自分が好きな音楽家を一人あげるとすれば、それはジャズ/フュージョン界で活躍しているギタリストのパット・メセニーでしょうか。
彼はワーナーブラザースジャパンの公式サイトによれば、1954年8月12日アメリカのカンザス・シティ生まれの現在53才。13才の時から独学でギターを始め、18才でバークリー音学院で講師を勤め、72年にヴァイブ奏者のゲイリー・バートンに見い出され…、とあります。
私とは違って、迷いがなく、ストレートに自分の音楽道をまっしぐらに進んでいる感じがして、実に気持ちのいい履歴です。彼の音楽を聞くと、自分に羽が生えてどこかに飛んで行けるようなイメージがします。浮遊感という事でしょうか。
彼はワーナーブラザースジャパンの公式サイトによれば、1954年8月12日アメリカのカンザス・シティ生まれの現在53才。13才の時から独学でギターを始め、18才でバークリー音学院で講師を勤め、72年にヴァイブ奏者のゲイリー・バートンに見い出され…、とあります。
私とは違って、迷いがなく、ストレートに自分の音楽道をまっしぐらに進んでいる感じがして、実に気持ちのいい履歴です。彼の音楽を聞くと、自分に羽が生えてどこかに飛んで行けるようなイメージがします。浮遊感という事でしょうか。
また、かつて、お気に入りだったアーティストにジャン・ミッシェル・フオロン(Jean-Michel Folon)という作家がいて、彼の作品を見ていてもそれに共通する感じがありました。当時の自分にも社会にも、浮遊感とか希望に輝く未来のようなものが巷に漂っていたのかもしれません。
そのメセニーの音楽を初めて聞いたのは、80年にサンフランシスコにいた時ですからもう30年以上の月日が流れました。たぶん彼のアルバム「アメリカンガレージ」あたりに収録されていた曲が現地のFM局から流れて来て、彼の弾くエレクトリックギターの心地よい音色に小さな興奮を覚えたものでした。
そのサンフランシスコでは、安ホテルで知り合った日本人三人が共同でアパートを借りるという事になり、頼んでそのアパートに食費だけ払って居候させてもらっていました。彼らはカナダのりんご農園で収穫の短期アルバイトを終えて、当地に舞い戻って来たところで、出来ればアメリカに永住もしたいと語っていました。
20代前半から後半の彼らは何年も前にアメリカに渡り、その後、違法だけれど、行く先々で仕事を見つけながら、自由に暮らしているんだとも話してくれました。当時のアメリカには、そんな風な日本人を各地で見かけました。よそ者でもなんなく働け、バイト代が驚く程高かったですね。バイト先の日系人のおばさんは、アルバイト料を一週間単位で払ってくれました。
バイトの内容は、日本から船便で届いた鑑賞用の魚の餌(海老のプランクトン)をもみほぐすという単純作業だったのですが、50ドル以上もらってました。私のような観光者や、現地の大学に通っている日本人達約10人が、けっして明るくない倉庫のえびせんのような臭いの中で、しけって固くなった餌を手で粉状にしました。昼飯はレストランに連れていってもらいました。一日六時間程度の楽な作業でしたので、私にとっては夢のような状態でした。
さて、シスコのアパートでは夜な夜なクアーズやバドワイザーを呑みながら、FM局から流れてくるメセニーやクルセイダースの音楽に合わせて、即興で二人がギターを弾き、一人が小さな太鼓をたたいてライブの真似事のようにして楽しんでいました。ジャズやフュージョンのライブにも行ったりで、それは愉快な日々を過ごしました。
その後、やはり家賃を払わなかった事が問題になり、アパートを追い出された私はサンフランシスコの街を出て、アメリカ各地を約60日間、グレイハウンドバスを足と寝床にしながら巡ったのでしたが、バスの車窓からメセニーのアルバム[アメリカン ガレージ]のジャケットに写っているエアーストリームというジュラルミン製で紡錘形のキャンピングカーをよく見かけ、この国の豊かさを、国土の広さを身にしみて感じた半年でもありました。
帰国後、浦島太郎状態から現実に戻った私は、頭をリクルートカットにし、着慣れないスーツを着て就職のためにデザイン事務所を回り、やっとある事務所にデザイナーとして就職し、その後イラストレーターに転向し早くも23、4年が過ぎてしまいました。
81年当時は御存じの通り、経済も右肩上がりで将来に不安を抱く事のない良い時代でした。そんな時代も終わりを告げ、現在私には厳しい時代ですが、楽しい過去の思い出があるから、今をなんとか前や後ろや右や左を向きつつもやっていけているのでしょう。
先日、レンタルビデオ屋でルーカス監督の「アメリカン・グラフィティ」を借りて見ていたのですが、アメリカでの青春時代と映画がオーバーラップしてとても懐かしい気分になりました。
しかし、自分の心の中にいくつものクエスチョンマークが付き、今ではアメリカという国に再び訪れたいとは思わなくなりましたが、一生分のFREEDOMというやつを満喫させてくれ、一時は神のように崇めたパット・メセニーや数多くの才能あるアーティストが住んでいる国を嫌いになるわけにもいかないかとも思っている今日この頃です。
【いとう・のぶや】senya@sage.ocn.ne.jp
イラストレーター 1956年 京都府福知山市生まれ。
2006年1月銀座ギャラリーにて「KISS展」参加、9月O美術館にて「ディジタル・イメージ2006・15周年記念展」参加、9月ギャラリー80にて「伊東宣哉/葉月慧2人展 流れる花と揺れる人展」開催、11月日本の鬼の交流博物館にて「流れる花展」開催
2007年夏〜08年3月 日比谷/三信ビル ストリートギャラリー参加予定
ディジタル・イメージ会員 日本児童出版美術家連盟会員
< http://www6.ocn.ne.jp/%7Esenya/
>
●プレゼンにお使いになる為に私のイラストが必要な場合は、ポストカードサイズのイラスト見本をお送りしますので、ご希望の方は私までメールにてご連絡ください。返却不要のものです。
※尚、ご請求は企業の広報、宣伝部、企画部、代理店、出版社、制作会社、フリーデザイナー・編集者などの方に限らせていただきます。
そのメセニーの音楽を初めて聞いたのは、80年にサンフランシスコにいた時ですからもう30年以上の月日が流れました。たぶん彼のアルバム「アメリカンガレージ」あたりに収録されていた曲が現地のFM局から流れて来て、彼の弾くエレクトリックギターの心地よい音色に小さな興奮を覚えたものでした。
そのサンフランシスコでは、安ホテルで知り合った日本人三人が共同でアパートを借りるという事になり、頼んでそのアパートに食費だけ払って居候させてもらっていました。彼らはカナダのりんご農園で収穫の短期アルバイトを終えて、当地に舞い戻って来たところで、出来ればアメリカに永住もしたいと語っていました。
20代前半から後半の彼らは何年も前にアメリカに渡り、その後、違法だけれど、行く先々で仕事を見つけながら、自由に暮らしているんだとも話してくれました。当時のアメリカには、そんな風な日本人を各地で見かけました。よそ者でもなんなく働け、バイト代が驚く程高かったですね。バイト先の日系人のおばさんは、アルバイト料を一週間単位で払ってくれました。
バイトの内容は、日本から船便で届いた鑑賞用の魚の餌(海老のプランクトン)をもみほぐすという単純作業だったのですが、50ドル以上もらってました。私のような観光者や、現地の大学に通っている日本人達約10人が、けっして明るくない倉庫のえびせんのような臭いの中で、しけって固くなった餌を手で粉状にしました。昼飯はレストランに連れていってもらいました。一日六時間程度の楽な作業でしたので、私にとっては夢のような状態でした。
さて、シスコのアパートでは夜な夜なクアーズやバドワイザーを呑みながら、FM局から流れてくるメセニーやクルセイダースの音楽に合わせて、即興で二人がギターを弾き、一人が小さな太鼓をたたいてライブの真似事のようにして楽しんでいました。ジャズやフュージョンのライブにも行ったりで、それは愉快な日々を過ごしました。
その後、やはり家賃を払わなかった事が問題になり、アパートを追い出された私はサンフランシスコの街を出て、アメリカ各地を約60日間、グレイハウンドバスを足と寝床にしながら巡ったのでしたが、バスの車窓からメセニーのアルバム[アメリカン ガレージ]のジャケットに写っているエアーストリームというジュラルミン製で紡錘形のキャンピングカーをよく見かけ、この国の豊かさを、国土の広さを身にしみて感じた半年でもありました。
帰国後、浦島太郎状態から現実に戻った私は、頭をリクルートカットにし、着慣れないスーツを着て就職のためにデザイン事務所を回り、やっとある事務所にデザイナーとして就職し、その後イラストレーターに転向し早くも23、4年が過ぎてしまいました。
81年当時は御存じの通り、経済も右肩上がりで将来に不安を抱く事のない良い時代でした。そんな時代も終わりを告げ、現在私には厳しい時代ですが、楽しい過去の思い出があるから、今をなんとか前や後ろや右や左を向きつつもやっていけているのでしょう。
先日、レンタルビデオ屋でルーカス監督の「アメリカン・グラフィティ」を借りて見ていたのですが、アメリカでの青春時代と映画がオーバーラップしてとても懐かしい気分になりました。
しかし、自分の心の中にいくつものクエスチョンマークが付き、今ではアメリカという国に再び訪れたいとは思わなくなりましたが、一生分のFREEDOMというやつを満喫させてくれ、一時は神のように崇めたパット・メセニーや数多くの才能あるアーティストが住んでいる国を嫌いになるわけにもいかないかとも思っている今日この頃です。
【いとう・のぶや】senya@sage.ocn.ne.jp
イラストレーター 1956年 京都府福知山市生まれ。
2006年1月銀座ギャラリーにて「KISS展」参加、9月O美術館にて「ディジタル・イメージ2006・15周年記念展」参加、9月ギャラリー80にて「伊東宣哉/葉月慧2人展 流れる花と揺れる人展」開催、11月日本の鬼の交流博物館にて「流れる花展」開催
2007年夏〜08年3月 日比谷/三信ビル ストリートギャラリー参加予定
ディジタル・イメージ会員 日本児童出版美術家連盟会員
< http://www6.ocn.ne.jp/%7Esenya/
>
●プレゼンにお使いになる為に私のイラストが必要な場合は、ポストカードサイズのイラスト見本をお送りしますので、ご希望の方は私までメールにてご連絡ください。返却不要のものです。
※尚、ご請求は企業の広報、宣伝部、企画部、代理店、出版社、制作会社、フリーデザイナー・編集者などの方に限らせていただきます。
- MY SELF―イトウノブヤ作品集
- 伊東 宣哉
- アース出版局 1996-05-10
- アメリカン・ガレージ
- パット・メセニー・グループ パット・メセニー ライル・メイズ
- ユニバーサルクラシック 2003-04-23
- おすすめ平均
- フュージョン好きのためのアルバム以上になっていない
- まさに抜けるような爽快感が感じられるアルバムです
- ジャズの限界を突き抜けた爽快感
- 変わらない疾走感
- ピアニスト、ライルメイズがアコピで頑張って◎
- The Conversation
- Jean-Michel Folon Milton Glaser
- Crown Pub 1983-12
- アメリカン・グラフィティ ― コレクターズ・エディション
- リチャード・ドレイファス ロン・ハワード チャールズ・マーティン・スミス
- ソニー・ピクチャーズエンタテインメント 2002-08-01
- おすすめ平均
- 青春映画の最高傑作!
- 最高の映画☆何度でも見ます
- 誰にでもある青い春
- 時代
- 60年代のカタログ
by G-Tools , 2007/07/17