《若者たちは、何かに敗北していた》
■映画と夜と音楽と...[454]
突破するわよ!
十河 進
■Otaku ワールドへようこそ![113]
非日常の週末、崩壊寸前の自意識
GrowHair
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■映画と夜と音楽と...[454]
突破するわよ!
十河 進
< https://bn.dgcr.com/archives/20100305140200.html
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〈君よ憤怒の河を渉れ/新幹線大爆破〉
●まっぷたつに割れてゆく銀色に輝くジュラルミンの楯の壁
男は警察の包囲網に追いつめられ、北海道から上京していると聞いた女に電話をする。ホテルで商談を終えていた女は、男の電話に顔を輝かせる。女は男を心の底から愛しているのだ。男は「凄い包囲網だ。とてもそこまでいけない」と絶望的に言う。女は「諦めてはダメよ。30分後に西口にきて」と、叱りつけるように言って電話を切る。
男は、新宿の雑踏で張り込んでいた刑事たちに見付かる。男には、検察庁から射殺命令まで出ているのだ。男は新宿東口から西口に抜ける地下道を走り抜ける。刑事たちが発砲する。発砲に驚いて、群衆たちがパニックを起こす。その騒ぎに紛れて、男は西口駅前にたどり着く。そのとき、遠くから馬のひずめの音が聞こえてくる。信じられないことだが、馬の群れが夜の新宿西口駅前に姿を現す。
機動隊が配置されている。「絶対に捕らえろ」と命令された機動隊員たちは、銀色に輝くジュラルミンの楯で壁を作り、大通りをふさいでいる。馬群の中心には、美しい女がひとりいる。見事に馬を駆っている。男はその馬に寄り添い、飛び乗る。馬群が暴走し、それにまぎれて女は男を後ろに乗せ、新宿を駆け抜ける。アスファルトに慣れていない一頭の馬が、脚をすべらせて転倒する。
彼らの目の前には、機動隊のジュラルミンの楯が横に広がっている。何重にも並んでいる。馬たちが疾走する。銀色のジュラルミンの楯の壁が、まっぷたつに割れて退いていく。まるで「十戒」(1956年)で海がふたつに裂け、モーゼを導く道が現れたように、馬で疾駆する女と男の前にひとつの道ができる。女が決意を込めて宣言する。
──突破するわよ!
このとき、僕は劇場で拍手した。拍手したのは、僕だけではなかったはずだ。何人かがつられて拍手した。いや、もっと多かったような記憶がある。劇場中が興奮し、男と女の逃避行を支持していた。おそらく、その場面で観客の誰もが馬にムチを入れる美しい女優に恋をした。
その映画の中で、最高に盛り上がるシーンだった。群衆や機動隊員役のエキストラを集め、新宿の駅前に何十頭もの馬を走らせるのである。撮影は大変だったろうし、リテイクできる状況ではなかっただろう。一発勝負である。制作費の多さを売りにする大作だった。その場面にも、相当な経費がつぎ込まれたはずだ。
しかし、僕が感激したのは、ジュラルミンの楯がまっぷたつに割れてサーッと退いていき、その美しい女優が「突破するわよ」と高らかに宣言したことだった。そこには作者たちの、おそらく数年前に起こった学生たちの反乱に共感する想いが込められていたはずだ。
まるで「レッドクリフ」(2008〜9年)の戦闘シーンのように、銀色の壁として立ちふさがるジュラルミンの楯。絶対に破れないと思えたその楯の壁が、疾駆する馬群によって退却させられている。その光景に何らかの想いを抱くのは、サーチライトを反射して銀色に輝くジュラルミンの楯を、真っ正面から見たことがある人間だけかもしれない。
●中華人民共和国で中野良子は日本を代表する女優になった
追いつめられた高倉健を救うために、新宿に馬の群れを走らせたのは中野良子だった。彼女には他にも代表的な仕事(テレビドラマの秀作が多い)はあるのだが、僕はどうしても「君よ憤怒の河を渉れ」(1976年)の真由美を思い浮かべてしまう。あのヒロインはひどくみっともなく登場し、やがて主人公のパートナーとなり、救世主となる。
「君よ憤怒の河を渉れ」は、文化大革命からそれほど年月が経たない中華人民共和国で上映され、圧倒的な人気を得た。中華人民共和国では、高倉健と中野良子は日本を代表する俳優であり女優となった。中野良子は山口百恵初の連続ドラマ「赤い迷路」(1974〜75年)にも重要な役で出演し、それがやはり中華人民共和国で放映されたため、人気はさらに高まった。
高倉健は「単騎、千里を走る。」(2005年)で中国を代表する監督になったチャン・イーモウに出演を懇願されるほど、今も知名度はトップの日本人俳優だが、ある時期(今もそうかもしれないけれど)、中華人民共和国において最も有名な日本人女優は中野良子だったのである。
だが、日本では中野良子のデビュー当時、ライバル視されていた松坂慶子がいわゆる体当たり演技的な女優魂を見せ、若手女優としては大きく成長していた。その後、深作欣二監督の「火宅の人」(1986年)で大胆なヌードを見せた松坂慶子は大女優になり、中野良子は出演作がなくなり「中国では有名らしいよ」と言われるような女優になった。
中野良子は、肌を見せるのを極端に拒んだと聞いたことがある。「君よ憤怒の河を渉れ」では洞窟での高倉健との濡れ場があるのだが、ほとんど肩から上しか見せていないし、高倉健をかばうために警部役の原田芳雄の前でオールヌードになるのは、吹き替えを使っているのが明らかにわかる。もちろん、オールヌードのシーンは、中華人民共和国ではカットされた。
しかし、今、僕は「花心中」(1973年)という映画を懐かしく思い出している。早坂暁が脚本を書いたNHKドラマ「天下御免」(1971〜72年)の紅さんで人気が出た、中野良子の初主演映画である。彼女は若く、触れれば壊れそうなほど華奢で儚げだった。相手役は人気絶頂だった近藤正臣であり、原作は阿久悠と上村一夫のコンビである。それを才人・斎藤耕一が監督した。
斎藤耕一監督は昨年11月に80歳で亡くなったが、その死亡記事を見たとき、真っ先に僕が思い出したのは「旅の重さ」(1972年)でもなく「津軽じょんがら節」(1973年)でもなく、「花心中」だった。当時の青春映画は、なぜか不幸になるために恋愛をする男女を描くようなものばかりだったが、「花心中」も例外ではなかった。
気取った不思議な喋り方をして、全身から儚さを漂わせている中野良子は、そんな時代の青春を代表していたのかもしれない。同じように妙に気取った近藤正臣とのコンビは、傷つけあい不幸になるために出会う若い男女を演じ、時代の閉塞感を描き出すのに成功した。あの頃、若者たちは幸せになってはいけなかったのだ。若者たちは、何かに敗北していた。それは、時代の気分だった。
●儚さはどこかへ消え溌剌と馬に跨る姿が目に焼き付いた
「君よ憤怒の河を渉れ」は、西村寿行の初期のベストセラー小説を映画化したものだった。僕はずっと「ふんぬ」と読んでいたのだが、映画化された作品は、なぜか「ふんど」とルビを振ってあり、僕はあわてて辞書を調べた。辞書には「ふんぬ・ふんど」と出ていたが、僕はそれでも「ふんぬ、だよな〜」とつぶやいた。大学時代、「おれは怒ったぞ」という意思表示のために、「ふんぬー」と叫ぶ級友がいたのだ。
「君よ憤怒の河を渉れ」の主人公である地検の検事(高倉健)は、悪徳代議士が自殺した事件を独自に捜査していたが、強盗強姦の濡れ衣を着せられ、その証拠が周到に準備されていることを知り、自分を逮捕した警部(原田芳雄)の隙をついて逃亡する。彼は逃亡検事としてマスコミで大きく報道されながらも、無実を証明するために証人を追って日本中を駆け巡る。
警察に追われて逃げ込んだ北海道の日高山脈で、高倉健は牧場主の娘である真由美(中野良子)が熊に追われて木によじ登り、「助けて」と叫んでいるところに出くわす。このときの中野良子は、あまり恰好がよろしくない。僕は熊に襲われたことはないから何も言えないが、もう少し優雅に木にすがりついていてほしかった。もちろん高倉健は彼女を救い、真由美は命の恩人に恋をする。
真由美の父は自家用飛行機を持つ大牧場主で、道知事選挙に出る予定だ。ひとり娘の真由美を可愛がっているが、真由美は暴れ馬を乗りこなす男勝りの娘で、牧場に原田芳雄がやってきたときも、逃げる高倉健を追って馬上の姿を現し、彼を乗せて日高山脈に逃げ込む。「なぜ、助ける?」と訊く高倉健に「あなたが好きだから...」とストレートに叫ぶはっきりした娘だ。
それまでの中野良子のイメージを変える役だった。線の細さや儚さはどこかへ消え、溌剌と馬に跨る姿が目に焼き付いた。男に「あなたが好きだから」と率直に告白し、積極的に抱かれる。警部に向けて銃を構え、男を救うために馬を駆る。取引のために上京し、男の苦境を自分の牧場の馬たちを放つことで救い、男を励ますように「突破するわよ!」と決意表明をする。
しかし、男が初めて小型飛行機を操縦して北海道を脱出するときに見せた深い憂い顔、男を救うために警部の前で一糸まとわぬ姿になったときの恥じらい、事件が解決した後に「一緒にいっていい?」と男に臆したように尋ねる表情には、中野良子がずっと漂わせていた儚さが感じられた。確かに、あのヒロイン像なら中華人民共和国の人民たちを熱狂させたことだろう。
●大きな何かに対する敗北感を多くの若者たちが抱いていた
高倉健は「君よ憤怒の河を渉れ」の前年、同じ佐藤純弥監督と組んで「新幹線大爆破」(1975年)を作っている。高倉健が犯罪者を演じ、評判になった映画だった。新幹線が80キロを超えると仕掛けられた爆弾にスイッチが入り、時速80キロ以下になると爆発するという設定が話題になった。犯人は新幹線と乗客を人質にして、身代金を要求する。その主犯を高倉健が演じた。
高倉健が演じたのは、オイルショックによる不況で大企業の下請けを切られ、倒産した町工場の社長だった。彼と組む犯人たちは、学生運動で挫折した青年(山本圭)、集団就職で上京したものの不況で失職し、食い詰めていたところを倒産した工場主に救われた青年(織田あきら)である。彼らは、高度成長時代の負の部分を象徴するキャラクターだった。
「新幹線大爆破」は、カット版が海外でヒットした。キアヌ・リーブス主演で話題になった「スピード」(1994年)の元ネタになったと言われている。フランスでは大ヒットしたそうだが、そのとき「犯人たちのエピソードが大幅にカットされていて、あれじゃあ高倉健は単なる悪役だよ」と、ある人に聞いたことがある。高倉健は、フランスでは有名じゃなかったのかもしれない。
そう、「新幹線大爆破」は「太陽を盗んだ男」(1979年)と同じように、犯罪者の側に立つ映画だった。犯人たちが国鉄や警察、それらの背後に存在する国家権力に牙をむく姿に、観客たちは共感した。共感するように映画は作られていた。それは、1975年という時代だったからに他ならない。その頃は、権力や、もっと大きな何かに対する敗北感を多くの若者たちが抱いていた。
当時、僕は「新幹線大爆破」を見ながら、「権力は暴力装置を必要とする。国家権力にとってそれは警察だ」という文章を思い出していた。誰の文章だったろう。吉本隆明は書きそうにない。谷川雁か、埴谷雄高か。誰にしろ、権力を正確に分析すれば、それは正しい。「新幹線大爆破」の警察は、なりふりかまわず犯人を逮捕しようとする。家族を脅し、罠を仕掛け、犯人の死を顧みず、逆らう者を許さない。
「新幹線大爆破」のラストシーンは、国家という権力の非情さと反逆者たちへのレクイエムを感じさせて終わった。その監督と主演俳優のコンビは次回作の「君よ憤怒の河を渉れ」のラストシーンでは、かつてエリート検事であり国家を象徴して人を罰す役割だった主人公に、こんな意味のセリフを言わせている。
──逃亡している間に、法律では裁けない罪があることを知りました。二度と人を裁く人間にはなりたくないし、追うよりは追われる側でありたい。
その言葉から、弱い者、虐げられた者、社会の底辺で生きる者、彼らへの共感がにじみ出る。主人公は彼らの助けを得て逃亡を続けたのだ。その中で、国家が定めた様々な法律を破った。しかし、法律を守るだけでは守れない何かがある、と気付いたのだ。スクリーンを見つめていた僕には、そのセリフと共に夜の新宿の街で馬を駆る中野良子の勇姿が甦った。同時に「突破するわよ」という言葉が...
「君よ憤怒の河を渉れ」を見る6年前のことだった。1970年4月、18の僕は上京して一週間ほどしか経っていなかった。大学に入って余裕のある友人のTに誘われて、赤坂の清水谷公園で開催された「ベトナムに平和を!市民連合」(ベ平連)の集会に参加した夜のことだ。女たらしのTはそんなところでもこまめにナンパをして、いつの間にかふたりの女子大生と仲良くなっていた。
そのひとりに「きみは?」と訊かれ、「浪人です」と僕は答えた。彼女は僕より年上のようだったし、集会やデモにも慣れているようだった。集会が終わり、日比谷公園までのデモに出発するときになって、公園の出口に機動隊が楯の壁を作っているのがわかった。近くで学生たちのセクトの集会とデモがあり、そちらが荒れたために急にデモが禁止になったのだ。機動隊が僕たちを解散させようと待ちかまえていた。
サーチライトが眩しかった。銀色に輝くジュラルミンの楯が威圧的だった。初めての経験で、僕は震え上がっていた。どこかで「官憲、帰れ」と声があがった。横にいた女子大生も大声で「官憲、帰れ」と叫び、僕の方を向いて「ねっ、突破しようか」と言った。僕は、黙って気弱に首を振ったことを憶えている。その後の混乱で、僕はその女子大生ともTともはぐれてしまった...。遙かな昔の話だ。
【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com < http://twitter.com/sogo1951
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右目の下の傷は抜糸がすんで、綺麗に目立たないようになった。やはり医者に縫ってもらったのがよかったようだ。看護士さんに「放っておいたら肉が盛り上がって醜い傷になったわよ」と言われたが、スカーフェイスを気取るにはそちらの方がよかった気もする。なくしたメガネの代わりを買いにいった。
●306回〜446回のコラムをまとめた「映画がなければ生きていけない2007-2009」が新発売になりました。
< http://www.bookdom.net/suiyosha/1400yomim/1447ei2007.html
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●305回までのコラムをまとめた二巻本「映画がなければ生きていけない1999-2002」「映画がなければ生きていけない2003-2006」が第25回日本冒険小説協会特別賞「最優秀映画コラム賞」を受賞しました。
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非日常の週末、崩壊寸前の自意識
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このところイベント続きで、たいへん慌ただしい。単にスケジュールが詰まっているということならば、がんばって乗り切った自分に対する自己信頼とか、鍛えられて強靭になった精神という形で報われるだろう。肉体的に疲労がたまっているということならば、寝れば回復する。けど、このところのイベントの嵐には、なんか根底から揺さぶられている感じがする。
写真をいっぱい展示して多くの人に見てもらったり、光栄を通り越して畏れ多いというような被写体に恵まれたり、私だけが撮影できる特権を与えられたり、雲の上にいるような才能と実力のある人たちと気軽にお話しできちゃったり、ちやほやしてもらったりして、本来自分が立つべき平面の一段上に立たされているような不安定感に、自意識が崩壊しそうである。
●渋谷ルデコを超満員にしたゴシックでダークなパフォーマーたち
2月19日(金)、20(土)は、劇団MONT★SUCHT初の主催イベント"RosengartenI"が渋谷のLE DECO(ルデコ)1階にて開かれた。この"I"というところに、絶対に成功させて"II"をやるぞ、という主催者の意気込みと自信が伝わってくる。
私も、ありがたく写真を展示させてもらった。A4サイズで44点。一点一点じっくり見てくれる人がけっこういて、自意識がくすぐったい。パンフレットの裏には、セーラー服姿の写真を載せてもらったし。
寺嶋真里さんと再会。馬車道の北仲スクールのときは、帰り際にちょこっと立ち話しただけだったが、今回はけっこうお話しできた。MONT★SUCHTで映像作品というのもいつか実現するといいなぁ。
度肝を抜かれたのは、ウィンドウパフォーマンス。第1部と第2部との間の30分間、会場再設営のためお客さんに明治通りに出て待っていただく間、ウィンドウの一部を小さく囲った中に出演者のひとりが入って、みずからを展示する。超スローな動きをする生きたオブジェ。一日目はダンサーでモデルの薔薇絵さん、二日目は劇団「月蝕歌劇団」の大島朋恵さん。
普通の人だったら、いじめに近い、さらし者状態。きついストレスを感じるに違いない。けど、そこはパフォーマー、後で聞けばお二人ともたいへん気分よく演じられたという。オブジェが実は人だと気づいてたまげる見物人の反応を楽しむ余裕ぶり。演出したMONT★SUCHTの本原さんは、この二人なら任せっきりにしておけば、存在感だけで30分間人の目を釘付けにしておける確信があったという。
大島朋恵さん、永井幽蘭さん、由良瓏砂さんによる、朗読と歌と演奏のパフォーマンスは、芸の上手さに裏打ちされた豊かな表現力とすごい迫力で、会場が完全に引き込まれて、すべてが一体化し、緊張感のある空気が作り出された。私は幽蘭さんのようなすごい人とカラオケに行ったんだー、などとミーハーな喜びに浸ってにまにましていた。許可を得た者以外撮影禁止なので、私がもし大失敗したら何も残らないぞという重圧の下でシャッターを切る。
タロット占いの柴田景子さんに占ってもらった。私は、タロットを、というより、柴田さんの言葉を深く信じる。仮面の作品が壁に掲げられ、そこからスピリチュアルなパワーと人間の精神についての深い理解が伝わってくるような気がしたのだ。カードは手作り。瓏砂さんもそのうちの一枚になっている。
私が開いたのは、ほとんどが女性のカードだった。モテモテ? いや、心当たりないんですけど。人形かな? 人形と言えば、「臘月祭」で櫻井紅子さんの人形を買って下さったAさんがいらしてくれた。あのときは、初日のオープニングと同時にGallery 156にいらして、ラスさんが1体買った後、Aさんが残る2体を買って下さった。Aさんは、以前に瓏砂さんの人形も買って下さっている。
さらに、2月6日(土)にビスクドールを撮らせてもらった吉村眸さんも来てくれた。吉村さんも「臘月祭」に来てくれたことで知り合っている。で、今年の11月ごろ、同じ156で個展を開きたいと計画している。一方、Aさんは156の常連さん。お互いをご紹介することができた。不思議な偶然のような気もするが、こういうことはよく起きる。
・大島朋恵さんの写真
< http://picasaweb.google.co.jp/Kebayashi/DRdCkF#
>
●例によって美登利さんの人形撮影は慌しい
2月21日(日)は、美登利さんの新作人形撮影。私にとっては一番古くから人形作品を撮らせてもらっている作家さん。なので、互いの状況をよく理解しあって、息が合っている。怒涛のスケジュールの合間を無理やりこじ開けての撮影なんてあたりまえ。他の人から言われたら「えーっ!」とのけぞってしまいそうなことでも、美登利さんだとカラスが鳴いた程度の騒ぎでしかない。
前日まで撮影場所が決まってなくたって、あせりもしない。実際、予定していた日の午前中にも急な用事が入ったとかで、撮影場所変更の希望を伝えてきたとき、すでに当日になっていた。その日だって、ホントは福岡に発送しなきゃならない締切日を一日過ぎてるんだけど。もし福岡の展示で売れちゃうと、写真すら残らないから、何がなんでも発送前に撮っておかねば、というわけだ。
1時間ばかりでささっと撮って、発送したら、京橋の「ドルスバラード」へ行って、展示していた人形を撤収というスケジュール。1時を少し過ぎて浦和駅の改札口を出てきた美登利さんは、赤ん坊ほどの大きさの新作をむき出しで両手に抱えていた。「小鳥姫」。顔は幼女で、下半身は鳥。箱を用意している暇なんて、どう考えても捻出しようがなかったそうで。
もしかして、画廊に展示しておくよりも多くの人の目に触れたんではないかい?同じ作品でも見せ方でがらっと違って見えただろうけど。本人からすれば、こうする以外に仕方がないという必然の理由があるから、見かけの突拍子のなさの割には気は確かなのが分かっているけど、たまたま目撃しちゃった側にとってみれば、クエスチョンマークがいっぱいだったろうなぁ。
調(つきのみや)神社は、狛犬の代わりに狛うさぎがいることで有名なところ。しかし、撮ったのは、狐のいる古そうな祠の前。撮っている最中は狐の顔が怖そうに見えて、ひょっとすると見た者は祟られるといわくがつきそうな恐怖写真が撮れるかな、と思ったのだが。写真で見たら、やさしそうな顔をしていてぜんぜん怖くない。
小鳥姫の写真
< http://picasaweb.google.com/Kebayashi/NmYZdK#
>
●ついに撮れたか心霊写真
2月26日(金)は、MONT★SUCHTの内輪の打上げに混ぜてもらえた。会場での写真を渡すという用事もあって。もしかすると、ありがたくも、アラモード・マガジンで使ってもらえるかもしれないとのこと。この劇団らしく、お店はゴシックな雰囲気。私は「堕天使の召喚、処女の鮮血」という名のカクテルを注文。うわっ、苦い。
怖い話題が出た。来場者と出演者交えての記念写真の中に、不審な顔が写っているという。1日目に撮った写真には40人ほどが写っているが、よく撮れていたので、2Lサイズにプリントして、2日続けての来場者や関係者にお配りした。その中に、2人並んだ人の肩の間から、小さな顔の上半分が突き出しているという。誰も写真を持ってきていなかったので、その場では確かめようがなかったが、気づいていなかったよー。
今までに、何万枚写真を撮ったかしれない。墓地で撮ったこともある。ろうそくの炎や線香の煙なども試してみた。けど、心霊っぽいものを捉えられた試しがない。その方面には才能がないのかとあきらめかけていたが、遂にやったか。
そう言えば、と点子さんは言う。夜、ひとり残って会場の設営作業をしているとき、会場内の古いドアをゆっくり開けたら、ぎ・ぎ・ぎ・ぎときしむ音が「せ・ん・ぱ・い」と聞こえた、と。あ、言ってなかったけど、と瓏砂さんは言う。あの会場「でる」らしいよ。ひょえ〜。
帰ってから、元画像を見てみた。5,616×3,744画素。うん、人だろ。どう見たって人だ。mixi日記にアップしたら、「犯人」まで特定されちゃうし。やっぱり才能ない私なのであった。
●清水真理さんに「あの人、何者?」
2月11日(木)〜3月8日(月)、浅草橋の「パラボリカ・ビス」にて清水真理さんの人形展「片足のマリア〜Strange Angels Garden〜」が開催中である。パラボリカ・ビスは雑誌「夜想」がディレクションするスペース。今発売されている号はモンスター&フリークスがテーマ。それに合わせて、清水さんの作品も、額に人面瘡が浮き出ていたり、2体が胴体でくっついていたり、顔が2つあったり、上半身と下半身が逆向きについていたりして、ちょっと怖い。
清水さんは人形界のビッグネーム。人形教室「アトリエ果樹園」は多くの生徒を擁し、去年の4月に渋谷のルデコ4階で開いた教室展では、生徒たちの実力のすごさも示してくれた。頻繁に個展を開き、いつも精力的に活動しているが、ギャラリーだけでなく、ゴスロリ・アングラ系のクラブイベントでも展示することがある。ダークでゴシックな世界観を共有するパフォーマーとして、MONT★SUCHTやRose de Reficul etGuiggles などとつながりが深い。
寺嶋真里さんの映像作品の新作「アリスが落ちた穴の中 Dark Marchen Show!!」には、Rose de Reficul et Guigglesと清水さんの人形が出演している。特別出演でアリスに扮するのは、マメ山田さん。この上映が2月20日(土)と27日(日)にあり、私は後のほうのに行ってきた。また、26日(土)には、Rose de Reficul et Guiggles のパフォーマンスがあり、それも見てきた。それと、寺嶋さんの映像収録と並行して撮ったという、写真家の中村キョウ(漢字は[走喬])氏による写真作品も展示されている。
26日(土)の夕方、パラボリカ・ビスの階段の上には、Rose de Reficul etGuiggle のローズさんがデンと椅子に腰かけていた。この「デン」はローズさんの衣装の形容。ロココ時代のフランスの貴婦人かという盛装で、衣装の派手派手しさのおかげで3まわりぐらい大きくみえる。
去年の5月24日(日)の京都の「夜想」でのイベント以来の再会で、互いに両手を握りあって再会を喜んだ。その時点で、私の悪目立ちは始まっていた。そりゃ、その日の主役、みんなのプリマドンナとやけに親しそうにしているヒゲのおっさんとかいたら、「何あいつ?」って思うわな。ローズさんの隣に立っていたダンディーな紳士が写真家の中村氏であった。紹介していただいた。
写真、非常に面白くて勉強になった。色みをくすんだ感じに渋く抑え、肌の上に年季を経た石材のようなテキスチャを貼り付けている。おかげで、ローズさんたちが、彫像みたくなっている。もともとの被写体の個性の方向性のベクトルと同じ向きで写真家の創意工夫のベクトルを直列つなぎに足し算しているので、面白さがずぎょーんと増幅されているのだ。写真家の仕事とはかくあるべし、という模範を見せてもらった感じだ。
ぎっしりと人が詰め込まれた1階の展示室、ローズさんたちのパフォーマンスの前に、お決まりの注意。かと思いきや、写真撮影OK、ウェブ掲載OKとのこと。うぎゃっ、カメラ持ってきてないよー。この馬鹿者〜と思ったそこのあなた、式子さんという方が写真入りでブログを書かれているので、そちらをご参照下さいませ。
< http://shikiko.blog.shinobi.jp/Entry/1019/
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終了後、清水さんとお話しできた。デザフェスなどでもお会いしてはいるが、ゆっくり話すのは教室展以来だ。ひそひそ話したほうがよさそうな内容のことを大きな声で話してしまったのも、悪目立ちだったか。後で、清水さんに、私のことを「いったい何者?」と聞いてきた来場者の方がいたそうである。コスプレ写真とか撮ってるただのカメコでやんす。
●中川多理さんを遮光板代わりに
2月28日(日)は、銀座「ゆう画廊」にて3月6日(土)まで開催中の、12人の人形作家によるグループ展「Mellow Yellow〜あの日窓から見たメリーゴーランド〜」の初日。中川多理さんにこの前お会いしたのは、去年の3月1日(日)、横浜での個展にべちおさんと連れ立って行ったときだから、約1年ぶりだ。今回は、夕方ごろ行ったらとっくに帰った後だった。
この前、べちおさんが完全にやられてしまい、夢にまで出てきたという少女はあの時点ですでに売約済みだったそうで。同じ趣向のをまた作ればきっとお迎えしてくれるでしょう、と告げておいた。清水真理さんとばったり会う。18時間ぶり。じゃ、後ほど。
中川さんにお願いして、作品を撮らせていただく。テーブルの上に女の子、下に男の子。男の子は顔に露出を合わせると足が白飛びしてしまうので、苦肉の策で、中川さんに照明との間に立っていただいた。うん、とんでもないことです、どうも失礼しました。
橘明さんとばったり会う。共にオープニングパーティに混ぜていただく。画廊の外のエレベータ前から階段にかけて、人があふれかえっていた。橘さんと一緒に浅草橋に向かう。昨年末の10人展「臘月祭」でご一緒した櫻井紅子さん、枝里さん、長尾都樹美さんがその後来て、大人数で飲みに行って、にぎやかだったらしい。
・中川多理さんの人形の写真
< http://picasaweb.google.com/Kebayashi/203#
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●ローズさんとの2ショを中村先生に撮っていただく
20時間ぶりに「パラボリカ・ビス」へ。大きな声じゃ言えないけど、清水さんとスタッフの方から特別の了承を得て、設営中に清水さんの人形の写真を撮らせてもらった。じっくり向き合うと、清水さんのフリークスへの愛情や共感や自己投影が見えてくる。そして美しい。そのあたりのことは、ご本人が雑誌「夜想」のインタビュー記事で述べている。
寺嶋さんの新作映像の上映。いや、面白かった。被写体の持ち味を最大限に引き出しちゃう寺嶋さんの腕は、旧作から一貫していて、毎度感服するしかない。泣けるような映像ではないかもしれないけど、泣けた。ローズさんとマメさんのそれぞれ違った個性を持ちながら響きあう純粋性に打たれてしまうのだ。その純粋性は、金銭欲、名誉欲、権力欲などの強い力を原動力とする世の中の荒波の前にはまったく無力で、結局は淘汰されてしまうのかもしれないけれど。
その後、対談。左から、ギグルスさん、ローズさん、寺嶋さん、中村さん、清水さんと並ぶと、みんなお互いに見知った面々だ。やや後方左端の席から伸び上がってカメラを構えると、ステージ上からローズさんが「GrowHair さーん!」と手を振ってくれた。ありがとう。うれしかったよ。けど、他の来場者たちは、「あいつ、何?」ってきっと思ってたろうなー。
終了後、2階で、どういう拍子でそうなったのか思いだせないのだが、ローズさんとの2ショットを中村先生に撮っていただくという幸運に恵まれた。後で送っていただいたのが、この写真。
< http://picasaweb.google.co.jp/Kebayashi/xUfqJL#5444452837829321058
>
イベント続きの週末を存分すぎるくらい堪能できたのはいいけど、本来気配を消すべきカメラマンの分際で、暑苦しい存在感を撒き散らしすぎたか。
・清水さんの人形とローズさんたち
< http://picasaweb.google.com/Kebayashi/RoseDeReficulEtGuiggiles#
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ここで、はたと困った。デジクリ原稿、どうしよ? まだ一行も書いてない。とても手が回らないので今回ばかりは休載させていただこう。どれほど忙しかったかを書き綴って柴田さんにメールすれば、きっと納得して許してくれるだろう。そう思って書いたわけですが、これが原稿でいいですかね?
【GrowHair】GrowHair@yahoo.co.jp
私の知己の中に、ほんの2〜3人だが、地獄から伸びてくる手に足首をつかまれちゃってるなー、って人がいる。除霊能力のない私にはどうすることもできない。けど、実は、上から差し伸べられる救いの手もいっぱい出てるんだよなぁ。ことごとく見過ごしちゃってるだけで。
救いの手とは、お金をくれる人でも味方してくれる人でもなく。発想を転換して、生きる姿勢をふっと変えてみることで、すいっと安全地帯に行けるよ、って示唆してくれるヒントのこと。そこいらじゅうに転がっている。
泥沼から抜け出すための答えそのものを、私が知っているわけではない。いちおう、自分専用の生きる指針みたいなものは、ちょっとずつ構築してきてはいる。こういう状況ではこうすべきだ、とか、ある状況で決して言ってはならないこと、とか。けど、自分の世界観なんて、乏しい経験からくる未熟なものに違いないし、常に修正の途上にあるわけだし、人様にとっても有効に作用する普遍性があるのかどうかも定かではない。
だから、とてもじゃないが、自信をもって薦められたもんじゃない。押し付けがましいことは言いたくない。けど、こっちから見ていると、せっかく吹いてきている上昇気流を自分で蹴散らしているんじゃないか、とみえるときがある。そういうときは、なんとかしてヒントを出してあげられないかと気をもむ。ちょっとしたことに気づくだけでいいんだけどなぁ。ひとつところに凝り固まった心を少しだけほぐして、発想を転換するだけでいいんだけどなぁ。
たとえば、自分は損してる、ホントはもっと得してたはずだ、と思うなら、まわりの人も同じように思ってるんじゃないかな、と慮って、まず、自分が得する前に、まわりの人に得させてあげる。お金なら、人のために使えば自分の分は減るという保存則が成り立つけど、幸福というものは、人に与えた分、その瞬間に同じ分だけ自分にもどこからともなく振り込まれているものだ。
また、たとえば、みんなが本当の自分を深く理解してくれようとしない、と嘆くなら、まず自分がまわりの人たちに深い興味をもって、よく理解しようと働きかけてみてはどうだろう。その働きかけを喜んで受けてくれる人なら、こんどは自分について語ったときには耳を傾けてくれるんじゃないかな?
おーい、今のその姿、見ててつらいぞ。頼むよ、気づいてくれよぉ。
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■編集後記(3/5)
・昨日の夕食の時、妻が(というイントロをまた)再来週の日曜日に孫娘のピアノ発表会があるという。当然、大トリだろうなと冗談を発すると、それがねえ、と待ってましたとばかりに。プログラムは年齢順だという。え? ヘタな順といっちゃ悪いが、普通は後ろにいくほど上手な子になるんじゃないのか。妻は長いこと自宅でピアノ教室を開いており、年に一回は発表会を開催した。わたしもプログラムのデザインをずっと担当していた。その当時のプログラムは完全に実力順で、情実を排し年齢や経験年数も関係なかった。生徒のひとりであるわが娘だって同じ扱いだ。まことに公平であった。また、生徒個人個人に向いた曲選びも考え抜いていた。お稽古ごとのイベントにしては、ずいぶん力をいれていたと思う。ところが、いま孫娘の通っている教室の先生は、あっさり年齢順に並べるばかりか、曲選びもイージー(のよう)だと、そうとう不満な妻である。なぜこうなったのかというと、モンスターペアレント対策らしい。昔は、プログラムに見られる序列は生徒本人も親も納得しており、文句は一切出なかった。だが、いまは違う。我が子が一番うまいと思う親ばかりである(たぶん)。そんな親からの抗議がこわい。文句が出ない年齢順が一番安全というわけだ。ところで、今朝の新聞広告。キヤノンEOS Kiss X4の「うちの子は、世界一」シリーズ、おもしろい。ほほえましい。本当のモンスターペアレントも出演している。(柴田)
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・図書館でビジネス関連書を借りるメリット(著者さんごめんなさい)。まず、期限がある。私が借りる大阪市立図書館だと、一度は延期できるが最大四週間。面白かろうが、面白くなかろうが返却しなければならない。面白くなければ読むスピードは遅くなるから、期限直前に慌てて読み切るか、読まないと決める。面白ければ、買った本だとつい後まわしにしがちな(か、作るのをさぼる)メモをとる。次にいつ読めるかわからないからと、自然と(あるいは必死で)エッセンスをメモっている。つまり軽く読み返すことになり、メモをとるために頭の中でまとめようとするから、買った本より真面目に読んでいる気がする。面白くてこれからも参照するだろう本、分厚くて到底メモをとっていられないような本の場合は、途中で返して、書店で購入。で、この面白い本は手元にあると、あることに安心して読むのを後回しにしちゃうんだよな〜。デメリットは当然ながら書き込みができないこと、いつでも参照できないこと、期限までに返さないといけないこと、読みたい時すぐに読めない(人気本だと半年ぐらい待たされる)ことぐらいかな。強制メモ、おすすめです。/GrowHairさんのあとがきにドキッとする。(hammer.mule)
■映画と夜と音楽と...[454]
突破するわよ!
十河 進
< https://bn.dgcr.com/archives/20100305140200.html
>
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〈君よ憤怒の河を渉れ/新幹線大爆破〉
●まっぷたつに割れてゆく銀色に輝くジュラルミンの楯の壁
男は警察の包囲網に追いつめられ、北海道から上京していると聞いた女に電話をする。ホテルで商談を終えていた女は、男の電話に顔を輝かせる。女は男を心の底から愛しているのだ。男は「凄い包囲網だ。とてもそこまでいけない」と絶望的に言う。女は「諦めてはダメよ。30分後に西口にきて」と、叱りつけるように言って電話を切る。
男は、新宿の雑踏で張り込んでいた刑事たちに見付かる。男には、検察庁から射殺命令まで出ているのだ。男は新宿東口から西口に抜ける地下道を走り抜ける。刑事たちが発砲する。発砲に驚いて、群衆たちがパニックを起こす。その騒ぎに紛れて、男は西口駅前にたどり着く。そのとき、遠くから馬のひずめの音が聞こえてくる。信じられないことだが、馬の群れが夜の新宿西口駅前に姿を現す。
機動隊が配置されている。「絶対に捕らえろ」と命令された機動隊員たちは、銀色に輝くジュラルミンの楯で壁を作り、大通りをふさいでいる。馬群の中心には、美しい女がひとりいる。見事に馬を駆っている。男はその馬に寄り添い、飛び乗る。馬群が暴走し、それにまぎれて女は男を後ろに乗せ、新宿を駆け抜ける。アスファルトに慣れていない一頭の馬が、脚をすべらせて転倒する。
彼らの目の前には、機動隊のジュラルミンの楯が横に広がっている。何重にも並んでいる。馬たちが疾走する。銀色のジュラルミンの楯の壁が、まっぷたつに割れて退いていく。まるで「十戒」(1956年)で海がふたつに裂け、モーゼを導く道が現れたように、馬で疾駆する女と男の前にひとつの道ができる。女が決意を込めて宣言する。
──突破するわよ!
このとき、僕は劇場で拍手した。拍手したのは、僕だけではなかったはずだ。何人かがつられて拍手した。いや、もっと多かったような記憶がある。劇場中が興奮し、男と女の逃避行を支持していた。おそらく、その場面で観客の誰もが馬にムチを入れる美しい女優に恋をした。
その映画の中で、最高に盛り上がるシーンだった。群衆や機動隊員役のエキストラを集め、新宿の駅前に何十頭もの馬を走らせるのである。撮影は大変だったろうし、リテイクできる状況ではなかっただろう。一発勝負である。制作費の多さを売りにする大作だった。その場面にも、相当な経費がつぎ込まれたはずだ。
しかし、僕が感激したのは、ジュラルミンの楯がまっぷたつに割れてサーッと退いていき、その美しい女優が「突破するわよ」と高らかに宣言したことだった。そこには作者たちの、おそらく数年前に起こった学生たちの反乱に共感する想いが込められていたはずだ。
まるで「レッドクリフ」(2008〜9年)の戦闘シーンのように、銀色の壁として立ちふさがるジュラルミンの楯。絶対に破れないと思えたその楯の壁が、疾駆する馬群によって退却させられている。その光景に何らかの想いを抱くのは、サーチライトを反射して銀色に輝くジュラルミンの楯を、真っ正面から見たことがある人間だけかもしれない。
●中華人民共和国で中野良子は日本を代表する女優になった
追いつめられた高倉健を救うために、新宿に馬の群れを走らせたのは中野良子だった。彼女には他にも代表的な仕事(テレビドラマの秀作が多い)はあるのだが、僕はどうしても「君よ憤怒の河を渉れ」(1976年)の真由美を思い浮かべてしまう。あのヒロインはひどくみっともなく登場し、やがて主人公のパートナーとなり、救世主となる。
「君よ憤怒の河を渉れ」は、文化大革命からそれほど年月が経たない中華人民共和国で上映され、圧倒的な人気を得た。中華人民共和国では、高倉健と中野良子は日本を代表する俳優であり女優となった。中野良子は山口百恵初の連続ドラマ「赤い迷路」(1974〜75年)にも重要な役で出演し、それがやはり中華人民共和国で放映されたため、人気はさらに高まった。
高倉健は「単騎、千里を走る。」(2005年)で中国を代表する監督になったチャン・イーモウに出演を懇願されるほど、今も知名度はトップの日本人俳優だが、ある時期(今もそうかもしれないけれど)、中華人民共和国において最も有名な日本人女優は中野良子だったのである。
だが、日本では中野良子のデビュー当時、ライバル視されていた松坂慶子がいわゆる体当たり演技的な女優魂を見せ、若手女優としては大きく成長していた。その後、深作欣二監督の「火宅の人」(1986年)で大胆なヌードを見せた松坂慶子は大女優になり、中野良子は出演作がなくなり「中国では有名らしいよ」と言われるような女優になった。
中野良子は、肌を見せるのを極端に拒んだと聞いたことがある。「君よ憤怒の河を渉れ」では洞窟での高倉健との濡れ場があるのだが、ほとんど肩から上しか見せていないし、高倉健をかばうために警部役の原田芳雄の前でオールヌードになるのは、吹き替えを使っているのが明らかにわかる。もちろん、オールヌードのシーンは、中華人民共和国ではカットされた。
しかし、今、僕は「花心中」(1973年)という映画を懐かしく思い出している。早坂暁が脚本を書いたNHKドラマ「天下御免」(1971〜72年)の紅さんで人気が出た、中野良子の初主演映画である。彼女は若く、触れれば壊れそうなほど華奢で儚げだった。相手役は人気絶頂だった近藤正臣であり、原作は阿久悠と上村一夫のコンビである。それを才人・斎藤耕一が監督した。
斎藤耕一監督は昨年11月に80歳で亡くなったが、その死亡記事を見たとき、真っ先に僕が思い出したのは「旅の重さ」(1972年)でもなく「津軽じょんがら節」(1973年)でもなく、「花心中」だった。当時の青春映画は、なぜか不幸になるために恋愛をする男女を描くようなものばかりだったが、「花心中」も例外ではなかった。
気取った不思議な喋り方をして、全身から儚さを漂わせている中野良子は、そんな時代の青春を代表していたのかもしれない。同じように妙に気取った近藤正臣とのコンビは、傷つけあい不幸になるために出会う若い男女を演じ、時代の閉塞感を描き出すのに成功した。あの頃、若者たちは幸せになってはいけなかったのだ。若者たちは、何かに敗北していた。それは、時代の気分だった。
●儚さはどこかへ消え溌剌と馬に跨る姿が目に焼き付いた
「君よ憤怒の河を渉れ」は、西村寿行の初期のベストセラー小説を映画化したものだった。僕はずっと「ふんぬ」と読んでいたのだが、映画化された作品は、なぜか「ふんど」とルビを振ってあり、僕はあわてて辞書を調べた。辞書には「ふんぬ・ふんど」と出ていたが、僕はそれでも「ふんぬ、だよな〜」とつぶやいた。大学時代、「おれは怒ったぞ」という意思表示のために、「ふんぬー」と叫ぶ級友がいたのだ。
「君よ憤怒の河を渉れ」の主人公である地検の検事(高倉健)は、悪徳代議士が自殺した事件を独自に捜査していたが、強盗強姦の濡れ衣を着せられ、その証拠が周到に準備されていることを知り、自分を逮捕した警部(原田芳雄)の隙をついて逃亡する。彼は逃亡検事としてマスコミで大きく報道されながらも、無実を証明するために証人を追って日本中を駆け巡る。
警察に追われて逃げ込んだ北海道の日高山脈で、高倉健は牧場主の娘である真由美(中野良子)が熊に追われて木によじ登り、「助けて」と叫んでいるところに出くわす。このときの中野良子は、あまり恰好がよろしくない。僕は熊に襲われたことはないから何も言えないが、もう少し優雅に木にすがりついていてほしかった。もちろん高倉健は彼女を救い、真由美は命の恩人に恋をする。
真由美の父は自家用飛行機を持つ大牧場主で、道知事選挙に出る予定だ。ひとり娘の真由美を可愛がっているが、真由美は暴れ馬を乗りこなす男勝りの娘で、牧場に原田芳雄がやってきたときも、逃げる高倉健を追って馬上の姿を現し、彼を乗せて日高山脈に逃げ込む。「なぜ、助ける?」と訊く高倉健に「あなたが好きだから...」とストレートに叫ぶはっきりした娘だ。
それまでの中野良子のイメージを変える役だった。線の細さや儚さはどこかへ消え、溌剌と馬に跨る姿が目に焼き付いた。男に「あなたが好きだから」と率直に告白し、積極的に抱かれる。警部に向けて銃を構え、男を救うために馬を駆る。取引のために上京し、男の苦境を自分の牧場の馬たちを放つことで救い、男を励ますように「突破するわよ!」と決意表明をする。
しかし、男が初めて小型飛行機を操縦して北海道を脱出するときに見せた深い憂い顔、男を救うために警部の前で一糸まとわぬ姿になったときの恥じらい、事件が解決した後に「一緒にいっていい?」と男に臆したように尋ねる表情には、中野良子がずっと漂わせていた儚さが感じられた。確かに、あのヒロイン像なら中華人民共和国の人民たちを熱狂させたことだろう。
●大きな何かに対する敗北感を多くの若者たちが抱いていた
高倉健は「君よ憤怒の河を渉れ」の前年、同じ佐藤純弥監督と組んで「新幹線大爆破」(1975年)を作っている。高倉健が犯罪者を演じ、評判になった映画だった。新幹線が80キロを超えると仕掛けられた爆弾にスイッチが入り、時速80キロ以下になると爆発するという設定が話題になった。犯人は新幹線と乗客を人質にして、身代金を要求する。その主犯を高倉健が演じた。
高倉健が演じたのは、オイルショックによる不況で大企業の下請けを切られ、倒産した町工場の社長だった。彼と組む犯人たちは、学生運動で挫折した青年(山本圭)、集団就職で上京したものの不況で失職し、食い詰めていたところを倒産した工場主に救われた青年(織田あきら)である。彼らは、高度成長時代の負の部分を象徴するキャラクターだった。
「新幹線大爆破」は、カット版が海外でヒットした。キアヌ・リーブス主演で話題になった「スピード」(1994年)の元ネタになったと言われている。フランスでは大ヒットしたそうだが、そのとき「犯人たちのエピソードが大幅にカットされていて、あれじゃあ高倉健は単なる悪役だよ」と、ある人に聞いたことがある。高倉健は、フランスでは有名じゃなかったのかもしれない。
そう、「新幹線大爆破」は「太陽を盗んだ男」(1979年)と同じように、犯罪者の側に立つ映画だった。犯人たちが国鉄や警察、それらの背後に存在する国家権力に牙をむく姿に、観客たちは共感した。共感するように映画は作られていた。それは、1975年という時代だったからに他ならない。その頃は、権力や、もっと大きな何かに対する敗北感を多くの若者たちが抱いていた。
当時、僕は「新幹線大爆破」を見ながら、「権力は暴力装置を必要とする。国家権力にとってそれは警察だ」という文章を思い出していた。誰の文章だったろう。吉本隆明は書きそうにない。谷川雁か、埴谷雄高か。誰にしろ、権力を正確に分析すれば、それは正しい。「新幹線大爆破」の警察は、なりふりかまわず犯人を逮捕しようとする。家族を脅し、罠を仕掛け、犯人の死を顧みず、逆らう者を許さない。
「新幹線大爆破」のラストシーンは、国家という権力の非情さと反逆者たちへのレクイエムを感じさせて終わった。その監督と主演俳優のコンビは次回作の「君よ憤怒の河を渉れ」のラストシーンでは、かつてエリート検事であり国家を象徴して人を罰す役割だった主人公に、こんな意味のセリフを言わせている。
──逃亡している間に、法律では裁けない罪があることを知りました。二度と人を裁く人間にはなりたくないし、追うよりは追われる側でありたい。
その言葉から、弱い者、虐げられた者、社会の底辺で生きる者、彼らへの共感がにじみ出る。主人公は彼らの助けを得て逃亡を続けたのだ。その中で、国家が定めた様々な法律を破った。しかし、法律を守るだけでは守れない何かがある、と気付いたのだ。スクリーンを見つめていた僕には、そのセリフと共に夜の新宿の街で馬を駆る中野良子の勇姿が甦った。同時に「突破するわよ」という言葉が...
「君よ憤怒の河を渉れ」を見る6年前のことだった。1970年4月、18の僕は上京して一週間ほどしか経っていなかった。大学に入って余裕のある友人のTに誘われて、赤坂の清水谷公園で開催された「ベトナムに平和を!市民連合」(ベ平連)の集会に参加した夜のことだ。女たらしのTはそんなところでもこまめにナンパをして、いつの間にかふたりの女子大生と仲良くなっていた。
そのひとりに「きみは?」と訊かれ、「浪人です」と僕は答えた。彼女は僕より年上のようだったし、集会やデモにも慣れているようだった。集会が終わり、日比谷公園までのデモに出発するときになって、公園の出口に機動隊が楯の壁を作っているのがわかった。近くで学生たちのセクトの集会とデモがあり、そちらが荒れたために急にデモが禁止になったのだ。機動隊が僕たちを解散させようと待ちかまえていた。
サーチライトが眩しかった。銀色に輝くジュラルミンの楯が威圧的だった。初めての経験で、僕は震え上がっていた。どこかで「官憲、帰れ」と声があがった。横にいた女子大生も大声で「官憲、帰れ」と叫び、僕の方を向いて「ねっ、突破しようか」と言った。僕は、黙って気弱に首を振ったことを憶えている。その後の混乱で、僕はその女子大生ともTともはぐれてしまった...。遙かな昔の話だ。
【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com < http://twitter.com/sogo1951
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右目の下の傷は抜糸がすんで、綺麗に目立たないようになった。やはり医者に縫ってもらったのがよかったようだ。看護士さんに「放っておいたら肉が盛り上がって醜い傷になったわよ」と言われたが、スカーフェイスを気取るにはそちらの方がよかった気もする。なくしたメガネの代わりを買いにいった。
●306回〜446回のコラムをまとめた「映画がなければ生きていけない2007-2009」が新発売になりました。
< http://www.bookdom.net/suiyosha/1400yomim/1447ei2007.html
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●305回までのコラムをまとめた二巻本「映画がなければ生きていけない1999-2002」「映画がなければ生きていけない2003-2006」が第25回日本冒険小説協会特別賞「最優秀映画コラム賞」を受賞しました。
< http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4880651834/dgcrcom-22/
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■Otaku ワールドへようこそ![113]
非日常の週末、崩壊寸前の自意識
GrowHair
< https://bn.dgcr.com/archives/20100305140100.html
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このところイベント続きで、たいへん慌ただしい。単にスケジュールが詰まっているということならば、がんばって乗り切った自分に対する自己信頼とか、鍛えられて強靭になった精神という形で報われるだろう。肉体的に疲労がたまっているということならば、寝れば回復する。けど、このところのイベントの嵐には、なんか根底から揺さぶられている感じがする。
写真をいっぱい展示して多くの人に見てもらったり、光栄を通り越して畏れ多いというような被写体に恵まれたり、私だけが撮影できる特権を与えられたり、雲の上にいるような才能と実力のある人たちと気軽にお話しできちゃったり、ちやほやしてもらったりして、本来自分が立つべき平面の一段上に立たされているような不安定感に、自意識が崩壊しそうである。
●渋谷ルデコを超満員にしたゴシックでダークなパフォーマーたち
2月19日(金)、20(土)は、劇団MONT★SUCHT初の主催イベント"RosengartenI"が渋谷のLE DECO(ルデコ)1階にて開かれた。この"I"というところに、絶対に成功させて"II"をやるぞ、という主催者の意気込みと自信が伝わってくる。
私も、ありがたく写真を展示させてもらった。A4サイズで44点。一点一点じっくり見てくれる人がけっこういて、自意識がくすぐったい。パンフレットの裏には、セーラー服姿の写真を載せてもらったし。
寺嶋真里さんと再会。馬車道の北仲スクールのときは、帰り際にちょこっと立ち話しただけだったが、今回はけっこうお話しできた。MONT★SUCHTで映像作品というのもいつか実現するといいなぁ。
度肝を抜かれたのは、ウィンドウパフォーマンス。第1部と第2部との間の30分間、会場再設営のためお客さんに明治通りに出て待っていただく間、ウィンドウの一部を小さく囲った中に出演者のひとりが入って、みずからを展示する。超スローな動きをする生きたオブジェ。一日目はダンサーでモデルの薔薇絵さん、二日目は劇団「月蝕歌劇団」の大島朋恵さん。
普通の人だったら、いじめに近い、さらし者状態。きついストレスを感じるに違いない。けど、そこはパフォーマー、後で聞けばお二人ともたいへん気分よく演じられたという。オブジェが実は人だと気づいてたまげる見物人の反応を楽しむ余裕ぶり。演出したMONT★SUCHTの本原さんは、この二人なら任せっきりにしておけば、存在感だけで30分間人の目を釘付けにしておける確信があったという。
大島朋恵さん、永井幽蘭さん、由良瓏砂さんによる、朗読と歌と演奏のパフォーマンスは、芸の上手さに裏打ちされた豊かな表現力とすごい迫力で、会場が完全に引き込まれて、すべてが一体化し、緊張感のある空気が作り出された。私は幽蘭さんのようなすごい人とカラオケに行ったんだー、などとミーハーな喜びに浸ってにまにましていた。許可を得た者以外撮影禁止なので、私がもし大失敗したら何も残らないぞという重圧の下でシャッターを切る。
タロット占いの柴田景子さんに占ってもらった。私は、タロットを、というより、柴田さんの言葉を深く信じる。仮面の作品が壁に掲げられ、そこからスピリチュアルなパワーと人間の精神についての深い理解が伝わってくるような気がしたのだ。カードは手作り。瓏砂さんもそのうちの一枚になっている。
私が開いたのは、ほとんどが女性のカードだった。モテモテ? いや、心当たりないんですけど。人形かな? 人形と言えば、「臘月祭」で櫻井紅子さんの人形を買って下さったAさんがいらしてくれた。あのときは、初日のオープニングと同時にGallery 156にいらして、ラスさんが1体買った後、Aさんが残る2体を買って下さった。Aさんは、以前に瓏砂さんの人形も買って下さっている。
さらに、2月6日(土)にビスクドールを撮らせてもらった吉村眸さんも来てくれた。吉村さんも「臘月祭」に来てくれたことで知り合っている。で、今年の11月ごろ、同じ156で個展を開きたいと計画している。一方、Aさんは156の常連さん。お互いをご紹介することができた。不思議な偶然のような気もするが、こういうことはよく起きる。
・大島朋恵さんの写真
< http://picasaweb.google.co.jp/Kebayashi/DRdCkF#
>
●例によって美登利さんの人形撮影は慌しい
2月21日(日)は、美登利さんの新作人形撮影。私にとっては一番古くから人形作品を撮らせてもらっている作家さん。なので、互いの状況をよく理解しあって、息が合っている。怒涛のスケジュールの合間を無理やりこじ開けての撮影なんてあたりまえ。他の人から言われたら「えーっ!」とのけぞってしまいそうなことでも、美登利さんだとカラスが鳴いた程度の騒ぎでしかない。
前日まで撮影場所が決まってなくたって、あせりもしない。実際、予定していた日の午前中にも急な用事が入ったとかで、撮影場所変更の希望を伝えてきたとき、すでに当日になっていた。その日だって、ホントは福岡に発送しなきゃならない締切日を一日過ぎてるんだけど。もし福岡の展示で売れちゃうと、写真すら残らないから、何がなんでも発送前に撮っておかねば、というわけだ。
1時間ばかりでささっと撮って、発送したら、京橋の「ドルスバラード」へ行って、展示していた人形を撤収というスケジュール。1時を少し過ぎて浦和駅の改札口を出てきた美登利さんは、赤ん坊ほどの大きさの新作をむき出しで両手に抱えていた。「小鳥姫」。顔は幼女で、下半身は鳥。箱を用意している暇なんて、どう考えても捻出しようがなかったそうで。
もしかして、画廊に展示しておくよりも多くの人の目に触れたんではないかい?同じ作品でも見せ方でがらっと違って見えただろうけど。本人からすれば、こうする以外に仕方がないという必然の理由があるから、見かけの突拍子のなさの割には気は確かなのが分かっているけど、たまたま目撃しちゃった側にとってみれば、クエスチョンマークがいっぱいだったろうなぁ。
調(つきのみや)神社は、狛犬の代わりに狛うさぎがいることで有名なところ。しかし、撮ったのは、狐のいる古そうな祠の前。撮っている最中は狐の顔が怖そうに見えて、ひょっとすると見た者は祟られるといわくがつきそうな恐怖写真が撮れるかな、と思ったのだが。写真で見たら、やさしそうな顔をしていてぜんぜん怖くない。
小鳥姫の写真
< http://picasaweb.google.com/Kebayashi/NmYZdK#
>
●ついに撮れたか心霊写真
2月26日(金)は、MONT★SUCHTの内輪の打上げに混ぜてもらえた。会場での写真を渡すという用事もあって。もしかすると、ありがたくも、アラモード・マガジンで使ってもらえるかもしれないとのこと。この劇団らしく、お店はゴシックな雰囲気。私は「堕天使の召喚、処女の鮮血」という名のカクテルを注文。うわっ、苦い。
怖い話題が出た。来場者と出演者交えての記念写真の中に、不審な顔が写っているという。1日目に撮った写真には40人ほどが写っているが、よく撮れていたので、2Lサイズにプリントして、2日続けての来場者や関係者にお配りした。その中に、2人並んだ人の肩の間から、小さな顔の上半分が突き出しているという。誰も写真を持ってきていなかったので、その場では確かめようがなかったが、気づいていなかったよー。
今までに、何万枚写真を撮ったかしれない。墓地で撮ったこともある。ろうそくの炎や線香の煙なども試してみた。けど、心霊っぽいものを捉えられた試しがない。その方面には才能がないのかとあきらめかけていたが、遂にやったか。
そう言えば、と点子さんは言う。夜、ひとり残って会場の設営作業をしているとき、会場内の古いドアをゆっくり開けたら、ぎ・ぎ・ぎ・ぎときしむ音が「せ・ん・ぱ・い」と聞こえた、と。あ、言ってなかったけど、と瓏砂さんは言う。あの会場「でる」らしいよ。ひょえ〜。
帰ってから、元画像を見てみた。5,616×3,744画素。うん、人だろ。どう見たって人だ。mixi日記にアップしたら、「犯人」まで特定されちゃうし。やっぱり才能ない私なのであった。
●清水真理さんに「あの人、何者?」
2月11日(木)〜3月8日(月)、浅草橋の「パラボリカ・ビス」にて清水真理さんの人形展「片足のマリア〜Strange Angels Garden〜」が開催中である。パラボリカ・ビスは雑誌「夜想」がディレクションするスペース。今発売されている号はモンスター&フリークスがテーマ。それに合わせて、清水さんの作品も、額に人面瘡が浮き出ていたり、2体が胴体でくっついていたり、顔が2つあったり、上半身と下半身が逆向きについていたりして、ちょっと怖い。
清水さんは人形界のビッグネーム。人形教室「アトリエ果樹園」は多くの生徒を擁し、去年の4月に渋谷のルデコ4階で開いた教室展では、生徒たちの実力のすごさも示してくれた。頻繁に個展を開き、いつも精力的に活動しているが、ギャラリーだけでなく、ゴスロリ・アングラ系のクラブイベントでも展示することがある。ダークでゴシックな世界観を共有するパフォーマーとして、MONT★SUCHTやRose de Reficul etGuiggles などとつながりが深い。
寺嶋真里さんの映像作品の新作「アリスが落ちた穴の中 Dark Marchen Show!!」には、Rose de Reficul et Guigglesと清水さんの人形が出演している。特別出演でアリスに扮するのは、マメ山田さん。この上映が2月20日(土)と27日(日)にあり、私は後のほうのに行ってきた。また、26日(土)には、Rose de Reficul et Guiggles のパフォーマンスがあり、それも見てきた。それと、寺嶋さんの映像収録と並行して撮ったという、写真家の中村キョウ(漢字は[走喬])氏による写真作品も展示されている。
26日(土)の夕方、パラボリカ・ビスの階段の上には、Rose de Reficul etGuiggle のローズさんがデンと椅子に腰かけていた。この「デン」はローズさんの衣装の形容。ロココ時代のフランスの貴婦人かという盛装で、衣装の派手派手しさのおかげで3まわりぐらい大きくみえる。
去年の5月24日(日)の京都の「夜想」でのイベント以来の再会で、互いに両手を握りあって再会を喜んだ。その時点で、私の悪目立ちは始まっていた。そりゃ、その日の主役、みんなのプリマドンナとやけに親しそうにしているヒゲのおっさんとかいたら、「何あいつ?」って思うわな。ローズさんの隣に立っていたダンディーな紳士が写真家の中村氏であった。紹介していただいた。
写真、非常に面白くて勉強になった。色みをくすんだ感じに渋く抑え、肌の上に年季を経た石材のようなテキスチャを貼り付けている。おかげで、ローズさんたちが、彫像みたくなっている。もともとの被写体の個性の方向性のベクトルと同じ向きで写真家の創意工夫のベクトルを直列つなぎに足し算しているので、面白さがずぎょーんと増幅されているのだ。写真家の仕事とはかくあるべし、という模範を見せてもらった感じだ。
ぎっしりと人が詰め込まれた1階の展示室、ローズさんたちのパフォーマンスの前に、お決まりの注意。かと思いきや、写真撮影OK、ウェブ掲載OKとのこと。うぎゃっ、カメラ持ってきてないよー。この馬鹿者〜と思ったそこのあなた、式子さんという方が写真入りでブログを書かれているので、そちらをご参照下さいませ。
< http://shikiko.blog.shinobi.jp/Entry/1019/
>
終了後、清水さんとお話しできた。デザフェスなどでもお会いしてはいるが、ゆっくり話すのは教室展以来だ。ひそひそ話したほうがよさそうな内容のことを大きな声で話してしまったのも、悪目立ちだったか。後で、清水さんに、私のことを「いったい何者?」と聞いてきた来場者の方がいたそうである。コスプレ写真とか撮ってるただのカメコでやんす。
●中川多理さんを遮光板代わりに
2月28日(日)は、銀座「ゆう画廊」にて3月6日(土)まで開催中の、12人の人形作家によるグループ展「Mellow Yellow〜あの日窓から見たメリーゴーランド〜」の初日。中川多理さんにこの前お会いしたのは、去年の3月1日(日)、横浜での個展にべちおさんと連れ立って行ったときだから、約1年ぶりだ。今回は、夕方ごろ行ったらとっくに帰った後だった。
この前、べちおさんが完全にやられてしまい、夢にまで出てきたという少女はあの時点ですでに売約済みだったそうで。同じ趣向のをまた作ればきっとお迎えしてくれるでしょう、と告げておいた。清水真理さんとばったり会う。18時間ぶり。じゃ、後ほど。
中川さんにお願いして、作品を撮らせていただく。テーブルの上に女の子、下に男の子。男の子は顔に露出を合わせると足が白飛びしてしまうので、苦肉の策で、中川さんに照明との間に立っていただいた。うん、とんでもないことです、どうも失礼しました。
橘明さんとばったり会う。共にオープニングパーティに混ぜていただく。画廊の外のエレベータ前から階段にかけて、人があふれかえっていた。橘さんと一緒に浅草橋に向かう。昨年末の10人展「臘月祭」でご一緒した櫻井紅子さん、枝里さん、長尾都樹美さんがその後来て、大人数で飲みに行って、にぎやかだったらしい。
・中川多理さんの人形の写真
< http://picasaweb.google.com/Kebayashi/203#
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●ローズさんとの2ショを中村先生に撮っていただく
20時間ぶりに「パラボリカ・ビス」へ。大きな声じゃ言えないけど、清水さんとスタッフの方から特別の了承を得て、設営中に清水さんの人形の写真を撮らせてもらった。じっくり向き合うと、清水さんのフリークスへの愛情や共感や自己投影が見えてくる。そして美しい。そのあたりのことは、ご本人が雑誌「夜想」のインタビュー記事で述べている。
寺嶋さんの新作映像の上映。いや、面白かった。被写体の持ち味を最大限に引き出しちゃう寺嶋さんの腕は、旧作から一貫していて、毎度感服するしかない。泣けるような映像ではないかもしれないけど、泣けた。ローズさんとマメさんのそれぞれ違った個性を持ちながら響きあう純粋性に打たれてしまうのだ。その純粋性は、金銭欲、名誉欲、権力欲などの強い力を原動力とする世の中の荒波の前にはまったく無力で、結局は淘汰されてしまうのかもしれないけれど。
その後、対談。左から、ギグルスさん、ローズさん、寺嶋さん、中村さん、清水さんと並ぶと、みんなお互いに見知った面々だ。やや後方左端の席から伸び上がってカメラを構えると、ステージ上からローズさんが「GrowHair さーん!」と手を振ってくれた。ありがとう。うれしかったよ。けど、他の来場者たちは、「あいつ、何?」ってきっと思ってたろうなー。
終了後、2階で、どういう拍子でそうなったのか思いだせないのだが、ローズさんとの2ショットを中村先生に撮っていただくという幸運に恵まれた。後で送っていただいたのが、この写真。
< http://picasaweb.google.co.jp/Kebayashi/xUfqJL#5444452837829321058
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イベント続きの週末を存分すぎるくらい堪能できたのはいいけど、本来気配を消すべきカメラマンの分際で、暑苦しい存在感を撒き散らしすぎたか。
・清水さんの人形とローズさんたち
< http://picasaweb.google.com/Kebayashi/RoseDeReficulEtGuiggiles#
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ここで、はたと困った。デジクリ原稿、どうしよ? まだ一行も書いてない。とても手が回らないので今回ばかりは休載させていただこう。どれほど忙しかったかを書き綴って柴田さんにメールすれば、きっと納得して許してくれるだろう。そう思って書いたわけですが、これが原稿でいいですかね?
【GrowHair】GrowHair@yahoo.co.jp
私の知己の中に、ほんの2〜3人だが、地獄から伸びてくる手に足首をつかまれちゃってるなー、って人がいる。除霊能力のない私にはどうすることもできない。けど、実は、上から差し伸べられる救いの手もいっぱい出てるんだよなぁ。ことごとく見過ごしちゃってるだけで。
救いの手とは、お金をくれる人でも味方してくれる人でもなく。発想を転換して、生きる姿勢をふっと変えてみることで、すいっと安全地帯に行けるよ、って示唆してくれるヒントのこと。そこいらじゅうに転がっている。
泥沼から抜け出すための答えそのものを、私が知っているわけではない。いちおう、自分専用の生きる指針みたいなものは、ちょっとずつ構築してきてはいる。こういう状況ではこうすべきだ、とか、ある状況で決して言ってはならないこと、とか。けど、自分の世界観なんて、乏しい経験からくる未熟なものに違いないし、常に修正の途上にあるわけだし、人様にとっても有効に作用する普遍性があるのかどうかも定かではない。
だから、とてもじゃないが、自信をもって薦められたもんじゃない。押し付けがましいことは言いたくない。けど、こっちから見ていると、せっかく吹いてきている上昇気流を自分で蹴散らしているんじゃないか、とみえるときがある。そういうときは、なんとかしてヒントを出してあげられないかと気をもむ。ちょっとしたことに気づくだけでいいんだけどなぁ。ひとつところに凝り固まった心を少しだけほぐして、発想を転換するだけでいいんだけどなぁ。
たとえば、自分は損してる、ホントはもっと得してたはずだ、と思うなら、まわりの人も同じように思ってるんじゃないかな、と慮って、まず、自分が得する前に、まわりの人に得させてあげる。お金なら、人のために使えば自分の分は減るという保存則が成り立つけど、幸福というものは、人に与えた分、その瞬間に同じ分だけ自分にもどこからともなく振り込まれているものだ。
また、たとえば、みんなが本当の自分を深く理解してくれようとしない、と嘆くなら、まず自分がまわりの人たちに深い興味をもって、よく理解しようと働きかけてみてはどうだろう。その働きかけを喜んで受けてくれる人なら、こんどは自分について語ったときには耳を傾けてくれるんじゃないかな?
おーい、今のその姿、見ててつらいぞ。頼むよ、気づいてくれよぉ。
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■編集後記(3/5)
・昨日の夕食の時、妻が(というイントロをまた)再来週の日曜日に孫娘のピアノ発表会があるという。当然、大トリだろうなと冗談を発すると、それがねえ、と待ってましたとばかりに。プログラムは年齢順だという。え? ヘタな順といっちゃ悪いが、普通は後ろにいくほど上手な子になるんじゃないのか。妻は長いこと自宅でピアノ教室を開いており、年に一回は発表会を開催した。わたしもプログラムのデザインをずっと担当していた。その当時のプログラムは完全に実力順で、情実を排し年齢や経験年数も関係なかった。生徒のひとりであるわが娘だって同じ扱いだ。まことに公平であった。また、生徒個人個人に向いた曲選びも考え抜いていた。お稽古ごとのイベントにしては、ずいぶん力をいれていたと思う。ところが、いま孫娘の通っている教室の先生は、あっさり年齢順に並べるばかりか、曲選びもイージー(のよう)だと、そうとう不満な妻である。なぜこうなったのかというと、モンスターペアレント対策らしい。昔は、プログラムに見られる序列は生徒本人も親も納得しており、文句は一切出なかった。だが、いまは違う。我が子が一番うまいと思う親ばかりである(たぶん)。そんな親からの抗議がこわい。文句が出ない年齢順が一番安全というわけだ。ところで、今朝の新聞広告。キヤノンEOS Kiss X4の「うちの子は、世界一」シリーズ、おもしろい。ほほえましい。本当のモンスターペアレントも出演している。(柴田)
< http://cweb.canon.jp/camera/eosd/ad/index.html
> EOS Kiss X4広告
・図書館でビジネス関連書を借りるメリット(著者さんごめんなさい)。まず、期限がある。私が借りる大阪市立図書館だと、一度は延期できるが最大四週間。面白かろうが、面白くなかろうが返却しなければならない。面白くなければ読むスピードは遅くなるから、期限直前に慌てて読み切るか、読まないと決める。面白ければ、買った本だとつい後まわしにしがちな(か、作るのをさぼる)メモをとる。次にいつ読めるかわからないからと、自然と(あるいは必死で)エッセンスをメモっている。つまり軽く読み返すことになり、メモをとるために頭の中でまとめようとするから、買った本より真面目に読んでいる気がする。面白くてこれからも参照するだろう本、分厚くて到底メモをとっていられないような本の場合は、途中で返して、書店で購入。で、この面白い本は手元にあると、あることに安心して読むのを後回しにしちゃうんだよな〜。デメリットは当然ながら書き込みができないこと、いつでも参照できないこと、期限までに返さないといけないこと、読みたい時すぐに読めない(人気本だと半年ぐらい待たされる)ことぐらいかな。強制メモ、おすすめです。/GrowHairさんのあとがきにドキッとする。(hammer.mule)