装飾山イバラ道[242]トンネル抜け
── 武田瑛夢 ──

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平成が終わろうとしている。東京オリンピックの準備も始まっているし、何か大きな変化が確実にやってくる気配がする。

私たちは別に変わったことなく、普通にご飯を食べてお風呂に入って寝る日が続くわけだけれど、何か忘れたことはないか心配になったりする。年号における師走感とでも言うのかなぁ。





●平成元年

平成に変わった時、何をしていましたか? というようなテレビ番組を見て、あの頃を思い返すことも多い。

平成の文字を初めて見て、読み方を教わった。あの年、私は仮面浪人をしていたので、暗黒時代だったのかもしれない。

既に美大生なのに予備校で芸大への受験準備をしていた1月、新しい年号の発表を講師から聞いたのだ。その年の受験もダメだったので、そのまま美大で頑張ったわけだけれど、「贅沢な悩み」を多く抱えていた頃だったと思う。

受験や問題解決を抱えた人が、この気分の晴れることのない状態を「トンネル」と呼んだりする。トンネルは早く抜けたいものだしね。

いくらトンネルの中でも、自分が選んだことを突き進んで、環境まで与えられて挑戦の時間として使える。

そんな時間は最も贅沢で、悩むことなんてないはずだと多くの年長者に言われていた。確かに、私の今の年齢になれば、年長者が言わんとしていたことはわかる。

しかし、選ぶ時に捨てたものと、自分が残した可能性のどちらに価値があるのかがわからなかったのだ。選んだものの上を歩いている時に起こる不安の正体も、何だかわからなかった。

どうしたら間違いのない選択ができて、後悔のない人になれますか?若いからこんな無理難題を人に聞いて回ったりした。

明るい所に出たこともないモグラ。光に近づくほどに閉じようとしてしまう小さい目。周りの何かに問いかけようにも、質問の作り方もわからない。

選んで、捨てて、掴んで、歩いて、ある程度進んだ時に、もう捨てたもののことを考えなくなる。

その時には選んだものによって、変わった自分になっているのだと思う。どちらが良かったのかは、実はわからない。結論や評価を出すタイミングって、生きているうちには決して来ることはないのかもしれない。

●光

ではトンネルって、一体いつ抜けたんだろう。

いつの間にかすっかり明るい場所でゲラゲラ笑って、躊躇なくいろいろなことに挑戦することができるようになっていた。トンネルって、出る時に音が鳴るわけではないのだ。

だんだんとゆっくり明るい方向へ進んでいた。光の中にいるのが当たり前な状態。明るいものを怖がらずに、しっかりと見ることができる。

そしていつしかあまり人に質問することも、相談することもなくなった。若い頃に自分のことやら悩みを打ち明けすぎて、悩みの正体がある程度わかってしまったのかもしれない。

その人とその話題を話したい時には、相談という形で話はするけれど、解決のためというより話題の一つに過ぎない。どんなことでも、結局は自分で決めるしかないからだ。

それが自分でとことんわかるまでは、色々な人と話しながら解決していくことも大切な時間かもしれない。はしょれない、ワープできない時間というのもきっとあるのだ。

決めることができるようになると、決めたことを誰に宣言する必要もなくなるし、穏やかな決断だけがある状態になる。ずっと先のことを決めてそれに備えることも、決めてやってきたことが実現してくる感覚も、ダイナミックに味わうことができるようになる。

そして選択肢なんてほとんどないぐらいに年を取ると、悩む暇もなくなってくる。笑。

久しぶりに若い頃の自分に焦点を合わせて思い返してみたけれど、今の私が持っているレンズで見たのだ。来年思い返すと、また違って見えるかもしれない。

自分の選ぶ環境の中で生きられる今がとても良い。実は若い頃だって、同じことが続いていたんだけれど、年相応の感覚で生きていただけだったのかもしれない。

壁もトンネルも、その時の心が作るものなのだ。トンネルを感じる感覚があるなら、その感覚を味わいながら手でかき分けて進めばいい。


【武田瑛夢/たけだえいむ】
装飾アートの総本山WEBサイト"デコラティブマウンテン"
http://www.eimu.com/


食材のお取り寄せが好き。いつも困るのが、お届け時期が選べない問題。今日も大量のピザが届いて、冷凍庫の中のものを振り分けた。冷凍庫を最初に追い出されるのが保冷剤。次に氷。そして、明日食べればよいものを適当に冷蔵庫に回した。明日は枝豆ご飯だな。