デジタルちゃいろ[05]付帯情報としての「インド語」
── browneyes ──

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まるで興味のない層にとっては、現在どの程度の認知度なのか知りませんが、南亜細亜好きにとっては、特にここ数年「犬も歩けば棒にあたる」的な勢いで、イベントに行くと結構な確率で出くわしていた、インド人演歌歌手のチャダさん。活躍の舞台を日本ではなく、母国である印度に移して演歌の普及活動を始めたらしい、というニュースをTwitter経由で知りました。

□CHADHA : チャダ、インドで初の演歌コンサート / BARKS ニュース
└< http://www.barks.jp/news/?id=1000075182
>

□「演歌は日本の神髄」 インド人歌手のチャダさん、母国で普及活動 / MSN産経ニュース
└< http://sankei.jp.msn.com/world/news/111129/asi11112901210000-n1.htm
>

何で話題に上がってたかというと、上記参考記事ひとつめの中にあった、現地のコンサートで演奏した曲紹介。「酒よ(インド語、日本語mix, ver)」これは多少なりとも印度に興味を持ってる人は確かに「はぁ?」となる。

□インド語で「ありがとう」ってどう言うの? From 日本人がインド人にする(?)100の質問
└< http://paraiso100.blog.shinobi.jp/Entry/1/
>
まさにこういうこと。

ワタシもここでコラム書き始めて以来何度か、「どこかの国の音楽」でも印度映画の説明で軽く触れてる通りで、印度では映画産業が言語別に分化される程複数の言語圏に分れてます。印度の憲法上、ヒンディ語は一応「公用語」とされていますが、実際は非ヒンディ語圏の印度人とネットでおしゃべりの折りに、うっかりヒンディ語圏の映画や音楽の話をすると「おれ、○○語圏だし、よくシラネ」と言われるコトも多々あります。



彼らも全くヒンディを解さない訳ではなさそうですが、極端に言うと、日本に明るくない異人さんが日本人にいきなりニンジャだゲイシャだ、などと、自分とは特に接点のない一昔前の概念的な日本ばかり論われ続けた時の感覚に近い消極的な拒絶なんじゃないかな、なんて邪推したり。

邪推はよいとして、要するに、憲法上はさておき、実際に印度全域で唯一公用語の役割を果たしているのはむしろ英語...みたいな不思議な国。不思議っていうか、歴史を振り返っちゃうと皮肉な現実なんですけどね。

そんな中、チャダは「インド語」なる造語で母語を説明してるんですね。母語...、母語...? 彼はターバンしている、つまりスィク教徒(ターバンなスィク教徒は印度の象徴...ではなく、実は少数民族)なので、彼自身の実際の母語はパンジャビ語である可能性も高いけど、さすがにパンジャビ語をイコールインド語とは言わないだろうし、イベント会場のニューデリーはヒンディ語圏だしなぁ、恐らく彼の言う印度語はヒンディ語...? なんて、インド語とか言われるとそれくらい曖昧。

このチャダの「インド語」はワタシにとっては今回の新聞記事がはじめてではなく、去年か一昨年、何かのイベントでたまたまチャダのライブに出くわした時にも、曲紹介の際に「では次の曲、1番は日本語で、2番はインド語で歌います」と言ってて、「えっ、えっ、今、インド語って聞こえたけど、ヒンドゥ語...? いやいや、ヒンドゥだったら人の意味だし、確かにインド語って言った!でも、そこはかとなく「h」が頭についてた気がする!」ってオレオレ脳内会議開くほどびっくりしました。

それくらい「ある程度精通している層」にとっては共通の「はぁ?」ではあるのですが、これは日本語の堪能なチャダさん、ボキャ貧な訳もなく、むしろ長年かけて練られた上での「インド語」なんだろうと思い至ってからはなんだかすごいわ、と、実は関心してるのです。

だって、チャダさんが相手にしなければいけないのは「印度に別段興味がない」「(ジャンルが演歌なので)比較的年配層」。とはいえ、真っ先に着目される点は「印度人(または外国人)であるということ」。

そんな中、僅かにだけ興味を持っている相手には、まずは有効に自分の伝えたいコトを受け止めてもらうのが先決。付帯情報は乱暴なくらい削ぎ落としてでも、余計なひっかかりのないレベルで。聞き手に、日本語と母語で歌うのだな、だけ理解してもらって、聴いてさえもらえれば、「インド語とは」なんていう情報はその時点ではどうでもいいし、知ってる層の「はぁ?」は、敢えてスルーするくらいの勇気は必要。

演歌歌手活動を封印してた間に、日本向けビジネスで実業家として大成功収めてるというチャダさん、その辺ビジネスセンスの片鱗なんですかね。この思い切りのよい取捨選択能力、多分どんなビジネスでも大事なんじゃないか。交渉術とかどんななんだろう。

ワタシだったら確実に、「我が国印度には公用語とされる言語がいくつあって云々〜」から始まって、それに対する国としての問題やら課題やらにまで熱く言及して横道逸れまくったりしそう。でもそれじゃ真の目的ブレブレですよね。歌始まる前にみんな立ち去っちゃうわ。

そんなチャダさん、ワタシの南亜細亜熱再燃して暫くしてから妙に目に触れるようになってて、一体なんなのかしら、世間の印度熱も高まってきてるの?とか都合よく思ってたけど、どうやらジェロの登場に触発されての復帰だったのですね。なーるほど。

恐らくチャダさんが最初の外国人演歌歌手デビューを果たした70年代は、今よりよっぽどハードル高かったかもしれませんね。反面、上手くすれば物珍しさだけでイケちゃったかもしれない。むしろ今は、(最初の扱いはどうあれ)最終的に溶け込んで行けたもの勝ちなフェーズなのかな、動向を追っかけてたわけじゃないけど、案外ジェロは溶け込みつつある気がする。

日本語で頑張る異人さんを思うに、ふと、じゃあ逆はどうよ? みたいな所に頭が行き始めたけど、その辺はここに付け足すのには長くなりそうなので、改めて次回にでも!

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■今月のどこかの国の音楽

□Nancy Ajram - Akhsmak Ah /
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今回は本文が既に印度臭満載なので、ちょっとアラブに飛んでおきましょうw彼女自身結婚、出産があったこともあってか(とはいえ引き続き活動中)、最近彼女より若いアイドル登場してるらしいですが、そっちはワタシ自身がまだあまりマークしてないので、ちょい前まで独壇場だったというアラブポップス系アイドルとも言えるレバノンのNancyタンです。

知ってるPVの中でも上のAkhsmak Ahは群を抜くフェロモン、すごいです。はなぢです。Wikipediaによると彼の地でも物議をかもしたとか。はなぢなんだけどあくまで設定はカフェの女主人なんだとか、これ。欧米だったら確実に盛り場の女主人なんだけど。

□Nancy Ajram - Ya Salam /
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で、上のAkhsmak Ahをステージで歌った後設定な、表舞台の華やかさと舞台裏の落差ストーリーがいい感じなPV。

いずれもこの曲と同名の、2003年リリースのYa Salamというアルバムから。アラブポップスのPVって、映画みたいにエンドロールが必ずある気がする。ピンキリだけど確かに作り込まれてるのが多いからかしら。

歌も歌声も結構好きですが、とにかくなんとも、ブスかわいいというかエロかわいいというか、単純にかわいいワケじゃないのがポイント高いですね、いい意味で。

【browneyes】 dc@browneyes.in
日常スナップ撮り続けてます。
アパレル屋→本屋→キャスティング屋→ウェブ屋(←いまここ)しつつなんでも屋。
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やっと冬っぽくなってきましたね。あまりにひきこもり率の高い日々のせいか、体感温度も暖かめな日が続いたこともあって、頭では理解してても感覚的にはずっと秋を引きずり続けていました。

先日久しぶりに街っぽい所に出てみて「えっ! もうクリスマスツリー!!!」みたいな浦島現象。寒いのは決して好きではないものの、季節感や気温から色々な認識って生まれてるもんなんだと思うと同時に、だったらさっさと冬らしくなってもらわないと困るじゃない、なんて勝手に思ってみたり。いや、暖冬だろうが世間ではきちんとツリーがそびえ立ってるし、そこここで師は走ってるんだから、お前のひきこもりを何とかしろって話ですね。