まにまにころころ[143]ふんわり中国の古典(論語・その6)温故知新
── 川合和史@コロ。 Kawai Kazuhito ──

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コロこと川合です。残暑お見舞い申し上げます。残暑どころか盛夏ですけど。エアコンを発明した人を崇め奉りたい今日この頃です。

暑さのせいでか色んなことがどうでもよくなってきているので、前置きはもうすっ飛ばして、『論語』読んで態度を改めたいと思います。

今回はいきなり超有名なフレーズからで、テンション上がります。





◎──巻第一「為政第二」十一

・書き下し文

子曰わく、故きを温ねて新しきを知れば、以って師たるべし。

・だいたいの意味

古典に学んで習熟し、そこから新しいものを見いだせる人であれば、師と言えるだろう。


◎──巻第一「為政第二」十一について

「温故知新」ですね。ふるきをたずねて、あたらしきをしる。

ふるきをあたためて、とする読みもメジャーですが、意味は同じです。

古いものから新しいものを見いだす、という解釈と、古いことを知り、さらに新しいことにも精通する、という解釈とがあります。故事成語の温故知新は、だいたい前者の意味で使いますよね。小学館の『日本国語大辞典』で温故知新を引くと『昔のことを研究して、そこから新しい知識や道理を見つけ出すこと』とあります。

「温故知新」、「故きを温ねて新しきを知る」と、このフレーズが抜き出され広まっていますが、出典である『論語』ではそこで終わる言葉ではないんです。「そういうことができる人が、師とされる資格を持つんだよ」という話です。

心がけや目指すところを示すと共に、その難しさに言及している感じがします。同時に、古いことを学ぶことの大切さも。

孔子は言わば「古典の先生」なので、古いことを学ばせようとしている立場。なぜ古いことを学ぶのか、というその意義として、古いことを学んでそこから新しい発見を得られる人材になりましょう、と言ってるわけです。

新しい発見、といっても、単なる新解釈だとか、現代風のちょっとした応用のことではなく、新時代を切り拓くようなレベルの話でしょう。

『論語』を記したのは、孔子を師と仰ぐ人々なので、孔子は古いことに習熟し、そこから新しいものを見いだす力をもった人物だと尊敬しています。そして、それがいかに難しいことかを知り、その高みを目指して、孔子の教えに従って古典を学んでいるんですね。

今まさに私たちにとっての古典である『論語』を読んで、何かを得られたらなと思っているのですが、私みたいに、ざっと読んで「へー」って思う程度では、『論語』の言うところの温故知新の域には程遠いってことで。

過去を研究して新時代を切り拓いていける人物こそが、人々を導く資格を有し師と仰がれるのだ。漫然と学ぶのではなく、深く掘り下げて考えて、そこから今に通ずる普遍的な真理を見いだしなさい。古いことを学ぶ、そのこと自体に意味があるのではない。そこから未来を創り出すために、学ぶのだ。たぶん、そんなことを仰っているのでしょう。


◎──巻第一「為政第二」十二

・書き下し文

子曰わく、君子は器ならず。

・だいたいの意味

君子というのは道具の名称ではないんだよ。


◎──巻第一「為政第二」一二について

あまりに短いので、様々な解釈があります。特定の用途のために作られる器と違って、広くあらゆることに力を発揮する人物のことだ、とか。使われるためのものではなくて、使う側のものだ、とか。小さなものを収めるものではなく大きな事を果たすものだよ、とか。実用的、即物的、そんなものではなくて、高い精神性こそが君子の備える性質だ、とか。物ではない、人なのだ、とか。

答えなんてないので、好きに解釈していいと思いますが、かっこいいフレーズですよね。君子は器ならず。孔子先生はどういう意図で仰ったのか。きっと、弟子たちも上記のような様々な解釈を議論し合ったんじゃないでしょうか。


◎──巻第一「為政第二」十三

・書き下し文

子貢、君子を問う。子曰わく、まずその言を行い、しこうして後に之に従う。

・だいたいの意味

子貢が、君子とはと質問された。孔子先生は「君子とはまず言葉で伝える前に実行してみせて、その後で言葉で説明する者だ」と。


◎──巻第一「為政第二」十三について

さっき「君子は器ならず」で、どういう意味だろうとあれこれ悩んだのに対し、同時代を生きた弟子はいいですね、直球で質問できて。(笑)

伝えたいこと、伝えるべきことがある時、君子はまず行いで示して、その後で必要があれば補足的に言葉にすると。まずは行動。言葉は後。それが君子だと。

ここで「言」を「書」と考えると面白いことがあります。世界四大聖人であるイエス・キリスト、ソクラテス、釈迦、ムハンマド、孔子の五人(四大だけど五人なのは、言う人によってチョイスが違うから……)は、誰も自身の著作はないんですよね。ああだこうだと直接は何も書き残していないんです。

(孔子の著作と言われるものはありますが、どうも違うらしいです)

もちろん事情も色々あってのことでしょうけど、五人とも行動の人で、言行は弟子や後世の人がとりまとめて記して伝わっているんです。

本を書いている人は立派ではないというわけではありませんが、ちょっと興味深い一致ですよね。


◎──巻第一「為政第二」十四

・書き下し文

子曰わく、君子は周して比せず。小人は比して周せず。

・だいたいの意味

君子は広く交友を持って偏りなく親しみあう。徳のないつまらない人物は徒党を組んで仲間内だけでつるみ、広く交友を持とうとしない。


◎──巻第一「為政第二」十四について

君子の対義語として小人が挙げられ、君子とはどういった人物か語られています。内容は分かりやすく、今の時代でもそのまま納得できるものですね。


◎──巻第一「為政第二」十五

・書き下し文

子曰わく、学びて思わざれば則ちくらし。思いて学ばざれば則ちあやうし。

・だいたいの意味

知識を求めるだけで考えることをしなければ、役にたたない。考えるばかりで知識を得ようと学ばなければ、危険である。


◎──巻第一「為政第二」十五について

先人の教えを知ることは大事だけども、そこから自分なりの考えを深めようとしなければ、それは単なる知識に過ぎず、どうしていいのか分からない。逆に自分で考えるばかりで先人の教えに学ぼうとしなければ、独善に陥って危険だ。

これも分かりやすい話ですね。温故知新にも通ずるものがあります。


◎──巻第一「為政第二」十六

・書き下し文

子曰わく、異端をおさむるはこれ害あるのみ。

・だいたいの意味

聖人の道を外れたことを学ぶことには害しかない。


◎──巻第一「為政第二」十六について

そのままです。道を誤るな。何を師とするべきか間違うな。そういうことです。

少し穿った見方をすれば、後の諸子百家が乱立したような時代の孔子学派が、他の学派を退けるために用いるのにも便利な教えだったんじゃないかなと。


◎──巻第一「為政第二」十七

・書き下し文

子曰わく、由よ、汝にこれを知ることをおしえんか。これを知るをこれを知るとなし、知らざるを知らずとなす。これ知るなり。

・だいたいの意味

由(子路)よ、あなたに知るということを教えよう。知っていることを知っているとし、知らないことを知らないとする。これが、知るということだ。


◎──巻第一「為政第二」十七について

孔子は、知っていることと知らないことを知り、知らないことに対して虚心であれ、それが「知る」ということだと仰っているのでしょう。

知らないことを知る。

「ソクラテスか!」とつっこみたくなるような一節です。孔子の方が百年ほど先に生まれていますので、ソクラテスにこそ「孔子か!」とつっこむべきかもしれませんけど。「無知の知」に通ずる教えですね。


◎──今回はここまで。

先述の通りソクラテスは著述を行っていないので、その弟子プラトンが書いた『ソクラテスの弁明』から少し。

異端の教えで若者を扇動したと、言いがかりをつけられる形で裁判にかけられたソクラテスが、裁判で語ったとされる言葉がこの『ソクラテスの弁明』なのですが、タイトルに反して、弁明、どころか、敵対者を煽っている感じなんですけどね。そのせいで死刑になるんですが。

まあ弁明云々はさておき、「無知の知」に関係する部分を紹介します。

ソクラテスは「ソクラテスより智慧のあるものはいない」という神託を巫女に告げられ、どういう意味だと考えます。自身は、智慧のあるものなどではないと自覚しているのに、神がそのようにいうのはどういうことだ、と。

ちなみに、神=アポロンです。

で、ソクラテスがどうしたかというと、智慧があるとされる人を訪ねていって、「ほら、自分より智慧がある人、いるじゃん」と、言おうとしました。そこでまず、智慧があると評判の政治家を訪ねたんですが、智慧があると評判だし、どうも本人もそう思っているみたいだけど、そんなことなさそうだぞと思ったんですね。思うまではいいとして、そこでソクラテスは「あんた、自分で思ってるほど智慧ないよ」って分からせてあげなきゃって努めます。(笑)

そのあたりを受けての一節を以下に引用します。

この人間より、わたしは智慧がある。なぜなら、この男もわたしも、おそらく善美のことがらは、何も知らないらしいけれども、この男は、知らないのに、何か知っているように思っているが、わたしは、知らないから、そのとおりに、また知らないと思っている。だから、つまりこのちょっとしたことで、わたしのほうが智慧のあることになるらしい。

つまりわたしは、知らないことは、知らないと思う。ただそれだけのことで、まさっているらしいのです。そしてその者のところから、また別の、もっと智慧があると思われている者のところへも行ったのですが、やはりまた、わたしはそれと同じ思いをしたのです。

世界古典文学全集14(筑摩書房)『プラトン I』P10より。

そんなことを繰り返した結果、恨まれ、裁判にかけられ、強引に死刑に……孔子先生に比べて、かなり、ぶっ飛んでますね、ソクラテス先生は。ただこの「知る」ということへの考え方は、同じものが感じられて興味深い。ほぼ同時代に、東洋の大哲人と西洋の大哲人が同じようなことを言っているというね。

この偶然にしみじみと思いを馳せつつ、今回はこの辺で。


【川合和史@コロ。】koro@cap-ut.co.jp
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