[2986] 本当の「女の強さ」を教えてくれた女優

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《じゃっどん、魔法じゃればつこがなっど》

■映画と夜と音楽と...[491]
 本当の「女の強さ」を教えてくれた女優
 十河 進

■歌う田舎者[19]
 正しい東京人になる
 もみのこゆきと

■ところのほんとのところ[50]
 2011年は体作りから始める
 所幸則 Tokoro Yukinori



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■映画と夜と音楽と...[491]
本当の「女の強さ」を教えてくれた女優

十河 進
< https://bn.dgcr.com/archives/20110114140300.html
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〈花のあと/柳生一族の陰謀/狼よ落日を斬れ/桃太郎侍/花笠若衆/カルメン故郷に帰る/二十四の瞳/喜びも悲しみも幾年月/浮雲/宗方姉妹/女の座/女の歴史/乱れる〉

●強い女に惹かれるのは男装の女剣士を好む因子からか

正月休みに大沢在昌さんの書き下ろしの新作「やぶへび」を読んでいたら、カンフーの達人である若い中国人女性が登場してきた。大沢さん、おなじみの設定である。このヒロイン、映画化するのなら昔の志穂美悦子さんにお願いしたいと思ったが、長渕クンと結婚して以来スクリーンからは引退しているし、年令も五十半ばになっているし、今や娘がスクリーンデビューしているわけで...。

志穂美悦子の「女必殺拳」シリーズはもう一度じっくり見たい映画だが、どうも僕はこういう男っぽい強い女の人に憧れる節がある(といって自分の実生活ではあまり縁がなかったなあ、と思い返す今日この頃です)。要するに、女っぽい人が苦手なのだと思う。そう言えば、以前にも書いたかもしれないけれど、時代劇で男装をして出てくる女優についてはかなり記憶しているし、それが何となく自分の好みであることも自覚している。

先日、北川景子が主演した「花のあと」(2009年)を見ながら、そんなことを改めて思った。「花のあと」は藤沢周平さんの短編で、印象的な一編である。女剣士の物語で、海坂藩随一の使い手との立ち合いの場面がある。北川景子は日本髪はまったく似合わないが、その髪を解いて前髪を垂らしポニーテール風の髷にすると、よく映えた。刺し子の稽古着と紺の袴を身に着けて竹刀を持ち、がんばって殺陣を演じていた。

その姿が、僕がいろいろと記憶している女剣士の系譜を遡るきっかけになったのだろう。まず最初に甦ってきたのは、先ほどの志穂美悦子が柳生家の娘である茜を演じた「柳生一族の陰謀」(1978年)である。腕に憶えのある柳生茜は、終始、男装の女剣士姿で敵を斬りまくるが、公家の烏丸少将文麻呂には「まろは女は斬らぬ」と嘲られる。彼女は馬を疾駆させ、敵ともつれ合って崖下の川に落ちる。

続いて思い出したのは池波正太郎の「その男」を映画化した、「狼よ落日を斬れ」(1974年)の礼子こと松坂慶子だ。昨年、上川隆也主演で「その男」が舞台化され、礼子役を内山理名が演じた。やはり前髪を垂らしポニーテールタイプの髷を結い、絣っぽい着物に旅袴、手甲脚絆を身に着けた姿で登場した。大小を腰に差し、雨が刀身に染み込まないように柄袋をしていた。片手に持つのは深編笠である。

続いてもっと古く、若き尾上菊五郎が緋牡丹お竜こと藤純子と結婚する前に主演した、連続テレビ時代劇「桃太郎侍」に登場した百合を思い出す。この連続時代劇で百合を演じたのは長谷川一夫の娘の長谷川稀世だった。百合は四国某藩の家老の娘で、若侍姿で敵の本陣に乗り込み罠に落ちて殺されそうになり、桃太郎に助けられるというエピソードではずっと男の姿だった。

さて、それ以前に浮かぶ女剣士の姿と言えば、もう美空ひばり(「琴姫七変化」の松山容子をとばしてしまうけれど)しかいない。僕にとっては、美空ひばりは歌手ではなく映画スターなのである。物心がつくかつかない頃から、東映の銀幕で美空ひばりを見せられた結果、僕のDNAにはどうも男装の女剣士を好む因子が植え付けられたようなのだ。

東映時代の美空ひばりは、なぜか男っぽい役ばかりやっていた。男装も多かった。「ふり袖捕物帖」シリーズは岡っ引きの格好で通したし、「女ざむらい只今参上」や「花笠若衆」(共に1958年)などは、タイトルからして内容は推察できると思う。ちなみに「花笠若衆」は「雪之丞変化」の何度目かの映画化だ。

美空ひばりは映画の中では、必ず歌った。「花笠若衆」では「鉄火肌でも所詮は女...」と、男っぽい女の胸に宿る純情を歌っている。僕は、この強がっている「鉄火女の純情」に弱い。「鉄火女」や「バクレン女」という言葉はすでに死語で、この響きとニュアンスは今はもう通じないとはわかっているのだが...。

●本質的な「女の強さ」を教えてくれたのは高峰秀子だった

女剣士や女拳士といった具体的な「強い女」ではなく、本質的な「女の強さ」を教えてくれたのは、昨年暮れに亡くなった高峰秀子だった。しかし、僕は高峰秀子という女優があまり得意ではなかったのだ。「カルメン故郷に帰る」(1951年)「二十四の瞳」(1954年)「喜びも悲しみも幾年月」(1957年)といった、ヒューマニズム溢れた木下恵介の作品ばかり見せられたせいだった。

そこには立派な女性は存在していたが、どことなく建前ばかりが前面に出ているような気がした。もちろん「カルメン故郷に帰る」のカルメンはストリッパー役だから立派な女性とは言えないかもしれないが、少し頭の弱い気のいいキャラクターで、ピュアな精神を持つ存在なのである。彼女も、ジェルソミーナなどの「聖なる愚者」の系列に入れてもらえるヒロインだと思う。

そんな僕が初めて「浮雲」(1955年)を見たとき、大げさな言い方をすれば天地が逆転した。十九歳。銀座並木座。黒澤明「七人の侍」(1953年)、小津安二郎「東京物語」(1953年)、川島雄三「幕末太陽傳」(1957年)...、それらと共に日本映画史に確固たる位置を占めるその映画を僕は意気込んで見にいき、熱く灼けた刃で胸を刺し貫かれたような衝撃を受けた。そのことは「優柔不断の思想を断つ」(「映画がなければ生きていけない」第二巻139頁)に書いているが、未だに僕の中では「浮雲」を超える作品はない。

「浮雲」の何がそんなに僕に衝撃を与えたのか。それは、人生に対する見方を変える映画だったからだ。十九の何も知らない頭でっかちの少年(とても青年とは呼べないほど幼かったと思う)は、「浮雲」で人生の裏側、いわゆるダークサイドの存在を知らされたのだ。それはどんな人の心の中にも存在し、いくら理性で否定してもどうしようもないことがあるのだ、という人生の真実である。

高峰秀子が演じたゆき子は、大石先生のように立派ではなく、カルメンのように純情ではなかった。義兄との関係を清算するために南洋の占領地に仕事を求め、そこで技師の富岡(森雅之)と出会って恋に落ち、終戦後、引き上げて富岡を訪ねると彼に家庭があったことを知る。その後、オンリーになったり妾になったりしながら戦後を生き抜き、富岡とくっついたり離れたりする。

富岡はゆき子と出かけた温泉宿で知り合った男(加東大介)の若い女房(岡田茉莉子)に色目を使い、ゆき子と一緒なのにその女と寝るようなだらしない男である。富岡を追って東京に出てきた岡田茉莉子は、加東大介に探し出されて殺されるのだが、そんな男女の痴情事件を知っても、富岡は特に責任を感じている風ではないし、ゆき子も富岡との腐れ縁が切れない。

そこには、木下恵介的ヒューマニズムもモラルも存在しない。モラルに照らして富岡とゆき子を描いたとしたら、「浮雲」は単なるメロドラマに終わっただろう。成瀬巳喜男監督は、その男女の姿をあるがままに描き、肯定もしないし否定もしない。そして、森雅之は男のだらしなさや卑怯未練なところを見事に演じ、高峰秀子は女のたくましさと強さを画面からジワジワとにじませた。

僕が驚いたのは、「浮雲」が「二十四の瞳」と「喜びも悲しみも幾年月」の間に撮られていることである。大石先生を演じた翌年、高峰秀子は幸田ゆき子を演じたのである。この幅は凄い。改めて昭和の名女優だったのだと思う。

●小津作品「宗方姉妹」の若き高峰秀子は輝くように美しい

高峰秀子は日本映画全盛期に、多くの巨匠たちと仕事をしている。前述のように有名なのは、木下恵介監督作品と成瀬巳喜男監督作品だし、彼女の代表作としては、いつもそれらが挙げられる。山本嘉次郎監督の「馬」(1941年)の撮影時には、助監督を務めていた若き黒澤明と恋に落ち、周囲の圧力によって引き裂かれたことが有名だが、なぜか黒澤作品への出演はない。仲を裂かれた恋人だったことで、黒澤監督もオファーしにくかったのかもしれない。

小津安二郎監督は「浮雲」を見て、「デコと成瀬にとって、最高の仕事」と絶賛した手紙を高峰秀子に送り、そこに「早く四十歳になって、僕の仕事にも出てください」と書いたという。しかし、彼女は小津の「宗方姉妹」(1950年)に出演し、田中絹代と姉妹を演じている。高峰秀子は二十代半ば。この映画の高峰秀子は、輝くように美しい。小津作品としては名作「晩春」の翌年の制作なのに、なぜか取り上げられることが少ない。結局、高峰秀子の小津作品への出演はこれ一本で終わった。

小津安二郎は六十歳になった還暦の誕生日に亡くなるという、何となく(粋というかスタイリッシュというか)意味ありげな生涯を送った人である。生涯独身で通し、若き日の原節子との関係を云々されたり、特別の関係の女性がいたのだと言われたり、謎が多い部分もある。高橋治さんは、その生涯を「絢爛たる影絵」として小説に書いた。高橋さんの強みは、「東京物語」(1953年)のフォース助監督に付き、実際の小津監督を知っていることだった。

一月四日の朝日新聞に載った高峰秀子の追悼文は、僕が愛読する作家・関川夏央さんが書いていたが、彼はその文をこう結んでいる。
──63年、小津が60歳の誕生日に亡くなったとき彼女は39歳だった。
高峰秀子は79年まで実り多い「映画渡世」をつづけたが、この一事だけはいまだに悔やまれてならない。

「この一事」とは、四十になった高峰秀子が小津作品に出演することである。僕も成瀬映画に出た中年期の高峰秀子を見るたびに、四十歳になった高峰秀子が小津安二郎作品に出ていたらどうだっただろう、と想像する。小津安二郎の遺作になった「秋刀魚の味」(1962年)で女優開眼した岩下志麻との母娘のキャスティングを想定すると、見てみたかったなあとしみじみ思う。

それは、成瀬巳喜男が三十八歳から四十歳の高峰秀子を使って立て続けに作った「女の座」(1962年)「女の歴史」(1963年)「乱れる」(1964年)という作品を僕がとても好きだからだ。「女の歴史」はヒロインが結婚して子供を産み、その息子が成長(若き山崎努)して恋人(星由里子)に子ができたときに事故死...というまさに女の歴史を描き、高峰秀子は年令以上の老け役もこなす。そんな女の一生を演じて違和感のない大女優になっていた。

●女の情念を隠して生きているたくましさと強さが伝わる

幼い頃から子役として働かされていたデコちゃんは、撮影所が学校だったとエッセイに書いている。ろくに学校にもいけなかった彼女は、天性の賢明さを持ち、自己を客観視する力を持っていた。僕も数冊のエッセイ集を読んだが、そこからは理知の力を感じた。歯に衣着せぬ文章も多いが、そこに品性が漂うのは、やはり慎みの深さだろう。あんな風に品のある文章は、なかなか書けるものではない。

ところで、僕はツイッターで「成瀬巳喜男Bot」をフォローしているのだが、毎回、成瀬映画のセリフを抽出して送ってくれるのが楽しい。そのセリフの出典も載っていて、「そうそう、このセリフ印象的だったな」と思ったりする。ほとんどが戦後の映画から出してくるので、高峰秀子のセリフも多い。しかし、そのセリフがどれも何となく暗い。

成瀬映画の高峰秀子は、負の要素を背負い込んだ人物を演じることが多かった。「負の要素」と書くと誤解されるかもしれないが、立派な正しい(裏の顔を持たない)人間を演じることが少なかったと書くべきだろうか。いや、先ほど「浮雲」のところでも書いたけれど、(どんな人間も抱え込んでいる)ダークサイドを持つ人間らしい人間を演じたと書けば、僕が言いたいニュアンスに近いかもしれない。

それは、大家族の商家の長男である夫が死んで、子供の成長だけを生き甲斐にしている嫁のような地味な存在であっても伝わってくるものである。「女の座」では、東京郊外に大きな土地を持つ金物屋の石川家の長男に嫁いだ嫁の役だった。義父(笠智衆)と義母(杉村春子)はほとんど隠居であり、店は彼女がひとりで切り盛りしている。

夫は死に、ひとり息子の長男は中学生である。彼女は息子に希望を託し「勉強しろ」と口うるさいが、息子は「僕、勉強に向いてないんだよね」と陰で叔父や叔母に訴える。石川家は複雑で、義母は後妻である。前妻との間には長女(三益愛子)がいて近くでアパートを経営しているが、彼女の夫(加東大介)は若い女と駆け落ちしている。

次女(草笛光子)は実家の庭に自分で離れを建ててお花の先生をし、けっこう収入はいいらしい。三女(淡路恵子)は甲斐性のない男(三橋達也)と結婚して九州にいたが食い詰めて実家に寄生し、四女(司葉子)は会社が倒産して次男(小林桂樹)がやっている渋谷のラーメン屋を手伝い始める。そのことを次男の嫁(丹阿弥谷津子)は、あまり面白く思っていない。五女(星由里子)だけが、若い独身女の生活を楽しんでいる。

石川家に後妻に入る前、義母は結婚してひとり男の子を産んでいた。ある日、その息子(宝田明)がやってくる。その宝田明にひと目惚れしてしまうのが、義母とは血がつながっていない次女の草笛光子である。ところが、外車のセールマンというふれこみで羽振りの良さそうな宝田明には悪い噂があり、そのことで義母に頼まれて宝田明に会った嫁の高峰秀子は、宝田明から「あなたが好きだ」と告白され動揺する。

「女の座」ほど複雑な家族関係ではないが、よく似た設定の「乱れる」では、商家をひとりで切り盛りする未亡人の兄嫁(高峰秀子)に義理の弟(加山雄三)が、「好きだ」と告白する。年上の高峰秀子は、世間一般のモラルに縛られてその告白を拒絶し、実家に帰るために列車に乗る。しかし、加山雄三が追ってくる。もちろん、追ってきた加山雄三を彼女はうれしく思う。そしてこんなことを言う。

──わたしだって女よ。幸司さんに「好きだ」と言われて、
  正直言うと...とってもうれしかったわ。

こんな女の葛藤を、この時期の成瀬映画に出た高峰秀子は演じた。本音を晒せば、彼女の女としての情念が見えてくる。それをひた隠しに隠して生きている、女のたくましさと強さがスクリーンから伝わってくる。高峰秀子の映画(特に成瀬作品)は、何度繰り返して見ても飽きない。その都度、新しい発見がある。女性の本質的な強さを理解するには、(僕には今更必要ないけれど)絶好の教科書かもしれない。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com < http://twitter.com/sogo1951
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年明け二日会社に出ただけで、また三連休。こんなことが続くと社会復帰できなくなる。それにしても今年は年男。アラ還どころか、ホントの還暦になってしまった。この連載を始めた頃は四十代だったのだ。光陰矢のごとし。それでも三冊も分厚い本が残ったので、幸せだと思わなければいけないな。

●306回〜446回のコラムをまとめた「映画がなければ生きていけない2007-2009」が新発売になりました。
< http://www.bookdom.net/suiyosha/1400yomim/1447ei2007.html
>
●305回までのコラムをまとめた二巻本「映画がなければ生きていけない1999-2002」「映画がなければ生きていけない2003-2006」が第25回日本冒険小説協会特別賞「最優秀映画コラム賞」を受賞しました。
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■歌う田舎者[19]
正しい東京人になる

もみのこゆきと
< https://bn.dgcr.com/archives/20110114140200.html
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盆正月は、都会に出た田舎者が地元に戻って来る季節だ。東京に出たばかりの人間が、「アタクシ、もうあなたたちとは身分が違いますのよ。おーほほほほほ!!」とばかりに、高飛車高慢ちき発言をぶちかます季節でもある。

高校卒業後初めての同窓会でのこと。東京の大学に進学したA子が、食後の飲み物のオーダーを取りに来たウェイターにこう言った。
「アイミティーお願いします」
「え?」
「だからアイミティー」

そんなことも知らないの? と言いたげな視線を上から目線でウェイターに投げつけるA子を見て、地元に取り残された我々平民たちは、「いや、アイミティーの何たるかも存じ上げぬ店にお連れして、誠に申し訳ござりませなんだ」と平伏し、今や東京人とおなりあそばされたA子様を崇め奉り申し上げたのは、もう20年以上前の話である。

「あ、あ、あ、あのっ、A子様、それでその、アイミティーってのはいったい何様で?」卑屈な上目遣いで揉み手をしながら尋ねるわたしに「アイスミルクティーに決まってるじゃん。やっだー、常識よ!」とA子様がご教示くだされたので、「あ、あ、あ、あ、なるほど。アイスミルクティーのことでありますか。いや、これは失敬。田舎者の不作法にて、どうかお赦しを」と参加者一同、伏してお詫びした次第である。

もちろん純朴を絵に描いたような我々であるので、A子様が帰ったとたん「なんなんだよ、あの女」「こないだまで自分も田舎者だったくせによ」「気取ってんじゃねぇや」「いてこましたれ!」と罵詈雑言の集中砲火を浴びせ倒したなどということはないことはない。

加えて、我々残留平民は、心の中で「あの女、自分だけ東京でテレビドラマのヒロインみたいないい思いしてんじゃねぇだろうな」というドス黒い疑惑を腹の中に溜めていた。なんといっても、東京人になれば、なにか素敵な出来事やラブロマンスが自動的に降って来ると、根拠のない幻想を抱くのが田舎者というものなのだ。

A子が今どこで何をしているかは知らないが、20年もたって、こんなところに登場しているとは思ってもいないだろう。女というものは、つまらんことをいつまでも覚えている生き物なのだよ。皆の者、心してかかりたまえ。

しかし、このアイミティーという単語。A子以外の人間から一度も聞いたことがないのだが、東京人はアイスミルクティーのことを本当にアイミティーと呼び習わしているのであろうか。ググってみても、渋谷のケニヤンというカフェの情報しか出てこないのであるが、未だに謎である。

さて、田舎者が東京人になる大きなチャンスは、進学と就職の2回ある。きらびやかな東京人になりたかったわたしは、もちろん東京の大学も受験したが、ことごとく不合格となり、就職試験で受けた東京の企業もことごとく落ちた。あぁ東京人になれたら、テレビの中の人々のように素敵な人生が待っているはずなのに、田舎者に生まれたばっかりに、わたしの人生台無しではござらんか。

──東京では誰もがラブストーリーの主人公になる──
古の月9ドラマ「東京ラブストーリー」のキャッチコピーであるが、そら見ろ。田舎者では誰もラブストーリーの主人公にはなれないのである。だいたいな、鈴木保奈美が標準語で「カンチ、セックスしよっ!」と言えばドラマになるかもしれないが、鹿児島弁で「カンチ、セックスすっがほい」と言ってもドラマになんかなりゃしねぇ。

【鹿児島弁講座】すっがほい
すっが→「なになにしよう」の、「しよう」に当たる。
「セックスしよっ!」の「しよ」の部分に該当。
例文:「飯にしよう」→「飯にすっが」/類似:「町に行こう」→「町に行っ
が」
ほい→勢いをつける接尾語。「セックスしよっ!」の「っ!」の部分に該当。
例文:「飯にすっがほい」「町に行っがほい」

おっかさん、なぜにわたしを田舎者として産んでくれたのだ。何も東京都港区民として産んでくれとか、東京都渋谷区民として産んでくれとか、そんなハードルの高いことを言っているのではない。東京都御蔵島村民でも東京都青ヶ島村民でも良かったのだ。いや、ひょっとするとこっちの方がハードル高いか?あぁ、しかしそのハイパーゴージャスな響き。"とうきょうと"。

♪そこーにいーけばー どんーな夢もー かーなーうとー いーうよー♪誰もみな行きたがるが遥かな世界。その国の名は東京都。そこに行けば、どんな田舎者でも東京ラブストーリーの主人公に......。

「ヒマラヤのてっぺんから電話したら迎えに来てくれる?」「迎えに行く!」「あったかいおでん持ってきてくれる?」「屋台ごと持ってく!」「ビートルズのコンサートをうちで開きたいって言ったら?」「連れてくる!」「ジョンはどうするの?」「俺が代わりに歌う!」「魔法を使って、この空に虹かけてって言ったら?」「それはできないかもしれないけど......」「じゃダメだ」「でも、魔法だったら使える」「どんな?」

そして永尾完治は赤名リカを抱きしめてキスをする。さすがだ。東京人になるとこんなことができるのだ。しかし鹿児島弁ではダメである。

「ヒマラヤんてっぺんから電話したら、むけめきっくるっけ?」「むけめいっど!」「あったかいおでんを持ってきっくるっけ?」「屋台ごと持っちっで!」「ビートルズのコンサートをあたいげぇで開きたいちゆったら?」「連れっくっで!」「ジョンはどげんすっとな?」「おいが代わりにうとで!」「魔法をつこっせえ、こん空に虹をかけっくいやいちゆったら?」「そいやできんかもしれんどん......」「ほいならやっせん」「じゃっどん、魔法じゃればつこがなっど」「どげな?」

これではドラマにならんのだ。ロマンスの神様は、流暢なる標準語に宿るのである。

東京人になれなかった残留平民の田舎者が、ラブストーリーの主人公になるチャンスは、出張で一時的に東京人になるときしか残されていない。もちろん標準語は必須要件である。しかし、わたしは来るべきラブロマンスの日々に備えて、標準語を鍛え抜いてきたのだ。ふふふふふふ......。テキストは「ベルサイユのばら・宝塚花組劇場中継サウンドトラック」だがな。

その成果は目覚ましく、システムエンジニア時代におつきあいのあった東京人には「え? 九州の方なんですか。全然訛りがないですね」と褒めそやされる毎日であった。だから標準語を話すことにかけては自信満々なのだ。ただし、テキストが宝塚なだけに、わたしが東京人になると、やや芝居がかった会話になってしまうのが難点である。

「あの......駅員さん、ここはいったいどこですの?」
「え? 茅場町ですけど」
「ここから大倉山へは、どうやって行けばよろしいの?」
「あー、日比谷線で中目黒まで行って、そこで東急東横に乗り換えですね」
「まぁ、あなたは本当に優しい方。この異国で見捨てられたわたしに、手を差し伸べてくれるのは、あなただけ......」
「い、異国? あ、そうそう、次の電車は日比谷線と東急東横の直通なんで、乗り換えなしで行けますよ」
「なんですって? そんな国防上の機密を、危険を冒して、わたしのために教えて下さるなんて......あなた、殺されるわ」
「は? いや、あの誰でも知ってますけど」
「これはきっと運命なのね」

「は? あの、直通電車、もうすぐ到着しますけど」
「なぜ、なぜ別れを口にするの。わたしたちはまだ巡り合って間もないのよ」
「わっ、わたしたちって」
「あぁ、なんて悲劇的なの。花火のように儚いうたかたの恋......」
「茅場町〜茅場町〜」
「来てしまったのね、最後の列車が......」
「いや、またすぐ来ますけど」
「必ず、必ず生きて帰って」
「なっ、何言ってるんですかっ」
「あなたがいない絶望の中で、わたしはどうやって生きていけばいいの......」
「ちょっ......放してくださいよ、お客さん。あぁ〜〜〜っ!! ほら、電車が出ます、出ますって!」
「行かなければならないのね......革命の嵐が吹き荒れるパリへ......」
「パ、パリ? 大倉山じゃないんですか? いや、いいからもう行って下さい」
「アデュー、永遠にさようなら。あなたのことは断頭台の露に消えても忘れませんわ」

アントワネットは電車から身を乗り出し、力の限りに手を振り続けた。これぞ正しい東京人である。

※「東京ラブストーリー」鈴木保奈美・織田裕二ほか
< http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00005NJPR/dgcrcom-22/
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※「ガンダーラ」ゴダイゴ
<
>
※「ヒマラヤのてっぺんから電話したら迎えに来てくれる?」
東京ラブストーリー
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>(4:00付近)

【もみのこ ゆきと】qkjgq410(a)yahoo.co.jp

働くおじさん・働くおばさんと無駄話するのが仕事の窓際事務員。かつてはシステムエンジニア。ちなみに「すっがほい」は、基本的に男性が使う言葉なのであるが、わたしの中学時代の友人はガラの悪い人間が多く、女子でもフツーに使っていた。実際のところ、現在の鹿児島県人が話すのは鹿児島弁ではなく「からいも標準語」と呼ばれる言葉であり、文字に起こすと、あまり標準語との違いがないが、イントネーションは鹿児島弁である。

かつて、ローカルラジオ番組で、標準語・英語・鹿児島弁をオーストラリア人がレッスンしてくれる番組があった。これが意外とうまいのだ。音声も聞けるので、興味のある方はどうぞ。
「ヒリーのからいも英会話」
< http://www.cpi.mbc.co.jp/blog/maga/cat7/
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■ところのほんとのところ[50]
2011年は体作りから始める

所幸則 Tokoro Yukinori
< https://bn.dgcr.com/archives/20110114140100.html
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[ところ]の人生の中では、異常なほど海外に行ったり来たりしていた2010年。時差1時間から19時間という生活が毎月半分近くあったが、年のはじめ頃はそんなに気にもならなかった。

寒いときはホノルル(時差19時間)、重慶(時差1時間)だったり、ちょうどいい季節はモントリオール(時差14時間)やハノーファー(時差7時間)だったりした。夏はまたホノルル、そしてNY(時差14時間)といった具合に、海外を楽しもうとしていた[ところ]だったけれど、やっぱり年齢のせいも少しはあって心身のバランスを崩したようであった。

特に10日〜14日の中期滞在で、向こうに体が慣れたころ日本に戻るというのがよくなかったようだ。それと水。日本のように水道が充分飲めるレベルの都市は、モントリオールやトロントぐらいだ。

海外に行ったときは必ずミネラルウォーターを飲んでいるが、料理に使われている水、サラダやフルーツを洗っている水、飲み物に入っている氷の水、そういったものがことごとく下痢の原因になるのだ。ミネラルウォーターを装った、水道水が入ったペットボトルも売られていたりする場所もある。重慶や上海では、それにプラスして料理に使われる油も下痢の原因になりうる場合がある。廃油から生成しいた油を使ったものさえある。

3月に行った重慶あたりから、ハワイ以外では毎回お腹をこわすようになってしまった。[ところ]の胃腸が弱いということもあるのだろうけれど、日本は何もかもが清潔すぎて、日本人のバイキンへの抵抗力が弱っているんだと思う。抗菌グッズとか日本でしか売れないらしいしね。

2010年の締めくくりには、インフルエンザと風邪で2週間以上寝こんでしまった。そのせいで、年末年始は不眠症が悪化して体調がいい日がまったくなかった。

先週から少し眠れるようになったので、今週は毎日朝から1時間から1時間20分をめどに、カメラを持って渋谷の自宅から渋谷の中心あたりを歩いている。10分から20分程度の軽い運動も取り入れている。来週から毎日1時間半から2時間ぐらいにするつもりだ。

海外に行って、今日は撮るぞ! と思ったときは3時間ぐらい撮り歩いても疲れが残らない、そういう感じが取りあえずの[ところ]の目標である。なんだかんだいっても、結局は最低限その程度の体力がなければいい作品も撮れないし、頭も回らない。

適度な運動をしてこそ、脳がすっきりして創作意欲も空回りしない確率が上がる。ボケた頭では創作意欲があっても、実は冷静に自分の作品を見られないことが多いのだ。

ということで、まず体力作りをしながらもう一度渋谷を見直し、「渋谷一秒、Shibuya One second」の作品を撮り続けたい。今週火曜日、水曜日、木曜日と歩いただけでも、ハッとすることが多く、去年渋谷を歩いているつもりでもちゃんと見ていなかったような気がする。

HMV跡地のフォーエバー21もやっと観察することができた。109の横にユニクロが出来ているのも気がつかなかった。しかし、渋谷のセンター街に洋服の青山は似合わないような気がするんだけど。逆に考えれば、かなり目立つからあれは成功なんだろうか? これから渋谷をまた撮りまくるので楽しみにしてくださいね。

さて、最近YouTubeに「所幸則のコンセプトムービー Paradox-Time」をアップしてもらいました。してもらいましたというのは、[ところ]はちょっとそういうのに弱いんですよ(苦笑)。是非見てみてください。音楽は徳澤青玄さんが[ところ]の作品とコンセプトに合わせて、新しく作ってくれました。
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中国の写真専門新聞と、中国語の字幕入りインタヴュー映像などもアップしました。ここをみてください。ギャラリーなども更新してますのでよろしくね。
< http://www.tokoroyukinori.com/info_j.php
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【ところ・ゆきのり】写真家
CHIAROSCUARO所幸則 < http://tokoroyukinori.seesaa.net/
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所幸則公式サイト  < http://tokoroyukinori.com/
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■編集後記(1/14)

・綾辻行人「深泥丘奇談」を読む(メディアファクトリー、2008)。布団にもぐり込んで、ゆったり本を読むのは久しぶり。風邪の熱で、少し朦朧とした頭にはぴったり過ぎる朦朧とした内容だった。雑誌「幽」で連載されているのを何編か読んで、中途半端な話だと思ったものだが、一冊になってもやっぱり掴みどころのない奇妙な連作であった。語り手は作者と等身大の職業作家で、作品の舞台は作者が生まれ育った京都の町、実際に今住んでいる辺りがモデルらしい。常識的にはありえないような奇怪な出来事も、阿鼻叫喚の地獄絵も、「──ような気がする。」と、疑問と不安が一緒くたになって投げ出されたままで、なんの解決もない。9編中「悪霊憑き」の1編だけは、主人公が巻き込まれたある殺人事件の顛末で、いちおうの話の筋が通っている(ご都合主義だが)。と思ったら、やはり別の本に掲載されたものだった。それにしても、凝りに凝った装丁である。表2と対向ページ、表3と対向ページ、普通の書籍はここには何もないのだが、それぞれカラーの見開きの絵が入り、奥付まで配置する。本文中多くのページに絵が入る。贅沢な装幀だ。最初はつまらない話だと思ったが、装幀をためつすがめつ眺めているうちに、本文を再び読んでしまう。結局、相当おもしろかった。布団の中で読むのをおすすめ。(柴田)
< http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4840121745/dgcrcom-22/
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・十河さん、年男だったのか〜。/アイスミティーなら聞くし言うが...。/東京で働いているからといって、東京に詳しいわけでもないんだなぁと思った。以前、六本木ヒルズで、ある店に行こうとインフォーションで聞いた。とても親切に、地図を広げ、説明し「ビル沿いに歩くとあるオフィス入り口」と教えてくれた。地図もくれた。オフィスがあったので入ったら、映画で見るようなIDカードがないと入れない、改札機のようなものがあって警備員がいる。おかしいなぁと2Fにいた警備員(スーツ姿)に経緯や店名を聞くと、てんぱってしまう。こちらの求めていたのは、そのインフォの話したオフィス入り口というのは他にありますよ、もう少し先ですよ、であり、ここじゃないですよ、や、わかりません、だけでも良かったのだが、親切すぎて(たぶんそう。ちょっとわかる。ベストを常に求められるのかもしれない)え、え、え、であった。違うことはわかったのでお礼を言って離れ、壁をよく見ると「ゴールドマンサックス」であった。最初に読んどけよ、私。で、ちょっと歩くとオフィス用入り口があって、あーここかぁと同じくインフォで聞くと、暇そうなのにめっちゃ愛想が悪い(モール側は忙しいにも係わらず親切、笑顔)。地図を見せながら聞いているのに、見ようとしないし、要領を得ない。ここで場所は聞いちゃいけなかったのだろうか。聞いていたのは同行者だったのだが、見渡すと近場にお店らしきものが見えたので、お礼を言って離れた。/そのヒルズ。お給料だけで生活できてる? な服装の人たちが闊歩し、昼食でさえ高くて、こりゃ高給取りじゃないと生活できないなと思った。しばらくすると親近感を湧かせる人たちが。きっとIT業界の技術者に違いない。なんだか同じ空気を感じたよ。(hammer.mule)