていない。

策の方向性はいいけど量的にぬるいのか。問題の根本原因を見誤って、対症療法にすぎない見当違いの策を施してきたのか。あるいはすでに万策尽きて八方塞がり、必然の流れは反転しようもなく、そもそも解が存在しないのか。

もはや自力ではどうにもなりませぬ〜、天から蜘蛛の糸でも垂れてきてはくれないだろうか、と弱音を吐く政府。そこへタイミングよく通りすがったのは、噂のAI。おお、神だ、神が降臨なされたぞ〜。どうにも手の施しようのなくなった大荷物を丸投げしますゆえ、なんとかしてくださいまし〜〜〜。

なんというか、夏休みの終わり近くなって宿題にひとつも手のついていないのび太くんが、ドラえもんに泣きつく構図ですな。誰か、政府専用ドラえもんを作ってあげて〜! ソニーさんかソフトバンクさんあたり、いかがでしょうか?

そもそも問題というものは、その根本原因がデータの裏付けを伴って明らかにされており、その解決には何が必要かが論理的に導き出されており、必要なものが出揃って、解決策が現実的に実行可能になるのがだいたいいつごろになりそうか見通しが立っていることをもって、解決のめどが立ったと言える。

もしそれがなくて、ただ漠然とAIが解決してくれたらいいなと祈っているだけなのだとしたら、あのSociety 5.0の図は、餅をモチーフに描いた絵に等しい。

て言うか、あの図って、政府が果たすべき役割をAIが代行する「AI政府」だよね? 個人がなすべき家事を代行してくれる猫耳ツンデレメイドロボットでさえまだ日の目をみていない今の段階で、AI政府構想ですかぃ?

当分実現しそうもないような気がするし、世界に先駆けて日本で実現する可能性もそんなに高くないような気もするけど、実現したらしたでディストピアだよね?

自分たちより途方もなく賢くて、その気になれば人類を滅ぼすことだってできちゃいそうなスーパーAIを全面的に信頼して、一番大事な執政を委ねちゃおうって話だよね? いいのかなぁ?

1970年代半ばごろから第2次AIブームが起きた。エキスパートシステムが登場し、医師の診断などの複雑な思考過程を機械が代行できそうな見通しになってきた。

ニューラルネットワークが実用レベルまで進化し、ものごとをいい感じに学習してくれるようになった。ファジー理論が取り入れられ、ものごとを白か黒かとはっきりさせるばかりが能ではなく、あいまいなことがらが工学的に取り扱えるようになった。

冷蔵庫も洗濯機も掃除機も空調も、あらゆる家電がニューロだのファジーだのを謳い、急に賢くなった。けど、後が続かなかった。

この調子だと、メイドロボットなんてすぐに実現しちゃうんじゃないかと期待されたが、それに答えるものが出てこなくて、犬っぽいペットロボットが20万円で販売されたのがせいぜいであった。

90年代半ば、経済のバブルとともにAIのバブルもはじけ、第2次AI冬の時代に入っていった。ほら吹きウソつき呼ばわりされて辛酸を嘗めながらも、こつこつとAI研究を続けてきた人たちが、いま、本を書いたりしている。

ニューラルネットワークを多層化した深層学習(Deep Learning)が、画像認識において飛躍的な正答率を示すことが2006年に発表され、第3次AIブームに火がついた。車の自動運転が現実味を帯びてきたり、チェスや将棋や囲碁でコンピュータがプロを負かしたりして、華々しいことになっている。

劇的に進化した第3次AIをもってしても、猫耳ツンデレメイドロボットはまだ実現していない。囲碁なら囲碁、運転なら運転と特化したタスクであれば、人間よりも上手くこなすようになったAIであるが、汎用性を備えて自律的に動くようにしたいとなると、壁はまだまだ高い。

個人の家事雑務を代行するAIがまだ登場していない現段階において、政府機能の代行をAIに期待しちゃうのは、かなり無謀なことのように私にはみえる。膨らみすぎた期待がまたしても裏切られて、第3次AI冬の時代に突入しなければいいのだが、とちょっと心配になる。

【現状認識はすばらしい】

あんまりけなしてばっかいると、黒い服の人がドアベルを押しに来ちゃったりしては怖いので、ほめるべき点も挙げておこう。現状認識において、3点、すばらしい点がある。

第一に、システム社会の弊害をちゃんと認識していること。

内閣府のSociety 5.0のトップページで「これまでの社会では、経済や組織といったシステムが優先され、個々の能力などに応じて個人が受けるモノやサービスに格差が生じている面がありました」と述べている。

システム社会の弊害については、私も 2006 年ごろから繰り返し言っている。
http://bn.dgcr.com/archives/20061013140100.html
http://bn.dgcr.com/archives/20110916140100.html
http://bn.dgcr.com/archives/20130621140100.html

私の言う「システム社会」とは、人間よりもシステム様のほうが上位に君臨している社会である。システム化以前の社会のように、犯罪などのトラブルが起き続けるのを容認しつつ、起きたときに個別対応しているよりも、システムの力をもってトラブル自体が起きないように抜本的に封じ込めたほうが合理的だ。その意味で、システムはそんなに悪いものではない。

しかし、人々の役割はシステムを回すだけの補助的なものになり下がり、個としての固有の価値を発揮する場がだんだんなくなってくる。自分が辞めたって誰かが後を引き継ぐだけのことであって、自分自身に特別の価値があるわけではない。人間の地位が、システムに隷属するだけのコモディティ(日用品、交換可能な消耗品)と化していく。

そうなると、仕事を通じて満たされない承認欲求を飲み会でなんとかしようとする者が増え、勢い、マウンティング合戦になって、うるさくてしょうがない。

自己優越性をひけらかして快感に陶酔する姿は、もはや病理の醜態にほかならず、幸せとは異質のものにみえる。概して日本社会はそういう不幸にトラップされているようにみえる。その感じを政府も共有しているのだとしたら、これはたいへんに喜ばしいことである。

第二に、「我が国を取り巻く経済・社会は、大きな変革期にある」という認識。

これは、第5期科学技術基本計画の本文に書いてある。「Internet of Things(IoT)、ロボット、人工知能(AI)、再生医療、脳科学といった、人間の生活のみならず人間の在り方そのものにも大きな影響を与える新たな科学技術の進展に伴い、科学技術と社会との関係を再考することが求められている」。

私は特に、脳科学と人工知能との交差領域から、我々の自己存在の根底が揺さぶられかねない、クレイジーな科学的発見や新技術が続々と出てくるのではないかと予感している。

ベンジャミン・リベット氏が著書『マインド・タイム』で報告した実験により、我々自身はぜったいに行使しているはずだと感じている自由意志というものが、実は錯覚にすぎないかもしれないと示唆されている。

どれだけ世の中に浸透しているかは知らないが、これひとつを取ったって、そうとう衝撃的だ。自由意志が存在せず、すべての事象が決定論的に進行していくのだとしたら、犯罪を思いとどまる機会はなく、裁判は成立しなくなる。科学的発見は、社会にも少なからぬ影響を及ぼしうるのだ。

シンギュラリティの可能性などを考えると、これからますますクレイジーなことになっていきそうだ。それをSFの読み過ぎで空想が暴走したかと笑い飛ばさず、ちゃんと受け止めている政府の姿勢はすばらしい。

第三に、我が国の研究開発の実力が世界から遅れを取っていることを認めている点。

第5期科学技術基本計画の本文に書いてある。「我が国の科学技術イノベーションの基盤的な力が近年急激に弱まってきている。論文数に関しては、質的・量的双方の観点から国際的地位が低下傾向にある。国際的な研究ネットワークの構築には遅れが見られており、我が国の科学技術活動が世界から取り残されてきている状況にあると言わざるを得ない」。

内容に間違いはないので、言って悪いことはひとつもないんだけど。よく言ったなぁ、と、その勇気をほめたたえたい。こういうことを言っちゃうと、ものすごい剣幕で否定してくるじいさんとかが湧いてきそうではないか。

それを見越してか、データによる裏づけをちゃんと示しているのもさすがだ。参考資料集のページにおいて、第4章に関連する資料がPDFファイルで2つ置いてあるが、その2番目のファイルにデータが示してある。

・日本の論文総数は2000年頃から横這い。
・中国に2006年頃に追い抜かれ、ドイツにも2008年頃から差を広げられている
・日本はTop 10% 及び Top 1% 論文数シェアが、2000年以降急速に低下(量だけでなく質も低下している)
http://www8.cao.go.jp/cstp/kihonkeikaku/5siryo/siryo4_2.pdf

現状を正しく認識していなければ、対策もへったくれもないわけで、敗北を認めるのは大事な一歩だ。

関連する情報で、最近、こういうのを見つけた。

│2018/5/5 20:18
│日本経済新聞電子版
│日本の科学技術「競争力低下」8割 若手研究者調査
 https://www.nikkei.com/article/DGXMZO30138080V00C18A5EA2000/

日本の研究現場が活力を失いつつある。日本経済新聞が20〜40代の研究者141人を対象に実施したアンケートで、8割が「日本の科学技術の競争力が低下した」と回答している。イノベーションの土台が、揺らいでいる現実が浮かび上がった。

日本の科学技術論文がピークを迎えたのは2000年代前半。この時点で独創性が高いとされる質の高い論文数は米英独に次ぐ4番手につけていたが、13〜15年は中仏に抜かれて9番手まで落ちている。

【中心は誰か?】

さて、ほめるのはこのくらいにして、最後に、Society 5.0で描写されている、われわれの目指すべき世界において、主役を張るのは人かAIかについて、論考しておきたい。

私のような屁理屈を弄する者が現れるのは想定内だったようで、政府もちゃんと先手を打って、釘を刺してきている。

いわく「Society 5.0では、ビッグデータを踏まえたAIやロボットが、今まで人間が行っていた作業や調整を代行・支援するため、日々の煩雑で不得手な作業などから解放され、誰もが快適で活力に満ちた質の高い生活を送ることができるようになります。これは一人一人の人間が中心となる社会であり、決してAIやロボットに支配され、監視されるような未来ではありません」。

変な誤解を招かないように、ちゃんと「人間中心」と明言してあるからだいじょうぶではないか。いやいや、ほんとうにそうだろうか。

大きなお屋敷で飼われている猫を考えてみよう。ぜいたくな食事を与えられ、広いお屋敷を自由に闊歩し、何一つ不自由なく暮らしている。

猫は、あるじのごとき貫禄を呈し、家族の中でいちばん偉そうに振舞っている。実際、本人(本猫)も、自分がいちばん偉いと思っているに違いない。まあ、猫だし、しゃあないか。

猫の側にだって、気に食わなければ、出された食事を食うのを拒否したり、家出して別の家に飼われるなり野生になるなりする自由はある。しかし、実際にはメシはまずくなく、お屋敷は広いので、わざわざ権利行使する理由はなく、快適に居ついている。

このお屋敷は猫を中心に回っているとみることもできるけど、第三者的な視点から突き放してみれば、人が猫を飼っていることをもって、主導権は人の側が掌握しており、猫があくまでも従属的な立場にすぎないのではあるまいか。

傍(はた)からみると、野性性を失い、自立を放棄して人に従属し、のほほーんと暮らしている猫の姿は、堕落していると映らないだろうか。主観的には猫が中心だけど、客観的には飼い主が中心なのではあるまいか。

Society 5.0におけるAIと人との関係性って、そういうことなんじゃなかろうか。人間はAIの飼い猫。うにゃっ。

自分にだけ仕えるメイドロボットが、実はアインシュタインよりも遥かに遥かに高い知能を備えていることを知っているけれども、その姿が萌え萌えきゅ〜ん(はぁと)で、ときおりバカのフリを演じてくれたりすれば、自己尊厳の崩壊の危機に陥ることなく、許せちゃうものだろうか。

これは相当に深い哲学の問題だ。哲学的メイドロボ。

【議論しようぜ】

蛇足だけどもう一言。第5期科学技術基本計画やSociety 5.0が、ネットのニュースなどで取り上げられた形跡がぜんぜんなくはないけど、非常に少ない。解説したり論評したりしているのも、ほとんど見かけない。

ええと。国有地を破格の値段で身内に払い下げた疑惑とか、議員が女性記者に対して乳に接触したい願望を表明したとかも、まあ、看過できない由々しき問題であって、議事堂前に集まりたくなるのも分からなくはない。

しかし、同じ熱量をもって、国政の内容そのものについても論じ合えば、この国の進む方向性はもっとマシなものになっていくのではあるまいか。

【蛇足2.0】

政府の構想するSociety 5.0において中心的な役割を果たすAIは、どのような機能を備えているべきか。そこを論考して本論とするつもりだった。けど、ツッコミどころが多すぎて、たどり着けなかった。稿をあらためて、いつか取り上げたい。


【GrowHair】GrowHair@yahoo.co.jp
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地味な連休だった。

中野区と新宿区から一歩も出ず。A面になることもなく。酒も飲まず。

4月27日(金)、神戸に行くつもりで休みを取っておいたのだが。当日朝、歯が激しく痛み、それのせいか、37℃程度の微熱があり、行くのを断念して、丸一日寝てすごした。

歯医者に電話するも、予約が入ったのが 5月1日(火)で、それまで痛みに耐える。後から振り返れば、薬局に行って鎮痛剤を買って飲めば、かなり緩和されてたはずだ。

5月1日(火)、歯医者に行ったが、X線写真を撮ったのと掃除したのとで終わり、フタを取っての本格治療には入れず。抗生剤と鎮痛剤を処方された。

それが効いて、以降、いちおう痛みは治まる。が、薬を服用してると酒が飲めぬ。微熱が続いているのもあり、酒は控える。調子がよくないときにA面で出歩くのもアレなので、それも控える。

5月2日(水)も休みを取り、10連休になったのだが。

結局、マンガ喫茶などでおとなしく過ごす。勉強が割とはかどった。いつもだと、連休の終わりごろになると、貴重な休みを無益に過ごしたことを後悔し、もし最初っからやりなおせるなら、もっと有効に時間を使うのにと地団駄踏むところだが、そこだけは多少マシな時間の使い方ができた気がする。

ほとんど人と話さずに過ごした。無言の行みたいだけど、こういうのあんまり苦痛にならない私。言葉は主として目から文字で入力されてきて、手からキーボードを介してテキストファイルへと出力されていった。