KNNエンパワーメントコラム 家にカギをかけないという生き方
── 神田敏晶 ──

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家にカギをかけなくなって、かれこれ20年以上になる......。

......というのも、ドロボウさんに侵入されたことは、52年もの人生でたったの一度しかない。しかも被害額は3万円弱だった。それくらいの現金しかなかったからだ。

しかし、よくよく考えると、引っ越しの度に、マンションのカギの交換代金が3万円とかの金額を払ってきている。これまでの、「生涯空巣被害額」よりも、セキュリティのためのカギ代の方が高いのだ。

また、マンションではオートロックで一応、全体のカギはすでにかかっているのに、個々にかける必要があるのだろうか?

最初は、カギをかけないで家を出るのはとても不安がつきまとう。しかし、最近のクラウド生活と断捨離のおかげで、タンス預金もなければ、高級時計もない。高価なものといっても一眼のカメラ程度。高価なものを所持していなければ、カギをかける必要もないと思う。

むしろ、カギをかけないことによる、人を信頼する、地域を信頼する個人的な社会実験だと考えている。




北欧の国々は、家にカギをかけない世帯が多い。ご近所はリビングまでは平気で遊びにくる。カギがあるのは、ベッドルームくらいだ。日本でも、田舎にいけば行くほど、カギをかけない文化がある。

それは、ドロボウや空巣がいないということよりも、ドロボウ側からすれば、カギをかけない世帯が多いところは、大したモノが置いていないという需供バランスが成立しているからだろう。

何よりも、家に帰ってきた時に、カギを探す必要がないメリットは多大だ!毎日、ポケットに手をいれる初動から、カギを開けるのに約10秒かかるとすれば、年間一時間はカギに触る動作を行っていることとなる。生涯では、約80時間はカギをまさぐっているのだ。

むしろ、その80時間よりも家のドアが、いつでも開いているという気軽さは快適すぎるほど快適だ。何よりも気持ちがストレスフリーだ。特に、荷物が多い時にカギを開けるのは至難のワザだ。いつでも開いていれば、そんな煩わしさはまったくない。

しかし、単にカギをかけないだけでは、不安な人も多いだろう。そこで、ある「おまじない」を施してある。それは、ドアの玄関に壊れたウェブカメラを取り付けてあるのだ。

これだけで、ドロボウにとっては、勝手に入ることにかなり躊躇することだろう。抑止力が働けばなおさら良いのだ。ウェブカメラが玄関に付いている家をわざわざ狙うドロボウはいないとボクは思う。

SECOMの防犯システムがスゴイのではなく、SECOMのあのシールの抑止力がスゴイのだ。

最も重要なのは、堅牢なカギをかけて、万全なセキュリティ体制を誇るのではなく、リスクに対しての抑止力を効率的に最適値で生みだすことだと思う。セキュリティに対しての費用対効果を個人的に考えてみることによって、いろんな常識や、習慣であたり前だと思っていることから、逸脱したアイデアも生みだすことが可能となるだろう。

ボクにとって、家にカギをかけないという生き方は、ひとつのポリシーだ。そのことで、人が人を信用できる社会を、きっと築けるはずだと信じている。そのルールを破るものをもっと重罪にすべきではないだろうか。

また、部屋専用のクラウドによるドライブレコーダーのような、ホームアプライアンスがあれば、きっと空巣も嫌がることだろう。カギをかけて、ユーザーに不便がつきまとうのではなく、不心得者が心理的に抑止される方向にもっと知恵を絞るべきだろう。

空港ではハイジャックやテロの何百万人に1の可能性に対して、乗客全員がボディチェックを受けることを普通だと考えている。仮の話だが、ハイジャックではなく自爆テロであれば、航空機でなく新幹線であっても甚大な被害と影響が想定される。

新幹線ではボディチェックがないけれども、日本の国内線の飛行機ではボディチェックがある。そこで、日本の国内線ではボディチェックがないという社会実験を行えれば、より観光立国としての安全性を世界にアピールできるのではないだろうか。

万一、そこで問題があれば、ボディチェックを復活させればいいだけではないのか。人々はボディチェックのない国内線利用、もしくは日本からの国際線はチェックがいらないという信頼を世界に担保することができれば、日本の安全というバリューはますます向上するのではないだろうか?

自分の家にカギをかけないという発想で、社会を見ると新たな社会像が見えてくるような気がした。

【かんだ・としあき】
KandaNewsNetwork,Inc.CEO
< http://www.knn.com/
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・久しぶりの神田敏晶さん。今回はKNNからの転載です。わたしにとって鍵なしはちょっと無理な生き方だと思いますが、ケータイやあいほんなしの生き方のほうが、神田さんはじめ多くの人には「不可能」なんでしょうね。(柴田)