<あの頃の輝きはどこへいったのだ…>
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「夫婦善哉」と言える境地はくるか?
十河 進
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■映画と夜と音楽と…[340]
「夫婦善哉」と言える境地はくるか?
十河 進
< https://bn.dgcr.com/archives/20070706140400.html
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●朝日新聞の記事で甦らせたラストシーン
もう五十年近く昔のことだが、父と母が必ず見るテレビ番組があった。昭和三十八年(1963年)の八月から始まり、昭和五十年(1975年)の九月に終了した「夫婦善哉」である。僕はずっと「めおとぜんざい」だと思っていたのだが、「テレビ史ハンドブック」という資料の索引には「ふ」の項目に載っていた。「ふうふぜんざい」と読むのか?
何曜日だったかは覚えていない。土曜日か日曜の放送だったのではないだろうか。夜も遅い放映時間だと思っていたが、その頃、僕は夜の九時以降はテレビを見せてもらえなかったから、そう記憶しているだけかもしれない。その放送が始まると、父と母はテレビの前にじっくりと腰を据えた。そして、兄と僕には「早く寝なさい」と言った。
だから、その番組のオープニングしか僕は記憶にない。ノレンをくぐってミヤコ蝶々と南都雄二が現れた。南都雄二が現れるたびに、母は「蝶々さんが『何という字?』ってばかり聞いていたから、それを芸名にしたんやて」と僕に解説した。毎回、様々な夫婦が登場し、ミヤコ蝶々と南都雄二のふたりを相手にトークを展開する番組だった。
僕が小学生のときに始まった「夫婦善哉」は十年以上続き、やがて僕も同席を許されるようになった。しかし、僕にはその番組がまったくおもしろくなかったのに、父と母はときに涙ぐんでいることがあった。特に戦前からの苦労話や、満州からの引き上げ話などを聞くと父と母は沈黙し、じっとブラウン管を見つめていた。
ミヤコ蝶々という人を覚えたのは、その番組が最初だったかもしれない。しかし、その頃、他の番組にも彼女は多く出演していたから、その芝居のうまさは幼い僕にもよくわかった。数ヶ月前、ミヤコ蝶々の一生をテレビドラマ化した番組をきれぎれに見たが、久本雅美のミヤコ蝶々と山本太郎の南都雄二にはあまりなじめなかった。
ただ、ミヤコ蝶々という人の生い立ちがある程度わかった。そんな下地があったから、先日、六月三十日の朝日新聞beに掲載されている「愛の旅人」シリーズでミヤコ蝶々と南都雄二が取り上げられていたとき、興味を持って読んだのだ。その記事には特に目新しいことは書いていなかったが、記事で取り上げていたのが寅さんシリーズの二作目「続・男はつらいよ」(1969年)だった。
「続・男はつらいよ」は、寅さん版「瞼の母」である。まだ「いい人」になっておらず「それが渡世人のつれぇところよ」と粋がっていた寅さんはヤクザの怖さを見せる。ひどく喧嘩っ早い。生みの母のミヤコ蝶々を尋ねると、彼女は業突張りのラブホテルの経営者である。「やかましいわい、このアホ。子を棄てる気持ちがテメェなんぞにわかるか」と、渥美清と怒鳴り合うミヤコ蝶々は相当な迫力だった。
朝日新聞の記事には「吹けば飛ぶよな男だが」に出演したときのミヤコ蝶々のエピソードが出てきた。その映画で、山田洋次は初めてミヤコ蝶々を使ったという。その記事を読んで、僕の脳裏にありありと浮かんできたシーンがある。「吹けば飛ぶよな男だが」──あの頃、僕はそうつぶやきながら新宿の雑踏を肩をそびやかして歩いていた。チンピラの青春に自分の鬱屈を重ねて…
●ちんぴらヤクザの悲しい青春を描く喜劇映画
「吹けば飛ぶよな男だが」は、昭和四十三年(1968年)に公開になった。脚本を書いたのは森崎東である。主演はなべおさみと緑魔子だった。寅さんシリーズを山田洋次が監督するのは、その翌年のことだった。なべおさみはヤクザのチンピラで、いつかいい顔になるつもりで半端なシノギに精を出している。
なべおさみが演じるチンピラは大阪駅で家出娘(緑魔子)を誘惑し、仲間たちと旅館へ連れ込む。ブルーフィルムの撮影をするつもりだったのだが、気のいい(というよりヤクザとしては気が弱い)主人公は泣きわめく娘に同情し、仲間を裏切って娘を連れて逃げ出す。やがてふたりは愛し合うようになる。
その頃、なべおさみは「シャボン玉ホリデー」というテレビ番組で人気が出ていた。クレージー・キャッツの安田伸と組んだ映画監督コントで顔が売れたのだ。ハンチングをかぶりニッカボッカーという昔風の映画監督の恰好をしたなべおさみが、助監督の安田伸を「ヤスダー」と呼びつけてメガホンで頭を思いっきり叩くというコントである。
それでも、なべおさみは映画の主演者としては新人だった。扱いはB級の添え物映画だった。上映時間も九十一分で、典型的なB級映画である。しかし、その映画は四十年近く経っても僕の心に刻み込まれている。あの映画が描き出した何か、僕の心を打った何かが、今も僕の中に残っているのだ。
僕は初期の山田洋次作品が好きだった。その中にある強い怒りのようなものに反応したのだと思う。「馬鹿まるだし」「馬鹿が戦車でやってくる」「なつかしい風来坊」など、社会から疎外される人間を主人公にした作品群は、哀しみに充ちた怒りを感じさせた。その中でも僕の心に最も強く残っているのは、「吹けば飛ぶよな男だが」が描き出すたとえようのない青春の切なさだった。
それだけに、「男はつらいよ」シリーズが国民的な人気を得て、怒りを失ってしまった山田洋次作品が僕には許せない。見る気にならないのだ。それが、山田洋次に対しての理不尽な批判だと自覚はする。自覚はするが、ダメなものはダメである。かつて尊敬していた先輩の堕落した姿を見せつけられるようで、哀しみが募る。あの頃の輝きはどこへいったのだ…、と嘆く。
「吹けば飛ぶよな男だが」は、脚本を担当した森崎東の虐げられた者たちを描き続ける視点と、山田洋次の優れた演出力が出会い忘れられない映画になった。登場するのは、ヤクザ、娼婦、トルコ風呂の女将など、社会の底辺に生きる者たちだ。強姦され妊娠していながら、ヤクザのためにブルーフィルムに出演させられる娘がヒロインという救いのない設定である。
それでも、「吹けば飛ぶよな男だが」は喜劇であらねばならなかった。観客を笑わさなければならなかった。ところどころにギャグを散りばめ、犬塚弘や有島一郎、ミヤコ蝶々といったベテランの俳優たちが泣かせて笑わせる演技を見せた。しかし、その喜劇が伝えてきたものは「生きる切なさ」に他ならなかった。チンピラヤクザの「吹けば飛ぶよな生き方」を、その映画は共感を込めて描いたのだった。
●演じる人間が持つ小物ひとつにも意味がある
チンピラヤクザのなべおさみとその恋人をかばうトルコ風呂(朝日新聞の記事では「ソープランド」になっていたけれど、その頃、そんな言葉はなかった)の女将を演じたのがミヤコ蝶々だった。ラストシーンで、彼女は外国船に乗って新天地を目指す主人公に「これに気いつけや」と小指を立て、なべおさみにコンドームの箱を投げる。
その撮影のときに山田洋次監督は「コンドームは持ってきたのか。薬局で買ってきたのか。どっちが自然でしょ。買ってきたのなら包装してないと…」と、ミヤコ蝶々に聞いたという。そのエピソードは、さすがに山田洋次はただ者ではないと思わせた。小道具ひとつに意味がある。その小道具の背景を明確にすることで、役に別の意味が出る。もちろん演出も変わる。
その問いに、ミヤコ蝶々は「そんなこと簡単や。わてが使ってんのや、バッグに入ってんのや」と答えた。ミヤコ蝶々の役は、セックス産業の経営者である。元は風俗の世界で生きてきたのだろう。時代的に言えば、赤線で商売していたのかもしれない。だが、彼女の役は、もうそんな男女の世界から卒業しているイメージだった。だからこそ若いふたりを暖かく見守っていられる。
──山田さんは「ぎょっとした」。女将は生身の女、現役なのやと言うのだ。「人間の生き様を平然と、どかっとさらけ出す」。この人の激しい人生を思った。寅の母は彼女しかいなかった。
朝日新聞の記事は、そのエピソードをミヤコ蝶々自身の人生に重ね、いくつになっても女だったと強調するものとして使っていた。しかし、そうだろうか。彼女は役作りとして、そのように解釈したのではないのか。「わてが使ってんのや」という言葉は、その通りには受け取れないのではないだろうか。
少なくとも、「吹けば飛ぶよな男だが」のラストシーンでミヤコ蝶々が演じたのは、ある種の母親像だった。僕は朝日新聞の記事を読み、ラストシーンを甦らせながらそう思った。悲惨な話が続く「吹けば飛ぶよな男だが」だったが、喜劇である限りラストシーンは観客を笑わせて映画館を送り出さねばならない。
主人公の前途は多難かもしれない。しかし、そこには希望が感じられなければならなかった。だからこそミヤコ蝶々の演技は、明るく笑えるものであるべきだ。実の母親では言えない言葉をかけながら、母親の心情をにじませなければならない。そのギャップに笑いが生まれ、哀愁が漂う。ミヤコ蝶々は、その責任を見事に果たした。
ミヤコ蝶々の人間理解の深さは、その演技からもうかがえた。それらは、もしかしたら数え切れない夫婦の人生を聞くことで、より深まったのかもしれない。「夫婦善哉」を続けることで、様々な夫婦の歴史を聞き、ときにはもらい泣きをするほど感情移入する。自らは二度の結婚を失敗した女だったが、演技者としての財産は得ていたのではなかっただろうか。
ところで、「夫婦善哉」という言葉は子供にはむずかしく、「ぜんざい」という音だけで、僕は甘く煮た小豆を連想した。それが「夫婦は善い哉」という意味だと悟るのは、ずいぶん経った頃だ。同じ頃に、同名の映画があることも知った。原作は大阪の無頼派作家だった織田作之助である。とすれば、あのテレビ番組は、そのタイトルを借用したのだろうか。
映画「夫婦善哉」(1955年)は昭和三十年に公開され、森繁久弥の代表作になった。船場のぼんぼんである主人公は生活能力のないダメな男だが、森繁久弥の演技によって何とも言えない可愛らしさのある男になったと言われた。だからこそ、そんな男と離れられない芸者(淡島千景)の気持ちが観客に理解できるのだ。「頼りにしてまっせ、おばはん」というラストシーンのセリフが有名である。夫婦にはどんな形でも有り得ることを教えてくれる。
【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
七夕に姪の結婚式が京都の近くであり、そのまま大阪に住む兄の家に寄り、明石大橋を超えて四国まで足を伸ばす予定です。ということで、来週の原稿は休ませてもらいます。四国まではいつも飛行機なので、久しぶりの新幹線。「のぞみ」に乗るのはまだ二度目です。
●第1回から305回めまでのコラムをすべてまとめた二巻本
完全版「映画がなければ生きていけない」書店・ネット書店で発売中
第25回日本冒険小説協会特別賞「最優秀映画コラム賞」を受賞しました
< http://www.bookdom.net/shop/shop2.asp?act=prod&prodid=193&corpid=1
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前回、古い日本家屋で人形を撮影した話を書いたら、脳内妻の真紅がすっかり喜んじゃって、また書いてくれって言うもんだから、今回も人形の話題でいきます。豪華三点盛りプラスおまけつき。
●人造乙女博覧会で等身大ドールと握手
男性向けの実用的な人形の製造販売において、業界の覇者であるオリエント工業が創業30周年を記念して展示会を開催した。銀座松坂屋の裏手にある「ヴァニラ画廊」にて、6月18日(月)〜30日(土)の2週間。私は6月23日(土)に見てきた。
< http://www.vanilla-gallery.com/gallery/lovedoll/lovedoll.html
>
空気で膨らますビニール風船のようなものを想像してはいけない。細部まで精巧に作り込まれた、やけにリアルな等身大のお人形。まさに銀座の画廊に勢揃いするにふさわしい美術品だ。実際、来場者たちの姿も、もはや最後の手段とばかりに切羽詰まった顔をした非モテ系のオタクっぽいのは私ぐらいで、ほとんどが美大生のようであった。あごにちょび髭を生やした若いのが三人ぐらいで連れ立って来ている。一人で来ている女性もいた。
展示されていたのは、人形12体と生首五つ。スタッフは男性一人と若い女性二人。人形と同数ほどの来場者で、狭い画廊はごった返している。人形は、浴衣を着て立っていたり、セクシーなランジェリーをまとってソファーに腰掛けていたり。浴衣のコは、見た目、中学生ぐらい。みんな抜けるような白い肌。人間の肌に比べて青っぽく透明感がある。顔立ちは男性諸氏の理想像を平均化したような美人ではなく、それぞれ個性がある。「いたらいいな」という超越感ではなく「いるよな」、「どっかで見かけたことあるよな」と思わせる、現実に接近した親しみ感がある。
女性のスタッフから「触ってみますか」と声をかけられる。ソファの二体だけは、触れてよいことになっている。差し出されたウェットティッシュで手を拭いて、と。握手したら、ずしっと重い。腕だけでこの重さじゃ、体重は「ちょびっツ」のちぃほどになろうかと思って聞いてみると、28kgと、さほどでもなかった。力が入ってないから、ずっしり感があるのだろう。肌の感触は、ねっとりと吸い付く感じで、弾力がありぐにゃぐにゃぶよんぶよんしている。手には骨が入っていないので、指はどこまででも曲がり、放すとぶよんと元に戻る。腕には骨が入っていて、肘や手首の関節で曲がる。
シリコン製で、一体60万円もする。お迎えした人は、みんな信じられないくらい溺愛するそうである。通販で次々と衣装を買って着せてあげたり、ベビーパウダーでぱたぱたしたり、お風呂に入れてあげたり、外に連れ出して写真撮ったり。川原由美子さんの「観用少女(プランツ・ドール)」を思い出すなぁ。お酒飲ませちゃだめよ。
入場料500円と引き換えに渡された小冊子の最後のページに、人形作家の森馨さんが寄稿している。「人形には自分が投影される」という点には、今まで気がついていなかった。例えば、人形の表情がさびしそうに見えたとすると、それは自分がさびしいってことの投影だったりするわけだ。前回、人形の印象をいろいろと語っちゃったけど、それって実は自分のことだったか。ひぇ〜、ハズカシ〜。
ってことは、お人形をお迎えしてまめまめしく世話を焼くのは、自分の優しい性格が投影されているってことだよね? 一方、いがみあったり冷めきったりしてる現実の夫婦は、お互いに相手のいいところを破壊しあってそうなっちゃったってことかな? うう、これが一番の悲劇かも〜。
握手の感触は一日中、まとわりついた。いや、今も生々しく...。
●跪いてビスクドールの足をお嘗め
って、見出しに意味ないです。宝野アリカさんのCDタイトル「跪いて足をお嘗め」と人形作家恋月姫さんのビスクドールを適当に混ぜてみただけ。
翌6月24日(日)の夜には、宝野アリカさんと恋月姫さんのトークショウが浅草橋であった。アリカさんは "ALI PROJECT" のボーカルと作詞担当で、「ローゼンメイデン」のオープニング主題歌「禁じられた遊び」、「聖少女領域」を歌っている。恋月姫さんの作るビスクドールとは、二度焼きの白磁器の人形のことで、19世紀ヨーロッパのブルジョア階級の間で流行ったアンティークドールは、これである。あ、はいはい、真紅もね。
私にとっては敷居が高いような気がして躊躇していたのだが、運命のいたずらか、はたまた真紅の企てか、間際になってKotoiっちがミクシィの日記で「チケットが余った」コールを発したのに何か必然的なものを感じ、譲り受けた。
来場者のほとんどが女性で、その大半がフリフリヒラヒラないでたち。華やかだ。ロリ服というのは、こういう場では正装なんだね。もんのすごい気合いを入れておしゃれしてきた感じがよく分かる。Kotoiっちのステンドグラスと天使を組み合わせた柄のロリ服は、恋月姫さんがデザインして "Baby the Stars Shine Bright" から販売されたものなのだそうで。茶系の色が品よく組み合わさり、胸の前の大きなリボンもめっちゃかわいい。
60名入るホールの正面と左右前方には、恋月姫さんのドールが12体ほど展示されてる。壁に掛けられた椅子に腰掛けていたり、ガラスの棺に寝かされていたり。私は前から四列目の一番左の席が陣取れたんで、長細い五角形の棺に目をつむって横たわる二体の人形がずっとそばにいて、生きているような暖かみが伝わってくる。まず、ALI PROJECT「聖少女領域」のプロモーションビデオ上映。恋月姫さんの人形を抱いて歌うアリカさん自身にもどこか人形のイメージが...。
< > (その動画)
続いて、アリカさん自作の童話「悲恋」の朗読。「これが恋なのね…」。ローソクの明かりだけの暗がりで、アリカさんが朗読を始める。すごくセクシーで優しく柔らかい声。物語の中に吸い込まれる。娼館に幽閉された少女。裕福なお屋敷に家族と住んでいたころのかすかな記憶。買われるなんてイヤ。誰か助けて! 窓越しにときおり見かける少年に恋をする。音の伝わらない会話を頼りに思いを通わせ、クリスマスイブについに少年は少女を助け出そうと打って出る。けれど、待ち受けていたのは、絶望の奈落。(Kotoi っち、ミクシィ日記から文章借りた、サンキュ!)
吊り下げられた裸電球が薄暗く灯り、お二人のトーク。アリカさんは肩と背中の開いた黒いドレスにミニハット、恋月姫さんはヒョウ柄のノースリーブロングワンピ。雑誌「夜想」の編集者だという司会者は大変饒舌な方で、人形を見た印象などを語りに語ってくれた。たまに恋月姫さんが短く言葉をはさみ、アリカさんは終始うなずいているだけ。世にも珍しい司会者のトークショウ。
恋月姫さんは、人形の崇高な美のイメージから、近寄りがたい孤高の人なのではなかろうかと勝手に想像していたが、それとはまるで裏腹に、気取ったところがまったくなく、決して大言壮語しないところがかえって印象的であった。「魂入れるとか入れないとかって、な〜にそれ?」とからから笑う。すごく具合が悪くて何もする気力が起きないときがあって、そういうときは人形作ることしかできなくて、いつの間にかできてたりするそうで。それを普通のことのように言うのがやけに可笑しい。
やっぱり上のほうから祝福されてて、大きな力が降りてくるのでは? アリカさんは最後に会場からの質問に答えて「生まれながらのアーティストなんて一人もいない。常に上を目指すことがアーティストでいられる資格」と言ったのが心に残った。
終了後に、人形を全部見て回る。立ち去りがたい思い。お迎えできたら幸せだろうな〜と思いつつ、恋月姫さんの人形って一体300万円もするんだよなぁ。はぁ〜っ(ため息)。だけど、もしビスクドールの真紅を作ってくれたら、後先考えずにお迎えするバカがぜったいいそうだ。(ここに)
●渋谷の地下の静寂空間「マリアの心臓」
翌週末6月30日(土)は渋谷のドールミュージアム「マリアの心臓」へ。
< http://mariacuore.com/
>
5月12日(土)〜7月1日(日)、多くの人形作家の作品を集結させた展示会「maria † mare 人形と絵画による受胎告知」が開かれた。
ホラーな人形だらけなので、蚤の心臓をお持ちの方には向かないかも。私も自慢できるほどの心臓はないが、天野可淡さんのドールが見たくて行った。可淡さん(女性)は、吉田良氏の主宰する人形教室「ピグマリオン」のスタッフだったが、'90年に交通事故に遭い、30代の若さで他界している。
エレベータで地下一階に下りて左手に進むと、もうそこが会場で、所狭しと人形が展示されている。人形の間を通り抜けるにも、そ〜っと気をつけて、という感じで。一番奥の左右に、可淡ドールが6体。
右側手前には顔がシャム猫のドール。頭には黒い大きなリボン、目が離れ、笑っているような表情。黒いロングドレスが誇り高き貴婦人のよう。その右には全裸の少年。首をちょっと傾げ、かわいい感じの丸顔。すんごくリアル。その奥には「妖精」。身を屈め、何かを狙うように顔を横に向ける。とんがり耳、目は青くつり目。少し覗いた歯は鋭そう。背にはアゲハ蝶のような大きな羽。炎のように、上に向かって鋭く。
左側手前には「星を見上げる少女」。薄物をまとった体は、骨に皮がついただけのようにやせこけている。胸は膨らみ始めの、小さくとんがった感じ。跪き、絶望した表情で天を仰いでいる。その左側、鉄枠にかけられた黒いレースのカーテンの奥に、全裸の少女。ほぼ等身大と言ってもいいほど、大きい。照明が暗く、顔がよく見えない。ふたつの人形の間を身をよじって進んだ奥にはもう一体、少女が。顔はうつむき加減。表情が何とも言えず怖く、一度目を離して再び見ると、その度ごとに、あらためて驚かされる。
手前の方には恋月姫さんの人形も何体か。目から血の涙を流しているのが二体ほど。体がくっついた双子も。左右の壁には四谷シモン氏の人形も 一体ずつ。少年と少女。一番奥には、木村龍氏の人形が二体。腹に大きく楕円形の穴が開き、中は空洞になっていて、小さな人形がいる。
その手前、全体のほぼ中央には、三浦悦子さんの少女人形が横たわる。両太腿にはぐるりと釘が打ち込んであり、さびが流れたように色づけしてある。また、アソコの割れ目の両脇には、微小な穴が点々と連なり、縫合して抜糸した跡ということらしい。細い針金がからまった十字架を両手に持ち、その下端が割れ目の上端付近に接触している。目はとろんと半分閉じて虚ろ、歯は下唇を噛んでいる。
身も蓋もない言い方をすれば、エロ・グロである。だけど、そうと片付けられない何かがある。確かに、この種のインパクトをもって人の気を引こうとするのであれば、あたかもウケないお笑い芸人が最後にはくすぐってでも笑わせようとするかのごときもので、安直・堕落のそしりを免れない。しかし、この作品を目にして安直と評しては、いかにも的外れ。作者の真剣な姿勢から生み出された美が間違いなくある。かと言って、これは芸術なのだから、エロとは別次元のものであるという、俗界から切り離された超越の高みでもない。エロを限りなく肯定した先に成り立つ美がそこにある。
いくつかの人形は常設なので、明日からの絵画展でも見ることができる。
●おまけ、人間の人形
その日の夜は、中野にあるバー "Two Face" へ。5月19日(土)にオープンしたばかりのゴシックなお店。じゃらっと鎖が飾りつけられた入り口のドアを開けると、黒塗りの壁に分厚く赤いカーテン。奥のガラスケースの中には由良瓏砂さんによる人形が2体。30cmほどの背丈なのに、とてもリアル。会話ができそう。
給仕するのは、みずからを「ドール」と呼ぶ人間の女性たち。黒を基調として、赤の入ったゴシックないでたち。店がオープンしたとき、ローゼンメイデンのドールたちに扮して秋葉原や中野を練り歩いたらしい。やるなぁ。
< http://www.two-face666.com/
>
< http://www.akibablog.net/archives/2007/05/rozen_maiden_cosplay_070505.html
>
【GrowHair】GrowHair@yahoo.co.jp
カメコ。6月30日(土)、秋葉原で500人規模のデモ行進があったらしい。「6・30 アキハバラ開放デモ」。メイドや涼宮ハルヒなどのコスチュームで「マスコミのオタク偏見報道反対!」などの主張を掲げる。これにはオタクの側からもネットで批判の集中砲火。「迷惑」「キモい」「オタクのイメージをかえって下げる」「頭悪い」などなど。うーん。どうやら私は頭悪い側のようで、「よくやった! 面白い!」と思えてしまうのであった。
< http://www.akibablog.net/archives/2007/07/akihabara-070701.html
>
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■セミナー案内
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< http://www.ria-jp.org/information/20070710.html
>
< https://bn.dgcr.com/archives/20070706140200.html
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「戦略」の観点から、話題になった「スゴイ地図」のリクルート社から、当時の想いと半年以上経過した今の想いを。「技術」からは、一部では枯れた技術と言われながらもWeb界の表現を一気に変化させた感のある「Ajax」。そして、もはや誰も無視できないケータイにおけるRIAの状況を、Flash liteを中心に、動向や問題点などをお伝えしたいと思います。(サイトより)
日時:7月10日(火)14:00〜16:50(13:45より受付開始)
会場:アジュール竹芝 天平の間(東京都港区海岸1-11-2 TEL.03-3437-5566)
< http://www.hotel-azur.com/access.html
>
定員:120名(先着順)
参加費:お一人様 3,000円(事前振込み制)
主催:RIAコンソーシアム
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■イベント案内
デジクリ主催「クリエイターの夢 実現に向けて」吉川惣司+川口孝司
< https://bn.dgcr.com/archives/20070629140100.html
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日時:7月13日(金)18:00〜20:30
会場:扇町インキュベーションプラザ メビック扇町(大阪市北区南扇町6-28 水道局扇町庁舎2階)
< http://www.mebic.com/access/
>
入場料:4,000円(交流会費2,000円含む)
内容:ゲーム・アニメ等、デジタルエンターテインメントのクリエイターが進めているプロジェクト事例や経緯、裏話などを対談形式で紹介。制作中の手塚治虫アニメ「ブッダ」、音楽をテーマにしたオンラインゲーム「クロスロード(仮)」、バーチャルライブ合成システム「なれるんです・あなたも主役(仮)」などを紹介。
スピーカー:
吉川惣司/東京都出身のアニメ監督、脚本家、演出家、アニメーター、舞台演出家。鉄腕アトム・あしたのジョー・天才バカボン・ルパン三世・ベルサイユのばら・太陽の牙ダグラム・装甲騎兵ボトムズ・沈黙の艦隊ほか。
< http://ja.wikipedia.org/w/index.php?oldid=12829727
>
川口孝司/アニメプロデューサー、ゲームプロデューサー。ポケットモンスターイベント立案・実行。映画の巻頭に流れるCMのプロデュースなど。
< http://www.nintendo.co.jp/nom/0007/kawaguti/
>
< http://www.jmdb.ne.jp/person/p0562580.htm
>
お申し込み・問い合わせ:デジタルクリエイターズ 山本修までメールにて。
< mailto:osamuchi@ca3.so-net.ne.jp >
※名前(漢字・ふりがな)・住所・連絡先TEL・E-mailアドレス・勤務先を明記の上、お送りください。締切7月10日(火)。定員に達し次第締切。
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■編集後記(7/6)
・若い頃から北杜夫が好きでいろいろ読んでいた。高校生のときは文体を真似ていた。外国に旅するとき鞄に入れるのは文庫本の「楡家の人びと」だった。北杜夫自身が躁うつ病であることをネタにしてエッセーを書いていたので、そういう病気のあることを知ったのは早い。しかし、あけすけでユーモラスな筆致から深刻な病気とは思わなかった。躁を称する時期は異常に陽気でハイテンション、うつのときは意気消沈して気弱で愚痴っぽい、これは北の演ずるキャラクターであろうと思っていた。知り合いがちょっとおかしな状態になって、やがて回復するのを見て、これがうつ病なのかと知ったのもそんなに遠くない過去である。いま読売新聞で「わたしのうつノート」という連載がある。39歳になる記者の数年にわたる躁うつ病体験を赤裸々に描いたもので、非常に興味深いが同時にとってもこわい。躁うつ病は「双極性障害」ともいい、躁状態とうつ状態を繰り返し、回復しても再発することが多いそうだ。まさしく、その記者も北杜夫もそんな状態であった。統計によれば若年で発症する例が多いという。じゃ、わたしは年寄りだから大丈夫かと思ったりする。その連載で「うつの思考10パターン」(NTT東日本関東病院のテキスト)というチェックシートがあって、やってみたらどうやら10パターンにひとつも属していないようで、とりあえずうつちゃん系はOKと自信を持ったのであった。まあ、自分なりの判断だからあてにならないが。また北杜夫を読むか。(柴田)
・昨日「明光アタマ体操第二よ〜い!」を紹介した。あのFlashは森さんが作られたことを知りびっくり。世間は狭いっす。いつも後記まで読んでくださっていてありがとうございます! ここのCMが好きなので、うらやましいな〜。携帯版は二問目までは余裕で行ったが、三問目でつまずく。難しい〜。/「Googleブック検索」日本語版開始。「太宰治」で検索すると中国語の本までひっかかる。全文読めるものにはどんなのがあるのだろうと、発行年を範囲指定してみる。「アンクル・トムの小屋」英語版が全ページ見られた。版違いまである。スキャンした画像とともに、PDFダウンロード、テキスト表示、ワード検索ができちゃう。凄すぎ。黒人への仕打ち挿絵ひどすぎ。最近の書籍なら、アマゾンやらへの購入用リンクもあり。偶然にもコラムを連載してくださっている上原ゼンジ氏の書籍が出てきてびびる。最近は出版社公式やアマゾンの「なか見!検索」があって、中身の一部が見られるのは普通になりつつあるけど、Googleのは規模が大きくなりそう。世界中の古い文献がネットで調べられたら、研究者達は助かるね。今はまだ日本語の書籍登録は少ないけど、これから増えたらどうなることやら。脅威だ。/カンブリア宮殿に株式会社ポケモンの石原恒和氏登場。9日放送予定。ポケモンプロデューサーの川口孝司氏はデジクリイベントに登場。吉川惣司氏とのトークセッションを見に来てね! 興味のありそうな人にも知らせてあげてください〜。(hammer.mule)
< http://www.ymori.com/
> 森巧尚氏公式サイト
< http://books.google.co.jp/
> Googleブック検索
< http://www.tv-tokyo.co.jp/cambria/
> カンブリア宮殿
< https://bn.dgcr.com/archives/20070629140100.html
> イベント
< http://www.nintendo.co.jp/nom/0007/kawaguti/
> ポケモン誕生秘話
< http://ja.wikipedia.org/w/index.php?oldid=12829727
>
吉川惣司氏の作品を見たことがない人はいないだろう。時代の証言者だ。
「夫婦善哉」と言える境地はくるか?
十河 進
< https://bn.dgcr.com/archives/20070706140400.html
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●朝日新聞の記事で甦らせたラストシーン
もう五十年近く昔のことだが、父と母が必ず見るテレビ番組があった。昭和三十八年(1963年)の八月から始まり、昭和五十年(1975年)の九月に終了した「夫婦善哉」である。僕はずっと「めおとぜんざい」だと思っていたのだが、「テレビ史ハンドブック」という資料の索引には「ふ」の項目に載っていた。「ふうふぜんざい」と読むのか?
何曜日だったかは覚えていない。土曜日か日曜の放送だったのではないだろうか。夜も遅い放映時間だと思っていたが、その頃、僕は夜の九時以降はテレビを見せてもらえなかったから、そう記憶しているだけかもしれない。その放送が始まると、父と母はテレビの前にじっくりと腰を据えた。そして、兄と僕には「早く寝なさい」と言った。
だから、その番組のオープニングしか僕は記憶にない。ノレンをくぐってミヤコ蝶々と南都雄二が現れた。南都雄二が現れるたびに、母は「蝶々さんが『何という字?』ってばかり聞いていたから、それを芸名にしたんやて」と僕に解説した。毎回、様々な夫婦が登場し、ミヤコ蝶々と南都雄二のふたりを相手にトークを展開する番組だった。
僕が小学生のときに始まった「夫婦善哉」は十年以上続き、やがて僕も同席を許されるようになった。しかし、僕にはその番組がまったくおもしろくなかったのに、父と母はときに涙ぐんでいることがあった。特に戦前からの苦労話や、満州からの引き上げ話などを聞くと父と母は沈黙し、じっとブラウン管を見つめていた。
ミヤコ蝶々という人を覚えたのは、その番組が最初だったかもしれない。しかし、その頃、他の番組にも彼女は多く出演していたから、その芝居のうまさは幼い僕にもよくわかった。数ヶ月前、ミヤコ蝶々の一生をテレビドラマ化した番組をきれぎれに見たが、久本雅美のミヤコ蝶々と山本太郎の南都雄二にはあまりなじめなかった。
ただ、ミヤコ蝶々という人の生い立ちがある程度わかった。そんな下地があったから、先日、六月三十日の朝日新聞beに掲載されている「愛の旅人」シリーズでミヤコ蝶々と南都雄二が取り上げられていたとき、興味を持って読んだのだ。その記事には特に目新しいことは書いていなかったが、記事で取り上げていたのが寅さんシリーズの二作目「続・男はつらいよ」(1969年)だった。
「続・男はつらいよ」は、寅さん版「瞼の母」である。まだ「いい人」になっておらず「それが渡世人のつれぇところよ」と粋がっていた寅さんはヤクザの怖さを見せる。ひどく喧嘩っ早い。生みの母のミヤコ蝶々を尋ねると、彼女は業突張りのラブホテルの経営者である。「やかましいわい、このアホ。子を棄てる気持ちがテメェなんぞにわかるか」と、渥美清と怒鳴り合うミヤコ蝶々は相当な迫力だった。
朝日新聞の記事には「吹けば飛ぶよな男だが」に出演したときのミヤコ蝶々のエピソードが出てきた。その映画で、山田洋次は初めてミヤコ蝶々を使ったという。その記事を読んで、僕の脳裏にありありと浮かんできたシーンがある。「吹けば飛ぶよな男だが」──あの頃、僕はそうつぶやきながら新宿の雑踏を肩をそびやかして歩いていた。チンピラの青春に自分の鬱屈を重ねて…
●ちんぴらヤクザの悲しい青春を描く喜劇映画
「吹けば飛ぶよな男だが」は、昭和四十三年(1968年)に公開になった。脚本を書いたのは森崎東である。主演はなべおさみと緑魔子だった。寅さんシリーズを山田洋次が監督するのは、その翌年のことだった。なべおさみはヤクザのチンピラで、いつかいい顔になるつもりで半端なシノギに精を出している。
なべおさみが演じるチンピラは大阪駅で家出娘(緑魔子)を誘惑し、仲間たちと旅館へ連れ込む。ブルーフィルムの撮影をするつもりだったのだが、気のいい(というよりヤクザとしては気が弱い)主人公は泣きわめく娘に同情し、仲間を裏切って娘を連れて逃げ出す。やがてふたりは愛し合うようになる。
その頃、なべおさみは「シャボン玉ホリデー」というテレビ番組で人気が出ていた。クレージー・キャッツの安田伸と組んだ映画監督コントで顔が売れたのだ。ハンチングをかぶりニッカボッカーという昔風の映画監督の恰好をしたなべおさみが、助監督の安田伸を「ヤスダー」と呼びつけてメガホンで頭を思いっきり叩くというコントである。
それでも、なべおさみは映画の主演者としては新人だった。扱いはB級の添え物映画だった。上映時間も九十一分で、典型的なB級映画である。しかし、その映画は四十年近く経っても僕の心に刻み込まれている。あの映画が描き出した何か、僕の心を打った何かが、今も僕の中に残っているのだ。
僕は初期の山田洋次作品が好きだった。その中にある強い怒りのようなものに反応したのだと思う。「馬鹿まるだし」「馬鹿が戦車でやってくる」「なつかしい風来坊」など、社会から疎外される人間を主人公にした作品群は、哀しみに充ちた怒りを感じさせた。その中でも僕の心に最も強く残っているのは、「吹けば飛ぶよな男だが」が描き出すたとえようのない青春の切なさだった。
それだけに、「男はつらいよ」シリーズが国民的な人気を得て、怒りを失ってしまった山田洋次作品が僕には許せない。見る気にならないのだ。それが、山田洋次に対しての理不尽な批判だと自覚はする。自覚はするが、ダメなものはダメである。かつて尊敬していた先輩の堕落した姿を見せつけられるようで、哀しみが募る。あの頃の輝きはどこへいったのだ…、と嘆く。
「吹けば飛ぶよな男だが」は、脚本を担当した森崎東の虐げられた者たちを描き続ける視点と、山田洋次の優れた演出力が出会い忘れられない映画になった。登場するのは、ヤクザ、娼婦、トルコ風呂の女将など、社会の底辺に生きる者たちだ。強姦され妊娠していながら、ヤクザのためにブルーフィルムに出演させられる娘がヒロインという救いのない設定である。
それでも、「吹けば飛ぶよな男だが」は喜劇であらねばならなかった。観客を笑わさなければならなかった。ところどころにギャグを散りばめ、犬塚弘や有島一郎、ミヤコ蝶々といったベテランの俳優たちが泣かせて笑わせる演技を見せた。しかし、その喜劇が伝えてきたものは「生きる切なさ」に他ならなかった。チンピラヤクザの「吹けば飛ぶよな生き方」を、その映画は共感を込めて描いたのだった。
●演じる人間が持つ小物ひとつにも意味がある
チンピラヤクザのなべおさみとその恋人をかばうトルコ風呂(朝日新聞の記事では「ソープランド」になっていたけれど、その頃、そんな言葉はなかった)の女将を演じたのがミヤコ蝶々だった。ラストシーンで、彼女は外国船に乗って新天地を目指す主人公に「これに気いつけや」と小指を立て、なべおさみにコンドームの箱を投げる。
その撮影のときに山田洋次監督は「コンドームは持ってきたのか。薬局で買ってきたのか。どっちが自然でしょ。買ってきたのなら包装してないと…」と、ミヤコ蝶々に聞いたという。そのエピソードは、さすがに山田洋次はただ者ではないと思わせた。小道具ひとつに意味がある。その小道具の背景を明確にすることで、役に別の意味が出る。もちろん演出も変わる。
その問いに、ミヤコ蝶々は「そんなこと簡単や。わてが使ってんのや、バッグに入ってんのや」と答えた。ミヤコ蝶々の役は、セックス産業の経営者である。元は風俗の世界で生きてきたのだろう。時代的に言えば、赤線で商売していたのかもしれない。だが、彼女の役は、もうそんな男女の世界から卒業しているイメージだった。だからこそ若いふたりを暖かく見守っていられる。
──山田さんは「ぎょっとした」。女将は生身の女、現役なのやと言うのだ。「人間の生き様を平然と、どかっとさらけ出す」。この人の激しい人生を思った。寅の母は彼女しかいなかった。
朝日新聞の記事は、そのエピソードをミヤコ蝶々自身の人生に重ね、いくつになっても女だったと強調するものとして使っていた。しかし、そうだろうか。彼女は役作りとして、そのように解釈したのではないのか。「わてが使ってんのや」という言葉は、その通りには受け取れないのではないだろうか。
少なくとも、「吹けば飛ぶよな男だが」のラストシーンでミヤコ蝶々が演じたのは、ある種の母親像だった。僕は朝日新聞の記事を読み、ラストシーンを甦らせながらそう思った。悲惨な話が続く「吹けば飛ぶよな男だが」だったが、喜劇である限りラストシーンは観客を笑わせて映画館を送り出さねばならない。
主人公の前途は多難かもしれない。しかし、そこには希望が感じられなければならなかった。だからこそミヤコ蝶々の演技は、明るく笑えるものであるべきだ。実の母親では言えない言葉をかけながら、母親の心情をにじませなければならない。そのギャップに笑いが生まれ、哀愁が漂う。ミヤコ蝶々は、その責任を見事に果たした。
ミヤコ蝶々の人間理解の深さは、その演技からもうかがえた。それらは、もしかしたら数え切れない夫婦の人生を聞くことで、より深まったのかもしれない。「夫婦善哉」を続けることで、様々な夫婦の歴史を聞き、ときにはもらい泣きをするほど感情移入する。自らは二度の結婚を失敗した女だったが、演技者としての財産は得ていたのではなかっただろうか。
ところで、「夫婦善哉」という言葉は子供にはむずかしく、「ぜんざい」という音だけで、僕は甘く煮た小豆を連想した。それが「夫婦は善い哉」という意味だと悟るのは、ずいぶん経った頃だ。同じ頃に、同名の映画があることも知った。原作は大阪の無頼派作家だった織田作之助である。とすれば、あのテレビ番組は、そのタイトルを借用したのだろうか。
映画「夫婦善哉」(1955年)は昭和三十年に公開され、森繁久弥の代表作になった。船場のぼんぼんである主人公は生活能力のないダメな男だが、森繁久弥の演技によって何とも言えない可愛らしさのある男になったと言われた。だからこそ、そんな男と離れられない芸者(淡島千景)の気持ちが観客に理解できるのだ。「頼りにしてまっせ、おばはん」というラストシーンのセリフが有名である。夫婦にはどんな形でも有り得ることを教えてくれる。
【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
七夕に姪の結婚式が京都の近くであり、そのまま大阪に住む兄の家に寄り、明石大橋を超えて四国まで足を伸ばす予定です。ということで、来週の原稿は休ませてもらいます。四国まではいつも飛行機なので、久しぶりの新幹線。「のぞみ」に乗るのはまだ二度目です。
●第1回から305回めまでのコラムをすべてまとめた二巻本
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第25回日本冒険小説協会特別賞「最優秀映画コラム賞」を受賞しました
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■Otaku ワールドへようこそ![54]
人形に招き寄せられて訪ね歩く
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< https://bn.dgcr.com/archives/20070706140300.html
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前回、古い日本家屋で人形を撮影した話を書いたら、脳内妻の真紅がすっかり喜んじゃって、また書いてくれって言うもんだから、今回も人形の話題でいきます。豪華三点盛りプラスおまけつき。
●人造乙女博覧会で等身大ドールと握手
男性向けの実用的な人形の製造販売において、業界の覇者であるオリエント工業が創業30周年を記念して展示会を開催した。銀座松坂屋の裏手にある「ヴァニラ画廊」にて、6月18日(月)〜30日(土)の2週間。私は6月23日(土)に見てきた。
< http://www.vanilla-gallery.com/gallery/lovedoll/lovedoll.html
>
空気で膨らますビニール風船のようなものを想像してはいけない。細部まで精巧に作り込まれた、やけにリアルな等身大のお人形。まさに銀座の画廊に勢揃いするにふさわしい美術品だ。実際、来場者たちの姿も、もはや最後の手段とばかりに切羽詰まった顔をした非モテ系のオタクっぽいのは私ぐらいで、ほとんどが美大生のようであった。あごにちょび髭を生やした若いのが三人ぐらいで連れ立って来ている。一人で来ている女性もいた。
展示されていたのは、人形12体と生首五つ。スタッフは男性一人と若い女性二人。人形と同数ほどの来場者で、狭い画廊はごった返している。人形は、浴衣を着て立っていたり、セクシーなランジェリーをまとってソファーに腰掛けていたり。浴衣のコは、見た目、中学生ぐらい。みんな抜けるような白い肌。人間の肌に比べて青っぽく透明感がある。顔立ちは男性諸氏の理想像を平均化したような美人ではなく、それぞれ個性がある。「いたらいいな」という超越感ではなく「いるよな」、「どっかで見かけたことあるよな」と思わせる、現実に接近した親しみ感がある。
女性のスタッフから「触ってみますか」と声をかけられる。ソファの二体だけは、触れてよいことになっている。差し出されたウェットティッシュで手を拭いて、と。握手したら、ずしっと重い。腕だけでこの重さじゃ、体重は「ちょびっツ」のちぃほどになろうかと思って聞いてみると、28kgと、さほどでもなかった。力が入ってないから、ずっしり感があるのだろう。肌の感触は、ねっとりと吸い付く感じで、弾力がありぐにゃぐにゃぶよんぶよんしている。手には骨が入っていないので、指はどこまででも曲がり、放すとぶよんと元に戻る。腕には骨が入っていて、肘や手首の関節で曲がる。
シリコン製で、一体60万円もする。お迎えした人は、みんな信じられないくらい溺愛するそうである。通販で次々と衣装を買って着せてあげたり、ベビーパウダーでぱたぱたしたり、お風呂に入れてあげたり、外に連れ出して写真撮ったり。川原由美子さんの「観用少女(プランツ・ドール)」を思い出すなぁ。お酒飲ませちゃだめよ。
入場料500円と引き換えに渡された小冊子の最後のページに、人形作家の森馨さんが寄稿している。「人形には自分が投影される」という点には、今まで気がついていなかった。例えば、人形の表情がさびしそうに見えたとすると、それは自分がさびしいってことの投影だったりするわけだ。前回、人形の印象をいろいろと語っちゃったけど、それって実は自分のことだったか。ひぇ〜、ハズカシ〜。
ってことは、お人形をお迎えしてまめまめしく世話を焼くのは、自分の優しい性格が投影されているってことだよね? 一方、いがみあったり冷めきったりしてる現実の夫婦は、お互いに相手のいいところを破壊しあってそうなっちゃったってことかな? うう、これが一番の悲劇かも〜。
握手の感触は一日中、まとわりついた。いや、今も生々しく...。
●跪いてビスクドールの足をお嘗め
って、見出しに意味ないです。宝野アリカさんのCDタイトル「跪いて足をお嘗め」と人形作家恋月姫さんのビスクドールを適当に混ぜてみただけ。
翌6月24日(日)の夜には、宝野アリカさんと恋月姫さんのトークショウが浅草橋であった。アリカさんは "ALI PROJECT" のボーカルと作詞担当で、「ローゼンメイデン」のオープニング主題歌「禁じられた遊び」、「聖少女領域」を歌っている。恋月姫さんの作るビスクドールとは、二度焼きの白磁器の人形のことで、19世紀ヨーロッパのブルジョア階級の間で流行ったアンティークドールは、これである。あ、はいはい、真紅もね。
私にとっては敷居が高いような気がして躊躇していたのだが、運命のいたずらか、はたまた真紅の企てか、間際になってKotoiっちがミクシィの日記で「チケットが余った」コールを発したのに何か必然的なものを感じ、譲り受けた。
来場者のほとんどが女性で、その大半がフリフリヒラヒラないでたち。華やかだ。ロリ服というのは、こういう場では正装なんだね。もんのすごい気合いを入れておしゃれしてきた感じがよく分かる。Kotoiっちのステンドグラスと天使を組み合わせた柄のロリ服は、恋月姫さんがデザインして "Baby the Stars Shine Bright" から販売されたものなのだそうで。茶系の色が品よく組み合わさり、胸の前の大きなリボンもめっちゃかわいい。
60名入るホールの正面と左右前方には、恋月姫さんのドールが12体ほど展示されてる。壁に掛けられた椅子に腰掛けていたり、ガラスの棺に寝かされていたり。私は前から四列目の一番左の席が陣取れたんで、長細い五角形の棺に目をつむって横たわる二体の人形がずっとそばにいて、生きているような暖かみが伝わってくる。まず、ALI PROJECT「聖少女領域」のプロモーションビデオ上映。恋月姫さんの人形を抱いて歌うアリカさん自身にもどこか人形のイメージが...。
< > (その動画)
続いて、アリカさん自作の童話「悲恋」の朗読。「これが恋なのね…」。ローソクの明かりだけの暗がりで、アリカさんが朗読を始める。すごくセクシーで優しく柔らかい声。物語の中に吸い込まれる。娼館に幽閉された少女。裕福なお屋敷に家族と住んでいたころのかすかな記憶。買われるなんてイヤ。誰か助けて! 窓越しにときおり見かける少年に恋をする。音の伝わらない会話を頼りに思いを通わせ、クリスマスイブについに少年は少女を助け出そうと打って出る。けれど、待ち受けていたのは、絶望の奈落。(Kotoi っち、ミクシィ日記から文章借りた、サンキュ!)
吊り下げられた裸電球が薄暗く灯り、お二人のトーク。アリカさんは肩と背中の開いた黒いドレスにミニハット、恋月姫さんはヒョウ柄のノースリーブロングワンピ。雑誌「夜想」の編集者だという司会者は大変饒舌な方で、人形を見た印象などを語りに語ってくれた。たまに恋月姫さんが短く言葉をはさみ、アリカさんは終始うなずいているだけ。世にも珍しい司会者のトークショウ。
恋月姫さんは、人形の崇高な美のイメージから、近寄りがたい孤高の人なのではなかろうかと勝手に想像していたが、それとはまるで裏腹に、気取ったところがまったくなく、決して大言壮語しないところがかえって印象的であった。「魂入れるとか入れないとかって、な〜にそれ?」とからから笑う。すごく具合が悪くて何もする気力が起きないときがあって、そういうときは人形作ることしかできなくて、いつの間にかできてたりするそうで。それを普通のことのように言うのがやけに可笑しい。
やっぱり上のほうから祝福されてて、大きな力が降りてくるのでは? アリカさんは最後に会場からの質問に答えて「生まれながらのアーティストなんて一人もいない。常に上を目指すことがアーティストでいられる資格」と言ったのが心に残った。
終了後に、人形を全部見て回る。立ち去りがたい思い。お迎えできたら幸せだろうな〜と思いつつ、恋月姫さんの人形って一体300万円もするんだよなぁ。はぁ〜っ(ため息)。だけど、もしビスクドールの真紅を作ってくれたら、後先考えずにお迎えするバカがぜったいいそうだ。(ここに)
●渋谷の地下の静寂空間「マリアの心臓」
翌週末6月30日(土)は渋谷のドールミュージアム「マリアの心臓」へ。
< http://mariacuore.com/
>
5月12日(土)〜7月1日(日)、多くの人形作家の作品を集結させた展示会「maria † mare 人形と絵画による受胎告知」が開かれた。
ホラーな人形だらけなので、蚤の心臓をお持ちの方には向かないかも。私も自慢できるほどの心臓はないが、天野可淡さんのドールが見たくて行った。可淡さん(女性)は、吉田良氏の主宰する人形教室「ピグマリオン」のスタッフだったが、'90年に交通事故に遭い、30代の若さで他界している。
エレベータで地下一階に下りて左手に進むと、もうそこが会場で、所狭しと人形が展示されている。人形の間を通り抜けるにも、そ〜っと気をつけて、という感じで。一番奥の左右に、可淡ドールが6体。
右側手前には顔がシャム猫のドール。頭には黒い大きなリボン、目が離れ、笑っているような表情。黒いロングドレスが誇り高き貴婦人のよう。その右には全裸の少年。首をちょっと傾げ、かわいい感じの丸顔。すんごくリアル。その奥には「妖精」。身を屈め、何かを狙うように顔を横に向ける。とんがり耳、目は青くつり目。少し覗いた歯は鋭そう。背にはアゲハ蝶のような大きな羽。炎のように、上に向かって鋭く。
左側手前には「星を見上げる少女」。薄物をまとった体は、骨に皮がついただけのようにやせこけている。胸は膨らみ始めの、小さくとんがった感じ。跪き、絶望した表情で天を仰いでいる。その左側、鉄枠にかけられた黒いレースのカーテンの奥に、全裸の少女。ほぼ等身大と言ってもいいほど、大きい。照明が暗く、顔がよく見えない。ふたつの人形の間を身をよじって進んだ奥にはもう一体、少女が。顔はうつむき加減。表情が何とも言えず怖く、一度目を離して再び見ると、その度ごとに、あらためて驚かされる。
手前の方には恋月姫さんの人形も何体か。目から血の涙を流しているのが二体ほど。体がくっついた双子も。左右の壁には四谷シモン氏の人形も 一体ずつ。少年と少女。一番奥には、木村龍氏の人形が二体。腹に大きく楕円形の穴が開き、中は空洞になっていて、小さな人形がいる。
その手前、全体のほぼ中央には、三浦悦子さんの少女人形が横たわる。両太腿にはぐるりと釘が打ち込んであり、さびが流れたように色づけしてある。また、アソコの割れ目の両脇には、微小な穴が点々と連なり、縫合して抜糸した跡ということらしい。細い針金がからまった十字架を両手に持ち、その下端が割れ目の上端付近に接触している。目はとろんと半分閉じて虚ろ、歯は下唇を噛んでいる。
身も蓋もない言い方をすれば、エロ・グロである。だけど、そうと片付けられない何かがある。確かに、この種のインパクトをもって人の気を引こうとするのであれば、あたかもウケないお笑い芸人が最後にはくすぐってでも笑わせようとするかのごときもので、安直・堕落のそしりを免れない。しかし、この作品を目にして安直と評しては、いかにも的外れ。作者の真剣な姿勢から生み出された美が間違いなくある。かと言って、これは芸術なのだから、エロとは別次元のものであるという、俗界から切り離された超越の高みでもない。エロを限りなく肯定した先に成り立つ美がそこにある。
いくつかの人形は常設なので、明日からの絵画展でも見ることができる。
●おまけ、人間の人形
その日の夜は、中野にあるバー "Two Face" へ。5月19日(土)にオープンしたばかりのゴシックなお店。じゃらっと鎖が飾りつけられた入り口のドアを開けると、黒塗りの壁に分厚く赤いカーテン。奥のガラスケースの中には由良瓏砂さんによる人形が2体。30cmほどの背丈なのに、とてもリアル。会話ができそう。
給仕するのは、みずからを「ドール」と呼ぶ人間の女性たち。黒を基調として、赤の入ったゴシックないでたち。店がオープンしたとき、ローゼンメイデンのドールたちに扮して秋葉原や中野を練り歩いたらしい。やるなぁ。
< http://www.two-face666.com/
>
< http://www.akibablog.net/archives/2007/05/rozen_maiden_cosplay_070505.html
>
【GrowHair】GrowHair@yahoo.co.jp
カメコ。6月30日(土)、秋葉原で500人規模のデモ行進があったらしい。「6・30 アキハバラ開放デモ」。メイドや涼宮ハルヒなどのコスチュームで「マスコミのオタク偏見報道反対!」などの主張を掲げる。これにはオタクの側からもネットで批判の集中砲火。「迷惑」「キモい」「オタクのイメージをかえって下げる」「頭悪い」などなど。うーん。どうやら私は頭悪い側のようで、「よくやった! 面白い!」と思えてしまうのであった。
< http://www.akibablog.net/archives/2007/07/akihabara-070701.html
>
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■セミナー案内
RIAコンソーシアム・ビジネスセミナーVII
〜戦略と技術、仕掛ける思いとそれを支えるスキル〜
< http://www.ria-jp.org/information/20070710.html
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< https://bn.dgcr.com/archives/20070706140200.html
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「戦略」の観点から、話題になった「スゴイ地図」のリクルート社から、当時の想いと半年以上経過した今の想いを。「技術」からは、一部では枯れた技術と言われながらもWeb界の表現を一気に変化させた感のある「Ajax」。そして、もはや誰も無視できないケータイにおけるRIAの状況を、Flash liteを中心に、動向や問題点などをお伝えしたいと思います。(サイトより)
日時:7月10日(火)14:00〜16:50(13:45より受付開始)
会場:アジュール竹芝 天平の間(東京都港区海岸1-11-2 TEL.03-3437-5566)
< http://www.hotel-azur.com/access.html
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定員:120名(先着順)
参加費:お一人様 3,000円(事前振込み制)
主催:RIAコンソーシアム
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■イベント案内
デジクリ主催「クリエイターの夢 実現に向けて」吉川惣司+川口孝司
< https://bn.dgcr.com/archives/20070629140100.html
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日時:7月13日(金)18:00〜20:30
会場:扇町インキュベーションプラザ メビック扇町(大阪市北区南扇町6-28 水道局扇町庁舎2階)
< http://www.mebic.com/access/
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入場料:4,000円(交流会費2,000円含む)
内容:ゲーム・アニメ等、デジタルエンターテインメントのクリエイターが進めているプロジェクト事例や経緯、裏話などを対談形式で紹介。制作中の手塚治虫アニメ「ブッダ」、音楽をテーマにしたオンラインゲーム「クロスロード(仮)」、バーチャルライブ合成システム「なれるんです・あなたも主役(仮)」などを紹介。
スピーカー:
吉川惣司/東京都出身のアニメ監督、脚本家、演出家、アニメーター、舞台演出家。鉄腕アトム・あしたのジョー・天才バカボン・ルパン三世・ベルサイユのばら・太陽の牙ダグラム・装甲騎兵ボトムズ・沈黙の艦隊ほか。
< http://ja.wikipedia.org/w/index.php?oldid=12829727
>
川口孝司/アニメプロデューサー、ゲームプロデューサー。ポケットモンスターイベント立案・実行。映画の巻頭に流れるCMのプロデュースなど。
< http://www.nintendo.co.jp/nom/0007/kawaguti/
>
< http://www.jmdb.ne.jp/person/p0562580.htm
>
お申し込み・問い合わせ:デジタルクリエイターズ 山本修までメールにて。
< mailto:osamuchi@ca3.so-net.ne.jp >
※名前(漢字・ふりがな)・住所・連絡先TEL・E-mailアドレス・勤務先を明記の上、お送りください。締切7月10日(火)。定員に達し次第締切。
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■編集後記(7/6)
・若い頃から北杜夫が好きでいろいろ読んでいた。高校生のときは文体を真似ていた。外国に旅するとき鞄に入れるのは文庫本の「楡家の人びと」だった。北杜夫自身が躁うつ病であることをネタにしてエッセーを書いていたので、そういう病気のあることを知ったのは早い。しかし、あけすけでユーモラスな筆致から深刻な病気とは思わなかった。躁を称する時期は異常に陽気でハイテンション、うつのときは意気消沈して気弱で愚痴っぽい、これは北の演ずるキャラクターであろうと思っていた。知り合いがちょっとおかしな状態になって、やがて回復するのを見て、これがうつ病なのかと知ったのもそんなに遠くない過去である。いま読売新聞で「わたしのうつノート」という連載がある。39歳になる記者の数年にわたる躁うつ病体験を赤裸々に描いたもので、非常に興味深いが同時にとってもこわい。躁うつ病は「双極性障害」ともいい、躁状態とうつ状態を繰り返し、回復しても再発することが多いそうだ。まさしく、その記者も北杜夫もそんな状態であった。統計によれば若年で発症する例が多いという。じゃ、わたしは年寄りだから大丈夫かと思ったりする。その連載で「うつの思考10パターン」(NTT東日本関東病院のテキスト)というチェックシートがあって、やってみたらどうやら10パターンにひとつも属していないようで、とりあえずうつちゃん系はOKと自信を持ったのであった。まあ、自分なりの判断だからあてにならないが。また北杜夫を読むか。(柴田)
・昨日「明光アタマ体操第二よ〜い!」を紹介した。あのFlashは森さんが作られたことを知りびっくり。世間は狭いっす。いつも後記まで読んでくださっていてありがとうございます! ここのCMが好きなので、うらやましいな〜。携帯版は二問目までは余裕で行ったが、三問目でつまずく。難しい〜。/「Googleブック検索」日本語版開始。「太宰治」で検索すると中国語の本までひっかかる。全文読めるものにはどんなのがあるのだろうと、発行年を範囲指定してみる。「アンクル・トムの小屋」英語版が全ページ見られた。版違いまである。スキャンした画像とともに、PDFダウンロード、テキスト表示、ワード検索ができちゃう。凄すぎ。黒人への仕打ち挿絵ひどすぎ。最近の書籍なら、アマゾンやらへの購入用リンクもあり。偶然にもコラムを連載してくださっている上原ゼンジ氏の書籍が出てきてびびる。最近は出版社公式やアマゾンの「なか見!検索」があって、中身の一部が見られるのは普通になりつつあるけど、Googleのは規模が大きくなりそう。世界中の古い文献がネットで調べられたら、研究者達は助かるね。今はまだ日本語の書籍登録は少ないけど、これから増えたらどうなることやら。脅威だ。/カンブリア宮殿に株式会社ポケモンの石原恒和氏登場。9日放送予定。ポケモンプロデューサーの川口孝司氏はデジクリイベントに登場。吉川惣司氏とのトークセッションを見に来てね! 興味のありそうな人にも知らせてあげてください〜。(hammer.mule)
< http://www.ymori.com/
> 森巧尚氏公式サイト
< http://books.google.co.jp/
> Googleブック検索
< http://www.tv-tokyo.co.jp/cambria/
> カンブリア宮殿
< https://bn.dgcr.com/archives/20070629140100.html
> イベント
< http://www.nintendo.co.jp/nom/0007/kawaguti/
> ポケモン誕生秘話
< http://ja.wikipedia.org/w/index.php?oldid=12829727
>
吉川惣司氏の作品を見たことがない人はいないだろう。時代の証言者だ。