「餃子巻き」というおでん種があるのをご存じだろうか? ゴボウ巻きやゲソ巻きのように、餃子が丸ごとすり身に包まれた物で、両端からとろりとした皮がはみ出ている。僕がこの不思議なおでん種に初めて出会ったのは、博多の屋台だった。
肌寒いある日、福岡の繁華街・天神にある屋台に腰を下ろして、湯気が立ちのぼるおでん鍋を眺めた。すると、見慣れないおでん種があったので、これは何ですかと聞いたら、「餃子」という短い答えが返ってきた。
餃子と言われて思い浮かべたのは、焼き餃子や水餃子などのおなじみのアレである。それが、目の前にある揚げかまぼこのおでん種とはまったく結びつかなかった。ともかくお皿に取ってもらって、ようやくその正体に気づいたのだ。
肌寒いある日、福岡の繁華街・天神にある屋台に腰を下ろして、湯気が立ちのぼるおでん鍋を眺めた。すると、見慣れないおでん種があったので、これは何ですかと聞いたら、「餃子」という短い答えが返ってきた。
餃子と言われて思い浮かべたのは、焼き餃子や水餃子などのおなじみのアレである。それが、目の前にある揚げかまぼこのおでん種とはまったく結びつかなかった。ともかくお皿に取ってもらって、ようやくその正体に気づいたのだ。
これがうまかった。こんなにおいしいおでん種があるのかと思った。そして、東京に戻って、パソコン通信のフォーラムで餃子巻きの話題を持ち出してみたが、ほとんどの人が知らない。
ただ、どういうわけか、東京の一部(谷中・根津・千駄木)に住む人たちは知っていて、40代ぐらいの人が子どものころから食べていると言う。その後、高円寺周辺でも普及していることがわかった。
全国的にはほとんど知られていない餃子巻きが、ごく一部の地域に当然のように存在しているのが不思議だった。東京の餃子巻きエリア出身の人が博多で屋台を開いたのか、餃子巻きが普及している博多の人が東京で店を開いたのか、その関係も謎が残る。
これがきっかけになり、僕はおでんのディープな世界に足を踏み入れてしまった。おでんの歴史を調べていくうちに、室町時代の豆腐田楽まで遡り、おでんは「お田楽」が略されたものだということもわかった。
田楽からおでんにつながる食文化の流れと、豆腐・コンニャク・練り物などのおでん種の歴史、だしの使われ方や味付けの違いなどから、日本の食文化が総合的に理解できそうな気がした。
餃子巻きに出会ったのは1996年の冬。翌年、原付バイク(ホンダのプレスカブ)に寝袋を積み込み、全国にどんなおでんがあるのか調べるために、北海道から沖縄まで日本縦断の旅に出た。106日の旅の間、おでんを食べたのは103回。調査地は232か所、スーパーや市場を訪ねたのは409か所、走行距離は1万キロを超えた。
途中、福岡から韓国に渡って韓国のおでんを味わい、沖縄から台湾にも足を延ばし、台湾のおでん事情も確認した。どちらの国にもおでん専門店があり、それぞれ“本場”といわれている町があることもわかった。
この旅の成果を『とことんおでん紀行』(1999年、凱風社)で発表すると、あちこちで話題になり、いつのまにか「おでん博士」とか「おでん研究家」という肩書で呼ばれるようになった。あるテレビ番組では「おでん界のカリスマ」とわけのわからない持ち上げ方もされた。
その後、全国で見つかった多種多様のおでんを家庭で作れるようにしようと思い立ち、再びカブに乗って日本縦断の旅に出た。ようするに、カブのツーリングが好きなのだ。こうして、13地域の独特なおでんに、オリジナルのアイデアおでんを加え、全国おでんレシピ集『とことん亭のおいしいおでん』(2002年、凱風社)を上梓。食いしん坊の大家・東海林さだおさんに絶賛されたが、発売時期が悪かったせいか、こちらは意に反してあまり話題になっていない。
11月には静岡のおでん文化に注目した『だもんで静岡おでん』(静岡新聞社)を発表。12月には「おでん紀行」が光文社知恵の森文庫から発売された。結果的に、今年はおでんの本を3冊も世に送りだすことになった。
レシピ集の刊行に併せて、「おでん博物館」のホームページを開館。9月ごろから急激にアクセスが伸び、おでんにはやっぱりシーズンがあるということをあらためて思った。アクセス数のわりに、期待していた新情報の書き込みが少ないが、先日、東京の下町でおでん種屋をやっているという人からメールが届いた。
「餃子巻きを考案したのは私の父です。昭和30年ごろに下町を中心におでん屋台を150軒ぐらい持ち、餃子巻きやシュウマイ巻きなどのおでん種を次々に作ったのです」
6年目にして、ようやく餃子巻きのルーツにたどり着けそうだ。もっとも、餃子巻きは九州北部では一般的なので、東京発祥説と結びつくかどうかはわからない。それでも、谷津千地域で普及している点は説明できるだろう。
ふと気づいたが、最初の疑問でもあった、餃子巻きが普及している博多と東京(の一部)の関係は、いまだに解けていない。だれか、九州の餃子巻き事情に詳しい人はいないだろうか?
【あらい・よしみ】LEK00514@nifty.ne.jp
ルポライター&カメラマン。ときどきDTPやWebデザイナー。親指シフト依存症。日本初の「おでん研究家」として99年デビュー。現在、地域限定のおでん本企画第2弾を構想中。新潟県の豪雪地で田んぼと畑を耕す兼業農家。
遊民社通信(移転予定のため休眠中)
http://homepage1.nifty.com/yu-min/
ただ、どういうわけか、東京の一部(谷中・根津・千駄木)に住む人たちは知っていて、40代ぐらいの人が子どものころから食べていると言う。その後、高円寺周辺でも普及していることがわかった。
全国的にはほとんど知られていない餃子巻きが、ごく一部の地域に当然のように存在しているのが不思議だった。東京の餃子巻きエリア出身の人が博多で屋台を開いたのか、餃子巻きが普及している博多の人が東京で店を開いたのか、その関係も謎が残る。
これがきっかけになり、僕はおでんのディープな世界に足を踏み入れてしまった。おでんの歴史を調べていくうちに、室町時代の豆腐田楽まで遡り、おでんは「お田楽」が略されたものだということもわかった。
田楽からおでんにつながる食文化の流れと、豆腐・コンニャク・練り物などのおでん種の歴史、だしの使われ方や味付けの違いなどから、日本の食文化が総合的に理解できそうな気がした。
餃子巻きに出会ったのは1996年の冬。翌年、原付バイク(ホンダのプレスカブ)に寝袋を積み込み、全国にどんなおでんがあるのか調べるために、北海道から沖縄まで日本縦断の旅に出た。106日の旅の間、おでんを食べたのは103回。調査地は232か所、スーパーや市場を訪ねたのは409か所、走行距離は1万キロを超えた。
途中、福岡から韓国に渡って韓国のおでんを味わい、沖縄から台湾にも足を延ばし、台湾のおでん事情も確認した。どちらの国にもおでん専門店があり、それぞれ“本場”といわれている町があることもわかった。
この旅の成果を『とことんおでん紀行』(1999年、凱風社)で発表すると、あちこちで話題になり、いつのまにか「おでん博士」とか「おでん研究家」という肩書で呼ばれるようになった。あるテレビ番組では「おでん界のカリスマ」とわけのわからない持ち上げ方もされた。
その後、全国で見つかった多種多様のおでんを家庭で作れるようにしようと思い立ち、再びカブに乗って日本縦断の旅に出た。ようするに、カブのツーリングが好きなのだ。こうして、13地域の独特なおでんに、オリジナルのアイデアおでんを加え、全国おでんレシピ集『とことん亭のおいしいおでん』(2002年、凱風社)を上梓。食いしん坊の大家・東海林さだおさんに絶賛されたが、発売時期が悪かったせいか、こちらは意に反してあまり話題になっていない。
11月には静岡のおでん文化に注目した『だもんで静岡おでん』(静岡新聞社)を発表。12月には「おでん紀行」が光文社知恵の森文庫から発売された。結果的に、今年はおでんの本を3冊も世に送りだすことになった。
レシピ集の刊行に併せて、「おでん博物館」のホームページを開館。9月ごろから急激にアクセスが伸び、おでんにはやっぱりシーズンがあるということをあらためて思った。アクセス数のわりに、期待していた新情報の書き込みが少ないが、先日、東京の下町でおでん種屋をやっているという人からメールが届いた。
「餃子巻きを考案したのは私の父です。昭和30年ごろに下町を中心におでん屋台を150軒ぐらい持ち、餃子巻きやシュウマイ巻きなどのおでん種を次々に作ったのです」
6年目にして、ようやく餃子巻きのルーツにたどり着けそうだ。もっとも、餃子巻きは九州北部では一般的なので、東京発祥説と結びつくかどうかはわからない。それでも、谷津千地域で普及している点は説明できるだろう。
ふと気づいたが、最初の疑問でもあった、餃子巻きが普及している博多と東京(の一部)の関係は、いまだに解けていない。だれか、九州の餃子巻き事情に詳しい人はいないだろうか?
【あらい・よしみ】LEK00514@nifty.ne.jp
ルポライター&カメラマン。ときどきDTPやWebデザイナー。親指シフト依存症。日本初の「おでん研究家」として99年デビュー。現在、地域限定のおでん本企画第2弾を構想中。新潟県の豪雪地で田んぼと畑を耕す兼業農家。
遊民社通信(移転予定のため休眠中)
http://homepage1.nifty.com/yu-min/