映画と夜と音楽と...[454]突破するわよ!
── 十河 進 ──

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〈君よ憤怒の河を渉れ/新幹線大爆破〉

●まっぷたつに割れてゆく銀色に輝くジュラルミンの楯の壁

男は警察の包囲網に追いつめられ、北海道から上京していると聞いた女に電話をする。ホテルで商談を終えていた女は、男の電話に顔を輝かせる。女は男を心の底から愛しているのだ。男は「凄い包囲網だ。とてもそこまでいけない」と絶望的に言う。女は「諦めてはダメよ。30分後に西口にきて」と、叱りつけるように言って電話を切る。

男は、新宿の雑踏で張り込んでいた刑事たちに見付かる。男には、検察庁から射殺命令まで出ているのだ。男は新宿東口から西口に抜ける地下道を走り抜ける。刑事たちが発砲する。発砲に驚いて、群衆たちがパニックを起こす。その騒ぎに紛れて、男は西口駅前にたどり着く。そのとき、遠くから馬のひずめの音が聞こえてくる。信じられないことだが、馬の群れが夜の新宿西口駅前に姿を現す。

機動隊が配置されている。「絶対に捕らえろ」と命令された機動隊員たちは、銀色に輝くジュラルミンの楯で壁を作り、大通りをふさいでいる。馬群の中心には、美しい女がひとりいる。見事に馬を駆っている。男はその馬に寄り添い、飛び乗る。馬群が暴走し、それにまぎれて女は男を後ろに乗せ、新宿を駆け抜ける。アスファルトに慣れていない一頭の馬が、脚をすべらせて転倒する。

十戒 50周年記念版 (初回限定生産) [DVD]彼らの目の前には、機動隊のジュラルミンの楯が横に広がっている。何重にも並んでいる。馬たちが疾走する。銀色のジュラルミンの楯の壁が、まっぷたつに割れて退いていく。まるで「十戒」(1956年)で海がふたつに裂け、モーゼを導く道が現れたように、馬で疾駆する女と男の前にひとつの道ができる。女が決意を込めて宣言する。

──突破するわよ!



このとき、僕は劇場で拍手した。拍手したのは、僕だけではなかったはずだ。何人かがつられて拍手した。いや、もっと多かったような記憶がある。劇場中が興奮し、男と女の逃避行を支持していた。おそらく、その場面で観客の誰もが馬にムチを入れる美しい女優に恋をした。

その映画の中で、最高に盛り上がるシーンだった。群衆や機動隊員役のエキストラを集め、新宿の駅前に何十頭もの馬を走らせるのである。撮影は大変だったろうし、リテイクできる状況ではなかっただろう。一発勝負である。制作費の多さを売りにする大作だった。その場面にも、相当な経費がつぎ込まれたはずだ。

しかし、僕が感激したのは、ジュラルミンの楯がまっぷたつに割れてサーッと退いていき、その美しい女優が「突破するわよ」と高らかに宣言したことだった。そこには作者たちの、おそらく数年前に起こった学生たちの反乱に共感する想いが込められていたはずだ。

レッドクリフ Part I & II ブルーレイ ツインパック [Blu-ray]まるで「レッドクリフ」(2008〜9年)の戦闘シーンのように、銀色の壁として立ちふさがるジュラルミンの楯。絶対に破れないと思えたその楯の壁が、疾駆する馬群によって退却させられている。その光景に何らかの想いを抱くのは、サーチライトを反射して銀色に輝くジュラルミンの楯を、真っ正面から見たことがある人間だけかもしれない。

●中華人民共和国で中野良子は日本を代表する女優になった

君よ憤怒の河を渉れ [DVD]追いつめられた高倉健を救うために、新宿に馬の群れを走らせたのは中野良子だった。彼女には他にも代表的な仕事(テレビドラマの秀作が多い)はあるのだが、僕はどうしても「君よ憤怒の河を渉れ」(1976年)の真由美を思い浮かべてしまう。あのヒロインはひどくみっともなく登場し、やがて主人公のパートナーとなり、救世主となる。

「君よ憤怒の河を渉れ」は、文化大革命からそれほど年月が経たない中華人民共和国で上映され、圧倒的な人気を得た。中華人民共和国では、高倉健と中野良子は日本を代表する俳優であり女優となった。中野良子は山口百恵初の連続ドラマ「赤い迷路」(1974〜75年)にも重要な役で出演し、それがやはり中華人民共和国で放映されたため、人気はさらに高まった。

単騎、千里を走る。 [DVD]高倉健は「単騎、千里を走る。」(2005年)で中国を代表する監督になったチャン・イーモウに出演を懇願されるほど、今も知名度はトップの日本人俳優だが、ある時期(今もそうかもしれないけれど)、中華人民共和国において最も有名な日本人女優は中野良子だったのである。

火宅の人 [DVD]だが、日本では中野良子のデビュー当時、ライバル視されていた松坂慶子がいわゆる体当たり演技的な女優魂を見せ、若手女優としては大きく成長していた。その後、深作欣二監督の「火宅の人」(1986年)で大胆なヌードを見せた松坂慶子は大女優になり、中野良子は出演作がなくなり「中国では有名らしいよ」と言われるような女優になった。

中野良子は、肌を見せるのを極端に拒んだと聞いたことがある。「君よ憤怒の河を渉れ」では洞窟での高倉健との濡れ場があるのだが、ほとんど肩から上しか見せていないし、高倉健をかばうために警部役の原田芳雄の前でオールヌードになるのは、吹き替えを使っているのが明らかにわかる。もちろん、オールヌードのシーンは、中華人民共和国ではカットされた。

しかし、今、僕は「花心中」(1973年)という映画を懐かしく思い出している。早坂暁が脚本を書いたNHKドラマ「天下御免」(1971〜72年)の紅さんで人気が出た、中野良子の初主演映画である。彼女は若く、触れれば壊れそうなほど華奢で儚げだった。相手役は人気絶頂だった近藤正臣であり、原作は阿久悠と上村一夫のコンビである。それを才人・斎藤耕一が監督した。

旅の重さ [DVD]斎藤耕一監督は昨年11月に80歳で亡くなったが、その死亡記事を見たとき、真っ先に僕が思い出したのは「旅の重さ」(1972年)でもなく「津軽じょんがら節」(1973年)でもなく、「花心中」だった。当時の青春映画は、なぜか不幸になるために恋愛をする男女を描くようなものばかりだったが、「花心中」も例外ではなかった。

気取った不思議な喋り方をして、全身から儚さを漂わせている中野良子は、そんな時代の青春を代表していたのかもしれない。同じように妙に気取った近藤正臣とのコンビは、傷つけあい不幸になるために出会う若い男女を演じ、時代の閉塞感を描き出すのに成功した。あの頃、若者たちは幸せになってはいけなかったのだ。若者たちは、何かに敗北していた。それは、時代の気分だった。

●儚さはどこかへ消え溌剌と馬に跨る姿が目に焼き付いた

君よ憤怒の河を渉れ (徳間文庫)「君よ憤怒の河を渉れ」は、西村寿行の初期のベストセラー小説を映画化したものだった。僕はずっと「ふんぬ」と読んでいたのだが、映画化された作品は、なぜか「ふんど」とルビを振ってあり、僕はあわてて辞書を調べた。辞書には「ふんぬ・ふんど」と出ていたが、僕はそれでも「ふんぬ、だよな〜」とつぶやいた。大学時代、「おれは怒ったぞ」という意思表示のために、「ふんぬー」と叫ぶ級友がいたのだ。

「君よ憤怒の河を渉れ」の主人公である地検の検事(高倉健)は、悪徳代議士が自殺した事件を独自に捜査していたが、強盗強姦の濡れ衣を着せられ、その証拠が周到に準備されていることを知り、自分を逮捕した警部(原田芳雄)の隙をついて逃亡する。彼は逃亡検事としてマスコミで大きく報道されながらも、無実を証明するために証人を追って日本中を駆け巡る。

警察に追われて逃げ込んだ北海道の日高山脈で、高倉健は牧場主の娘である真由美(中野良子)が熊に追われて木によじ登り、「助けて」と叫んでいるところに出くわす。このときの中野良子は、あまり恰好がよろしくない。僕は熊に襲われたことはないから何も言えないが、もう少し優雅に木にすがりついていてほしかった。もちろん高倉健は彼女を救い、真由美は命の恩人に恋をする。

真由美の父は自家用飛行機を持つ大牧場主で、道知事選挙に出る予定だ。ひとり娘の真由美を可愛がっているが、真由美は暴れ馬を乗りこなす男勝りの娘で、牧場に原田芳雄がやってきたときも、逃げる高倉健を追って馬上の姿を現し、彼を乗せて日高山脈に逃げ込む。「なぜ、助ける?」と訊く高倉健に「あなたが好きだから...」とストレートに叫ぶはっきりした娘だ。

それまでの中野良子のイメージを変える役だった。線の細さや儚さはどこかへ消え、溌剌と馬に跨る姿が目に焼き付いた。男に「あなたが好きだから」と率直に告白し、積極的に抱かれる。警部に向けて銃を構え、男を救うために馬を駆る。取引のために上京し、男の苦境を自分の牧場の馬たちを放つことで救い、男を励ますように「突破するわよ!」と決意表明をする。

しかし、男が初めて小型飛行機を操縦して北海道を脱出するときに見せた深い憂い顔、男を救うために警部の前で一糸まとわぬ姿になったときの恥じらい、事件が解決した後に「一緒にいっていい?」と男に臆したように尋ねる表情には、中野良子がずっと漂わせていた儚さが感じられた。確かに、あのヒロイン像なら中華人民共和国の人民たちを熱狂させたことだろう。

●大きな何かに対する敗北感を多くの若者たちが抱いていた

新幹線大爆破 [DVD]高倉健は「君よ憤怒の河を渉れ」の前年、同じ佐藤純弥監督と組んで「新幹線大爆破」(1975年)を作っている。高倉健が犯罪者を演じ、評判になった映画だった。新幹線が80キロを超えると仕掛けられた爆弾にスイッチが入り、時速80キロ以下になると爆発するという設定が話題になった。犯人は新幹線と乗客を人質にして、身代金を要求する。その主犯を高倉健が演じた。

高倉健が演じたのは、オイルショックによる不況で大企業の下請けを切られ、倒産した町工場の社長だった。彼と組む犯人たちは、学生運動で挫折した青年(山本圭)、集団就職で上京したものの不況で失職し、食い詰めていたところを倒産した工場主に救われた青年(織田あきら)である。彼らは、高度成長時代の負の部分を象徴するキャラクターだった。

新幹線大爆破 海外版 [DVD]「新幹線大爆破」は、カット版が海外でヒットした。キアヌ・リーブス主演で話題になった「スピード」(1994年)の元ネタになったと言われている。フランスでは大ヒットしたそうだが、そのとき「犯人たちのエピソードが大幅にカットされていて、あれじゃあ高倉健は単なる悪役だよ」と、ある人に聞いたことがある。高倉健は、フランスでは有名じゃなかったのかもしれない。

太陽を盗んだ男 [DVD]そう、「新幹線大爆破」は「太陽を盗んだ男」(1979年)と同じように、犯罪者の側に立つ映画だった。犯人たちが国鉄や警察、それらの背後に存在する国家権力に牙をむく姿に、観客たちは共感した。共感するように映画は作られていた。それは、1975年という時代だったからに他ならない。その頃は、権力や、もっと大きな何かに対する敗北感を多くの若者たちが抱いていた。

当時、僕は「新幹線大爆破」を見ながら、「権力は暴力装置を必要とする。国家権力にとってそれは警察だ」という文章を思い出していた。誰の文章だったろう。吉本隆明は書きそうにない。谷川雁か、埴谷雄高か。誰にしろ、権力を正確に分析すれば、それは正しい。「新幹線大爆破」の警察は、なりふりかまわず犯人を逮捕しようとする。家族を脅し、罠を仕掛け、犯人の死を顧みず、逆らう者を許さない。

「新幹線大爆破」のラストシーンは、国家という権力の非情さと反逆者たちへのレクイエムを感じさせて終わった。その監督と主演俳優のコンビは次回作の「君よ憤怒の河を渉れ」のラストシーンでは、かつてエリート検事であり国家を象徴して人を罰す役割だった主人公に、こんな意味のセリフを言わせている。

──逃亡している間に、法律では裁けない罪があることを知りました。二度と人を裁く人間にはなりたくないし、追うよりは追われる側でありたい。

その言葉から、弱い者、虐げられた者、社会の底辺で生きる者、彼らへの共感がにじみ出る。主人公は彼らの助けを得て逃亡を続けたのだ。その中で、国家が定めた様々な法律を破った。しかし、法律を守るだけでは守れない何かがある、と気付いたのだ。スクリーンを見つめていた僕には、そのセリフと共に夜の新宿の街で馬を駆る中野良子の勇姿が甦った。同時に「突破するわよ」という言葉が...

「君よ憤怒の河を渉れ」を見る6年前のことだった。1970年4月、18の僕は上京して一週間ほどしか経っていなかった。大学に入って余裕のある友人のTに誘われて、赤坂の清水谷公園で開催された「ベトナムに平和を!市民連合」(ベ平連)の集会に参加した夜のことだ。女たらしのTはそんなところでもこまめにナンパをして、いつの間にかふたりの女子大生と仲良くなっていた。

そのひとりに「きみは?」と訊かれ、「浪人です」と僕は答えた。彼女は僕より年上のようだったし、集会やデモにも慣れているようだった。集会が終わり、日比谷公園までのデモに出発するときになって、公園の出口に機動隊が楯の壁を作っているのがわかった。近くで学生たちのセクトの集会とデモがあり、そちらが荒れたために急にデモが禁止になったのだ。機動隊が僕たちを解散させようと待ちかまえていた。

サーチライトが眩しかった。銀色に輝くジュラルミンの楯が威圧的だった。初めての経験で、僕は震え上がっていた。どこかで「官憲、帰れ」と声があがった。横にいた女子大生も大声で「官憲、帰れ」と叫び、僕の方を向いて「ねっ、突破しようか」と言った。僕は、黙って気弱に首を振ったことを憶えている。その後の混乱で、僕はその女子大生ともTともはぐれてしまった...。遙かな昔の話だ。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com < http://twitter.com/sogo1951
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右目の下の傷は抜糸がすんで、綺麗に目立たないようになった。やはり医者に縫ってもらったのがよかったようだ。看護士さんに「放っておいたら肉が盛り上がって醜い傷になったわよ」と言われたが、スカーフェイスを気取るにはそちらの方がよかった気もする。なくしたメガネの代わりを買いにいった。

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by G-Tools , 2010/03/05