アナログステージ[87]銭湯ノスタルジック
── べちおサマンサ ──

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「あ、そうだ、今月のBURRN!まだ買ってないや」ってことで、久しぶりに本屋さんへ立ち寄って、アレアレモロモロと物色していたら、3か月間隔くらいで発行されている『横濱 Vol.38(神奈川新聞社)』が並んでいた。3か月間隔の発売だと、「本屋さんに寄ったときに、偶然並んでいた」というよな、レア本のような感じ。ちなみに、前号は野毛(桜木町)特集でした。

今回の特集は銭湯のようで、パラパラと捲り斜め読みしてみると、横浜の銭湯マップやら銭湯のアレコレがみっちりと紹介されていた。今回は購入するまでもないかなぁ......と、本を閉じて戻そうとしたとき、『幕末・明治の横浜の銭湯』『横浜銭湯の大正・昭和史』というタイトルが目に飛び込み、本は戻さずに、へヴィーメタラー御用達の音楽誌、BURRN!と一緒にレジへ。

デジクリでも、何度か書いたような書いてないような、どこで書いたのか記憶が曖昧なところがありますが、普段、風呂に入らない人種です。といっても、湯船に浸からないという意味で、朝夜のシャワーで簡単に済ませてしまう、カラスの行水派。早いときで20〜40秒くらい。

シャンプーして流して、コンディショナー塗ったくったら、ボディーソープを手で体に塗って、洗顔したら、あとは頭から一気にシャワーで流すだけ。最近は、シャワーすら面倒になるときがあり、「そうか、食器洗い機の中に入れれば、勝手に洗ってくれるじゃんねw オマケに乾燥までしてくれるしw」なーんて考えたり。




こんなこと書いていながらも、湯船が苦手というわけではなく、むしろ好き。「んじゃ、なんで入らないんだ、このバクテリア培養野郎!」って言われそうですけど、まぁまぁまぁ。子どもの頃は銭湯が大好きで、よく爺さんや婆さんに連れられて、近所の銭湯へ行っておりました。べつにバイキン男爵なわけではありませんです。

小学生になってから、親ジジババから銭湯代(たしか20円だった)を貰って、弟とふたりで銭湯へ行くのが日常スタイルに。風呂に行くというよりは、外で泥だらけになって夕方まで遊んでいた友達たちと、「今日、○○湯(あの頃は近所にたくさん銭湯があった)で一緒に風呂で遊ぼうぜー」って約束して、遊びの延長になっていたり、銭湯を口実に夜まで遊べる! という、子どもながらの、些細な楽しみがたくさんあった。

家(実家。すでに壊滅している可能性あり)の風呂は、仕事上がりや、時間がないとき、簡単に汗を流すだけのような存在で、実際に家の浴槽に湯を張って入った記憶がない。

というよりも、中学生になるまで、家風呂=シャワー、銭湯=湯船に浸かるところという認識でいた。中学生になり、新しい友達と話しているときに「へ? 風呂(湯船)って銭湯で入るもんじゃないの?」って話したら、「なんだそれ」って言われた記憶がいまでもバッチリと残っている。

オイラが小学生の頃は、自宅に風呂がない家もたくさんあったので、学校や近所で仲の良かった友達はもちろん、学校であまり喋らないヤツも銭湯に来ていたりして、何度か一緒になると、「この時間に風呂に来てるんだ? 今度、一緒にあそこの風呂屋行ってみようよ、あそこの風呂屋はピーチクパーチク...」といった感じで、仲良くなるきっかけになったりしたもんだ。

大人だけに限らず、子どもにとっても、まさに裸の社交場だった。

●匂いと同時に甦る、たくさんの思い出

知らぬうちに、銭湯に行くような機会がなくなり、健康ランド(最近だとスパガーデンとかオサレ系なネーミングになっていたり)で、「宴会ついでに、ひとっ風呂とマッサージ!」ということが多くなっていた。銭湯と違い、なんでもある。食事もできれば仮眠だってできる。

一回入館してしまえば、何回でも入浴が可能な健康ランドに対して、一回入館すると、基本、一回しか入浴できないスーパー銭湯(以下、スパ銭)だが、それなりに値段もリーズナブル。最近では、平日は二回浴できるスパ銭も増え始め、一回入った後、食事やマッサージを施術後に、再度入浴できるサービス。一日で、5回も10回も出たり入ったりはしないから、二回浴のサービスはありがたい。

10年くらいから、自宅周辺にスパ銭があちらこちらにオープンし始め、まぁ、銭湯の延長線で、「風呂上りに軽い食事(酒)とマッサージのサービスがありますヨ」くらいの認識でしかなかった。実際、風呂の趣向は凝らしているものの、「家族で来て、たまには気分転換にいいのかも」レベルであったのは間違いない。

気分転換にいいのかもレベルだったスパ銭。数年前に、自宅から車で5分くらいのところに『港北の湯』というスパ銭がオープンし、「天然温泉なんだぜ!」と謳っていたが、「横浜で天然温泉ってw へんなガスが湧いてるだけじゃないの」って高を括っていたのだが、なんと、小学生のころに通っていた銭湯と同じ、黒湯じゃないか!

生粋の濱っコのように思われているオイラですが、じつは川崎市の真ん中くらい出身だったり。当時、黒湯がある銭湯は珍しかったようで、オヤジ(死にそうだったのが復活)にあちこちの銭湯へ連れていってもらったが、黒湯だったのは、近所の銭湯だけで、あとは普通の白湯と、バスクリンを入れたような湯のふたつだけ。

すでに横浜の生活のほうが長くなり、黒湯の存在というよりも、小学生のころに通っていた銭湯のことすら忘れていた記憶が、港北の湯で黒湯を見た瞬間、一気に甦った。忘れていた記憶が戻る瞬間ってすごいですよね。数年分の記憶が、クリスマスツリーの電飾に通電させたときみたいに、パパパパー! っと繋がる。

湯に浸かりながら、「あー、この匂い、懐かしいなぁ、あそこの銭湯ってまだ営業してるのかなぁ...... 番台のオバちゃんまだ生きているのかなぁ」って、手で掬ったお湯の匂いを嗅ぎながら、ニタニタと懐古していると、ムスコちゃんが塩サウナから出てきた。

サウナ上がりで火照った体を、夜風で冷ましたムスコちゃんが、オイラの横に座ると、「このお湯、匂いが独特でしょ。オイラが子どものころさ......」と、自分の少年時代話を始める。

思い出話などを滅多にしないオイラが、突然、そんな話を始めたもんだから、「なんだなんだ?」って不思議そうに見ていた。浴槽で遊んでいて怒られた話や、早い時間、誰もいない洗い場で風呂桶を並べてボウリングして遊んでいたこと、脱衣所で大人たちが指している将棋をみて、将棋のルールを覚えたこなど、思い出すことすべてを話しているうちに、のぼせてきてしまい、早々に食事処に逃げ込んでビールを嗜んでいた。

そんなこんなから、スパ銭に嵌りはじめると、あちこちのスパ銭や健康ランドに行ってみたくなる。興味を持ち始めると、そればかりに執着してしまうのは、オイラの悪い癖だ。しかし、その頃から仕事は落ち着くどころか、忙しさに拍車がかかって、土日すら休めないことが当たりまえの生活になっていた。

スパ銭や健康ランドの露天風呂も、開放感たっぷりで、良い気晴らしにはなるけれど、銭湯の湯気に包まれたタイル絵を眺めながら、「ふぁ〜、極楽、ごくらくぅ」と、湯を楽しむのもオツなもんです。

【べちおサマンサ】pipelinehot@yokohama.email.ne.jp
NDA拘束員であり、本当の横浜を探しているヒト
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○12月までに手元にあればいいかなぁ...って、気長に待つことにしたiPhone5が、予約から1週間でやってきた。2〜3週間待つと云われていたので、かなりビックリ/とりあえずは母艦と接続して作業を進めていたら、なんか様子がおかしい。おかしいというのは良いほうにおかしくて、同期が済んだあと、あいほんの写真フォルダを覗いてみると、完全に諦めていた画像データが復活しているじゃありませんか!/iCloudと同期設定していたわけでもないし、あれだけ必死に探したのに見つからなかった写真たち。どこに隠れていたんだろう。未だに謎だったりしております。