前回の訂正です。アリテンはクロージングパーティーを終えて、すぐに荷物を搬出したと書きましたが、実際には一週間後の10月11日頃に搬出を行ったようです。
クロージングパーティーがあった週の週末である1998年10月3日には、オブスキュアギャラリーで中澤華太郎(コータロー)くんの写真展のオープニングがありました。
この日、私は一脚しか持って来ておらず、薄暗いギャラリーの中でブれないように、カメラをくくり付けた一脚を壁に立てかけてタイマー撮影しました。
このため、この日撮った写真は傾いていたり構図が中途半端なものが多いので、必要に応じて傾きの補正やトリミングを行なっています。
ギャラリーの扉の隙間からオブスキュアギャラリーの中を撮りました。
ギャラリーのカウンターにいる小山基彰くんと安彦幸枝さん。
展示は写真を壁に掛けるだけではなく、ファッション雑誌の写真の部分をくりぬいてコータローくんの写真をはめ込み、吊るして展示したものもありました。
それは、雑誌の仕事を志望していたコータローくんの、一つのアピールだったのかもしれません。吊るされた雑誌は絶えず回転していたため、ブレて写っています。
オープニングとは別の日、ネガアルバムの日付から判断すると、10月12日頃に撮った写真。
ネガではこの写真の前のコマにアリテンの室内が写っているので、搬出はその1〜2日前に行ったようです。この日は、仕事終わりにオブスキュアに立ち寄ったのだと思います。
展示の写真を撮っているとテツくんが現れたので、話をしながら撮影しました。ミニ三脚を立てて、シャッターをバルブで16秒開けたので、その間ずっと動いたテツくんが流れて写っています。
この日テツくんの様子は普通だったと記憶していますが、アリテン退去の直後でもあり、心なしかショボくれているようにみえます。
実は、オブスキュアギャラリーも1998年10月以降の更新が認められず、駒場寮からの退去を求められていましたが、コータローくんの個展を口実に退去を引き延ばしにしていました。
このため、寮委員会側は「強制執行」を実施しました。寮生は大挙してコーキくんたちの部屋に押しかけて、中の物をすべて運び出し外から扉を施錠したそうです。
運び出された物は、オブスキュアギャラリーと廊下を挟んで向かいの、かつてゼロバーがあった部屋に押し込まれました。
こうして、コーキくんたちは駒場寮でギャラリーを運営することができなくなりました。
そこで、コーキくんや鷹野くんたちオブスキュアギャラリーの関係者は、安彦さんの家に居候しながら、共同生活を送るための不動産物件を探したと聞いています。
結局、彼らは世田谷区の豪徳寺で建て替えのために一時貸しをしている一軒家を見つけ、そこに移り住むことになりました。
そして、1998年12月19日、駒場寮内に置かれていた荷物を豪徳寺に運ぶことになり、私も手伝いに駆り出されました。
駒場寮で寮生立ち会いのもと、荷物が運び込まれた部屋の鍵が開けられました。コーキくんは寮生に対し、荷物が運ばれた際に親族の形見を壊されたので、一言でよいから謝罪して欲しい、と言いましたが、寮生は言質を取られるのをおそれたのか、何も言いませんでした。
とりあえず、部屋の中にある物を手渡しリレーでトラックに積み込むことになり、私は部屋の中にいて鷹野くんが選んだ物を手渡す役になりました。
私は軍手をしていたので問題なかったのですが、チュンジくんは手渡した浜田蜂郎さんの写真プリントを素手で触ったため、写真に指紋が付いたとコーキくんにひどく怒られたらしく、愚痴られたのを覚えています。
そのうち荷物がトラック一杯になり、一旦豪徳寺に運ぶことになったようです。私とチュンジくんはトラックの後ろの箱に入れられて豪徳寺まで移動しました。
私は箱の中で、2分ばかりバルブでシャッターを切ってみましたが、扉の隙間から漏れる光が写っているだけで、箱の中は写りませんでした。以下の写真は、豪徳寺で荷物を降ろし、駒場に戻ってきたときのものだと思います。
廃品の小型テレビが何台も地面の上に置かれていました。
後ろの方にコータローくんとシンヤくんが写っています。
結局、引越し作業は夜中まで続きました。
【せきね・まさゆき】
sekinema@hotmail.com
http://www.geocities.jp/sekinemajp/photos(2019年3月まで)
1965年生まれ。非常勤で数学を教えるかたわら、中山道、庚申塔の様な自転車で移動中に気になったものや、ライブ、美術展、パフォーマンスなどの写真を雑多に撮影しています。記録魔