《不安の正体も何だかわからなかった》
■装飾山イバラ道[242]
トンネル抜け
武田瑛夢
■Scenes Around Me[47]
東京大学駒場寮の事(26)
コータローくんの個展・オブスキュア、駒場寮を去る
関根正幸
■crossroads[61]
大学へ行かないという選択もある
若林健一
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■装飾山イバラ道[242]
トンネル抜け
武田瑛夢
https://bn.dgcr.com/archives/20190326110300.html
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平成が終わろうとしている。東京オリンピックの準備も始まっているし、何か大きな変化が確実にやってくる気配がする。
私たちは別に変わったことなく、普通にご飯を食べてお風呂に入って寝る日が続くわけだけれど、何か忘れたことはないか心配になったりする。年号における師走感とでも言うのかなぁ。
●平成元年
平成に変わった時、何をしていましたか? というようなテレビ番組を見て、あの頃を思い返すことも多い。
平成の文字を初めて見て、読み方を教わった。あの年、私は仮面浪人をしていたので、暗黒時代だったのかもしれない。
既に美大生なのに予備校で芸大への受験準備をしていた1月、新しい年号の発表を講師から聞いたのだ。その年の受験もダメだったので、そのまま美大で頑張ったわけだけれど、「贅沢な悩み」を多く抱えていた頃だったと思う。
受験や問題解決を抱えた人が、この気分の晴れることのない状態を「トンネル」と呼んだりする。トンネルは早く抜けたいものだしね。
いくらトンネルの中でも、自分が選んだことを突き進んで、環境まで与えられて挑戦の時間として使える。
そんな時間は最も贅沢で、悩むことなんてないはずだと多くの年長者に言われていた。確かに、私の今の年齢になれば、年長者が言わんとしていたことはわかる。
しかし、選ぶ時に捨てたものと、自分が残した可能性のどちらに価値があるのかがわからなかったのだ。選んだものの上を歩いている時に起こる不安の正体も、何だかわからなかった。
どうしたら間違いのない選択ができて、後悔のない人になれますか?若いからこんな無理難題を人に聞いて回ったりした。
明るい所に出たこともないモグラ。光に近づくほどに閉じようとしてしまう小さい目。周りの何かに問いかけようにも、質問の作り方もわからない。
選んで、捨てて、掴んで、歩いて、ある程度進んだ時に、もう捨てたもののことを考えなくなる。
その時には選んだものによって、変わった自分になっているのだと思う。どちらが良かったのかは、実はわからない。結論や評価を出すタイミングって、生きているうちには決して来ることはないのかもしれない。
●光
ではトンネルって、一体いつ抜けたんだろう。
いつの間にかすっかり明るい場所でゲラゲラ笑って、躊躇なくいろいろなことに挑戦することができるようになっていた。トンネルって、出る時に音が鳴るわけではないのだ。
だんだんとゆっくり明るい方向へ進んでいた。光の中にいるのが当たり前な状態。明るいものを怖がらずに、しっかりと見ることができる。
そしていつしかあまり人に質問することも、相談することもなくなった。若い頃に自分のことやら悩みを打ち明けすぎて、悩みの正体がある程度わかってしまったのかもしれない。
その人とその話題を話したい時には、相談という形で話はするけれど、解決のためというより話題の一つに過ぎない。どんなことでも、結局は自分で決めるしかないからだ。
それが自分でとことんわかるまでは、色々な人と話しながら解決していくことも大切な時間かもしれない。はしょれない、ワープできない時間というのもきっとあるのだ。
決めることができるようになると、決めたことを誰に宣言する必要もなくなるし、穏やかな決断だけがある状態になる。ずっと先のことを決めてそれに備えることも、決めてやってきたことが実現してくる感覚も、ダイナミックに味わうことができるようになる。
そして選択肢なんてほとんどないぐらいに年を取ると、悩む暇もなくなってくる。笑。
久しぶりに若い頃の自分に焦点を合わせて思い返してみたけれど、今の私が持っているレンズで見たのだ。来年思い返すと、また違って見えるかもしれない。
自分の選ぶ環境の中で生きられる今がとても良い。実は若い頃だって、同じことが続いていたんだけれど、年相応の感覚で生きていただけだったのかもしれない。
壁もトンネルも、その時の心が作るものなのだ。トンネルを感じる感覚があるなら、その感覚を味わいながら手でかき分けて進めばいい。
【武田瑛夢/たけだえいむ】
装飾アートの総本山WEBサイト"デコラティブマウンテン"
http://www.eimu.com/
食材のお取り寄せが好き。いつも困るのが、お届け時期が選べない問題。今日も大量のピザが届いて、冷凍庫の中のものを振り分けた。冷凍庫を最初に追い出されるのが保冷剤。次に氷。そして、明日食べればよいものを適当に冷蔵庫に回した。明日は枝豆ご飯だな。
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■Scenes Around Me[47]
東京大学駒場寮の事(26)
コータローくんの個展・オブスキュア、駒場寮を去る
関根正幸
https://bn.dgcr.com/archives/20190326110200.html
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前回の訂正です。アリテンはクロージングパーティーを終えて、すぐに荷物を搬出したと書きましたが、実際には一週間後の10月11日頃に搬出を行ったようです。
クロージングパーティーがあった週の週末である1998年10月3日には、オブスキュアギャラリーで中澤華太郎(コータロー)くんの写真展のオープニングがありました。
この日、私は一脚しか持って来ておらず、薄暗いギャラリーの中でブれないように、カメラをくくり付けた一脚を壁に立てかけてタイマー撮影しました。
このため、この日撮った写真は傾いていたり構図が中途半端なものが多いので、必要に応じて傾きの補正やトリミングを行なっています。
ギャラリーの扉の隙間からオブスキュアギャラリーの中を撮りました。
ギャラリーのカウンターにいる小山基彰くんと安彦幸枝さん。
展示は写真を壁に掛けるだけではなく、ファッション雑誌の写真の部分をくりぬいてコータローくんの写真をはめ込み、吊るして展示したものもありました。
それは、雑誌の仕事を志望していたコータローくんの、一つのアピールだったのかもしれません。吊るされた雑誌は絶えず回転していたため、ブレて写っています。
オープニングとは別の日、ネガアルバムの日付から判断すると、10月12日頃に撮った写真。
ネガではこの写真の前のコマにアリテンの室内が写っているので、搬出はその1〜2日前に行ったようです。この日は、仕事終わりにオブスキュアに立ち寄ったのだと思います。
展示の写真を撮っているとテツくんが現れたので、話をしながら撮影しました。ミニ三脚を立てて、シャッターをバルブで16秒開けたので、その間ずっと動いたテツくんが流れて写っています。
この日テツくんの様子は普通だったと記憶していますが、アリテン退去の直後でもあり、心なしかショボくれているようにみえます。
実は、オブスキュアギャラリーも1998年10月以降の更新が認められず、駒場寮からの退去を求められていましたが、コータローくんの個展を口実に退去を引き延ばしにしていました。
このため、寮委員会側は「強制執行」を実施しました。寮生は大挙してコーキくんたちの部屋に押しかけて、中の物をすべて運び出し外から扉を施錠したそうです。
運び出された物は、オブスキュアギャラリーと廊下を挟んで向かいの、かつてゼロバーがあった部屋に押し込まれました。
こうして、コーキくんたちは駒場寮でギャラリーを運営することができなくなりました。
そこで、コーキくんや鷹野くんたちオブスキュアギャラリーの関係者は、安彦さんの家に居候しながら、共同生活を送るための不動産物件を探したと聞いています。
結局、彼らは世田谷区の豪徳寺で建て替えのために一時貸しをしている一軒家を見つけ、そこに移り住むことになりました。
そして、1998年12月19日、駒場寮内に置かれていた荷物を豪徳寺に運ぶことになり、私も手伝いに駆り出されました。
駒場寮で寮生立ち会いのもと、荷物が運び込まれた部屋の鍵が開けられました。コーキくんは寮生に対し、荷物が運ばれた際に親族の形見を壊されたので、一言でよいから謝罪して欲しい、と言いましたが、寮生は言質を取られるのをおそれたのか、何も言いませんでした。
とりあえず、部屋の中にある物を手渡しリレーでトラックに積み込むことになり、私は部屋の中にいて鷹野くんが選んだ物を手渡す役になりました。
私は軍手をしていたので問題なかったのですが、チュンジくんは手渡した浜田蜂郎さんの写真プリントを素手で触ったため、写真に指紋が付いたとコーキくんにひどく怒られたらしく、愚痴られたのを覚えています。
そのうち荷物がトラック一杯になり、一旦豪徳寺に運ぶことになったようです。私とチュンジくんはトラックの後ろの箱に入れられて豪徳寺まで移動しました。
私は箱の中で、2分ばかりバルブでシャッターを切ってみましたが、扉の隙間から漏れる光が写っているだけで、箱の中は写りませんでした。以下の写真は、豪徳寺で荷物を降ろし、駒場に戻ってきたときのものだと思います。
廃品の小型テレビが何台も地面の上に置かれていました。
後ろの方にコータローくんとシンヤくんが写っています。
結局、引越し作業は夜中まで続きました。
【せきね・まさゆき】
sekinema@hotmail.com
http://www.geocities.jp/sekinemajp/photos(2019年3月まで)
1965年生まれ。非常勤で数学を教えるかたわら、中山道、庚申塔の様な自転車で移動中に気になったものや、ライブ、美術展、パフォーマンスなどの写真を雑多に撮影しています。記録魔
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■crossroads[61]
大学へ行かないという選択もある
若林健一
https://bn.dgcr.com/archives/20190326110100.html
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こんにちは、若林です。イチロー選手、引退してしまいましたね。
昨年5月の段階で実質的な引退だと思っていたので、今年になってまたフィールドに戻ってきたのは嬉しかったのですが、ヒットを打てない日々が続いていました。あのイチローがこんなに打てなくなっているなんて……。
最終打席は内野ゴロでしたが、一塁への走塁を見る限りとても引退する選手の走り方には見えませんでした。引退会見を見ても、いまだに実感がわきません。もうイチロー選手のプレイが見られないなんて……でもこれが現実なんですね、イチロー選手、本当にお疲れさまでした。
●子供たちの選択肢を増やす
さて、今日の本題です。子供たちとプログラミングの活動をやっているので、「プログラミング教育」に関心のある人と思われがちかもしれませんが、「プログラミング教育」にはあまり関心がなく、それを積極的にやろうとは考えていない、というのが本音です。
「プログラミング」は自分の専門領域ですから、それを学校でやるというのであれば、正しいやり方、正しい内容をやってもらいたいとは思っています。そのために自分のできることはしている、そんな感じです。また、これをただビジネスのネタにしようとしているだけの、悪いやつらも徹底的に排除します。
そんな私が関心のあることのひとつに「子供たちの選択肢を増やすこと」があります。誰もが同じことを学び、同じ道を進むのではなく、自分の選択肢を見つけること。
それを実現する方法のひとつとして、「大学へ行くことが当たり前」という風潮をなくしたい。「大学へいく」という選択肢があまりにも大きすぎるので、これをなくせば、もっとたくさんの選択肢が見えてきます。
最近は、専門学校へ行く、起業するなどの道を選ぶ学生も増え、一時期ほど「大学へ行くことが当たり前」という風潮ではなくなってきているとは思います。それでも、少しでも良い大学に入ることを目標に勉強している人は多く、そのために頑張っている保護者も多いでしょう。
今は少子化で各大学ともに学生の獲得に苦戦しているので、誰でもどこかしらの大学へ行ける時代だとは思いますが、大学ってそこまでしていかないとダメなんでしょうか?
滑り止めという言葉がありますが、滑り止めで受けた大学へ行って、やりたいこと、学びたいことはあるのでしょうか?
やりたいこと、学びたいことがあるから大学へ行くのではないのかな。卒業証書をもらうために、○○大学卒業と言いたいためだけに大学を目指してはいないのか? それで失っている時間もたくさんあるんじゃないのかな。
ただでさえ子供が少なくなっている今、「大学へ行くことが当たり前」という考え方がなくなったら、つぶれる大学も出てくると思います。もし、そんな大学があるのなら、つぶれたらいいんじゃないのかな。
他人事だからそんなふうに言えると思われるかもしれないけれど、大学も一般企業と同じように淘汰されて当然ですよね?
大学に入って自分のやりたいことを見つけたという人もいるでしょうけれど、それは結果論であって、目的を持って臨む方がよい結果を得られます。
これから大学受験の時期を迎える子供がいる保護者のみなさん、そんな選択肢も考えてみてください。今年大学4年になる娘を持つ私がいうのも、説得力に欠けますが。
【若林健一 / kwaka1208】
https://croads.jp/aboutme/
子供のためのプログラミングコミュニティ「CoderDojo」
https://croads.jp/CoderDojo/
貧困問題に取り組みお寺の福祉活動「おてらおやつクラブ」
https://otera-oyatsu.club/
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編集後記(03/26)
偏屈BOOK案内:なぜ韓国人は借りたお金を返さないのか
〜韓国人による日韓比較論〜 シンシアリー
筆者はこの本を書いた時点で、日本に暮らすようになって3年目。再び3年の滞在許可を得て、将来は日本に帰化するようだ。韓国人が書いた韓国論からは、世界でも稀有なヘンテコな国と国民の実態が露わになり、興味津々だが、そこまで国を挙げて暴走してしまっては、収拾がつかないのではないかと心配になる。コワイモノ見たさと、日本の安全保障の観点から、じつに面白く読んだ。
それにしてもストレート過ぎるタイトルである。「韓国人は借りたお金を返さない」は、ほとんどがウリ(私たち)の中で行われる。韓国の諺「知り合いが泥棒」がそれをよく表している。全然知らない人より、親しくしている人にお金をとられることが多い、という意味だ。中華思想では「中華(=中国)」の領域が偉いもので、それ以外は野蛮なものだ。朝鮮は中華の一部だという。
これを「小中華思想」といい、中国に事大しそれ以外をオランケ(野蛮人)だと見下す。それが中国の一部である自分たち=朝鮮の、義務であり権利でもある思っている。「強いものの部下は強い」という中華思想もどきが韓国社会に強い影響力を及ぼしている。韓国社会のウリは自己チューな「中華」である。その中華の中心には「自分」がいる。だから「自」中華思想ともいえる。
韓国人はウリの範囲にいる人に対しては、何が何でも徹底的に関わろうとする。韓国人はこれを「情が溢れる」という意味で「ジョンギョブタ」という。和訳すると「多情多感」「親しい」「優しい」などになるが、筆者は「ウザい」あたりがいいという。日本のネット上では「かまってちゃん」と笑われる。その多重の情は決してゴンチャ(タダ)ではない。いずれ必ず対価を要求される。
その対価の概念のもっとも一般的な表れ方が「借りたお金を返さない」である。情をすでに払っておいたから、返さないのが公正だというのだ。「書いていて悲しくなることですが、私をはじめ本当に大勢の韓国社会の人々が、この『公正』にやられました」。お金を借りて返さない人の方がずっと偉そうにしている。借りたお金を自分の権利だと認識している。初めて聞く変な理屈である。
最近は韓国のマスコミも「韓国人の(何かの問題点)」という記事を書かなくなったが、かつては社会批判記事が結構あって、その中に欠かさず出てきたのが「親しい仲でも借りたお金はちゃんと返すべきだ」であり、セットで「保証人になるな」があった。連帯保証人制度は副作用が多過ぎ、2008年に廃止された。借金の申し込みをされるのは嫌なことだが、問題は返してもらえないことだ。
韓国の諺に「お金は、座ってやり、立ってもらう」がある。座る、立つ、は上下関係である。上の立場の人が座り、下の立場の人は立っていなければならない。お金を貸すときは貸す人が上だが、返してもらうときはむしろ貸した方が下になってしまう、という意味だ。相手(貸した人)が下になってもらうという相応の対価が得られないと、返さない、というニュアンスがあるのだ。
「わたしがお金を返すだけでは公正ではない。お前が『下』であることを示せ」と要求しているわけだ。9回お金を貸してやっても、10回目に貸してやらないと恨まれる。借りたお金はすでに「情」で支払ったから返す必要はない、と考えるのが韓国人で、お金を返せと攻め立てると、ほぼ決まった反応が見られる。
「私は悪くない。今まで『情』によってウリを支えてきた私に、たかがお金でこんな仕打ちは酷すぎる」の類いだという。問題は「返せ」と責めたほうがウリから孤立することだ。なぜお金で騒ぎを起こすのか、ウリが壊れるではないかと言われる。お金を貸した人に対し「ありがたい」と思う人は誰もいない。モラルハザード韓国。嗚呼、日本に生まれて本当に幸せだ。つづく。(柴田)
なぜ韓国人は借りたお金を返さないのか 〜韓国人による日韓比較論〜
シンシアリー 扶桑社 2019
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/459408172X/dgcrcom-22/
●Google Maps(GMap)。二週間ほど前に検索したドラッグストアの場所に、昨年閉店したスーパーの名前が復活していて、おかしいと思っていたら、ゼンリンが撤退したというニュースが流れていた。
ゼンリンは「他社の地図サービスについて当社に関する報道がなされておりますが、当社として発表したものではございません。今後、お知らせすべき事項が生じた場合は、速やかに公表いたします」。別のところと組むというのも読んだけれど、続報待ちだな。
新しいGMapは、一見OpenStreetMapに思ってしまうのだが、うちの近所は私も参加していて、といっても微調整レベルなのだが、触っているので違いはわかる。ちなみにポケモンGOのフィールドは、今はOpenStreetMapベースだろう。
家の近所に水場があったので記入しておいたら、ある時からフィールド上に出現した。その頃コイキング(ギャラドス)難民だったので、水場欲しいなぁと思ったの……。(hammer.mule)
https://www.itmedia.co.jp/news/articles/1903/22/news067.html
「Googleマップが劣化した」不満の声が相次ぐ ゼンリンとの契約解除で日本地図データを自社製に変更か
https://openstreetmap.jp/
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