●朝日新聞の記事で甦らせたラストシーン
もう五十年近く昔のことだが、父と母が必ず見るテレビ番組があった。昭和三十八年(1963年)の八月から始まり、昭和五十年(1975年)の九月に終了した「夫婦善哉」である。僕はずっと「めおとぜんざい」だと思っていたのだが、「テレビ史ハンドブック」という資料の索引には「ふ」の項目に載っていた。「ふうふぜんざい」と読むのか?
何曜日だったかは覚えていない。土曜日か日曜の放送だったのではないだろうか。夜も遅い放映時間だと思っていたが、その頃、僕は夜の九時以降はテレビを見せてもらえなかったから、そう記憶しているだけかもしれない。その放送が始まると、父と母はテレビの前にじっくりと腰を据えた。そして、兄と僕には「早く寝なさい」と言った。
だから、その番組のオープニングしか僕は記憶にない。ノレンをくぐってミヤコ蝶々と南都雄二が現れた。南都雄二が現れるたびに、母は「蝶々さんが『何という字?』ってばかり聞いていたから、それを芸名にしたんやて」と僕に解説した。毎回、様々な夫婦が登場し、ミヤコ蝶々と南都雄二のふたりを相手にトークを展開する番組だった。
もう五十年近く昔のことだが、父と母が必ず見るテレビ番組があった。昭和三十八年(1963年)の八月から始まり、昭和五十年(1975年)の九月に終了した「夫婦善哉」である。僕はずっと「めおとぜんざい」だと思っていたのだが、「テレビ史ハンドブック」という資料の索引には「ふ」の項目に載っていた。「ふうふぜんざい」と読むのか?
何曜日だったかは覚えていない。土曜日か日曜の放送だったのではないだろうか。夜も遅い放映時間だと思っていたが、その頃、僕は夜の九時以降はテレビを見せてもらえなかったから、そう記憶しているだけかもしれない。その放送が始まると、父と母はテレビの前にじっくりと腰を据えた。そして、兄と僕には「早く寝なさい」と言った。
だから、その番組のオープニングしか僕は記憶にない。ノレンをくぐってミヤコ蝶々と南都雄二が現れた。南都雄二が現れるたびに、母は「蝶々さんが『何という字?』ってばかり聞いていたから、それを芸名にしたんやて」と僕に解説した。毎回、様々な夫婦が登場し、ミヤコ蝶々と南都雄二のふたりを相手にトークを展開する番組だった。
僕が小学生のときに始まった「夫婦善哉」は十年以上続き、やがて僕も同席を許されるようになった。しかし、僕にはその番組がまったくおもしろくなかったのに、父と母はときに涙ぐんでいることがあった。特に戦前からの苦労話や、満州からの引き上げ話などを聞くと父と母は沈黙し、じっとブラウン管を見つめていた。
ミヤコ蝶々という人を覚えたのは、その番組が最初だったかもしれない。しかし、その頃、他の番組にも彼女は多く出演していたから、その芝居のうまさは幼い僕にもよくわかった。数ヶ月前、ミヤコ蝶々の一生をテレビドラマ化した番組をきれぎれに見たが、久本雅美のミヤコ蝶々と山本太郎の南都雄二にはあまりなじめなかった。
ただ、ミヤコ蝶々という人の生い立ちがある程度わかった。そんな下地があったから、先日、六月三十日の朝日新聞beに掲載されている「愛の旅人」シリーズでミヤコ蝶々と南都雄二が取り上げられていたとき、興味を持って読んだのだ。その記事には特に目新しいことは書いていなかったが、記事で取り上げていたのが寅さんシリーズの二作目「続・男はつらいよ」(1969年)だった。
「続・男はつらいよ」は、寅さん版「瞼の母」である。まだ「いい人」になっておらず「それが渡世人のつれぇところよ」と粋がっていた寅さんはヤクザの怖さを見せる。ひどく喧嘩っ早い。生みの母のミヤコ蝶々を尋ねると、彼女は業突張りのラブホテルの経営者である。「やかましいわい、このアホ。子を棄てる気持ちがテメェなんぞにわかるか」と、渥美清と怒鳴り合うミヤコ蝶々は相当な迫力だった。
朝日新聞の記事には「吹けば飛ぶよな男だが」に出演したときのミヤコ蝶々のエピソードが出てきた。その映画で、山田洋次は初めてミヤコ蝶々を使ったという。その記事を読んで、僕の脳裏にありありと浮かんできたシーンがある。「吹けば飛ぶよな男だが」──あの頃、僕はそうつぶやきながら新宿の雑踏を肩をそびやかして歩いていた。チンピラの青春に自分の鬱屈を重ねて…
●ちんぴらヤクザの悲しい青春を描く喜劇映画
「吹けば飛ぶよな男だが」は、昭和四十三年(1968年)に公開になった。脚本を書いたのは森崎東である。主演はなべおさみと緑魔子だった。寅さんシリーズを山田洋次が監督するのは、その翌年のことだった。なべおさみはヤクザのチンピラで、いつかいい顔になるつもりで半端なシノギに精を出している。
なべおさみが演じるチンピラは大阪駅で家出娘(緑魔子)を誘惑し、仲間たちと旅館へ連れ込む。ブルーフィルムの撮影をするつもりだったのだが、気のいい(というよりヤクザとしては気が弱い)主人公は泣きわめく娘に同情し、仲間を裏切って娘を連れて逃げ出す。やがてふたりは愛し合うようになる。
その頃、なべおさみは「シャボン玉ホリデー」というテレビ番組で人気が出ていた。クレージー・キャッツの安田伸と組んだ映画監督コントで顔が売れたのだ。ハンチングをかぶりニッカボッカーという昔風の映画監督の恰好をしたなべおさみが、助監督の安田伸を「ヤスダー」と呼びつけてメガホンで頭を思いっきり叩くというコントである。
それでも、なべおさみは映画の主演者としては新人だった。扱いはB級の添え物映画だった。上映時間も九十一分で、典型的なB級映画である。しかし、その映画は四十年近く経っても僕の心に刻み込まれている。あの映画が描き出した何か、僕の心を打った何かが、今も僕の中に残っているのだ。
僕は初期の山田洋次作品が好きだった。その中にある強い怒りのようなものに反応したのだと思う。「馬鹿まるだし」「馬鹿が戦車でやってくる」「なつかしい風来坊」など、社会から疎外される人間を主人公にした作品群は、哀しみに充ちた怒りを感じさせた。その中でも僕の心に最も強く残っているのは、「吹けば飛ぶよな男だが」が描き出すたとえようのない青春の切なさだった。
それだけに、「男はつらいよ」シリーズが国民的な人気を得て、怒りを失ってしまった山田洋次作品が僕には許せない。見る気にならないのだ。それが、山田洋次に対しての理不尽な批判だと自覚はする。自覚はするが、ダメなものはダメである。かつて尊敬していた先輩の堕落した姿を見せつけられるようで、哀しみが募る。あの頃の輝きはどこへいったのだ…、と嘆く。
「吹けば飛ぶよな男だが」は、脚本を担当した森崎東の虐げられた者たちを描き続ける視点と、山田洋次の優れた演出力が出会い忘れられない映画になった。登場するのは、ヤクザ、娼婦、トルコ風呂の女将など、社会の底辺に生きる者たちだ。強姦され妊娠していながら、ヤクザのためにブルーフィルムに出演させられる娘がヒロインという救いのない設定である。
それでも、「吹けば飛ぶよな男だが」は喜劇であらねばならなかった。観客を笑わさなければならなかった。ところどころにギャグを散りばめ、犬塚弘や有島一郎、ミヤコ蝶々といったベテランの俳優たちが泣かせて笑わせる演技を見せた。しかし、その喜劇が伝えてきたものは「生きる切なさ」に他ならなかった。チンピラヤクザの「吹けば飛ぶよな生き方」を、その映画は共感を込めて描いたのだった。
●演じる人間が持つ小物ひとつにも意味がある
チンピラヤクザのなべおさみとその恋人をかばうトルコ風呂(朝日新聞の記事では「ソープランド」になっていたけれど、その頃、そんな言葉はなかった)の女将を演じたのがミヤコ蝶々だった。ラストシーンで、彼女は外国船に乗って新天地を目指す主人公に「これに気いつけや」と小指を立て、なべおさみにコンドームの箱を投げる。
その撮影のときに山田洋次監督は「コンドームは持ってきたのか。薬局で買ってきたのか。どっちが自然でしょ。買ってきたのなら包装してないと…」と、ミヤコ蝶々に聞いたという。そのエピソードは、さすがに山田洋次はただ者ではないと思わせた。小道具ひとつに意味がある。その小道具の背景を明確にすることで、役に別の意味が出る。もちろん演出も変わる。
その問いに、ミヤコ蝶々は「そんなこと簡単や。わてが使ってんのや、バッグに入ってんのや」と答えた。ミヤコ蝶々の役は、セックス産業の経営者である。元は風俗の世界で生きてきたのだろう。時代的に言えば、赤線で商売していたのかもしれない。だが、彼女の役は、もうそんな男女の世界から卒業しているイメージだった。だからこそ若いふたりを暖かく見守っていられる。
──山田さんは「ぎょっとした」。女将は生身の女、現役なのやと言うのだ。「人間の生き様を平然と、どかっとさらけ出す」。この人の激しい人生を思った。寅の母は彼女しかいなかった。
朝日新聞の記事は、そのエピソードをミヤコ蝶々自身の人生に重ね、いくつになっても女だったと強調するものとして使っていた。しかし、そうだろうか。彼女は役作りとして、そのように解釈したのではないのか。「わてが使ってんのや」という言葉は、その通りには受け取れないのではないだろうか。
少なくとも、「吹けば飛ぶよな男だが」のラストシーンでミヤコ蝶々が演じたのは、ある種の母親像だった。僕は朝日新聞の記事を読み、ラストシーンを甦らせながらそう思った。悲惨な話が続く「吹けば飛ぶよな男だが」だったが、喜劇である限りラストシーンは観客を笑わせて映画館を送り出さねばならない。
主人公の前途は多難かもしれない。しかし、そこには希望が感じられなければならなかった。だからこそミヤコ蝶々の演技は、明るく笑えるものであるべきだ。実の母親では言えない言葉をかけながら、母親の心情をにじませなければならない。そのギャップに笑いが生まれ、哀愁が漂う。ミヤコ蝶々は、その責任を見事に果たした。
ミヤコ蝶々の人間理解の深さは、その演技からもうかがえた。それらは、もしかしたら数え切れない夫婦の人生を聞くことで、より深まったのかもしれない。「夫婦善哉」を続けることで、様々な夫婦の歴史を聞き、ときにはもらい泣きをするほど感情移入する。自らは二度の結婚を失敗した女だったが、演技者としての財産は得ていたのではなかっただろうか。
ところで、「夫婦善哉」という言葉は子供にはむずかしく、「ぜんざい」という音だけで、僕は甘く煮た小豆を連想した。それが「夫婦は善い哉」という意味だと悟るのは、ずいぶん経った頃だ。同じ頃に、同名の映画があることも知った。原作は大阪の無頼派作家だった織田作之助である。とすれば、あのテレビ番組は、そのタイトルを借用したのだろうか。
映画「夫婦善哉」(1955年)は昭和三十年に公開され、森繁久弥の代表作になった。船場のぼんぼんである主人公は生活能力のないダメな男だが、森繁久弥の演技によって何とも言えない可愛らしさのある男になったと言われた。だからこそ、そんな男と離れられない芸者(淡島千景)の気持ちが観客に理解できるのだ。「頼りにしてまっせ、おばはん」というラストシーンのセリフが有名である。夫婦にはどんな形でも有り得ることを教えてくれる。
【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
七夕に姪の結婚式が京都の近くであり、そのまま大阪に住む兄の家に寄り、明石大橋を超えて四国まで足を伸ばす予定です。ということで、来週の原稿は休ませてもらいます。四国まではいつも飛行機なので、久しぶりの新幹線。「のぞみ」に乗るのはまだ二度目です。
●第1回から305回めまでのコラムをすべてまとめた二巻本
完全版「映画がなければ生きていけない」書店・ネット書店で発売中
第25回日本冒険小説協会特別賞「最優秀映画コラム賞」を受賞しました
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小説宝石」7月号に大沢在昌さんとの対談が載りました。「ハードボイルドがなければ生きていけない」というタイトルです。大沢さんの話の間に僕が「そうですね」と言っているだけのような対談ですが、大沢さんの映画やミステリへの愛がうかがえて面白いですよ。
ミヤコ蝶々という人を覚えたのは、その番組が最初だったかもしれない。しかし、その頃、他の番組にも彼女は多く出演していたから、その芝居のうまさは幼い僕にもよくわかった。数ヶ月前、ミヤコ蝶々の一生をテレビドラマ化した番組をきれぎれに見たが、久本雅美のミヤコ蝶々と山本太郎の南都雄二にはあまりなじめなかった。
ただ、ミヤコ蝶々という人の生い立ちがある程度わかった。そんな下地があったから、先日、六月三十日の朝日新聞beに掲載されている「愛の旅人」シリーズでミヤコ蝶々と南都雄二が取り上げられていたとき、興味を持って読んだのだ。その記事には特に目新しいことは書いていなかったが、記事で取り上げていたのが寅さんシリーズの二作目「続・男はつらいよ」(1969年)だった。
「続・男はつらいよ」は、寅さん版「瞼の母」である。まだ「いい人」になっておらず「それが渡世人のつれぇところよ」と粋がっていた寅さんはヤクザの怖さを見せる。ひどく喧嘩っ早い。生みの母のミヤコ蝶々を尋ねると、彼女は業突張りのラブホテルの経営者である。「やかましいわい、このアホ。子を棄てる気持ちがテメェなんぞにわかるか」と、渥美清と怒鳴り合うミヤコ蝶々は相当な迫力だった。
朝日新聞の記事には「吹けば飛ぶよな男だが」に出演したときのミヤコ蝶々のエピソードが出てきた。その映画で、山田洋次は初めてミヤコ蝶々を使ったという。その記事を読んで、僕の脳裏にありありと浮かんできたシーンがある。「吹けば飛ぶよな男だが」──あの頃、僕はそうつぶやきながら新宿の雑踏を肩をそびやかして歩いていた。チンピラの青春に自分の鬱屈を重ねて…
●ちんぴらヤクザの悲しい青春を描く喜劇映画
「吹けば飛ぶよな男だが」は、昭和四十三年(1968年)に公開になった。脚本を書いたのは森崎東である。主演はなべおさみと緑魔子だった。寅さんシリーズを山田洋次が監督するのは、その翌年のことだった。なべおさみはヤクザのチンピラで、いつかいい顔になるつもりで半端なシノギに精を出している。
なべおさみが演じるチンピラは大阪駅で家出娘(緑魔子)を誘惑し、仲間たちと旅館へ連れ込む。ブルーフィルムの撮影をするつもりだったのだが、気のいい(というよりヤクザとしては気が弱い)主人公は泣きわめく娘に同情し、仲間を裏切って娘を連れて逃げ出す。やがてふたりは愛し合うようになる。
その頃、なべおさみは「シャボン玉ホリデー」というテレビ番組で人気が出ていた。クレージー・キャッツの安田伸と組んだ映画監督コントで顔が売れたのだ。ハンチングをかぶりニッカボッカーという昔風の映画監督の恰好をしたなべおさみが、助監督の安田伸を「ヤスダー」と呼びつけてメガホンで頭を思いっきり叩くというコントである。
それでも、なべおさみは映画の主演者としては新人だった。扱いはB級の添え物映画だった。上映時間も九十一分で、典型的なB級映画である。しかし、その映画は四十年近く経っても僕の心に刻み込まれている。あの映画が描き出した何か、僕の心を打った何かが、今も僕の中に残っているのだ。
僕は初期の山田洋次作品が好きだった。その中にある強い怒りのようなものに反応したのだと思う。「馬鹿まるだし」「馬鹿が戦車でやってくる」「なつかしい風来坊」など、社会から疎外される人間を主人公にした作品群は、哀しみに充ちた怒りを感じさせた。その中でも僕の心に最も強く残っているのは、「吹けば飛ぶよな男だが」が描き出すたとえようのない青春の切なさだった。
それだけに、「男はつらいよ」シリーズが国民的な人気を得て、怒りを失ってしまった山田洋次作品が僕には許せない。見る気にならないのだ。それが、山田洋次に対しての理不尽な批判だと自覚はする。自覚はするが、ダメなものはダメである。かつて尊敬していた先輩の堕落した姿を見せつけられるようで、哀しみが募る。あの頃の輝きはどこへいったのだ…、と嘆く。
「吹けば飛ぶよな男だが」は、脚本を担当した森崎東の虐げられた者たちを描き続ける視点と、山田洋次の優れた演出力が出会い忘れられない映画になった。登場するのは、ヤクザ、娼婦、トルコ風呂の女将など、社会の底辺に生きる者たちだ。強姦され妊娠していながら、ヤクザのためにブルーフィルムに出演させられる娘がヒロインという救いのない設定である。
それでも、「吹けば飛ぶよな男だが」は喜劇であらねばならなかった。観客を笑わさなければならなかった。ところどころにギャグを散りばめ、犬塚弘や有島一郎、ミヤコ蝶々といったベテランの俳優たちが泣かせて笑わせる演技を見せた。しかし、その喜劇が伝えてきたものは「生きる切なさ」に他ならなかった。チンピラヤクザの「吹けば飛ぶよな生き方」を、その映画は共感を込めて描いたのだった。
●演じる人間が持つ小物ひとつにも意味がある
チンピラヤクザのなべおさみとその恋人をかばうトルコ風呂(朝日新聞の記事では「ソープランド」になっていたけれど、その頃、そんな言葉はなかった)の女将を演じたのがミヤコ蝶々だった。ラストシーンで、彼女は外国船に乗って新天地を目指す主人公に「これに気いつけや」と小指を立て、なべおさみにコンドームの箱を投げる。
その撮影のときに山田洋次監督は「コンドームは持ってきたのか。薬局で買ってきたのか。どっちが自然でしょ。買ってきたのなら包装してないと…」と、ミヤコ蝶々に聞いたという。そのエピソードは、さすがに山田洋次はただ者ではないと思わせた。小道具ひとつに意味がある。その小道具の背景を明確にすることで、役に別の意味が出る。もちろん演出も変わる。
その問いに、ミヤコ蝶々は「そんなこと簡単や。わてが使ってんのや、バッグに入ってんのや」と答えた。ミヤコ蝶々の役は、セックス産業の経営者である。元は風俗の世界で生きてきたのだろう。時代的に言えば、赤線で商売していたのかもしれない。だが、彼女の役は、もうそんな男女の世界から卒業しているイメージだった。だからこそ若いふたりを暖かく見守っていられる。
──山田さんは「ぎょっとした」。女将は生身の女、現役なのやと言うのだ。「人間の生き様を平然と、どかっとさらけ出す」。この人の激しい人生を思った。寅の母は彼女しかいなかった。
朝日新聞の記事は、そのエピソードをミヤコ蝶々自身の人生に重ね、いくつになっても女だったと強調するものとして使っていた。しかし、そうだろうか。彼女は役作りとして、そのように解釈したのではないのか。「わてが使ってんのや」という言葉は、その通りには受け取れないのではないだろうか。
少なくとも、「吹けば飛ぶよな男だが」のラストシーンでミヤコ蝶々が演じたのは、ある種の母親像だった。僕は朝日新聞の記事を読み、ラストシーンを甦らせながらそう思った。悲惨な話が続く「吹けば飛ぶよな男だが」だったが、喜劇である限りラストシーンは観客を笑わせて映画館を送り出さねばならない。
主人公の前途は多難かもしれない。しかし、そこには希望が感じられなければならなかった。だからこそミヤコ蝶々の演技は、明るく笑えるものであるべきだ。実の母親では言えない言葉をかけながら、母親の心情をにじませなければならない。そのギャップに笑いが生まれ、哀愁が漂う。ミヤコ蝶々は、その責任を見事に果たした。
ミヤコ蝶々の人間理解の深さは、その演技からもうかがえた。それらは、もしかしたら数え切れない夫婦の人生を聞くことで、より深まったのかもしれない。「夫婦善哉」を続けることで、様々な夫婦の歴史を聞き、ときにはもらい泣きをするほど感情移入する。自らは二度の結婚を失敗した女だったが、演技者としての財産は得ていたのではなかっただろうか。
ところで、「夫婦善哉」という言葉は子供にはむずかしく、「ぜんざい」という音だけで、僕は甘く煮た小豆を連想した。それが「夫婦は善い哉」という意味だと悟るのは、ずいぶん経った頃だ。同じ頃に、同名の映画があることも知った。原作は大阪の無頼派作家だった織田作之助である。とすれば、あのテレビ番組は、そのタイトルを借用したのだろうか。
映画「夫婦善哉」(1955年)は昭和三十年に公開され、森繁久弥の代表作になった。船場のぼんぼんである主人公は生活能力のないダメな男だが、森繁久弥の演技によって何とも言えない可愛らしさのある男になったと言われた。だからこそ、そんな男と離れられない芸者(淡島千景)の気持ちが観客に理解できるのだ。「頼りにしてまっせ、おばはん」というラストシーンのセリフが有名である。夫婦にはどんな形でも有り得ることを教えてくれる。
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