[3337] アーティストが電気スナッパーの夢を追いかける、のか?

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《なんで海軍を出さないの?》

■アナログステージ[83]
 横道に逸れた戯言
 べちおサマンサ

■デジタルちゃいろ[22]
 アーティストが電気スナッパーの夢を追いかける、のか?
 browneyes

■ローマでMANGA[56]
 アモーレの次はユーリ
 midori




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■アナログステージ[83]
横道に逸れた戯言

べちおサマンサ
< https://bn.dgcr.com/archives/20120925140300.html
>
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ただいま、20212年9月24日のPM 22:00過ぎ。今回も、「拝啓、後記から失礼いたします Ver:2」というタイトルで、柴田編集長に原稿を送ろうと一瞬考えたものの、「べちおはん、あんた、それはもう通用しませんですYO!」と、グラスに注いだ『麦とホップ・黒』の泡を口の周りにつけながら、ニヤニヤしている編集長の顔が過ぎったので、なんか悔しくて原稿書いていたりする。

というのは三割冗談として、まぁ、ホントに時間ばかり過ぎていってしまい、朝起きて、なにをやっているのかも分からずに夜になっている。そんな日々が毎日続いていれば、元旦から大晦日までが10分くらいの感覚で流れてしまうのは、なにも可笑しなことではないよね。

それでだ。問題はここからで、今回はなにをネタにして書こうか相当悩んでいる。例えるなら、『ALWAYS 三丁目の夕日』シリーズに出てくる、茶川竜之介のような、ドリフのコントで、いかりや長介がバケツを被って爆発したあとの髪型になっている。もの凄く回りくどいが、それくらい悩んでいるという例えのひとつだ。

しかし、堤真一が演じる鈴木オートの社長役はハマり役ですよね、もう、大好き。オイラがお子様(昭和40年代)の頃の大人って、「怒る」ということは、悪いことではなかった。時代は昭和から平成になり、大人が子どもたちに怒る世論スタイルが180度変わった。

オイラ持論だと、昭和は「怒る」というものは「後世(自分の子ども)に伝えるもの」って色が強かったけど、平成になってから「怒る」ということは「恐怖を与えている」というような、まったく意味合いが変わってきているのと同時に、「怒られる」ということに対して、子どもたちの受けとりかた(認識)も変わっているみたい。

昭和の怒るは、「叱る」という、日本美学の最低限マナーを養うえで、とても大切だったはずだ。それが昨今では、怒ることは非常識者扱いのうえに、精神が弱っている、育った環境が悪劣、思いやりがないヒト。のように、地球外生命体はアンタだよ。みたいな取扱いでもあるんですよね。

「ウチの子のなにが悪いんですか、ハァハァ、あそこの○○くんだって同じことをやっているじゃないの、ハァハァ、なんでウチの子だけそんな風に悪く言うんですか、ハァハァハァ、なんでウチの子をハァハァハァハァ、なんでぇー!」

というような、大手会社で新発売される商品ネーミングのように、キラキラネーム(俗称:DQNネーム)を旦那(カミさん)と真剣にプレゼンを重ねて名付ける世代は、平成の産物なんじゃないだろうか。

昭和時代にいくらパンダが好きだからって、自分の子どもに「大熊猫(パンダ)」とか「白七割黒三割(パンダ)」とか、「好物笹(パンダ)」って名付ける親を聞いたことがない。まぁ、自分たちの子どもだから「林檎(ジョブズ)」って名付けても、区役所(市役所)も溜め息つくだけで諦めるだろう。

そうだ、そんなことを書きたかったわけではない、「怒る」という感情についてだった。時代はオイラが子どものころに遡るが、イタズラをすれば、近所のオバちゃんやオジちゃんによく叱られたものだ。なにが怖かったって、『地震・雷・火事・玉子焼き』ではなく、玉子焼きの替わりにオヤジがいた。

あの頃は「近所の子どもたちもウチの子」のような包容力があり、なにかあれば近所同士で助けあって生活していた。おやつも、外で一緒に遊んでいる子の分はもちろん、近くで遊んでいる子の分まで用意してくれた。悪いことをすれば、我が子と同じようにカミナリが落ちてきた。

それが今はどうだろう。我が子が悪いことをしても叱ることはせず、「周りが悪いのね、だからそんなことしちゃったのよね」など悪いことをしたのはあの子のせい、公共の場で他人に注意されれば「ほら怒られちゃったでしょ!」のように、親として叱るのではなく、子どもに気を遣いながら、他人に責任転換した叱りだ。

学校でも、義務教育とはいえ「大切なお客さま」のように扱い、粗相がないように接し、お客さまのご両親からクレームが入れば是正書を書くようなシステムが、いまの学校。勉強以外のことを教えるのは罪とばかりに、現実逃避した教師もまた気の毒。

叱られることに耐性のない世代が、これから数年後には日本の中枢となり始める。叱られることで学べることを理解できないまま、自分も親になり、子をもうけける。その子にも同じように......と、どうにか、このおかしな連鎖だけは千切れて欲しいと、切に願うのでした。

【べちおサマンサ】pipelinehot@yokohama.email.ne.jp
某ナノテク業界の技術開発屋。NDA拘束員。
< http://start.io/bachio
> ←まとめ

会社辞めるの続き→いざ、残務整理(にしてはまだ早いよいうより、辞めれるかも未確定)を拾いだしてみると思わぬ罠が。その罠というのが「契約」の問題。会社との契約などではなく、ユーザと結んでいる、諸々の契約問題が最大のネックになることが発覚。

「会社を辞めてしまえば無効」というわけにもいかないのだ。その理由が、会社を辞めて独立して動くのは、いまの業界で動くことが前提の独立。技術流出問題が、ウチら業界だけでなく、地下界隈ではもの凄い勢いで流れている事実もあったりする。

その氷山の一角が、デジクリ読者さまも記憶に新しい、新日鉄。正直言うと、予想にもしないことでオイラが訴えられる可能性もあるということが、残務整理しているなかで分かった。残務整理どころか、心の整理しないと辞めるに辞めれないのよん......。 辞めれんのか?!

・怒りの新日鉄 極秘技術「方向性電磁鋼板」なぜ韓国大手に流出したのか
:ITmedia ニュース
< http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1205/28/news022.html
>

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■デジタルちゃいろ[22]
アーティストが電気スナッパーの夢を追いかける、のか?

browneyes
< https://bn.dgcr.com/archives/20120925140200.html
>
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つい先日、深く考えもせずに我がiPhone4をiOS6にアップデートしたのですが、アップデート様子見している友人たちの関心の的は地図。Google Mapと決別したiOS6の地図の不評は薄々聞いていたものの、予想を遥かに上回るすごい地図ですね、これは。

スターバックス駅にマクドナルド駅、パチンコガンダム駅...。ワタシ自身に多少なりとも縁のある土地でも何かないかと探してみたら、配偶者の郷里の釧路湿原が、広大な湖となってて、湿原と湿原に注ぐ川の区別がまるでない。地図ばっかりはGoogle Mapに戻してくれないかなぁ...。

●街撮り関連記事ウォッチで浮上してきた「アート」

前々からGoogle MapのStreet View、俗称「ストビュー」での偶発的なおもしろショットまとめなどは見かけていましたが、どうも最近はストビューがアートに昇華されつつあるようです。

写真周りのお勉強方々、いわゆるドキュメンタリー写真やストリートフォトグラフィーに関して注目されている記事を極力ウォッチするようにしているのですが、ここ数か月、「street」というキーワードにつられるかの如く、ストビューについての記事が増えてきたのですよね。

何故最近になって記事が増えだしたのかは定かではありませんが、実際は去年くらいからそういう流れはあるようです。実際のアーティストさんや写真家さんの手で「ストビューアート」なる展覧会など、が開催されていたり、去年のWorld Press Photoでは、一部門でストビュー写真で入賞、なんていうコトもあったのですね。

□アートになった『Googleストリート・ビュー』(WIRED) - goo ニュース
└< http://j.mp/OP34MW
>

しかも今や一人や二人ではない模様。...というか、今回取り上げておきながらこういうのもナンですが、ホントに結構膨大な量のストビューアート記事があるので実際、個人的には既に食傷気味とも言える程。

●8万キロ、20ペタバイトの写真から

未だに我が家周辺は主要な国道しか来てくれてないストビューカーですが、どうやら今年の6月時点で8万キロ、20ペタバイトのストリート写真を撮影しているそうです。

とか言ってもまるでピンと来ないですが、下記の記事によると月まで10往復だそうです。ググる先生に地球の外周を教えていただいたところ、ざっくり4万キロだそうで、あぁ、じゃあ、月まで5往復が地球1周分の距離なのか〜...って、もはやストビューとは全く関係ない計算ですね、そこは...。

ペタバイトってテラバイトの次でしたっけ? 1024テラバイト...。えーっと、今は1TBのHDDを2つ程使ってるけど(プラス500GBひとつ)、これの1024倍の、えーっと、20倍...でいいのかしら。それってどうやって格納してるんだろうか。ペタバイトなHDDなんて、さすがにまだ...ないよね?(既に計算で頭がショートしてる)

□Google Street View Has Snapped 20 Petabytes of Street Photos
└< http://j.mp/SghcxT
>

●人力編集というアート?

そんな膨大なストビューカーの撮った写真から、それはもう色んなアーティストさんが色んな切り口でストビューのアートを発表している、らしい。

上述のとおりで既に個人的には食傷気味なので深掘りはしてないし、そもそも有名どころですら写真家さんやアーティストさんの名前も体系的に把握できていないので「あのヒトがこんなのを」みたいな解説も出来ないのだが、ワタシ自身の目に飛び込んだ(=呼ばれた)ものをかいつまんで紹介するとざっと下記のとおり。

□street view: a series of unfortunate events MICHAEL WOLF |
PHOTOGRAPHY | HONGKONG (World Press Photo入賞者)
└< http://j.mp/NKHnfv
>
□MoMA | New Photography 2011 | Doug Rickard (展覧会)
└< http://j.mp/UpXXj8
>
□The Nine Eyes of Google Street View - we make money not art (展覧会)
└< http://j.mp/QwLZDm
>
□Jon Rafman (上記記事の展覧会のプロジェクト公式Tumblr)
└< http://j.mp/UGgkTL
>
□Google Street View Photography | Funofart - The Best Photography Site
└< http://j.mp/Sg7Yli
>
□You Never Knew Google's Street View Was This Beautiful | WebProNews
└< http://j.mp/PcjH10
>

写真については、撮って出し至上主義の方も存在するので一概には言えませんけど、シャッターを押すという行為は写真表現の初期のほんの一部の作業であって、作品として完成させるのには撮影後のセレクションや現像が最も大切で大変な作業だ、と、言われもしたし、真面目にやればやるほど、実際そんな気がしてたりもします。

先月見学させていただいたドキュメンタリー写真のワークショップの最終選考会の場では、生徒さん達の作品を通じて何度か、写真家と編集者が別の場合に起きがちなコミュニケーションの齟齬や、逆に写真家と編集者を別立てにした方がよい場合の理由についての話題がレビューの際に出てきていて、非常に興味深く聞かせて戴きました。写真作家的作品と報道系との大きな違いを、人の作品を通じて概念的に薄々理解出来た気がします。

そういう目線で考えると、これらのストビューアートな写真というのは、撮り手は無機質なストビューカー。取り手の思い入れも作家根性も皆無な上に、状況に応じて「撮らない」という判断すらしない、良くも悪くも非情で冷徹。そんな撮り手に淡々と撮られた写真を、作品として成立させるのは編集者以外いない。

いや、ちょっと待て。そのフローはよいにしろ、例えば既に没した有名写真家の回顧展があるとして、それでもそれは通常、あくまで撮り手の名前の展覧会であって、編集者の名前が先に立つ写真展なんて、少なくともワタシは見たことがない。報道写真の雑誌掲載の際にも、編集者が表に出るなんてあまり聞いたことがない。業界で名の通った名編集者、みたいなのがいたとしても、それは業界内やマニアの間の事であって、表に出ることは通常ない...よね?

...なんて屁理屈をこねたところで、今のところこれらの「アート」は実質、アーティストによる編集(セレクション)という「アート」であり「ニューフォトグラフィー」なるものの一種として既に産声を上げている。

そもそものソースがストビューなので、今後の拡張性には限界もありそうな気もしますが、当面は新機軸コンセプトみたいなところでもう暫くは続くんでしょうかね。そのうち監視カメラフォトグラフィーとかも出てくるのかもしれない、既にあっても驚かないけど。

件の、ストビューでWorld Press Photo入賞の頃に早速、ストビューのスクリーンショットは「写真」なのか「盗用」なのか、といった議論もあったようですが、その後がどうなってるのかまでは下の記事内でもカバーしてませんね。どうなってるんだろう。

□Street View Screenshots: Photography or Plagiarism?
└< http://j.mp/TpDIXS
>

            +----+----+----+----+

■今回のどこかの国の音楽

□Balkan Beat Box "War Again"
└< http://j.mp/OTaMjo
>

やー、大失敗しました! せっかく9月の頭に数年ぶりの来日だったのに、その前に紹介しなかっただなんて!(自分が行けないもんだから悔しくて避けがちで、ここで紹介する事すら思いつかなかった...)

既に日本でもワールドミュージック好きには結構有名...なんじゃないかしら。アメリカ拠点のイスラエル人3人組。拠点がアメリカということもあってか、ワタシのストライクゾーンの土着臭というよりはだいぶオサレな都会風。ステージではMacも駆使しつつ、サウンド自体もいい具合のバルカンなブラスと、レゲエやダブなどがいい具合のチャンポンで入り混じります。

一番大好きなのは下記の曲。これは前から音や映像の悪いライブ動画しかないのですよね...。5〜6年前の来日の際にはテンション上がりすぎで、客席でお行儀悪くしすぎて会場のお兄さんに叱られました。ごめんなさい。

□Balkan Beat Box "Hermetico"
└< http://j.mp/Ra4jEL
>

【browneyes】 dc@browneyes.in
日常スナップ撮り続けてます。アパレル屋→本屋→キャスティング屋→ウェブ屋(←いまここ)しつつなんでも屋。
□立ち寄り先一覧 < http://start.io/browneyes
>
□デジタルちゃいろ:今回のどこかの国の音楽プレイリストまとめ
└< http://j.mp/xA0gHF
>

前回の後記にチラリと書いていたヨット乗船の予定日、その日に限り目いっぱいの大雨で順延。そして前々回(かな?)の後記にチラリと書いていた山籠りをしていた若かりし友人も下山。色々夏が終わった感をひしひしと感じる週末が明けました...って、そりゃもう10月が鼻の先ですもんね。

この週末のメインイベントは代々木のナマステ・インディア。今年は友人たちとまったりと楽しみました。初日最後のステージ演目のカラリパヤットにすっかり魅了されてしまいました。

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■ローマでMANGA[56]
アモーレの次はユーリ

midori
< https://bn.dgcr.com/archives/20120925140100.html
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結局のところ、「アモーレ」は5話まで原稿が上がった時点で、制作がストップしてしまった。貪欲なイゴルトがアモーレ制作中にも関わらず別の作品を提示し、堤さんがそれを大いに気に入ってしまったのだ。

それが「ユーリ」。社会派で硬派の「アモーレ」とは打って変わってユーリという子供の宇宙飛行士のファンタジックなお話だ。このキャラクターは「アモーレ」が誕生する前に、スォッチで出していてすでに持っていた。
< http://item.rakuten.co.jp/parksgallery/465870
>

一度どこかで使用するために考案したキャラクターをそのままにしないで、ちゃんと話しあって契約書にも明記して他に使用出来る権利を確保しておく。この辺の抜け目なさは、これから日本の外で仕事をしようとする人は学習すべきと思う。

イゴルトは、スォッチからキャラを他の媒体で自由に使用出来る権利を手に入れた。ただし、スォッチ版を彷彿とさせるような丸い形の時計に「ユーリ」を全身で入れないこと、という但し書きがついたそうだ。

イゴルトの本名が「イゴル」というロシア系の名前のせいかどうかは知らないけれど、旧ソ連の世界で初めて有人宇宙飛行を成功させたユーリ・ガガーリンから名前を取ったそうだ。

「ユーリ」のエピソードの中に「cccp」のマークをつけて宇宙遊泳をしている飛行士が出てくる。旧ソ連から連邦が崩壊して様々な共和国にわかれた時期に、飛行士がステーションから国に帰れない、という事態が発生したことがある。

お迎えのシャトルが壊れたけど、代わりのシャトルを出す予算がないとかそういうことだったと思う。イゴルトは「非人道的だ」とやたら怒っていた。非人道的な出来事は他にもいろいろ世界中で起きているわけでけど、イゴルトにはこの件がすごく気になったらしいことが印象に残っている。

イゴルトは、ボローニャの国際児童図書展の講談社のブースへ「ユーリ」の話を持っていった。国際版権の部署の人が帰国後、担当の堤さんに見せて、堤さんの意にかなった。確かに、キャラクターとしての強さがある形状をしている。編集会議にもかけて、作品を作ってもらおうとトントンと話が進んだ。

このトントンは、キャラの強さだけではなく、これまで2年に渡ってやり取りをしてきて、イゴルトのプロ根性や仕事への取り組み姿勢、仕事の速度などを把握していたからだ。仕事の速度は2年半で32ページx5話という、日本の連載速度から見ると超カメさんだが、イゴルトの作画が遅いせいではない。ラフネーム提出から決定ネームまでのやり取りに時間がかかったせいだ。前回書いた「単行本脳」と「雑誌連載脳」で噛み合わなかったり。

●新しい物語が生まれるところを見た

「アモーレ」は私が間に立った時には、ある程度の打ち合わせが済んでいた。「ユーリ」ではMANGAとして顔を出そうとしているところから間に立つことができた。

イゴルトはキャラを作るとその背景まで考える。例えスォッチのキャラであっても。ユーリ・ガガーリンをテーマに考えたキャラだから宇宙飛行士だ。でも小さな子供というそのギャップが面白い。

形状の面白さだけではなく、ギャップには理由がなくてはならぬ。イゴルトは「宇宙のどこかにいるお母さんを探す子供だから宇宙飛行士なのだ」という設定を考えた。

このMANGAはカラーでしか考えられない。「アモーレ」制作で、日本の雑誌ではカラーページは8ページまでと学んだので、40ページの作品で8ページづつ掲載する、という案を提出した。

実際には、僅かな例だけれど、雑誌に掲載せずに単行本を出す場合もある。1993年の7月7日の堤さんの通信で「ユーリ」の掲載方法について触れている。初めに話を受けた国際版権の人、担当の堤さん、そして編集部で話し合った結果、まず雑誌掲載をして単行本にすることを決めた、とある。これはイゴルトの思惑通り。

そして、堤さんの編集者としてのサジェスチョンが続く。主人公としてのユーリは魅力を覚えるが、それ以外の設定に魅力に欠ける。ついては、イゴルトが編集部に送った数々の作品集、単行本を見て、その中にある「グリーンカンガルー」という大きな宇宙船や、「玩具だらけの部屋」や「青い蝙蝠男」などの世界と合わせたらどうか。

これらの作品は、画家としてのイゴルトの作品だ。やっぱりロシア系に関係あるのか、イゴルトの作風はソ連時代の労働を賛美するテーマで多く描かれた様式(「ロシア構成主義」というらしい。< http://bit.ly/QquxDn
> キュビズムに似た様式)を思い起こさせる作風で、宇宙船とかアメコミ風ヒーローとかを大画面に油彩したもの。

ピロスマニ < http://bit.ly/S7TnnG
> とか、ワルワーラ・ステパーノワ< http://bit.ly/S7TIqd
> の作風を見ると、イゴルトは絶対にこの時代のロシア絵画に影響を受けていると断言したくなる。

このサジェスチョンで、編集者とはプロデューサーの役目もするのだと知った。イゴルトの画集にある作品は光沢を表現し、機械類は流線型をしている。この描き方は宇宙の話にふさわしいし、「ユーリ」の世界を構築したらより深い世界観になるだろう、と続く。

さらに4つの具体案を示す。

1)作品はまず雑誌に連載し、後に単行本にする。連載に関しては一話につき、8ページオールカラー。4話掲載(全32ページ)か5話掲載(全40ページ)の後に単行本にする。8ページで読み切りでも32ページ(あるいは40ページ)で一話でも良いが、後者の場合、連載掲載であることを念頭に置いた構成が必要。

雑誌掲載の段階では右綴じでセリフは縦書き。単行本は左綴じも可。この場合は原稿を左右反転する。フキダシは使わず、テキストはなるべく少なくする。

2)単行本の価格は1000円を超えない。つまり、高級本にはしない。

3)ターゲットは5歳から105歳。つまり、自力で読める人すべて。それぞれの年齢に合った読み方をするであろう。

4)日本での出版の後、世界への出版とTVアニメとその他のガジェットに展開したい。

堤さんがいかにユーリというキャラに惚れ込んだかわかる。惚れ込んだ作品には自信がある。今までにも、猫のマイケルや恐竜のGONを発見して、ヒットに結びつけている。

3)と4)に関してはイゴルトも大喜びだった。後の通信でも、一か月に単行本一冊の速度で進められる。アニメ、アニメ用音楽と多次元に渡って同時進行したい。そのほうがユーリの世界を深められる。と大乗り気だった。ちなみに、イゴルとはマルチプレイヤーでバンドも持っている。

さらに堤さんは、コピー機を駆使してイゴルトの画集とユーリのスケッチを合成して、堤さんが想定する構成を視覚化した。MANGAというより絵本に近く、大きくコマ割りした絵本という感じで、見開きの背景に宇宙に浮かぶグリーンカンガルー、そしてその上に遊泳する小さなユーリ、左ページにコマが二つ。見開きページに縦書きでテキスト。

この新しいタイプの構成はイゴルトの大いに気に入るところとなり、編集者(プロデューサー)と作家は互いに次から次へとアイデアを出し合って、ユーリの世界が形を取っていった。
ちなみにこんなカタチ。↓
< http://www.igort.com/books-notavailable_yuri.html
>

ただし、ここでも日本の雑誌の編集者とヨーロッパの作家の思惑の違い、仕事の進め方の違いが顔を出した。

堤さんは、後の予定として単行本化と日本以外での出版の話をした。それでも、まず週刊誌に連載して読者をつかむ、という基本姿勢は変わっていない。一回に8ページ。8ページで一回づつ読者をつかむ構成をしていく必要がある。

イゴルトは、堤さんの通信の中で自分が理解し、賛成した部分を以って、将来単行本になることをまず頭に浮かべてさっさと構成をしていく。つまり、堤さんは1)と2)を重要項目と理解し(だからこそ最初に持ってきた)、イゴルトは3)と4)、特に4)を重要項目と理解した。そして問題が出てきた。

この問題については次回に。

【みどり】midorigo@mac.com

次の衆院選で政権を奪還するであろう自民党の総裁選。党員ではないし、仮にそうであっても日本にいないので、この大事な人事に手を出せない。

願わくば、いよいよ戦後状態から脱却するように日本を導く人になってほしい。まずは現憲法全面見直し。「平和憲法」という美名に騙されてはいけない。「私は平和を愛します」とさえ言っていれば誰からも攻撃されないというのはお花畑もいいところ。

戦後、日本は攻撃を受けていないではないか、という人もいるかもしれないけれどそれは「平和憲法」のおかげではない。日本を敵とみなす国々がそれだけの実力を持っていなかったからだし、アメリカという後ろ盾があるから。

だいたい、自分の国を他の国に守ってもらおうなんて独立国がすることではない。前回の戦争に負けたからなんていうのも変。ドイツもイタリアも自分の国の軍隊を持ってます。

尖閣諸島を守ってくれている海保も出来る範囲は限られている。本来なら、北朝鮮に拉致された日本国民を、軍隊を送って取り戻してくるのが独立国というもの。竹島も北方四島も南樺太も「あ〜、盗られちゃった...」とめそめそするだけの"のび太状態"はもうやめたい。

尖閣諸島の話を家族にしたら「なんで海軍を出さないの?」と、旦那と息子が同時に言った。これが日本の外では普通の反応ですよ。

確かに今までも放っておいた。ただ、戦後すぐから今までは日本の国を立て直すほうにエネルギーを使う必要があった、ということも否めない。働き蜂とかエコノミックアニマルとか揶揄されたお父さんたちが頑張ってくれたおかげで、技術大国として世界中の信頼を勝ち取る国になれた。

今度は精神面と体力面で自分を磨く時。「私と私の家族と祖先が生まれ育ったこの国が好き。大事にしていつまでも存続させたい」という愛国心を国民一人が一人が躊躇なく持てるようになる教育と「自分は自分で守ります。他人が私の家に断りなく土足で入ることは許しません」という意思表示のために、それを実行できる実力がある自国軍を持つこと。......まだ間に合うと信じたい。

主に料理の写真を載せたブログを書いてます。
< http://midoroma.blog87.fc2.com/
>

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編集後記(09/25)

●古野まほろの近未来SF小説「復活 ポロネーズ第五十六番」を読む(2012、新潮社)。とにかく妙な文体で読みにくい。人の名前や固有名詞、会話の一部にルビをふってあるがそれは北京語の発音だ。不愉快だ。読点でなく句点を打つ変な表記も現れる。会話も妙なリズムで、こんな具合。
「ああ」と小林博士。「アキオ君だな」
「アキオ君?」と僕。「あのロボットですか」
いったいこのふざけた文体はなんなんだ。うんざりしながら読み進める。

物語の舞台となる日本は、独立を失い中国の日本自治区となり、収奪される植民地と化している。10年前、日本は未知の肺壊ウイルスの感染で4900万人が死んだ。これは中国の学者がデザインした、ある条件下の日本人のみを殺す生物兵器だった。混乱に乗じて(日本人左翼の要請で)侵攻してきた人民解放軍に制圧された日本に、漢民族3000万人が植民。彼らは日本民族を奴隷化し、労働力として搾取し、その資産を略奪し、日本民族と日本自治区が産むあらゆる果実を収奪し続けている。さらに法的に日本民族を消滅させようとするジェノサイドも進行中だ。

これに抵抗できるのは日本自治区レジスタンスと亡命政権しかない。日本民族を隷属と絶望から救済できるのはレジスタンスの乾坤一擲の「オペレーション・シータートル」である。これにアクセスすべく行動を開始したのは、主役の高校生・古野昴と、日本自治区最高権力者の縁者・修野茉莉。このふたりがディストピアと化した祖国・日本を救う希望の星だ。物語は敵味方の反転また反転とスピード感があってスリリングだが、どうにもライトノベルの世界なのに違和感があり、全然楽しくないエンターテインメントだ。中国にやられたら地獄、やはり日本は核武装すべきだという思いは募る。(柴田)

< http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4103327413/dgcrcom-22/
>
→アマゾンで見る

●iPhoneマップのひどさはニュースになっている。シンプルで、場所をおおまかに把握するにはちょうどいい。ただし、目印になるお店が既にないものだったりする......。ハングルや中国語書体は知られているからパスするとして、他に気になったのは、全角英数字、半角英数字の混在。AppleといえばMacである。Macのデフォルトは半角だ。入力にMacを使っていないんじゃないの? それから音引きがハイフンになっているものもある。/広域にしていくと、地球になるよ。

Passbook。ぐるなびから近所のお店を登録してみた。近くを通るとクーポンがあるよと知らせてくれるのは便利。ドラッグストアやスーパーでやってくれると嬉しいな。今日はお肉が安いよ、とかでもいいんだけど。

SiriからFacebookに投稿できるとあったので試してみた。「Facebookへ投稿」の後、内容を言う。確認画面で、「投稿」「キャンセル」と書かれてあったので「投稿」と言ったら、Twitterの投稿受付モードになった......。「投稿」はTwitter用の単語らしい。Facebook用の確認画面では「はい」と言わなければならないようだ。(hammer.mule)

< >
全角英数字と半角英数字の混在。音引きハイフン
< >
こちらが正しい
< http://html.adobe.com/jp/edge/
>  Adobe Edge Tools & Services 始動
< http://www.publickey1.jp/blog/12/_source_code_pro.html
>
ソースコードを表示するためのフォント「Source Code Pro」

< http://kokucheese.com/event/index/52415/
>
「どう作ればいい? どう使えばいい? SVG超入門」
< http://www.rakugakidou.net/index.html#idemitsu
>
出光のプリペイドカードがお店ですりかえられていた。
< http://www.nitteleplus.com/program/anime/kinniku-man.html
>
10/8から日テレ+でキン肉マン(全137回)。特番アリ。