アナログステージ[83]横道に逸れた戯言
── べちおサマンサ ──

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ただいま、20212年9月24日のPM 22:00過ぎ。今回も、「拝啓、後記から失礼いたします Ver:2」というタイトルで、柴田編集長に原稿を送ろうと一瞬考えたものの、「べちおはん、あんた、それはもう通用しませんですYO!」と、グラスに注いだ『麦とホップ・黒』の泡を口の周りにつけながら、ニヤニヤしている編集長の顔が過ぎったので、なんか悔しくて原稿書いていたりする。

というのは三割冗談として、まぁ、ホントに時間ばかり過ぎていってしまい、朝起きて、なにをやっているのかも分からずに夜になっている。そんな日々が毎日続いていれば、元旦から大晦日までが10分くらいの感覚で流れてしまうのは、なにも可笑しなことではないよね。

それでだ。問題はここからで、今回はなにをネタにして書こうか相当悩んでいる。例えるなら、『ALWAYS 三丁目の夕日』シリーズに出てくる、茶川竜之介のような、ドリフのコントで、いかりや長介がバケツを被って爆発したあとの髪型になっている。もの凄く回りくどいが、それくらい悩んでいるという例えのひとつだ。

しかし、堤真一が演じる鈴木オートの社長役はハマり役ですよね、もう、大好き。オイラがお子様(昭和40年代)の頃の大人って、「怒る」ということは、悪いことではなかった。時代は昭和から平成になり、大人が子どもたちに怒る世論スタイルが180度変わった。

オイラ持論だと、昭和は「怒る」というものは「後世(自分の子ども)に伝えるもの」って色が強かったけど、平成になってから「怒る」ということは「恐怖を与えている」というような、まったく意味合いが変わってきているのと同時に、「怒られる」ということに対して、子どもたちの受けとりかた(認識)も変わっているみたい。

昭和の怒るは、「叱る」という、日本美学の最低限マナーを養うえで、とても大切だったはずだ。それが昨今では、怒ることは非常識者扱いのうえに、精神が弱っている、育った環境が悪劣、思いやりがないヒト。のように、地球外生命体はアンタだよ。みたいな取扱いでもあるんですよね。




「ウチの子のなにが悪いんですか、ハァハァ、あそこの○○くんだって同じことをやっているじゃないの、ハァハァ、なんでウチの子だけそんな風に悪く言うんですか、ハァハァハァ、なんでウチの子をハァハァハァハァ、なんでぇー!」

というような、大手会社で新発売される商品ネーミングのように、キラキラネーム(俗称:DQNネーム)を旦那(カミさん)と真剣にプレゼンを重ねて名付ける世代は、平成の産物なんじゃないだろうか。

昭和時代にいくらパンダが好きだからって、自分の子どもに「大熊猫(パンダ)」とか「白七割黒三割(パンダ)」とか、「好物笹(パンダ)」って名付ける親を聞いたことがない。まぁ、自分たちの子どもだから「林檎(ジョブズ)」って名付けても、区役所(市役所)も溜め息つくだけで諦めるだろう。

そうだ、そんなことを書きたかったわけではない、「怒る」という感情についてだった。時代はオイラが子どものころに遡るが、イタズラをすれば、近所のオバちゃんやオジちゃんによく叱られたものだ。なにが怖かったって、『地震・雷・火事・玉子焼き』ではなく、玉子焼きの替わりにオヤジがいた。

あの頃は「近所の子どもたちもウチの子」のような包容力があり、なにかあれば近所同士で助けあって生活していた。おやつも、外で一緒に遊んでいる子の分はもちろん、近くで遊んでいる子の分まで用意してくれた。悪いことをすれば、我が子と同じようにカミナリが落ちてきた。

それが今はどうだろう。我が子が悪いことをしても叱ることはせず、「周りが悪いのね、だからそんなことしちゃったのよね」など悪いことをしたのはあの子のせい、公共の場で他人に注意されれば「ほら怒られちゃったでしょ!」のように、親として叱るのではなく、子どもに気を遣いながら、他人に責任転換した叱りだ。

学校でも、義務教育とはいえ「大切なお客さま」のように扱い、粗相がないように接し、お客さまのご両親からクレームが入れば是正書を書くようなシステムが、いまの学校。勉強以外のことを教えるのは罪とばかりに、現実逃避した教師もまた気の毒。

叱られることに耐性のない世代が、これから数年後には日本の中枢となり始める。叱られることで学べることを理解できないまま、自分も親になり、子をもうけける。その子にも同じように......と、どうにか、このおかしな連鎖だけは千切れて欲しいと、切に願うのでした。

【べちおサマンサ】pipelinehot@yokohama.email.ne.jp
某ナノテク業界の技術開発屋。NDA拘束員。
< http://start.io/bachio
> ←まとめ

会社辞めるの続き→いざ、残務整理(にしてはまだ早いよいうより、辞めれるかも未確定)を拾いだしてみると思わぬ罠が。その罠というのが「契約」の問題。会社との契約などではなく、ユーザと結んでいる、諸々の契約問題が最大のネックになることが発覚。

「会社を辞めてしまえば無効」というわけにもいかないのだ。その理由が、会社を辞めて独立して動くのは、いまの業界で動くことが前提の独立。技術流出問題が、ウチら業界だけでなく、地下界隈ではもの凄い勢いで流れている事実もあったりする。

その氷山の一角が、デジクリ読者さまも記憶に新しい、新日鉄。正直言うと、予想にもしないことでオイラが訴えられる可能性もあるということが、残務整理しているなかで分かった。残務整理どころか、心の整理しないと辞めるに辞めれないのよん......。 辞めれんのか?!

・怒りの新日鉄 極秘技術「方向性電磁鋼板」なぜ韓国大手に流出したのか
:ITmedia ニュース
< http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1205/28/news022.html
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