晴耕雨読[48]ここで解散するので各自勝手に生きのびるように
── 福間晴耕 ──

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最近ネットやメディアを賑わしている自己責任の話を見てると、日本は困っている他人を助けるゆとりを、金銭的にも精神的にもなくしていると痛感する。そしてもっとゆとりをなくしていた戦時中の事が、事例として気になるのだ。

はたして当時はどうだったのだろう。ナチスドイツでは障害者など社会的に無用だとされた人々は、ユダヤ人などと一緒に強制収容所へと送られたのはよく知られているが、日本ではどうだったのだろうか。





実は日本ではこうした露骨な弾圧は行われたなかったものの、緩慢な抹殺政策が取られていた。障害者施設に対する配給は最も後回しにされ、終戦時には多くの施設で大量の餓死者を出すことになった。またいざ本土決戦になれば、これを使って障害児を処分するようにと、毒薬が支給されていたという。
http://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/prdl/jsrd/norma/n296/n296008.html


また、ふくやまけいこさんが漫画を担当していた週刊マンガ日本史「ひめゆり学徒隊」を読み、ひめゆり学徒隊が最前線で突然解散命令を受けて放り出され、多くの死者を出した事を知る。

その後、念のため別の資料を当たったが、どうやら間違いないようだ。そう言えば八甲田雪中行軍遭難事件でも、遭難してすっかり道が判らなくなると「ここで部隊を解散する。各自勝手に青森へ帰るように。」と解散命令が出て、部隊は散り散りになってさらに死傷者が増した事を思い出した。

どうやらこの国では、にっちもさっちもいかなくなると、突然無責任に放り出し、各自の自己責任で生きる事を要求するのは伝統芸のようだ。

このように手助けが必要な人々、たとえば子供や高齢者・病人などに対して、必要な世話や配慮およびその義務を怠り、結果的に死に至らしめる政策は、実は今でも根強く残っている気がしてならない。

特に人々が関心を持たない分野、例えば退去強制手続の対象となった外国人を収容する入国者収容所では、過去何度も死亡事故や劣悪な環境が指摘されているにもかかわらず、一向に改善されないどころかその問題を指摘するニュースさえほとんど報道されないのが実情だ。

また全国で推計50万人いると言われている40歳以上のひきこもりは、「就労に繋げにくい」という理由で公的支援の対象からは外され続けているという。
http://news.livedoor.com/article/detail/15509478/

 
案外、日本という国の解散宣言が出る日も近いのかも知れない。


【福間晴耕/デザイナー】

フリーランスのCG及びテクニカルライター/フォトグラファー/Webデザイナー
http://fukuma.way-nifty.com/


HOBBY:Computerによるアニメーションと絵描き、写真(主にモノクローム)を撮ることと見ること(あと暗室作業も好きです)。おいしい酒(主に日本酒)を飲みおいしい食事をすること。もう仕事ではなくなったので、インテリアを見たりするのも好きかもしれない。