[4689] 瀬戸内・詠み人知らず◇フォントおじさんスタンプ◇ルッカコミックス

投稿:  著者:


《白髪宣言の効果》

■わが逃走[229]
 瀬戸内・詠み人知らず の巻
 齋藤 浩

■もじもじトーク[96]
 フォントおじさんスタンプに長蛇の行列
 関口浩之

■ローマでMANGA[136]
 色とりどりなルッカコミックス体験
 Midori



━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■わが逃走[229]
瀬戸内・詠み人知らず の巻

齋藤 浩
https://bn.dgcr.com/archives/20181129110300.html

───────────────────────────────────



先月、生口島で会ったヒトは、向島のあのヒトと血縁なのではないか? と思いたった。ここに二枚の写真を並べてみよう。

生口島で会ったヒト
https://bn.dgcr.com/archives/2018/11/29/images/001

向島のあのヒト
https://bn.dgcr.com/archives/2018/11/29/images/002

親子か。じいさんと孫のようにも見える。

生口島のヒトは、ちょっと不思議な物件で、根がシャイなのだろうか、傾げたポーズが妙にカワイイ。

自分専用の小さなステージに乗ってるところなんか見ると少々エラそうだな、と思わなくもないが、あえて中央に立たず隣のホース格納箱(おそらくは無口)に話しかけている様子からすると、わりと素直なやつかもしれない。好感が持てる。骨も太く、こう見えて意外と若いのかも。

対して向島のヒトは、以前バス停をなさっていて引退された方であることが想像できる。

初めて会ってからかれこれ10年くらいになるだろうか。この地を訪れる度、また会えるか気になってしまうのが、いつもこうして行き交う人々を見守ってくれているのだ。この秋も会えて嬉しい。

詠み人知らずの彫刻ということで、美術館に展示してもらえないだろうか、と思わなくもない。しかし、こういったものは居場所も含めてこその存在なのだろう。

我々のほとんどは病院で死ぬが、好きな場所で好きな景色を見ながら、その場所で朽ち風景の一部となる、そんな自由をこのヒトたちは貫いているようにも思えてくるのだった。

■■

ブロック塀というものを美しいとは思わないが、生まれたときから風景の中にあるのが当たり前なので、それなりに愛着もある。

たまに独創的な配列や、斬新な風抜き穴を見ることができ、無視できない存在だな、とも思っている。

なかでもこのヒトは唯一無二の存在であろう。数年前にも紹介したが、尾道の山手、急傾斜に沿って積み上げられた山頂部分の、この寡黙な稲妻とでもいうべき姿を見てほしい。
https://bn.dgcr.com/archives/2018/11/29/images/003

さて、ロックなヒトに対し、こちらはぐっとフォーマルである。尾道の海側で最近お目にかかった、謎の蝶ネクタイ物件。
https://bn.dgcr.com/archives/2018/11/29/images/004

このプレートが何の役に立っているのか、何かの痕跡なのかは不明だが、思わず振り向き、シャッターを切ってしまう。そんなパワーがあった。

■■■

パワーといえば……

私は広告のデザイナーなのだが、四半世紀前の広告には、斬新な方法で人を振り向かせ、伝えるだけの力が残っていた。

今は広告よりも、ここで紹介したようなもの(≒かつて広告だったものや、広告があった場所)たちの方がパワフルに私を振り向かせ、それらが発する思想や意図(そんなものは存在しないはずなのだが)をあれこれ考えるよう迫ってくるのだ。

世の中が終わっているのか、オレの脳が終わっているのか。

まあ、必ずしも額縁が絵画の引き立て役とは限らないし、台座を彫刻の上にのせていけない道理はない。

なので、もう少し、こういったものたちを追っかけ、その魅力の謎を探ろうと思う。

あくまでも趣味として。


【さいとう・ひろし】saito@tongpoographics.jp
http://tongpoographics.jp/


1969年生まれ。小学生のときYMOの音楽に衝撃をうけ、音楽で彼らを超えられないと悟り、デザイナーをめざす。1999年tong-poo graphics設立。グラフィックデザイナーとして、地道に仕事を続けています。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■もじもじトーク[96]
フォントおじさんスタンプに長蛇の行列

関口浩之
https://bn.dgcr.com/archives/20181129110200.html

───────────────────────────────────

こんにちは。フォントおじさんこと、もじもじトークの関口浩之です。

三か月前から五十肩(六十肩が正しい表現だけど)に悩まされていますが、両手は上がるので、まだ軽症なのかしら、と思っている今日この頃です。

この二週間、仙台へ二泊出張したり、都内で筑紫座談会Vol.6を開催したり、相変わらず、精力的に活動してました。そんな中、先週11月20日の『Adobe MAX JAPAN 2018』にブース出展しました。

●フォントおじさんスタンプ

アドビ(Adobe)のイベントで、なぜ、フォントおじさんのスタンプなのでしょうか? 答えは、こちらの動画をご覧ください。
http://bit.ly/2RgB4DV


Adobe MAXというイベントは、全国から3,500名以上のクリエイターが集まる、年に一度のアドビの祭典なのですが、そのイベントにブース出展したのです。

ブース企画のひとつとして、「フォントおじさんや文字のスタンプを、無地のトートバッグにペタペタと押印してオリジナルバッグを作ろう」という企画をやったんです。

ブースの風景やフォントおじさんスタンプの様子を掲載しますね」。

http://bit.ly/2FKuOTI


ブースが入口から近かったこともあり、何度か、100名以上の行列ができました。スタンプを押してオリジナルバッグを作るという楽しさがウケたようです。30分以上、お待たせすることになり、申し訳なかったです。

お待ちいただく来場者に、文字に関連したノベルティを配布したり、文字をスタンプした紙コップで日本茶を配布したりしました。

僕の知り合いも大勢来場いただきましたが、大半は「フォントおじさん」のことを知らない人だったと思います。

初めてお会いする方々から「フォントおじさんスタンプ、かわいい!」という反応も多く、正直、はずかしかったです(笑)でも、うれしかった!

今回、フォントワークス(フォントメーカー)とソフトバンク・テクノロジー(FONTPLUSを運営)と共同でブース出展しました。Adobeが年に一度開催するフェスティバルなので、江戸時代のお茶屋さんをイメージし、楽しさややすらぎを演出しました。

実は、フォントおじさんのスタンプ企画は、僕には、ほとんど知らされてなくて、マーケティング部門で企画が進んでました。

事前に「こんな企画やります」と言われたら、「恥ずかしいので、やめて」「文字スタンプだけのほうが喜ばれるのでは」と反応したと思います。

でも、そこは、イラストレーター・スタンプアーティストである大嶋奈都子さんが手がけたので、フォントおじさんが、魔法にかかったように、素敵なスタンプになったのです。

大嶋奈都子さんのウェブサイト
http://natsuko-oshima.com/


大嶋さんのClient workやArt workに、素敵な作品がたくさん掲載されているので、ご覧になってください。

Adobe MAXのイベント後、Facebookに、フォントおじさんスタンプがたくさん流れてきて、その中のひとつの記事「フォントおじさんのスタンプを作りました」を偶然、発見しました。

それが大嶋さんだったのです。思わず、お礼のメッセージを送りました。

主催者並びに出展者&登壇者のみなさん、企画に携わったみなさん、そして、ご来場いただいたみなさん、ありがとうございました。

あっ、自分のオリジナルトートバッグ作るの、忘れた……。

●Adobe MAX JAPAN 2018

3,500名以上の方が来場する超大型イベントでしたので、フォントおじさんが目立つように急遽、「フォントおじさん」オリジナルTシャツをシルク印刷で制作しました。

Tシャツのロゴデザインを担当してくれた、大阪のフォントダスの林直樹さん、ありがとうごさいました。

その効果もあって、Adobe Creative道場の突撃インタビューと、クロージングステージに出演させていただきました。
http://bit.ly/2DKERFE


聴きたかったセッションがたくさんありましたが、今年は出展者として参加したので、ひとつしか受講できませんでした。

なお、各セッション(一部を除く)の様子は、アーカイブ動画として掲載されるようなので、楽しみです。みなさんも、ぜひ、ご覧ください。順次、アーカイブ動画がアップされるようです。

・Adobe MAX Japan 2018 アーカイブ映像
https://maxjapan.adobe.com/archive/2018/


僕が参加したセッションは、松田直樹さんの「Webフォントを120%活用するための基礎知識&最新動向」でした。「SVGおじさん」としても有名な松田さんです。

そのセッションに、サプライズゲストとして、10月にロサンゼルス開催の「Adobe MAX US 2018」に登壇した鷹野雅弘さんも交えて、楽しく、Webフォントを学びました。

アーカイブ映像はまだ公開されていませんが、松田さんのスライドは、早くも公開されています。あわせて、Adobe MAX Japanの本家であるAdobe MAX USの鷹野さんの講演レポートも共有します。

・Webフォントを120%活用するための基礎知識&最新動向 Naoki Matsuda
http://bit.ly/2RhHmDg


・Adobe MAX 2018 セッション 〜9年ぶりの日本人登壇! 鷹野さん講演レポート〜
https://adobe.ly/2FI41qR


●Adobe(アドビ)とは

日刊デジタルクリエイターズを読んでいる方なら、多くの人が知っている会社ですよね。Illustrator、Photoshop、InDesign等のソフトウェアメーカーとして有名です。

Adobeという会社の歴史を知りたくなったので、簡単にまとめてみました。

〜Adobeのざっくりとした歴史〜

Adobe創業者は、パロアルト研究所に所属していたチャールズ・ゲシキとジョン・ワーノック。

1982年
Adobe Systems設立。社名の由来は、ジョン・ワーノックの自宅の裏を流れる小川、Adobe Creekの名前からとったと言われている。えー、そんなんだーー。知らなかった。

1985年
PostScriptを発表。当時、アップルコンピュータは新しいレーザープリンターを開発していたが、Adobeが開発していたページ記述言語「PostScript」の存在を知り、Apple LaserWriter(レーザープリンター)へAdobeのPostScriptを搭載することになる。当時、Apple社が支払うライセンス使用料がAdobeの売上げの大半を占めていたようです。

1987年
Illustratorを発表。ベクターイメージ編集(ドロー系)ソフトウェア。イラストはもちろんのこと、チラシや印刷物の制作ではデファクトスタンダードになった。

1989年
Photoshopを発売。ビットマップ画像編集(フォトレタッチ系)ソフトウェア。画像編集の分野ではデファクトスタンダードになった。

1991年
Adobe Premiereを発売。映像編集ソフトウェア。

1993年
Adobe Acrobatを発表。PDFデータの作成、編集ソフトウェア。PDF形式の書類データは、誰もが使ったことありますよね。このフォーマット、Adobeが開発したフォーマットなのです。PDFはPortable Document Format(ポータブル・ドキュメント・フォーマット)の略称です。

1994年
DTPソフトPageMakerで有名なアルダスを買収。InDesignの元となる技術を手に入れる。

2005年
マクロメディアを買収。マクロメディアは、90年代にオーサリングツールDirectorやShockwaveで有名になった。Flashもマクロメディアが開発元。また、WebオーサリングツールのDreamweaverや、Web用画像編集ツールFireworksもマクロメディアの製品。

2009年
オムニチュア(Omniture)を買収。

2012年
Adobe Creative Cloudを発表。

2016年
Adobe Senseiを発表。

ざっくりですが、Adobeの歴史はこんな感じです。だいたいのことは知ってま
したが、改めて紐解いてみると、すごい会社ですよね。デジタルなクリエイテ
ィブシーンでは、なくてはならない存在なのです。

●パソコンおじさんの時代

僕は、1980年代に電子機器メーカーでプリンターやラスタライザー(ベクトルデータをビットマップ変換する技術)の仕事に関わっていました。平行して、ワープロやDTPシステムの黎明期を、それらの製造するメーカーで営業や企画、技術の仕事を経験しました。

なので、1980年代に「PostScript」という凄い技術が登場したこと、最近のことのように覚えています。

発売当初、A4のPostScript対応レーザープリンタは最低でも50万円だったので、個人で購入できるものではありませんでした。もちろん、Macintosh(マッキントッシュ)のパーソナルコンピュータも高額でした。

Macintosh Color Classic(カラークラシック)が登場した1993年頃から、個人でも買える時代になりました。僕も手に入れました。

1980年代半ばから1990年代にかけてのDTP(デスクトップパブリッシング)時代において、アドビシステム社が果たした役割は、すごく大きかったですよね。そして、現在、クリエイティブ分野では、ほぼ向かうところ敵なしです。

決して、Adobeの回し者ではありません(笑)

僕は、パーソナルコンピュータの黎明期に、電子機器メーカーに約10年勤務しました。1986年〜1988年に米国駐在する機会があり、僕が当時、使用したパソコンは「Compaq Portable」(1983年リリース)でした。世界初の持ち運び可能なパーソナルコンピュータでした。

ポータブルとはいえ、重量は12.5kg(笑) 毎日、持ち歩いてました。移動は車でしたけど。メモリは128Kバイト。5.25インチフロッピーディスクドライブと9インチのグリーンモニターを内蔵。

でも、当時は、最高傑作のPCで、ノートPCの先祖かもしれないと思いました。
とにかく格好良かったです。当時、西海岸は、IBM AT互換機で盛り上がってい
るタイミングでした。

その後、ワークスステーションやパーソナルコンピュータの時代になり、SONY NEWSが誕生したり、NEC 9801全盛期も経験しました。

これからはインターネットの時代になると思い、1995年に、ソフトバンクへ転職しました。最初の仕事がYahoo!の検索エンジンを作る仕事でしたが、その後、アメリカ西海岸の様々なサービスやソフトウェアのローカリゼーション・ソフトウェアリバブリッシュ・コールセンター、ソフトウェアの流通・ダイレクトマーケティング・ECモール店長などを10年間、経験しました。

そんな20年間を経験した後に、フォントの仕事に就くようになったのです。

「フォントおじさん」でGoogle検索すると1位を獲得するようになったのが、まだ一年前のことです。フォントの仕事に専念するようなってから、まだ七年ぐらいなのです。

ということで、フォントおじさんになる前の約25年間は、「パソコンおじさん」だったのです。

では、二週間後に、またお会いしましょう。


【せきぐち・ひろゆき】sekiguchi115@gmail.com

フォントおじさん
https://event.fontplus.jp/about/hiroyuki_sekiguchi.html


1960年生まれ。群馬県桐生市出身。1980年代に日本語DTPシステムやプリンタの製品企画に従事した後、1995年にソフトバンク技研(現 ソフトバンク・テクノロジー)へ入社。Yahoo! JAPANの立ち上げなど、この20年間、数々の新規事業プロジェクトに従事。

現在、フォントメーカー13社と業務提携したWebフォントサービス「FONTPLUS」のエバンジェリストとして日本全国を飛び回っている。

日刊デジタルクリエイターズ、マイナビ IT Search+、オトナンサー等のWebメディアにて、文字に関する記事を連載中。CSS Niteベスト・セッション2017にて「ベスト10セッション」「ベスト・キャラ」を受賞。フォントとデザインをテーマとした「FONTPLUS DAYセミナー」を主宰。

フォントおじさんが誕生するまで
https://html5experts.jp/shumpei-shiraishi/24207/



━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ローマでMANGA[136]
色とりどりなルッカコミックス体験

Midori
https://bn.dgcr.com/archives/20181129110100.html

───────────────────────────────────

ローマ在、マンガ学校で講師をしているMidoriです。私の周辺のマンガ事情を通して、特にmangaとの融合、イタリア人のmangaとの関わりなどを柱におしゃべりして行きます。

●キーワードはただひとつ

10月後半から11月の時期というのは、イタリアのマンガ界に籍を置く者にとってキーワードはただ一つ。

ルッカコミックス&ゲームス。

下のリンクは昨年のルッカコミックスに関する記事で、ルッカ市の説明を書きました。今回は省きますので、ルッカ市に興味のある人はクリックして読んでみてください。
https://bn.dgcr.com/archives/20171115110200.html


というわけで、今年も日本人ゲストお世話係として五日間参加してきました。

●ルッカコミックスで示した白髪宣言の効果

コミックスフェアの内容を期待した方は残念でした。まったく別の、私の個人的な話です。

ルッカコミックスの動員数は、スタッフ側も訪問側も参加側も年々多くなっています。盛況で何より。

お世話係が始まった当初は、日本人マンガ家の主なイベントの通訳としての御役目をもらい、文字通りスポットライトが当たる、いわば、「表」の御役目だった。

上記のリンク先に書いたように、スタッフ側で派閥ができてから、ゲストが会場についた時のお迎えとか、飛行場へのお迎えとか、「裏」の役目になって、まぁ、正直なところを言えば、格下げされたような気がした。

裏の仕事が嫌、というより、役割がはっきりしないのが何よりも気持ちを負に持って行くことになってしまった。

昨年の記事で「『儀式がある国』の人を、『儀式のない国』の中で不安を持たずに臨んでもらうクッションの役目をすることに、今年からなったわけ。還暦過ぎて、人と人を繋ぐ役目というのは実に良いではないかと、楽しくマンガ三昧をしてきたのであった。」と書いている。

この役目を快く引き受ける気持ちになったのには嘘はないのだけど、いかんせん、イタリア。その場にならないとどのゲストさんを迎えに行くのか指示がない。適当に見繕って勝手に行ったりしていた。

一番モヤモヤするのは、朝の打ち合わせ。イベントスタッフはイベントの司会者、お世話係兼通訳で、皆A3のイベント名、時間、会場が書いてあるプリントを広げて確認を行ったり、前日の問題点などを話しあったりする。

私はその役目のどれでもないので、なんとなく会議のテーブルには付きづらく、近くの椅子に座ってお茶を濁して、来ない指示を待っている状態だ。なんとなく、疎外感すらあって、顔見知りににこやかに挨拶するものの、笑顔を作るのが疲れたりする。

今年は、変化があった。まず、開催側の変化。

開催の半月ほど前に、c.c.でイベント事務所からメールが来た。他のc.c.は毎年事務所で笑顔を貼り付けて挨拶をする一同宛。「開催前の打ち合わせをします」という内容で、イベントの名前とタイトルと場所と時間を書いた、エクセルファイルが貼り付けてある。

こうした事前の打ち合わせに誘われたのは初めてだ。打ち合わせの場所は、ルッカの事務所で開催時間は夜なので参加はちょっと無理。それに打ち合わせで私は何を言うわけ?

ともかく、いきなりお仲間に引っ張られたわけだ。その後もc.c.メールは頻繁に送られてきた。c.c.仲間が扱いたいイベントを申し出たりしている。

ここで、もう一つの変化が登場する。私の方の変化だ。白髪を隠さない! と先月の記事で宣言した通り、何かが私
の中で変わってきているのだ。

ここで一首。

「還暦を 過ぎて二度目の 青春と 背筋伸ばして Vサイン(字足らず)」

●我ながら超積極的に

秋は二度目の春なのだとばかり、積極的にアプローチするmidoriになった私は、幼い頃からの癖であった、誰かの指示を待つ姿勢をやめることにした。というか、誰かの指示を待つのが習い性になってしまっていたのをここでやっと気が付いたのだ。

そこで、知り合いの若きマンガ家さんのイベントの司会をする、と手を上げたのだった。

一方、ルッカコミックスの開催前日にルッカ入りを果たし、事務所に顔出しをして、事務所に三々五々入ったり出たりする顔見知りに挨拶をしたのだが、笑顔はくっつけたのではなく、ちゃんと笑顔が出た。

そして精神的にリラックスし、しかも疎外感とは無縁な精神状態にいたので、すっごく自然に冗談がぽこぽこ出たり、顔見知りじゃない人にも話しかけたり(どんな話題で話しかけたらいいのかわからないのが今までの私)したのだ。すごい変化。

誰の指示も待たずに、日本人ゲストのスケジュールを書き出して「クッション」をしに行くことに決めていた。そして最終日の翻訳コンテストの審査員と、自ら手を上げた二件の司会業務が公式な御役目。

司会業務はこれまでに、通訳としてルッカコミックスのイベントに参加しながら手違いで司会者が来なかったりして、せざるを得ないことが二度ほどあって、出来るに違いなと踏んでいた。

そして、今回も、クッションでご挨拶に行ったイベントで、手違いで司会者が来なかったイベントがあった。このイベントはマンガ家さんにライブでなにか描いてもらって、それを会場の大型スクリーンに映し出しながら、インタビューをする、というもの。

右往左往するイタリア人編集者。そこで白髪宣言をしたmidoriが、「先生の作品は実は知らないのだけれど、日本の編集者とマンガ家さんの関係は知ってるし(日本独特なものなのです)、日本のmanga家が使う道具のことも知ってるので、そのへんでどうにか出来ると思う」と、ここでも手を上げたのだった。

最終日のスタッフ打ち上げは、毎年笑顔をくっつけているのが苦痛で、いやいや参加していた。フェアのスタッフは、会場入口の切符確認のバイトを含めてすごく多い。毎年大きなレストラン・ピッツェリアの大部屋で、顔をくっつけないと声が聞こえない状態の、喧騒の中で打ち上げが行われるのだ。

しかも開始と終了の儀式のない国なので、なんとなく席が埋まったかなと思うと、レストラン側が次々と料理を運んできて打ち上げが始まり、あまり遅くなりたくないから帰るね、と席を立つ人が現れだして、なんとなく人数が少なくなっていってお開きになるのだった。

白髪宣言midoriは喜んで参加し、かつ、超方向音痴であるにもかかわらず、スマホのナビの助けを借りて、行きも帰りも一人でレストランを往復し(ルッカの町はものすごくわかりにくい)、翻訳家のテーブルに呼ばれもしないのにさっさと座り、その中の一人と顔をくっつけるようにしておしゃべりをして、トスカーナの小さな町の小さな美味しいレストラン情報とか、役に立つことを色々教わったのだった。

その町は8世紀頃に、蛮族がイタリアに侵入してきて虐殺に及んだのを、どうにか逃げることの出来た人々が、ひっそりとトスカーナの山の中に閉じこもって暮らしたのが始まりで、古代イタリア語が方言の中に残ってるそう。

イタリアのあちこちに、同じような起源を持つ小さな山の中の町がいくつもあるそうです。面白いテーマだね。

今まで、そうしたあまり知らない人とのおしゃべりが苦手だったのは、つまるところ、自分の感情にばかり注意が向いていたからなのだ。つまらながってる私、話題が見つけられずに焦ってる私、など。

相手が言った何かについて、自分の興味と照らしあわせてもう一段掘り下げて聞く、という簡単な行為で面白い話を引き出せるのに。

最終日の翌日は、クッション仕事で空港や駅へのお送りがあることもしばしばなので、残ることにしている。

その朝、事務所にいた人で、なんとなく小さな反省会みたいなものをやろうかとという話が持ち上がり、わたしも参加した。そこで、イベント班のボスが、私の参加を喜んでいると言ってくれた。

今さらおべっかいう必要もないのに、と思いながら聞いていると、たとえ公式な通訳業務が一件か二件しかないとしても、あるいは翻訳コンテストしか公式業務がなかったとしても、ずっと来てくれると嬉しい、と二度ほど言うので、まんざらお世辞ばかりでもないのだろうと思った。

公式業務が他のスタッフに比べて少ないのに交通費、宿泊費、食費、報酬をもらうのに気が引けていたのだけど、それを感じなくてよい、と公式に言われたわけで、来年は今年以上に白髪にして、前向きに楽しみに行く。

来年は、ここで何度も語っている「天才的な企画」のマンガが出版になるかもしれないし。そうするとクッション、司会者、審査員、の他に作家という立場も加わるわけで、ますます色とりどりなルッカコミックス体験になる。

●前向きmidoriにごほうび

前向き、積極的に生きることを決めたmidoriに対して、神様仏様はご褒美を用意してくれた。

今回のルッカコミックスのメインゲストは、なんと、あの松本零士さん。毎年、世界中のマンガ家を対象に一人だけに用意する「グラン・マエストロ賞」を、松本零士さんに決めたのだった。

ごほうびはこれ:ルッカコミックスが招待した松本零士様ご一行の、最後の晩餐会に座ってくれないか? と言われたのだった。

松本零士さんと言えば、手塚治虫さんと並んで子供の頃から読んでいるmanga家さんだ。 初期の少女漫画「エスの太陽」の主人公のワンちゃんが可愛くて、何度も真似して描いた。
https://www.ebookjapan.jp/ebj/15433/


1974年から少年マガジンで連載された「男おいどん」は単行本まで買って何度も読んだ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B7%E3%81%8A%E3%81%84%E3%81%A9%E3%82%93


「男おいどん」と同じ年に放映になった、TVアニメの「宇宙戦艦ヤマト」に間に合うように家に帰って、口をあけて見ていた。ただ、このTVシリーズはあまり人気が出なかったんだよね。君たちの目は節穴かっ!


その方とわずか1mの位置で夕飯をとる。80歳、しかも連日のイベントでお疲れと見え、ときどき、うつらうつらなさっていた。そのお姿をじっと「お慕い申し上げています。色々な作品、ありがとうございました」と念じつつ見守ったのだった。

レストランを出ると、この機会を逃しては女がすたる、と送迎車に乗り込まれる前にお願いしてツーショットを撮った。ちょっとぶれてるけど、これはプリントアウトして額に入れるしかありませんね。
https://goo.gl/aVfo1G


もう一つ(二つ?)のご褒美は虹。ルッカに着いた日と、ルッカから自宅に戻った翌朝、虹が出た。 これも天の神様か仏様が、イイコイイコしてくれたみたいで嬉しい。

●ルッカコミックスの中身

コミックスフェアの中身にもちょっと触れてみよう。ルッカコミックスの催し物の中でいつも楽しみにしているのが展示会。
https://www.luccacomicsandgames.com/en/2018/comics/exhibitions/


毎回、複数の世界中のマンガ家(日本人含む)、イラストレーターのオリジナル原稿を展示する。今年の展示会に選ばれたアーチストは……

グラン・マエストロ賞を受賞した松本零士(Japan)
今年のポスターを描いたLRNZさん(Italy)
バットマン、Xマンなども手がけたマンガ家、ニール・アダムス(U.S.A.)
妖艶な少女を描くイラストレーター、ベンジャミン・ラコンブ(France)
社会派劇画のマンガ家、サーラ・コラオーネ(Italy)
ホラーmanga家、伊藤潤二(Japan)
中身の濃い作品を描くマンガ家、ジェレミ・モロー(France)
ファンタジーのイラストレーター、ポール・ボンナー(Denmark)

原画展にはほぼ毎回、作家たちのスケッチや下書きも展示されて、もう、無我夢中でみてしまう。知らない作家さんを発見できるのもまた楽しい。今回、8人の作家さんの中で特に気持ちを引かれたのが、このお二人。

サーラ・コラオーネ
http://saracolaone.blogspot.com/


ジェレミ・モロー
https://www.tunue.com/prodotto/la-saga-di-grimr-di-jeremie-moreau/


二人とも絵画的な手法でマンガを描く。どちらも社会的な内容を含み、話の内容が濃い。 サーラさんの作品は展示会で見ただけで、本は読んでいない。気に入ったので、どれかを買おうとは思っている。

ジェレミさんのほうは、打ち上げで顔をくっつけて話した人が、彼の本「グリムルの大河物語」と訳せる作品を持っていたので、20ページほど読ませてもらった。

18世紀のアイスランド。アイスランドの人々は苗字に「○○の息子」という意味を持たせる。先祖につながるアイデンティティを持つことが、人間として、男として認められる最低条件の世界。主人公のグリムルは孤児で、父の息子と
いう苗字を持っていない。犬以下の扱いを受けつつ、アイデンティティを求めて生きる。

水彩で誇張して描かれたように見えながら、そこに、アイスランドの厳しい世界が、空気が感じられるように描かれていて、そして「自分は誰なのか」という人間誰しも持つ疑問を底流に、数奇な運命の主人公と物語を生きることがで
きる。読みつつ、なにか気持ちを揺さぶられる感じがして、これは、もう、手に入れねばならない本です。

この二人の作家を知っただけでも、私としては大いに意義あるルッカコミックス&ゲーム2018だった。


【Midori/アーチスト/マンガ家/MANGA構築法講師/白髪志望】
あとがきもルッカ。

元教え子で、ものすごく頑張り屋さんのアレッサンドラ・パタネちゃんがプロになって数年。
https://www.facebook.com/xalyahx


イタリアのマンガ出版社でも大手のパニーニ社から本を出すようになった。
http://comics.panini.it/store/pub_ita_it/mtrlz002isbn-it-ctrl-z-ctrl-z-saturation-libro-isbn.html


アレちゃんはベルリンに住んでいるので、ルッカはほんの数分だけど挨拶できる機会。ルッカコミックスのパニーニのブースで、他の作家と並んでサイン会を行う。彼女の前は毎回ファンが列をなして、そんな様子を見るのがたまらなく嬉しい。

[注・親ばかリンク6]息子のバンドPSYCOLYT


MangaBox 縦スクロールマンガ 「私の小さな家」
https://www-indies.mangabox.me/episode/58232/


主に料理の写真を載せたブログを書いてます。
http://midoroma.blog87.fc2.com/


前記事
https://bn.dgcr.com/archives/20181010110000.html

https://bn.dgcr.com/archives/Midori/



━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
編集後記(11/29)

●橘玲「朝日ぎらい」を読んだ。いいね。ただしサブタイトルは「よりよい世界のためのリベラル進化論」とある。まえがきで、「『買って損した』と文句をいわれないように最初に断っておくと、本書は朝日新聞を批判したり擁護したりするものではない。わたしの関心は、インターネットを中心に急速に広がる“朝日ぎらい”という現象を原理的に分析してみることにある」とある。

筆者の政治的立場は「リベラル」だ。右翼・保守派とは全く話が合わないが、それ以上に、日本の「リベラル」を自称する人とはそりが合わない。「それは彼らの主張が間違っているからであり、そのきれいごとがうさん臭いからでもある。少なくとも私は、自分のうさん臭さを自覚している」という人である。

安倍一強の状況が続くなか、政権批判の論理は時々「国民(有権者)はだまされている」というものになる。だまされるのはバカだからで、そのことを指摘するのは自分たちエリートの責務だというリベラル……いうまでもなくこの度し難い傲慢さが、リベラルが嫌われる(正当な)理由になっている。

リベラルとは、よりよい世界や未来を語る改革の思想だったはずだが、日本のリベラルは、憲法も日本的雇用も、現状を変えることに頑強に反対するようになった。大企業の労組もマスコミも、正社員の既得権益にしがみつく中高年の
男性に支配されているからであろう。ここに日本の「リベラル」の欺瞞がある。彼らは差別に反対しながら、自らが「差別する側」にいるのだ。

あろうことか、同一労働同一賃金などリベラルな改革は、保守の安倍政権に先を越された。重層的な差別でもある日本的雇用を容認しながら、口先だけで唱える「リベラル」を、誰も信用しなくなるのは当然である。リベラリズムを蝕むのは右(ネトウヨ)からの攻撃でなく、自らのダブルスタンダードである。

「安倍一強」の秘密は以下の四つの組合せだ。国際社会では「リベラル」。若者に対しては「ネオリベ」。既存の支持者に対しては「保守」。日本人アイデンティティ主義者に対しては「ネトウヨ」。この使い分け、これが現代日本においてもっとも広範な支持を確保する、最強の戦略であると筆者は断定する。

そもそも国を愛していない者には国について論じる理由がない。「愛国」を否定する者は「好きでもない国のことにいちいち口出しするな」という愛国者からの批判にこたえることができない。「議論に参加する資格のない奴ら」という(知識人としては)最大級の批判を受けているのが日本のリベラルだ。

「だが残念なことに、『朝日的』なるものはいまや『リベラル高齢者』『シニア左翼』の牙城になりつつあるようだ。自分たちの主張が若者に届かないのは、安倍政権の『陰謀』ではない。とはいえ私は、希望を捨てたわけではない。『日本的リベラル』を批判する本書が朝日新聞出版から出ることが、朝日新聞の勇気と良識を示したものと考えたい」と締める。はあ、そうですか……。(柴田)

橘玲「朝日ぎらい」朝日新書 2018
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4022730927/dgcrcom-22/



●ポケモンGOのフレンドギフト続き。このあたりからは翻訳が理解できないので、まんま引用。先に書いたサン・マルティンやオイギンスと関わりがあるようだ。

「ホセ・デ・サンマルティンは、マヌエル・ロドリゲスによって提案された計画を受け入れたとレコンキスタの間にスペインの支配に対するチリの反乱に秘密裏に組織の繊細な作業を指示しました。サンマルティンは、理想的な使者マヌエル・ロドリゲスを見て、敵の小さな力にスライドするチリに行くために彼を委託のチリの集団における暴動の精神を生きている保つためにリアを。その時、ManuelRodriguezは独立主義に加わったモノトーンの一部である山賊JoseMiguel Neiraと関係していた。

『のピアスの叫び!我々はまだ、パトリア市民を持って、点灯燃える火』すべての市民のリバタリアンの心の中で、彼はすべての人を失って、最大のパニックで逃げることを信じた人々にその精神を返しました。

ManuelRodriguezの大胆さと機会のおかげで、新たな解散が回避され、これにより彼は新しい共和国の生存を確保しました。彼は説得力があり、奨励され、組織され、最終的に熱心に参加して都市を守る準備をしました。この行動は彼
を最終的に彼の殺人の主な理由の一つになるチリで最も人気のある男に変身させた。

オイギンスは、後に負傷したとロドリゲスをひるむことなく、彼は正式に力を放棄しても、敬意、これは無視し、オイギンスの指揮下に何ninguneaを入れて、彼と協力して失敗します表示されます。」

ほんと、わかるようでわからない(笑)。続く。      (hammer.mule)

マヌエル・ロドリゲス・エルドーザ
https://es.wikipedia.org/wiki/Manuel_Rodr%C3%ADguez_Erdo%C3%ADza


ホセ・ミゲル・カレーラ
https://es.wikipedia.org/wiki/Jos%C3%A9_Miguel_Carrera

クーデターを起こしたらしい

もらったギフトの銅像の場所。銅像の画像もあった
https://goo.gl/maps/2iBZmJwqd2t


ストリートビュー。ここか〜。図書館や大学がそばにある
https://goo.gl/maps/HN4U9fBDPHq