[2479] 傷だらけになっても天使か

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<「これで負けたら笑えるよな〜」くらいの余裕が成功の秘訣かも?>

■映画と夜と音楽と…[385]
 傷だらけになっても天使か
 十河 進

■うちゅうじん通信[27]
 うちゅう人の成功の法則
 高橋里季

■マガジンガイド&プレゼント
 「Web Designing」2008年9月号 毎日コミュニケーションズ刊


■映画と夜と音楽と…[385]
傷だらけになっても天使か

十河 進
< https://bn.dgcr.com/archives/20080822140300.html
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●毎週土曜日の夜の苦渋に満ちた選択

1974年10月5日から翌年の3月29日まで、毎週、土曜日になると僕の煩悶は繰り返された。ずいぶん昔のことだけど、今でもあのときの気分はよく憶えている。僕には三つの選択肢があり、そのどれもが魅力的だった。それは僕に好きな女の子が三人いて、誰を選べばいいのかといった単純な話ではなかったのだ。

その三つの選択肢すべてを選ぶ方法は、10年後にはソニーとビクターによって実現する。さらに30年後には、それらがDVDボックスで発売されるなどとは夢にも思わなかった。オイルショックが日本を襲い、街のネオンが消えた時代の話だ。午前0時になると日の丸を映し「君が代」を流して放映終了を告知していたNHKだけではなく、民放までもが深夜放送を自粛した。

僕は大学4年だった。オイルショックによる大不況によって、学生には就職難の時代である。あの頃、僕は何通の履歴書を書いただろう。志を得られずに鬱屈し、自分が社会にまったく求められていないのだと感じていた。そんな僕の楽しみのひとつが、土曜の夜だった。TBSで放映されていた「必殺」シリーズである。その頃は「暗闇仕留人」が放映されていたと思う。

しかし、10月5日から日本テレビで「傷だらけの天使」が始まる。20数年たってもオマージュを捧げた映画版「傷だらけの天使」(1997年)が作られる伝説のドラマである。深作欣二、神代辰巳、恩地日出夫、工藤栄一など日本映画界の俊英たちが監督をするのが魅力だった。セクシーなシーンもふんだんにあり、中山麻里のストリップシーンも記憶に残っている。

「傷だらけの天使」は10時からの放映、「暗闇仕留人」は10時半からの放映だったはずだ。だから、「暗闇仕留人」の後半は見ることができた。しかし、年が明けた1月からは必殺シリーズ中の最高傑作に挙げられる「必殺必中仕事屋稼業」が始まり、僕の煩悶は深まった。

さらに、拷問のような苦しみを僕にもたらせたのは、「傷だらけの天使」と同日に始まり同日に終わった完全な裏番組が「六羽のかもめ」だったことである。倉本聰のテレビ業界を背景にした名作である。だが、CMの間にチャンネルをフジテレビに切り替えても、ほんのワンシーンを見ることができただけだった。

後に僕は「六羽のかもめ」のシナリオを読んだが、倉本さん絶頂期の名作だと思った。若き高橋英樹を現代劇に使い、加東大介や中条静夫といった名バイプレーヤーが活躍するドラマを見たいと僕は切望した。倉本さんは料理番組に出た高橋英樹が魚の尾頭を逆に置いたことだけで、一時間のドラマを作り上げるという名人芸を展開する。

「必殺」シリーズも僕には見逃せないものだった。シナリオを書いていた早坂暁、監督をしていた工藤栄一、彼らが作り出す物語、映像が好きだったのだ。撮影はすべて石原興。若手キャメラマンだった石原興のテクニックは驚異的だった。ゆっくりとしたズーミングをしながらパンをする、そのリズムはテレビの映像ではなかったし、陰翳の深さが見事だった。

しかし、6チャンネルの「必殺必中仕事屋稼業」も8チャンネルの「六羽のかもめ」も棄て、4チャンネルにダイヤルを合わせさせる魅力が「傷だらけの天使」にはあった。ヘッドホンとゴーグルをし、革ジャンを着たまま寝ていたショーケンが目覚めて朝食を摂るオープニングシーンは、そのテーマ曲と共に伝説になった。

皮肉なことに、「傷だらけの天使」で自由に生きるチンピラのイメージで若者たちの憧れるライフスタイル(ああ、メンズ・ビギよ!)を作り上げたショーケンは、半年後、同じ日本テレビの「前略おふくろ様」にマジメで口べたな板前見習として出演する。それは、「傷だらけの天使」の裏番組を書き続けた倉本聰さんの最高傑作になった。

●「傷だらけの天使」のオサムの30数年後の姿

今年の春、小説誌の増刊号で矢作俊彦さんの「傷だらけの天使 魔都に天使のハンマーを」が一挙掲載になったとき、最初に連想したのはトリニ・ロペスの「天使のハンマー」だった。僕はトリニ・ロペスよりピーター・ポール・アンド・マリーの方でよく聴いた。「もし私がハンマーを持っていたら…」と歌う半世紀近く前のヒット曲だ。

僕は以前から矢作俊彦さんの愛読者であることを表明してきたが、それは矢作さんの小説・エッセイ・マンガを読むと、同世代としての興味の在り方を感じて「わかる、わかる」という共感があるからだろう。要するに「趣味が合う」のだ。以前、月刊NAVIで矢作さんが「斎木犀吉が愛したクルマ」というコラムを書いていたが、斎木犀吉は僕の16の頃のヒーローだった。

しかし、月刊NAVIの読者は斎木犀吉が何者なのか、わからない人の方が多かったと思う。斎木犀吉は大江健三郎の「日常生活の冒険」の主人公なのだが、その小説は文壇的には無視されていたし、コアなファンはいても決して文学史的には重要ではない。だが、僕と仲間たちの間では斎木犀吉はヒーローであり、今もあり続けている。

さて、僕は「最後が泣ける」という中条省平さんのコメントを読んで「傷だらけの天使 魔都に天使のハンマーを」の単行本を買った。雑誌掲載のものを加筆訂正したとあるから、結局、その方がよかったと思うけれど、矢作さんもやはり「傷だらけの天使」が好きだったのだろうか。あのドラマを思い出すと、水谷豊が演じたアキラの「あにきぃ〜」という声が甦ってくる。

「傷だらけの天使 魔都に天使のハンマーを」の設定は、「ららら科學の子」に似ている。「ららら科學の子」は、東大闘争で警官に対する殺人未遂で手配された主人公が中国に逃れ30年後に日本に戻ってくる話だったが、「傷だらけの天使 魔都に天使のハンマーを」は、30数年後のオサムがある事件をキッカケに新宿に戻ってくる話である。

「ららら科學の子」は石原裕次郎主演の日活映画「二人の世界」(1966年)を下敷きにしている。「二人の世界」は殺人事件の犯人にされた主人公が時効直前に帰国し真犯人を探す物語である。「ららら科學の子」の名無しの主人公は偽造パスポートの名前を何にするか聞かれ、「フェリーノ・バルガス、だめなら北条修一にしてくれ」と言う。「二人の世界」で裕次郎が演じた名前だ。

「傷だらけの天使 魔都に天使のハンマーを」は、当然のことだが1975年3月29日に放映が終了した「傷だらけの天使」が下敷きになっている。物語は、30数年後、埼玉県近くの荒川土手でホームレスとして暮らしているオサムが目覚めるところから始まる。もちろん、朝食は「牛乳と食パンとコンビーフ」である。

オサムは、ことあるたびに昔のことを思い出す。それもアキラの死体をドラム缶に入れ、リヤカーに乗せて夢の島へ棄てたことを…。

●逆光で描かれた印象的なラストシーン

半年も続いたテレビドラマの最終回が印象的でないわけがない。「傷だらけの天使」は、様々なシーンを僕の記憶に残しているが、ことさら強く印象に残っているのは、ショーケンが演じたオサムが風邪から肺炎を併発して死んでしまったアキラの死体をドラム缶に入れ、リヤカーを引くシーンだ。

そのシーンは、逆光で撮られていた。ドラム缶を載せたリヤカーを引くオサムはシルエットだった。その逆光シーンが、アキラを死なせてしまった己への責めと後悔、たったひとり「あにきぃ〜」と慕ってくれたアキラの死に対する悲しみ、一度はアキラを棄てて海外へ逃げようとしたことの後ろめたさ、そんな諸々の感情を見る者に伝えてきた。

最終回の「祭りのあとにさすらいの日々を」は、工藤栄一監督の演出だった。逆光の好きな監督だ。逆光シーンは、工藤栄一印だった。工藤栄一監督が最初に「傷だらけの天使」を演出したのは、5回目の「殺人者に怒りの雷光を」である。オサムとアキラの仲間がひとりずつ殺されていくという話だった。

この回で有名なのは、岸田森が演じた辰巳が若者たちに代わって詫びを入れるとき、「これこの通り」といきなりカツラをとったことである。彼は頭を丸めていた。岸田森は独特の髪型をしているので、カツラだとは思っていなかったから僕は驚いた。しかし、実相寺昭雄監督の「あさき夢みし」(1974年)の撮影で剃髪したんだな、と僕は納得した。岸田森は法皇役を演じていた。

また、その回には何度か同じ逆光シーンが出てくる。雨上がりの夜のシーンだ。水たまりがある。路面も水たまりも夜の光を反映している。斜め俯瞰のカメラアングルだ。オサムやアキラが歩いてくる。光を反映する路面を背景にした逆光の中に、彼らのシルエットがゆらゆらと揺れるのである。

当時、時代劇からキャリアをスタートさせた工藤栄一監督は、映画が撮れない時期だった。「まむしの兄弟・二人合わせて三十犯」(1974年)の評判はよかったが、「その後の仁義なき戦い」(1979年)までの5年間、映画を撮っていない。その間、「傷だらけの天使」や「必殺」シリーズで映像を研ぎすませていたに違いない。

「影の軍団・服部半蔵」(1980年)には、「傷だらけの天使・殺人者に怒りの雷光を」と同じ逆光シーンがある。江戸の夜。雨上がりの水たまりのある街道だ。光を反映する路面を背景にした逆光の中、裏の半蔵(渡瀬恒彦)と表の半蔵(西郷輝彦)が話をする。その後、「ヨコハマBJブルース」(1981年)や「野獣刑事」(1982年)と続く作品群にも、それは受け継がれた。

しかし、それでも工藤栄一が作った最も抒情的な逆光シーンは、「傷だらけの天使」最終回のラストシーンだと思う。夢の島に着いたオサムは、リヤカーの引き手を跳ね上げ、走り出す。アキラの死体を入れたドラム缶が転がる。それらは影絵のようなシルエットで描かれた。

アキラを亡くし、ひとりで走り出したオサムが、その後、どういう人生を送ったのか…。そのひとつの答えを、矢作俊彦さんは「傷だらけの天使 魔都に天使のハンマーを」で提示してくれる。そして、高倉健の「健」と菅原文太の「太」をとって「健太」と名付けられたオサムの息子の人生も…。

「傷だらけの天使」が放映されていた半年間に、僕の生活は大きく変わった。暮れに受験した出版社から年明けに面接の通知があり、一次、二次と通過した僕は1月下旬に「いつから出社できるか」と訊かれ、「卒業試験が終わって1週間もすれば…」と答えたら、2月12日から出社することになった。

それから一ヶ月ほどが過ぎた3月25日、会社員の身でありながら特別休暇をもらって、僕は大学の卒業式に出た。まだ大学が荒れている頃で、普通の教室で学科ごとに集まり卒業証書を受け取るだけだった。ひとりだけ振り袖を着てきた女子学生は、ジーンズ姿の目立つクラスメイトの中では明らかに浮いていた。

「傷だらけの天使」の最終回が放映された1975年3月29日の夜、僕は大学の卒業証書を眺めながら、自分の学生生活を振り返っていた。東京に出てきて5年が過ぎていた。18だった僕は23になり、会社員としてひと月以上も勤めていた。あの夜、僕はひどく心細くなり、自分が生きていかなければならない長い時間を想像し、漠然とした不安を感じていた。

おそらく「傷だらけの天使」のラストシーンの切なさが、僕を感傷的にしたのだろう。しかし、あの夜から数えると、33年と5ヶ月が過ぎた。23歳だった僕は、もうすぐ57歳になる。振り返れば、あっという間だったが、人は自分の年齢を数えることでしか、過ぎ去った時間を実感することができないのかもしれない。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
昨秋、矢作俊彦さんの「マンハッタン・オプ」シリーズがソフトバンク文庫から全4巻で発行されました。その3巻目に解説を書かせていただく栄誉を賜りました。他の解説者は、坪内祐三、関口苑生、中条省三というビッグネームばかり。担当編集者が、僕がこのコラムで矢作さんのことをよく書いているのを読んで依頼してきたようです。

◎305回までのコラムをまとめた二巻本「映画がなければ生きていけない1999-2002」「映画がなければ生きていけない2003-2006」が第25回日本冒険小説協会特別賞「最優秀映画コラム賞」を受賞しました。
< http://www.bookdom.net/shop/shop2.asp?act=prod&prodid=193&corpid=1
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受賞風景
< http://homepage1.nifty.com/buff/2007zen.htm
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< http://buff.cocolog-nifty.com/buff/2007/04/post_3567.html
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■うちゅうじん通信[27]
うちゅう人の成功の法則

高橋里季
< https://bn.dgcr.com/archives/20080822140200.html
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果物売り場でドラゴンフルーツというのを見つけました。きれいな色でカワイイ果物なので、イラストレーションにしてみました。少しキャラクターな感じで描いてみたの。見てみてね。
< http://www.dgcr.com/kiji/riki/080822/riki_27_800 >
携帯用
< http://www.dgcr.com/kiji/riki/080822/riki_27_240 >

ドラゴンフルーツを、これどうやって食べるんだろう? と眺めつつ、オリンピックのこと、「成功の法則」のことを考えました。

本のベストセラーを見ると、どうも一番売れているらしいのは、マンガ、ジュニア小説と、「成功の法則」みたいなビジネスマインドポジティブやる気アップ系サクセス本みたい。

私も、「成功の法則」サクセス本は大好きなんだけど、あの手の本は、読みはじめると「同じ内容なのはわかっているのに、また買ってしまう」ようなところがあるので、自重。

だれかが成功した秘訣みたいなエピソードと、そのエピソードから成功のエッセンスをたとえば、1.自分の希望を明確にする 1.─(1)希望を紙に書いてみるとか、いろいろな方法が書いてあって、成功者の不思議なエピソードや、もうダメだ(事業の挫折など)と思ったときに、奇蹟的に起こるラッキーの話、そして巨万の富までのサクセスストーリーは、ワクワクの冒険ストーリーとして面白いんですね。

でね、こういうポジティブシンキングは、意志が現実化するという話がほとんど。だから、辛い時にも意志を持ちつづける方法が、おもな内容なの。全然、方法がないと思える時には、発想の転換をしたりとかね。

だけど、精神分析では、フロイドもラカンも、「無意識こそが現実化する」という考え方だと思うのよね。だいたい精神分析というのは、精神科の医師が、臨床で得た経験で、どうも「無意識こそが現実化するらしい。」っていう感じで考えたことなので、私はなんだか信用してるんだけど。

意志が現実化するのか、無意識が現実化するのか。私は、いつも「どっちが本当かなぁ。」と思う。無意識が現実化するというのは、たとえば、「しくじっちゃいけない。」と意識的に緊張すればするほどミスしてしまうとか。友達に誘われて、当たるわけないのに〜と思いつつ、つきあいで買った宝くじに当たっちゃうとか。

性犯罪者が言い訳に「相手(被害者)も性行為をホントウは望んでいると思った」なんて言うと誰でもゾッとするから、無意識の理論って、人気がないんだと思うけど、そんなのは誤解だと思う私。性犯罪者は、意識では性行為を望んでいるのだけど、無意識では、「常識」とか「社会」とか「関係」とか、観念的なことに関わりたいという要求があるんじゃないかな? と思っています。「観念に直接、触れる」なんて無理。そこが狂気。裁判官の前に立つことで無意識は達成される。だいたいは、異性との関係よりは、男社会での立場が、無意識的な問題なんじゃないかという気がします。

「どんな快感にも、無意識には抑圧された不快がある。」その「抑圧しようという精神的努力」こそが、愛と呼ばれるエネルギーなんだと思うの。大人の男でも女でも、愛している人でさえ、触れあうのは本当は恐いの。だけど我慢する。ずいぶん知り合って、安心している時には、我慢していることを意識しないくらい瞬間的に不快な気分を抑圧できるようになるかもしれない。

オリンピックの選手がプレッシャーを99%感じないで、だけど抑圧が強すぎてミスしたりしないように1%だけは勝負の恐さを意識して試合に挑んだりする(パーセンテージはイメージの数で根拠なし)のが、なんか、こうね、勝負を愛するエネルギーみたいに、カッコイイとか、感動的な訳だと思うの(基本的に、愛とか夢とか精神性とか勇気とか、そういう言葉自体が私は嫌いだけれども。言葉にすると、急に薄っぺらくなるような気がするの。だって、愛って、【LOVE】を無理矢理、日本語に訳した言葉らしいの。そういう違和感があるのね。きっと)。

「無意識とか精神分析の理論」を知らなくても、ヒトは、そういう精神構造をうまく使って、挑戦したり、冒険したりできるんじゃないかな〜と思います。無意識のデモーニッシュな魔力を知っているなら、意識的に野望を適度に抑圧する方法も研究できそうじゃない?

秩序を愛そうと思えば、無秩序を抑圧せざるをえない。論文だったら詩にはできないし、詩のような論文は、「失敗」と見なされるかも知れない。

そういえば、ラカンが、欲動、要求、欲求、欲望という言葉の意味さえ繊細に選り分けた視点が、無秩序をなんとか秩序づけて考えようとする科学者みたいだな、と思う。オリンピックの選手が筋肉の瞬発力のような、ほとんど無意識ゾーンのことを意識的にコントロールしようとする鍛練も、科学も、そしてクリエイティブの作業も、同じだな〜と思います。

どうなんでしょう?「これで負けたら笑えるよな〜」くらいの余裕が成功の秘訣かも? テレビでのオリンピックのニュースを「もう飽きてきちゃった。」と感じつつ、そんなことを考えました。

ちなみに最近の脳科学の本では、「〈意識〉ということが、まだ科学では解明されていない」って、書いてあったけれども。

【たかはし・りき】イラストレーター。riki@tc4.so-net.ne.jp

・高橋里季ホームページ
< http://www007.upp.so-net.ne.jp/RIKI/
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■マガジンガイド&プレゼント
「Web Designing」2008年9月号 毎日コミュニケーションズ刊
< http://book.mycom.co.jp/wd/
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< https://bn.dgcr.com/archives/20080822140100.html
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<編集部より>

「Web Designing」編集部の小林です。皆さん、こんにちは。今では珍しくないですが、10年前に登場したiMacの「シースルー(透けて見える)デザイン」は当時、画期的なデザインでした。それを裏付けるかのように、家電製品などさまざまな分野で同じようなデザインのプロダクトが生まれました。しかし、それも今は昔。近年ではパソコンの筐体に、シースルーデザインを見ることはなかなかありません。さて、「Web Desigining」9月号特集1は、「透過PNG+CSSデザインがやってきた!」です。今ではパソコンの筐体ではなく、Webの中で「透け」の波が来ているようです。

●特集1:透過PNG+CSSデザインがやってきた!
CSSデザインが定着して以降、HTMLのグラフィックデザインはその幅を広げてきました。多くのCSSギャラリーサイトを見ても、ビジュアルの華やかさ、豊富さにあらためてCSSの恩恵を感じます。そして今、CSSデザインの幅をさらに広げる存在として「透過PNG画像」に注目が集まっています。ポイントは「透過によるレイヤーワーク」。さぁ、新しいHTMLサイトを作りたいあなたに向けた特集がやってきましたよ。

●特集2:現場に学ぶ インタラクションデザイン
Webデザインの世界では、Flash、Silverlight、Ajaxなどの技術を活用した、アプリケーション要素の強い“動的”コンテンツを制作する機会が増えています。そこではユーザビリティだけでなく、「インタラクションデザイン」が必要だといわれています。インタラクションデザインは、ユーザーがコンテンツを利用する際に、操作の迷いや複雑さを感じさせないために必要なデザインなのです。この特集では、同デザインに取り組む現場から、その重要性とノウハウについて学んでみましょう。

さらに今月は、「WD Website Front_In-Depth Report」で、視覚の不思議をWebで体験できるサイト「マインド・ラボ」の制作話をレポートしています。また、短期集中連載「これからはじめるActionScriptライブラリ」では、Flashライブラリ「Tweener」による気持ちのいい動きの簡単設定について解説します。ぜひお見逃しなく! 定価1,280円で発売中です。

●本誌を毎日コミュニケーションズよりデジクリ読者2名様にプレゼント。
応募フォームをつかってください。締切は8月31日(日)14時。
当選者(都道府県、姓)はサイト上に9月中旬掲載予定です。
< http://www.dgcr.com/present/list.html
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< http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B001DJP2A0/dgcrcom-22/
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■編集後記(8/22)

・昨日の編集後記に、「そりゃ危ないですよ〜」という反応が元エンジニアのクリエイターRさんから。「静音化の成功おめでとうございます。……が、Mac(に限らず、電子機器)の内部を掃除機で掃除するのはかなり危険です。というのも、埃は帯電しやすく、その埃を集める掃除機には埃の電気がたまってかなり高電圧になるため、ノズルの先端などから『パチッ』と放電を起こすことがあります。もしも基板のどこかへ放電がおきたら、マザーボードごと交換(マシン買い直すほうが早いかも)の可能性大です」。エエ〜ッ! 全然考えもしなかったよン。「当然家庭用掃除機はホースにアース線を仕込むなどして静電気対策をしています。ただ、それでも(雷と同じで)たまった静電気は逃げ易い方へ逃げるので、ノズル先端から掃除している相手先(この場合は基板やHDDのケースなど)へ絶対に飛ばないとは言えません。飛んだら最後、一巻の終わりです」。うう……、知らないとはいえ、軽率なことをやっていたわたし。事故がなかったのは僥倖であったのかも。「というわけで、埃は刷毛などで払いのける(その際、近くに掃除機の先端を置いて払った埃を吸い込むようにする)か、空気を吹き付ける清掃用スプレーがありますのでこれを使うのが良いと思います」。ご注意ありがとうございます! みなさんも気をつけて下さいね。/雷が多い。犬が狂乱する。だが、玄関につないで鳴き吼え放題にさせるという状態は、我々にとってもすごいストレスだ。そこで、雷鳴下であっても昼間なら室内に入れず、テラスのロッキングチェアでご一緒する作戦に出た。怯えてはいるが、人がそばにいれば吼えない。男と犬が雷環境でじっと我慢。おかげでこの夏はずいぶん本が読めた。(柴田)

・プレゼントのアンケートに、バレエ話は? とリクエストいただいたので書きますー。週一ですが、気管支炎回復後は一度も休まず続けてますよん。どうしても動かせない予定が入った時は別として、自分からは絶対に予定は入れないし、大雨が降ろうが雪が降ろうが熱があろうがなんとか痛であろうが行ってます。ある時バレエに行く直前に、小指をカップボードの横に二度ひどくぶつけ(二度はぶつけないよなぁ、普通)、腫れ上がり、歩くのが困難な時に見学だけでもと足を引き摺って行ったら、先生方のにこやかな笑顔に、見学させてくれとは到底言えず、黙々と着替えたのだが、足をかばいつつも火事場の馬鹿力でなんとかやりきった時の達成感は最高でやんした。スタジオ出た途端にまた引き摺って歩いていたし、二週間は腫れや痛みは残っていたけど。舞台人の先生方は、少々の怪我や病気では休まれないんだよな〜と思うと、なんだかちょっとしたことで休みたいとは言えなくなっちゃうのね。こちらの言い訳は先生方にとっては理由にならない理由なんだもの。毎回、バレエに行く直前までは、行きたくない〜、だるい〜、しんどい〜、今日は休む〜とぼやくのだが、結局行き、体中の水分を出し切って練習をし、帰宅時には背筋が伸び、歩きながらポール・ド・ブラ(腕の動きの練習)なんかしちゃったり。やっている期間のわりには成長が遅いとは自覚しつつ、体が超堅く、下手な私のために、いろんな方向から指導してくださる先生方に感謝。以前、やめる人がほとんどいないと聞いていたバレエ。本当にやめられないよ〜。迷っている人がいたらぜひ習ってみて。仕事にもはずみがつくよ(うな気がする)。(hammer.mule)