56歳のオヤジがランキング9位アプリを開発する物語
── 中内淑文 ──

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はじめまして。中内淑文と申します。
iPadアプリを開発し、その後、眼前の景色が夢のように変わってしまいました。開発のきっかけや経緯をお話しします。

そのアプリ、「RecFinger」は、簡単に言えば、録音と手書きメモをシンクロさせたアプリです。メモをタップすれば録音データの頭出しが一発で出来ます。
< http://www.unix-d.co.jp/recfinger
>

●ソフトランディングの中止

55歳を過ぎた私は、家のローンも終わりが見え、子供も大きくなり、この小市民的な生活も、そろそろソフトランディング(御隠居化)かなと思っていました。老後への備えというヤツです。多くの友人が、その計画や夢を酒の肴に語ります。年金の話をする連中もいます。彼らと一緒に酒を飲みながら、私も残りの年数を数えるようになっていました。

そんな4月のある日、友人にTwitterを勧められました。試しにツイート開始。数日後、「なんだ、結局Twitterってみんな、暑い、寒い、眠いとしか言ってないじゃない! 意味ないからもう辞める。」と別の友人に言いました。その友人曰く「そんな事ない。意味のあるツイートをしている人も居る。例えば川崎和男さんだけどね。」

言われるままに、川崎先生のツイートとブログを見ました。衝撃を覚えました。鳥肌が立ちました。物語はここから始まります。


先生のブログを見て鳥肌を立てた私はその後、「先端統合デザイン特論(PiD)」を受けはじめました。週に一度、川崎先生のナマの講義が聴けます。講義を聴いた私は更なる衝撃を受けます。打ちのめされます。聴けば聴く程、自らの自堕落さを思い知らされました。自分が恥ずかしくなったのです。

なんと川崎先生は今も全力疾走しておられるのです! 世界トップレベルの方が、日本の100人に選ばれた方が、今も休まず全力疾走しているのです。ひたすら走り続けておられるのです。大した事も成し遂げずに自己満足していた自分がちっぽけに思えました。ソフトランディング? 老後? 年金? お前はバカか!

で、決意しました。人生の無駄遣いは止めよう。必死で生きようと。手を抜いて生きるという事は、実は自分を見捨てる事ではないか? それは御褒美ではなく、匙を投げたのだと思います。

< http://www.design.frc.eng.osaka-u.ac.jp/
>
大阪大学大学院工学研究科 先端統合デザイン特論(PiD)
< http://www.ustream.tv/channel/pid-on-ustream
>
大阪大学大学院工学研究科川崎和男先端デザイン研究室 公式USTREAM

●オーディエンスからプレイヤーへ

私の仕事は、GUIです。仕事柄、iPodやiPadは発売、即、購入です。デジタルなガジェットは個人的にも好きです。カスタマイズもします。でも、何かツマラナイのです。このつまらなさは何だ? 踊らされてる感はなんだ? 私はAppleの(猿回しの)猿か? ジョブズの掌か?

そうか! これは客席に居るからツマランのだ。グラウンドに降りてゲームに参加しよう! AudienceからPlayerになろう。マウンドから見える景色は、きっと面白いだろう。Playerの楽しさは、学生時代にやっていたブルースバンドで経験的に知っています。よし! あのグルーブ感をもう一度、味わうぞ!

川崎先生は高度なデザイン論を咀嚼して語られます。それでも私には理解出来ない箇所があります。ノートを書く事に集中すると、リアルタイムでの理解が出来なくなります。眼を見ないで人の話を聴くのは失礼です。よって、講義を録音します。ノートはあくまで補助です。その後、データをiPodに移して通勤電車で聴きます。ノートを見ながら聴きます。わからない箇所は、繰り返し聴きます。

さぁー、頭出しが出来ません。聴きたい箇所をピンポイントで選べません。30秒のパートを聴くための頭出しに、5分かかったりします。イライラがつのります。

●メディアインテグレーション

iPodとの格闘が続いていた5月末にiPadが発売されました。手書きメモアプリをいくつかインストールして使ってみました(私はタイピングが遅いので手書きでないとダメなのです)。しかし当然、頭出しの問題は未解決のままです。

そんなある日、川崎先生が講義中に偶然、おっしゃったのです。「マルチメディアでは駄目だ。メディアインテグレーションなんだ!」その言葉をiPadにメモっていると、頭の中でカシャーン、カシャーンとパズルのピースがつながっていく音が聞こえます。

そうだ! 録音とメモをインテグレートすれば良いのだ!

ソフトランディング中止の決意、Playerへの願望、メディアインテグレーション、眼前には疾走を続ける超一流のデザイナー。これだけの条件が揃って何も事を起こさなければバカです。よし、iPadアプリを作ろう! と決意し、Appleのデベロッパーズ何とかに登録。猿でもわかる的なiPhoneプログラム入門本を購入。

......そして自分は猿以下である事が判明。さぁ、困った。開発パートナーを探さねば! なんとまぁー、相談したひとつ目の会社社長が快諾、しかも成功報酬で。利益を折半の約束で着手(持つべきものは人脈である)。良かった!

●クライアントは自分。制約なし、言い訳なし、締切なし

ここから先は、やりたい放題。クライアントは自分。制約なし、言い訳なし、締切なし。これ程、やり甲斐のある案件はあり得ない。制限は唯一、自分の能力のみ。自分で考えては、自分でダメ出し。無駄な機能を削ぎ落とす。当然、マニュアルレスでなければいけない。こうして楽しい試行錯誤を繰り返す事、一ヶ月。基本レイアウト完成!(ほぼ最終版と同じモノです。)

自信たっぷりの画面案を元に、開発パートナーと打ち合わせ。この会社はとても優秀(宣伝、宣伝。社名はSECUREGRAPH、電話は06-6312-6566)。操作フローの矛盾があれば、容赦なく指摘してくれます。プログラムだけではなく、インターフェイスに関しても深い造詣を持っています。頼りになります。彼らは手書きメモの容量がデカくならないように、ビットマップではなく、ベジエ曲線で保存するプログラムを作ってくれました。その後のワガママな機能追加も快く、引き受けてくれました。お陰で、7月初旬にはプロトタイプが完成!

開発中に突然、気が付きました。あれっ! このアプリ、言語に関係ない? だって、録音も手書き入力も言語に関係ない! オッー。これは多言語対応にしよう! すべき事は、インターフェイスに出来るだけ言葉をいれない事。可能な限りピクト化する事。かくしてRecFingerの世界同時発売は決定したのです(ラクチン、ラクチン)。ラッキー!

出来上がったプロトタイプのフィールドテストを開始。打ち合わせや、講義にて使用。先生がプロジェクターを使用する時は部屋が暗くなります。

 私の手許のiPadだけが明るい→ 一発で暗くする機能を追加。
 先生は、図解を多用されます→ 入力窓を大きくする機能を追加。
 大事な箇所を赤くしたい→ 色えんぴつを追加。
 書き間違えた→ undoを追加。

私が使いやすいように、どんどん改良していきます。なにしろ私がクライアントなのですから。「......これ以上機能を盛り込むと、何処かの国の携帯電話みたいになるぞ!」と開発パートナーに叱られました(その通りです)。ということで、機能追加はここで終了。

●リリース! そして......

そんなこんなで、9月後半に最終版が完成! さっそく、App Storeにエントリー。心配していた審査も一発で通り、10月1日にめでたくリリース! さあ、マウンドからは何が見えるのだろう? どんな景色が拡がっているのだろう。興味津々です。

とは言え、冷静に考えれば実績も看板も宣伝力もない状態でのリリース。リリースされた事を知るのは、友人とTwitterのフォロワーの方々のみ。当分の間は何も起きないだろうと思っていました。ところが、予想は見事に外れ、夢のような事が次々に起きたのです。

リリースから一夜明けた翌日、寝ぼけ眼で日本のAppStoreを見ました。えっ? レビューが入っている。嘘! 購入日当日に実戦投入とあります。プロのインタビュアーさんのようです。購入日どころか、それは発売日なのです。この職種は、想定していたのですが、いきなりプロの使用評価をいただく事となりました。結果は五つ星!

まあ、日本のレビューは出来過ぎた話だなぁ、と思いながらアメリカのStore
を見ると、えっ? 英文でのレビューあり! しかも95点。
「Get it NOW! Don't think twice!」とあります。似たようなアプリは他にもあるが、このアプリの足元にも及ばないとも書いてくれています。感激です!!!!(もう、ほとんど涙目です)

Twitterを見ると「こんなアプリを待っていた!」のツイートあり。御礼と使用後の感想リクエストを伝えると、DMにて返事あり。決して悪評ではなく、御希望を書いておられるのに気をつかっていただいたのです(なんて良い人なんだ)。その後、この方とはTwitterを通じて更に親しくなりました。後日、長文の絶賛レビューをAppStoreに書いていただきました。

しばらくすると英文のメールが到着。イギリスからです。大学教授、専攻は化学。出力可能なデータ形式に関する質問。残念ながら現バージョンでは出力はできませんと返事をする。この方のウエブサイトを見ると、化学式だらけ、化学式はキーボードではタイピング出来ない。なるほど!

●ゾクゾクする光景

10月になり、川崎先生の後期の講義が始まりました。研究室の学生の何人かが、自主的にRecFingerを使ってくれています。600円とは言え、自費で買ってくれました。彼らは、私の前の席でRecFingerを使って先生の講義をRecordしています。ゾクゾクする光景です。自分のデザインしたモノが使われている光景を見るのは久しぶりです。

新入社員の頃、私のデザインした魔法瓶を持った小学生を見た事を思い出しました。彼はそれを自慢げに友人に見せていました。自分の欲しいモノをデザインして人に薦められる......これはデザインの原点です。

●世界中でダウンロード

アップルの開発者用サイトには、アプリの日々のダウンロード数が見られるページがあります。リリース後、二日程してから発見しました。これは世界中の売行きもわかります。ビックリしました。

日本、アメリカ、EUは想定範囲内ですが、チリ、メキシコ、ニュージーランド、コロンビア、イスラエル、アラブ、エクアドルなどからダウンロードされているのです。現在30ヶ国近くに及びます。

アップルはすごいインフラを発明したものです。自分のアイデア、工夫が国境を超えて評価される。世界のどこかで今も誰かが使っている。自分が世界とつながっている気さえしてきます。

●Top10入り!

リリースから三週間後、かねてから申請していたアプリ紹介記事がAppBankに掲載されました。ご存知、日本最大のiPhone/iPadアプリ紹介サイトです。さすが、AppBankです。まず、ツイートが、一日で50件ほど発生しました。そしてその晩のダウンロード数がなんと、前日の15倍になりました(元々が少なかったのかも?)。そしてなんと翌日、iPad仕事効率化で9位に躍り出ました。総合で42位です。

自分のアプリがランキングから探せるというのは夢のようです。改めてネットの伝搬力のすさまじさを思い知らされました。文字通り、光速です。

●たった一つのツイートから

半年前、ソフトランディングを模索していた事を考えると、眼前の景色は夢のようです。たった一つのツイートから始まった、川崎先生との出会い(先生! 有難うございます!)。そしてRecFingerまでの道、その後の景色。マウンドからの景色は、こんなにも楽しいモノでした。

リリース後の4週間で起きた事は、私の人生の中でも格別なモノです。更に凄い事は、この物語は今もリアルタイムで進行中である事です。こうしてデジクリ用に原稿を書いている事も、あの一歩がなかったらあり得なかったのです。さぁ、これから何が起こるのでしょう? ワクワクします。

【中内淑文 / Yoshifumi Nakauchi】
< http://www.unix-d.co.jp
>
mail:nak@unix-d.co.jp twitter:@nak_bun