《まずは行動。言葉は後。それが君子だ。》
■まにまにころころ[143]
ふんわり中国の古典(論語・その6)
温故知新
川合和史@コロ。 Kawai Kazuhito
■クリエイター手抜きプロジェクト[553]雑談編
サマータイム 百害あって一利なし
古籏一浩
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■まにまにころころ[143]
ふんわり中国の古典(論語・その6)
温故知新
川合和史@コロ。 Kawai Kazuhito
https://bn.dgcr.com/archives/20180820110200.html
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コロこと川合です。残暑お見舞い申し上げます。残暑どころか盛夏ですけど。エアコンを発明した人を崇め奉りたい今日この頃です。
暑さのせいでか色んなことがどうでもよくなってきているので、前置きはもうすっ飛ばして、『論語』読んで態度を改めたいと思います。
今回はいきなり超有名なフレーズからで、テンション上がります。
◎──巻第一「為政第二」十一
・書き下し文
子曰わく、故きを温ねて新しきを知れば、以って師たるべし。
・だいたいの意味
古典に学んで習熟し、そこから新しいものを見いだせる人であれば、師と言えるだろう。
◎──巻第一「為政第二」十一について
「温故知新」ですね。ふるきをたずねて、あたらしきをしる。
ふるきをあたためて、とする読みもメジャーですが、意味は同じです。
古いものから新しいものを見いだす、という解釈と、古いことを知り、さらに新しいことにも精通する、という解釈とがあります。故事成語の温故知新は、だいたい前者の意味で使いますよね。小学館の『日本国語大辞典』で温故知新を引くと『昔のことを研究して、そこから新しい知識や道理を見つけ出すこと』とあります。
「温故知新」、「故きを温ねて新しきを知る」と、このフレーズが抜き出され広まっていますが、出典である『論語』ではそこで終わる言葉ではないんです。「そういうことができる人が、師とされる資格を持つんだよ」という話です。
心がけや目指すところを示すと共に、その難しさに言及している感じがします。同時に、古いことを学ぶことの大切さも。
孔子は言わば「古典の先生」なので、古いことを学ばせようとしている立場。なぜ古いことを学ぶのか、というその意義として、古いことを学んでそこから新しい発見を得られる人材になりましょう、と言ってるわけです。
新しい発見、といっても、単なる新解釈だとか、現代風のちょっとした応用のことではなく、新時代を切り拓くようなレベルの話でしょう。
『論語』を記したのは、孔子を師と仰ぐ人々なので、孔子は古いことに習熟し、そこから新しいものを見いだす力をもった人物だと尊敬しています。そして、それがいかに難しいことかを知り、その高みを目指して、孔子の教えに従って古典を学んでいるんですね。
今まさに私たちにとっての古典である『論語』を読んで、何かを得られたらなと思っているのですが、私みたいに、ざっと読んで「へー」って思う程度では、『論語』の言うところの温故知新の域には程遠いってことで。
過去を研究して新時代を切り拓いていける人物こそが、人々を導く資格を有し師と仰がれるのだ。漫然と学ぶのではなく、深く掘り下げて考えて、そこから今に通ずる普遍的な真理を見いだしなさい。古いことを学ぶ、そのこと自体に意味があるのではない。そこから未来を創り出すために、学ぶのだ。たぶん、そんなことを仰っているのでしょう。
◎──巻第一「為政第二」十二
・書き下し文
子曰わく、君子は器ならず。
・だいたいの意味
君子というのは道具の名称ではないんだよ。
◎──巻第一「為政第二」一二について
あまりに短いので、様々な解釈があります。特定の用途のために作られる器と違って、広くあらゆることに力を発揮する人物のことだ、とか。使われるためのものではなくて、使う側のものだ、とか。小さなものを収めるものではなく大きな事を果たすものだよ、とか。実用的、即物的、そんなものではなくて、高い精神性こそが君子の備える性質だ、とか。物ではない、人なのだ、とか。
答えなんてないので、好きに解釈していいと思いますが、かっこいいフレーズですよね。君子は器ならず。孔子先生はどういう意図で仰ったのか。きっと、弟子たちも上記のような様々な解釈を議論し合ったんじゃないでしょうか。
◎──巻第一「為政第二」十三
・書き下し文
子貢、君子を問う。子曰わく、まずその言を行い、しこうして後に之に従う。
・だいたいの意味
子貢が、君子とはと質問された。孔子先生は「君子とはまず言葉で伝える前に実行してみせて、その後で言葉で説明する者だ」と。
◎──巻第一「為政第二」十三について
さっき「君子は器ならず」で、どういう意味だろうとあれこれ悩んだのに対し、同時代を生きた弟子はいいですね、直球で質問できて。(笑)
伝えたいこと、伝えるべきことがある時、君子はまず行いで示して、その後で必要があれば補足的に言葉にすると。まずは行動。言葉は後。それが君子だと。
ここで「言」を「書」と考えると面白いことがあります。世界四大聖人であるイエス・キリスト、ソクラテス、釈迦、ムハンマド、孔子の五人(四大だけど五人なのは、言う人によってチョイスが違うから……)は、誰も自身の著作はないんですよね。ああだこうだと直接は何も書き残していないんです。
(孔子の著作と言われるものはありますが、どうも違うらしいです)
もちろん事情も色々あってのことでしょうけど、五人とも行動の人で、言行は弟子や後世の人がとりまとめて記して伝わっているんです。
本を書いている人は立派ではないというわけではありませんが、ちょっと興味深い一致ですよね。
◎──巻第一「為政第二」十四
・書き下し文
子曰わく、君子は周して比せず。小人は比して周せず。
・だいたいの意味
君子は広く交友を持って偏りなく親しみあう。徳のないつまらない人物は徒党を組んで仲間内だけでつるみ、広く交友を持とうとしない。
◎──巻第一「為政第二」十四について
君子の対義語として小人が挙げられ、君子とはどういった人物か語られています。内容は分かりやすく、今の時代でもそのまま納得できるものですね。
◎──巻第一「為政第二」十五
・書き下し文
子曰わく、学びて思わざれば則ちくらし。思いて学ばざれば則ちあやうし。
・だいたいの意味
知識を求めるだけで考えることをしなければ、役にたたない。考えるばかりで知識を得ようと学ばなければ、危険である。
◎──巻第一「為政第二」十五について
先人の教えを知ることは大事だけども、そこから自分なりの考えを深めようとしなければ、それは単なる知識に過ぎず、どうしていいのか分からない。逆に自分で考えるばかりで先人の教えに学ぼうとしなければ、独善に陥って危険だ。
これも分かりやすい話ですね。温故知新にも通ずるものがあります。
◎──巻第一「為政第二」十六
・書き下し文
子曰わく、異端をおさむるはこれ害あるのみ。
・だいたいの意味
聖人の道を外れたことを学ぶことには害しかない。
◎──巻第一「為政第二」十六について
そのままです。道を誤るな。何を師とするべきか間違うな。そういうことです。
少し穿った見方をすれば、後の諸子百家が乱立したような時代の孔子学派が、他の学派を退けるために用いるのにも便利な教えだったんじゃないかなと。
◎──巻第一「為政第二」十七
・書き下し文
子曰わく、由よ、汝にこれを知ることをおしえんか。これを知るをこれを知るとなし、知らざるを知らずとなす。これ知るなり。
・だいたいの意味
由(子路)よ、あなたに知るということを教えよう。知っていることを知っているとし、知らないことを知らないとする。これが、知るということだ。
◎──巻第一「為政第二」十七について
孔子は、知っていることと知らないことを知り、知らないことに対して虚心であれ、それが「知る」ということだと仰っているのでしょう。
知らないことを知る。
「ソクラテスか!」とつっこみたくなるような一節です。孔子の方が百年ほど先に生まれていますので、ソクラテスにこそ「孔子か!」とつっこむべきかもしれませんけど。「無知の知」に通ずる教えですね。
◎──今回はここまで。
先述の通りソクラテスは著述を行っていないので、その弟子プラトンが書いた『ソクラテスの弁明』から少し。
異端の教えで若者を扇動したと、言いがかりをつけられる形で裁判にかけられたソクラテスが、裁判で語ったとされる言葉がこの『ソクラテスの弁明』なのですが、タイトルに反して、弁明、どころか、敵対者を煽っている感じなんですけどね。そのせいで死刑になるんですが。
まあ弁明云々はさておき、「無知の知」に関係する部分を紹介します。
ソクラテスは「ソクラテスより智慧のあるものはいない」という神託を巫女に告げられ、どういう意味だと考えます。自身は、智慧のあるものなどではないと自覚しているのに、神がそのようにいうのはどういうことだ、と。
ちなみに、神=アポロンです。
で、ソクラテスがどうしたかというと、智慧があるとされる人を訪ねていって、「ほら、自分より智慧がある人、いるじゃん」と、言おうとしました。そこでまず、智慧があると評判の政治家を訪ねたんですが、智慧があると評判だし、どうも本人もそう思っているみたいだけど、そんなことなさそうだぞと思ったんですね。思うまではいいとして、そこでソクラテスは「あんた、自分で思ってるほど智慧ないよ」って分からせてあげなきゃって努めます。(笑)
そのあたりを受けての一節を以下に引用します。
この人間より、わたしは智慧がある。なぜなら、この男もわたしも、おそらく善美のことがらは、何も知らないらしいけれども、この男は、知らないのに、何か知っているように思っているが、わたしは、知らないから、そのとおりに、また知らないと思っている。だから、つまりこのちょっとしたことで、わたしのほうが智慧のあることになるらしい。
つまりわたしは、知らないことは、知らないと思う。ただそれだけのことで、まさっているらしいのです。そしてその者のところから、また別の、もっと智慧があると思われている者のところへも行ったのですが、やはりまた、わたしはそれと同じ思いをしたのです。
世界古典文学全集14(筑摩書房)『プラトン I』P10より。
そんなことを繰り返した結果、恨まれ、裁判にかけられ、強引に死刑に……孔子先生に比べて、かなり、ぶっ飛んでますね、ソクラテス先生は。ただこの「知る」ということへの考え方は、同じものが感じられて興味深い。ほぼ同時代に、東洋の大哲人と西洋の大哲人が同じようなことを言っているというね。
この偶然にしみじみと思いを馳せつつ、今回はこの辺で。
【川合和史@コロ。】koro@cap-ut.co.jp
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■クリエイター手抜きプロジェクト[553]雑談編
サマータイム 百害あって一利なし
古籏一浩
https://bn.dgcr.com/archives/20180820110100.html
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サマータイムといえば、そのワードが含まれた歌がいくつか出てきますが、今回は歌の話ではありません。一時的にサマータイムを導入するという政治的な話が報道され、コンピューター関係の人は、かなりの懸念を示しているようです。おまけに決まらない元号とあいまって、「まるでインパール作戦のようだ」という人もいるようです。
https://blog.fetus.jp/201808/863.html
https://mainichi.jp/articles/20180816/ddm/016/070/009000c/
https://japanese.engadget.com/2018/08/15/summertime/
https://news.yahoo.co.jp/byline/kandatoshiaki/20180810-00092578/
http://news.livedoor.com/article/detail/15119859/
まあ、今の時代においては百害あって一利なしと言われているようで、EUなどでも廃止の方向の議論になっていたり、過去に日本でも導入され、最近では北海道でも導入されたことがあるようですが、結果的には駄目といったところみたいです。
今回のサマータイムはいろいろな人が批判していたり、テレビ局でも導入したくないようで、賛成という報道はほぼありません。コメンテーターも反対という場合がほとんど。健康上の問題も発生する、ということで反対の嵐。
ところが、不思議なことにアンケート結果は、賛成と反対が半々だったり。コンピューターを使わないと回答できない系統のアンケートでも半々。
まあ、今回のサマータイムを実際にやるとは思えませんが、ありえないことをしでかす人達もいますので油断大敵です。目の前に失敗の“蜃気楼”が浮かび上がっているのに、突き進んでしまうこともあります。
北朝鮮が時計を韓国にあわせたから、日本も時計をずらしてやろうなんてことはないでしょうけど。そういえば過去に、明治政府は一ヵ月ほど時間を消してしまっています。
おかげでも二十四節気と今の暦があわず、体感的におかしいのは、そのせいです。ちなみに、カレンダーを自由に作ってもよくなったのは戦後です。江戸時代は御法度ものでした。
http://www.ganshodo.co.jp/mag/moon/files/m_c101.html
とりあえず、自分が書いた(実行中、運用中)プログラムで、不具合を起こしそうなものをチェックしてみます。
サマータイムの開始時は今回導入されるものは、2時間消えるだけなので、この段階ではデータ欠損だけですみそうです。
私が毎日ラズパイで撮影している画像のファイル名は以下のようになっていて、これだと上書きされてしまいそうです。
mkdir /Users/dgcr/pi/`date +%Y%m%d` 2>/dev/null
mv /Users/dgcr/pi/temp.jpg /Users/dgcr/pi/`date +%Y%m%d`/`date +%Y%m%d%H%M`.jpg
日付をやめてUnixTimeにするなら、以下のようにdate〜の部分を書き換えます。
date +%s
生成されるファイル名は1534571403.jpgのようになるのですが、これだといつ撮影したファイルか、ぱっと見でわかりません。でも、まあ上書き回避できることはできます。
経理処理で提出するエクセルデータは、日付がファイル名になっているものがありますが、日付が増えたり減るわけではないので、ここらへんは大丈夫そうです。夜勤がある会社の場合は、単純な計算では正しい時間が算出できないかもしれません。
今の時代はコンピューターに依存している部分がたくさんありますから、やはりプログラムで安定して扱える、UnixTimeのような基準時を使うのがよさそうです。……というか、元々そういうものなのでしょう。
ただ、すべてのコンピューターがUnixTimeを持っているわけでもありませんし、NTPで時刻と同期できるわけではありません。NTP同期の段階でネットワークに接続されていることが前提になってしまっています。
サマータイム導入で大変な会社はたくさんあるでしょう。自分のまわりのところだと、サマータイム開始時に物流系が時間的に配送不能になりそうです。
足が早い生ものだと、前々から作っておくというのが難しい面もあり、そうなると2時間も時間が消えてしまうのは困ります。時間にして長野県塩尻市ICから八王子ICあたりまでの距離が消えてしまいます。
製造ラインも2時間前倒しで作ることになるわけですが、365日24時間稼働しているのに、そこに2時間前倒しでとなると、かなり前から計画を練らないと駄目そうです。
コンビニにも弁当とかサラダを並べる時間がなくなってしまったりしそうで、初日から数日間はサマータームに振り回されそうです。
製造・物流系はサマータイムが始まる時が危険で、コンピューター系・物販系は終わる時が危険という感じなのかもしれません。
サマータイムのメリットがなかなか出てきませんでしたが、ふと思いつきました。サマータイム導入で恩恵を受けそうなのが、推理小説・漫画書いている人たちです。こういう時間が増える、消えるトリックが使えるからです。
おまけに2年間限定という、もうトリックのネタに使ってくれ、と言わんばかりのものです。時間は消えるし防犯カメラ画像も消えてくれるというネタが使えてウハウハです。使われそうなセリフは、こんな具合でしょうか。
「まるで時間が蜃気楼のようだ」
【古籏一浩】openspc@alpha.ocn.ne.jp
http://www.openspc2.org/
UnixTimeも2030年代に問題が発生することが分かっています。そろそろ、地球時間ではなく、もう一回り大きい太陽系時間か宇宙時間を考えた方がいいのかもしれません。
それにしても、失敗する可能性が高いのに根性で何とかしなさい、というのは歴史から学ばず何も進歩していないのでは……。失敗の陰にはこの人ありみたいな状態になってます。
さて、IchigoJamを使ってイノシシを捕獲する、というニュースが、8月17日のNスタ、NEWS23で流れていました。
http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye3449944.html
このイノシシ捕獲のは前々からFacebookなどで知られていたものですが、ようやく全国ニュースで流れたという感じです。2020年にプログラミング教育化というネタにあわせて放送されたものですが、どうなることやら。
・創って学ぼうプログラミング
https://news.mynavi.jp/series/makeprogram
・みんなのIchigoLatte入門 JavaScriptで楽しむゲーム作りと電子工作
https://www.amazon.co.jp/dp/4865940936
[正誤表]
http://www.openspc2.org/book/error/ichigoLatte/
・After Effects自動化サンプルプログラム 上巻、下巻
https://www.amazon.co.jp/dp/4844397591
https://www.amazon.co.jp/dp/4844397605
・IchigoLatteでIoT体験
https://www.amazon.co.jp/dp/B06X3X1CHP
http://digiconcart.com/dccartstore/cart/info/2561/218591
・みんなのIchigoJam入門 BASICで楽しむゲーム作りと電子工作
http://www.amazon.co.jp/dp/4865940332/
・Photoshop自動化基本編
http://www.amazon.co.jp/dp/B00W952JQW/
・Illustrator自動化基本編
http://www.amazon.co.jp/dp/B00R5MZ1PA/
・4K/ハイビジョン映像素材集
http://www.openspc2.org/HDTV/
・クリエイター手抜きプロジェクト
http://www.openspc2.org/projectX/
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編集後記(08/20)
●柏井壽「グルメぎらい」を読んだ(2018/光文社新書)。ふつうに美味しいものを、ふつうに美味しいと言える時代になってほしいと思い書き綴ったものだという。いまのいびつなグルメブームは、謙虚さや感謝の気持ちという、長く日本人が保ち続けていた美徳を忘れ去っていることを、筆者は深く憂いている。わたしは知らなかったが、世の中の食がとんでもないことになっていた。
食に詳しい人を、以前は食通と呼んでいた。食の歴史、食材、料理法に至るまで蘊蓄を語れる人のことをいうが、いまはグルメと呼ぶことが多い。グルメブームに拍車をかけたのはミシュラン日本版(2007年〜)だ。しかも歪な形に。その原因は格付けというランキングである。勝手な評価で店のランクを分けてしまう乱暴なやり方は、日本には馴染まず、定着しないと筆者は思っていた。
ところが、日本はいつのまにか受け入れてしまった。料理界の人々までも星の数に一喜一憂するようになった。選ばれる側の料理人が異を唱えないのだから、お客はあれこれいわない。こうして日本の食はミシュランありき、になってしまった。ミシュラン前、ミシュラン後、日本の食事情はがらりと変わった。
筆者は覆面調査員とやらに優れた洞察力があるのか、はなはだ疑問に感じる。顔も名も知られることなく、高級料理店の外食経験を重ねることが果たしてできるのか。特に京都は狭い街だから、星付きの店を食べ歩けば、すぐに噂が広まる。ましてそれが外国人だったら、よけいに目立つはずだ。横の繋がりが強い料理人同士のこと、京都でそういう客がいれば情報が伝わるに決まっている。
もうひとつ大きな疑問がある。三ツ星クラスはそれほどではないが、京都の二ツ星クラスの料理店、とりわけ割烹店の中には予約困難な店が少なからずある。半年先の予約すら難しい店もあるし、完全紹介制の店もある。いったい覆面調査員は、どういう方法でそれをクリアして店に行くのか。どういうカラクリで、店の人に知られることなく調査できるのか。星の数を決められるのか。
星を付けられる店側も、それを信用して店選びの基準としている客の側も、まず評価ありきで信頼していることも不思議でならない。毎回発表の際に胸を騒がせる料理人も気の毒である。フランスで18年間連続で三つ星を獲得してきた有名レストランが、覆面調査員の抜き打ち調査や、常に評価に応えなければいけないプレッシャーから解放されたいと、2018年版は掲載されるのを辞退した。
口コミグルメサイトも凄まじいことになっている。食を語るのに、共通して妙な言葉遣いをする。その典型が「食す」である。筆者がグルメぎらいになる一番のきっかけが「食す」であり、「こだわり」であり、「いただく」であった。そして、料理人崇拝主義とでも呼ぶべき、食に対するおかしな風潮がある。
今や外食の最大関心事は食べることより、店や料理に向けられる。店と親しくなって、それを自慢げにブログや口コミサイトに書き込みたい。それだけが目的となっている。そういったほんの一握りのグルメによって、今のグルメブームが成立して、多くの口コミサイト、ブログ、SNSで食が語られている。
しかし、殆どが店側の情報を垂れ流している受け売りに過ぎず、まるで店の広報文ではないか。官能的な表現を使うのも、自分の文章に酔っている人たちの特徴だ。料理人たちがよく使う言葉、採算度外視、赤字覚悟、そんなわけがない。料理人は「インスタ映え」も考慮して調理しなければならなくなっている。
本末転倒、料理を食べることより撮ることを優先する。その結果、世の中にインスタ映えする料理ばかりがもてはやされる。今や食のトレンドは静止画を超えて動画にその主役が移りつつある。美味しいものを食べる、という目的を横に置いて、人がうらやましがる写真の撮れる料理を食べる。そんな歪んだグルメが横行している時代なのだ。つまり、いまのグルメは幼児化しているのだ。
「なぜ僕がグルメぎらいになったかと言えば、今の時代にグルメと呼ばれる方たちは、ほぼすべての方が、ほかの店や料理と比較なさるからです。比較せずにほめることができないのでしょうか。点数を付けたり、格付けしたりせずに、ただただ食を純粋に楽しむことはできないのでしょうか。(略)大切な食を、一部のグルメと呼ばれる人たちによって乱されたくないのです。ただただそんな思いでこの本を書きました」。SNSに無関心なわたしにとって未知な領域であった。(柴田)
柏井壽「グルメぎらい」
https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4334043496/dgcrcom-22/
●夏休みはいかがお過ごしでしたでしょうか? 朝晩、少しずつ涼しくなってきて、過ごしやすくなりましたね。今週また台風が近づいているそうで、要警戒であります。 (hammer.mule)