《この夏の間にできる事をリスト化してやっつけておこう》
■装飾山イバラ道[269]
今年を仕切り直す
武田瑛夢
■Scenes Around Me[73]
小川てつオくんのこと[7]
イベント「ぼくんち現代音楽」(2003年5月)
関根正幸
■crossroads[88]
新型コロナウイルスが変える社会・食
若林健一
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■装飾山イバラ道[269]
今年を仕切り直す
武田瑛夢
https://bn.dgcr.com/archives/20200616110300.html
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今は、予定の立て直しや、新しい形でのスタートをしている人が多いのではないだろうか。実際に駅前には人が増え、皆がお互いのスペースを確保したすれ違い方に慣れてきたと感じる。
街の中で人がどこにいるのかを注意して見るようになると、いつも誰かが立ち話している場所というのが見つかる。
大通りの一本隣の角のそばで、いつもバイクが停めてあるあたり。日によって違う、3~4人のメンバーで集まっているのが不思議だ。なんとなくバイクのシートがテーブルっぽい雰囲気を醸し出すから、そのまわりで話していくのだろうか。
目立ちすぎない、そこそこ明るい、駅に近い、そんな場所が「落ち着く」のだろう。ウーバーイーツの人が大きなリュックを背負って自転車で休んでいる場所も、だいたい決まっているみたいだ。自転車にまたがったまま道を探したり、待機するのに居やすい場所があるのだと思う。
私は人がなるべく少ない道や、ルートを探すようになった。コンビニの前にはいろんな角度から人が集まってくるので、一旦人の動きを良く見ることにしている。この街の人の流れ図のようなものが、頭の中に出来つつある。
●自分で出来ること、人に頼むしかないこと
この夏の間にしておける事をリストにして、やっつけておこうと思う。歯医者や美容院や健康診断など、急がないので先送りにした事は多い。それらを優先順位をつけて行っておきたい。そして自分で出来ること、人に頼むしかないことを真剣に考えるようにもなった。
うちでは母も夫も私がヘアカットするようになった。すきカミソリという良いツールのおかげだ。ハサミでカットは難しくても、少しづつすいていく方法なら大きく失敗はしない。小さい失敗は積み重なっていくけれど(笑)、結果的には割とまともにカットできる。遠目に見た全体感を優先させる。
最初は母の髪から練習した。小さい頃は私がカットされていた側だ。母の髪は今やほとんど真っ白なので、かなりきれいにカットされているように見える。自分でも上手いと思ってしまうけれど、たぶん白いせいで毛先のばらつきも見えづらいのだ(笑)。
自分がしたことのないくらい短い髪の毛って、何が普通なのかわからないのだ。便利なのは美容院で使っている、パーマ液が下に落ちないように首にフィットする月形の洗面器。パーマ用トレイというらしい。うちにはあれがあるので、カットした髪をそこへまとめられて便利だ。
ケープとか他のものも試したけれど、短髪ならトレイの方が良かった。そもそも自分で植物のヘナの髪染めをするのに便利ではないかと思って買ったトレイ。しかし自分だと手がぶつかってやりにくいという悲しみ。素人なのに専用の道具買いすぎ系の私。まぁ、役に立って良かった。
夫は、床屋には一月に一回行っていた。私がカットした母の写真を見て、自粛期間は床屋に行けないし、カットさせてやろうといった感じで承諾した。少し納得行かないけど、まぁ、いいか。
全体は母の時と同じで、すきカミソリでバサバサすいていく。私は右利きなの
で、右側は切りやすかったけれど、左側は難しかった。
そして男性のヘアカットで一番難しいのは耳の周り。プロはどうなのだろう。耳の周りと襟足はハサミを使った。その後、もみあげを自分でシェーバーを使って整えてもらって完成。もみあげが整うだけでも、キチンとして見える。なるほど。
こんな時代にならなければ、夫は私に髪をカットさせなかったかもしれない。既に二回目のカットを経て、この方法で行けそうだと私の自信もついてきた。
そしておそらくどこもそうだと思うけれど、マンションの排水管の清掃。一時中止になっていたものが、新しく日程が組み直されて決まった。外部の人が家に入ってくるのは、久しぶりで緊張する。マンションだとそういったメンテナンスは、全体のためにも避けられないものだ。これは母のマンションの方も、日程は違うけれど行われる。
人に頼むことができるだけありがたいのだから、やれる時にやってしまおう。また寒い時期に何らかの病気が流行るかもしれないことは、皆が警戒していると思う。もし、そんな冬にならなかったとしても、時間を大切にする意識は以前より高まっていると思う。
今年も真ん中。仕切り直して頑張っていきたい。
【武田瑛夢/たけだえいむ】
装飾アートの総本山WEBサイト"デコラティブマウンテン"
http://www.eimu.com/
「バック・トゥ・ザ・フューチャー」を久しぶりに見て、映画館で見た時の興奮を思い出した。この映画の初公開の時には私もまだ若く、スピルバーグの映画を見る喜びに溢れていた。マイケル・J・フォックスは、今見てもキュートで素晴らしい。
タイムマシン系映画は大好きで、テクノロジーへの興味というよりも、人生で起こる出会いや、何かを成し遂げるヒントが垣間見える楽しさが好きなのだ。どこでどう出会うかで結果が変わる。今は悪いと思える出来事も、良い事へとつながるたねになるかもしれない。
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■Scenes Around Me[73]
小川てつオくんのこと[7]
イベント「ぼくんち現代音楽」(2003年5月)
関根正幸
https://bn.dgcr.com/archives/20200616110200.html
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前々回に書いたように、小川てつオくんは私のアパートに7〜8回、居候しました。ですが、私が居候中のてつオくんの写真を撮ったことは殆どありません。今回は、その中にあって珍しく写真が残っているイベントを紹介します。
イベント「ぼくんち現代音楽」は。2003年5月18日に私の部屋で行われました。
居候ライフ77号に載せた告知
前々回に書いた7回目と8回目は同じ居候でした。
告知にある通り、私の部屋にある現代音楽のCDを、来た人に聞いてもらうという内容のイベントでした。
それまでの居候中にも、てつオくんは私が持っていた現代音楽のCDやLPをよく聴いていました。このイベントを行うことになった経緯はよく覚えていませんが、てつオくんの提案だったことは確かです。
また、てつオくんにイベント名を考えてほしいと頼まれて、西原理恵子さんのマンガのタイトルから「ぼくんち」という単語を拝借したことは覚えています。
玄関に靴が収まりきらないことを懸念して、新聞紙を敷きました。実際、6畳間に最大で15〜6名集まったと思います。
窓の外で木の階段に座っている小川恭平くん。以前の連載で、てつオくん、恭平くんと「Half Placard」を見に行った時の写真を載せています。
https://bn.dgcr.com/archives/20180911110100.html
○
イベント時の写真
ミッシング箱庭というバンドをやっていた故大柴陽介くん(緑色のセーターを着用)が写っています。他にもMARK(加藤麻季)さんなど、大半のお客さんが高円寺・中央線界隈からやってきました。
また、下の写真は左端に私の手が写っているので、誰かが私のカメラで撮影したようです。
その他、近所からやってきたお客さんもいました。
後にてつオくんと代々木公園で共同生活を行うようになる、いちむらみさこさんですが、当時、歩いて数分の場所にあった古いマンションに住んでいました。
また、次回紹介する予定ですが、谷中でルームシェアをしていた田坂さんと廣川さんもやってきました。
イベントを行った感想ですが、私自身は現代音楽が言われるほど難解ではない、という曲を聞かせようとしていたのに対して、単におどろおどろしい曲を聴きたかったという人もいて、期待に添えない部分がありました。
また、聞かせたい曲がCDの後半のトラックにあって、頭出しに苦労したりと、グダグダ感もありました。
ですが、いちばんの驚きは、やはり、6畳間に入りきるかわからないほどの人が集まったということで、イベントの主催者としては気が気ではありませんでした。
【せきね・まさゆき】
sekinema@hotmail.com
http://sekinema.com/photos
1965年生まれ。非常勤で数学を教えるかたわら、中山道、庚申塔の様な自転車で移動中に気になったものや、ライブ、美術展、パフォーマンスなどの写真を雑多に撮影しています。記録魔
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■crossroads[88]
新型コロナウイルスが変える社会・食
若林健一
https://bn.dgcr.com/archives/20200616110100.html
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こんにちは、若林です。
今回も「新型コロナウイルスが変える社会」について「食」をテーマに自分の考えを述べていきたいと思います。過去2回の記事については、こちらをご覧ください。
新型コロナウイルスが変える社会
https://bn.dgcr.com/archives/20200519110100.html
新型コロナウイルスが変える社会・衣
https://bn.dgcr.com/archives/20200602110100.html
■「食」に関する短期の変化
直近のできごととして、「飲食業の廃業」があるのはご承知の通りかと思います。先日も「づぼらや」という、安くふぐが食べられる古いお店の閉店が報じられ、関西では大きな話題になっています。
それ以外にも小さな個人店で閉店、廃業を決断されたケースをいくつか耳にしています。家賃収入の負担が大きく、廃業を考えているという店主の声がニュース報じられたりしていますが、実際のところ家賃負担を理由に廃業されたお店はどれだけあったか不明です。
大家さんとしても、家賃が払えない借主を追い出したからといっても、すぐに次の借り手が見つかるわけでもないので、お店と一緒に今の状況をどうやって乗り越えるか? という考え方であるべきだと思います。
実際のところもそのような形で、大家と店子が一緒にこの状況を乗り越えようとしているところも多いのではないでしょうか。
確かに今は飲食業には辛い状況で、人が集まるところで食事をする習慣がすぐには戻らないかもしれません。とはいえ、この状況が未来永劫続くとも思えない。この自粛期間でさえストレスを感じていた私たちですから、「外で美味しいものを食べる」「みんなでご飯を食べる」ということを、みんながやめてしまうことはないでしょう。
外食が避けられる今この状況は、おそらく短期(1年ぐらい)で終わると思います。
しかし、自分の好きなレストラン、思い出のお店がなくなっていく状況がとても辛い。飲食業のみなさんにはなんとか今の状況を乗り切っていただきたい、またそんな飲食業を支える支援を、官民でやっていかなければならないと思います。
■「食」に関する長期の変化
外食が減った一方で、家で食べる、家で作ることが多くなりました、これはとてもいいことだなと思います。子どもと一緒に作れるということもあって、パンケーキやお菓子などを作るようになったご家庭も多かったようですね。
自粛期間と同じようにとまではいかないものの、「自分で作って食べる」ということが選択肢になったとは思いますので、これはきっと長期的に続くでしょう。今まで以上に「家で作る」ことは増えると思います。
また、リモートワークなどの影響もあり、自粛期間は家族で一緒にご飯を食べる機会が増えました。自粛期間がおわって、また元の生活という方も多いでしょうけれど、この間に感じた「家族でご飯を食べることの良さ」は再確認しました。
「働」のところでも触れようかと思っていますが、これをきっかけに自分の働き方を考え直す機会にもなったと思います。
「家で作る」「家で食べる」習慣は、長期的に増えると思いますし、ぜひそうなって欲しいところです。「家で食べる」ことが増えれば、必然的に「外で食べる」が減るわけですが、短期のところでは「それはなくならない」と書きました、矛盾してますね。
「ハレの日」に行く高級なお店、小さくても良いお店は残るでしょうけれど、特徴の少ないチェーン店のようなところが、影響をうけるのではないかと思います。
「家で食べる」「特別な日に高級なお店で食べる」「小さくても良いお店で食べる」というように、価値の高い「食」に時間とお金が費やされた結果、どこにでもある「チェーン店」のニーズが小さくなり、店舗数の減少が起こると考えています。
今も売り上げ減少の影響で、不採算店の撤退がいくつかニュースになっていますが、これは長期的で広範囲に起こるというのが私の考えです。
「食」においても、より本質的な価値を求める方向に人が動くのではないでしょうか。
【若林健一 / kwaka1208】
https://crssrds.jp/aboutme/
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編集後記(06/16)
●偏屈BOOK案内:町田明広「新説 坂本龍馬」
若い頃は司馬遼太郎の本を手当たり次第読み漁り、最初の全集(全32巻)も発行順に一巻ずつ揃えた。通勤時の定番だったシバリョー。司馬史観という言葉を聞いたのは、遥か後年である。ただのエンタメで読んでいた小説が、いつのまにかノンフィクションのように受け取られ、司馬自身は小説家を超えた影響力をいまも発揮し続けている。司馬史観は歪曲、危険と思うようになった現在。
司馬の描くヒーローたちには事実誤認が散見され、作為も覗える。過剰な表現が駆使され、本当の人物像からかけ離れてしまった。「龍馬がその最たる例である。司馬以降に現在の龍馬像を形作ったものが皆無ではないが、圧倒的な影響力は『竜馬がゆく』であろう。こうして出来上がってしまった龍馬像は始末が悪く、(略)なかなか研究者が手を出しにくい存在になっていった」
フィクションから生まれた坂本龍馬「伝説」が、「史実」となって久しい。最近の出版界では、また龍馬ブームと呼ぶべき現象が起きているらしいが、相変わらず司馬史観寄りが多いようだ。筆者は明治維新史が専門だが、主な対象は幕末政治史で、さらに絞り込んで薩摩藩を中心に研究をしている。その中で龍馬の存在はきわめて重要だとする。ここに「新しい龍馬像」が提示される。
龍馬は土佐藩を脱藩した浪人である。現代であれば国籍不明であり、普通は信用もなく活動もままならない。龍馬にとって脱藩の意義はなにか、それを周囲はどう捉えていたのか、いままでにない視点から迫る。龍馬は脱藩後、薩摩藩と行動を共にした後、土佐藩に復帰したというのが通説である。この間、龍馬はどんな帰属変遷を経ているのか、本当に「土佐藩士」として暗殺されたのか。
龍馬は「薩摩藩士」として、長州藩関連の情報を薩摩藩要路に伝える重要な役割を継続して果たしていて、長州藩にとっても薩摩藩を頼る状況下では、極めて貴重なパイプ役であった。薩長の連携は間違いなく龍馬を核に推進されていた。京都における小松帯刀と木戸孝允の歴史的会談は、龍馬が下地を作った。
この本で興味深かったのが、「盟友・近藤長次郎とユニオン号事件─亀山社中はなかった」である。亀山社中とは、小松帯刀配下の、龍馬以外の土佐脱藩浪士グループを中心とした一団を指す。蒸気船ユニオン号の購入・運搬にあたった。長州藩士に対し自分たちを「薩摩藩士としての一団」として「社中」と名乗ったに過ぎず、「亀山」とは明治以降に付け足された後世の創作である。
ましてや社中が、後の海援隊へと無媒介につながったとする連続性はナンセンス。また、彼らはこの段階では龍馬とは一切関係がない。そもそもこの時期、龍馬は長崎にはいないのだ。「饅頭屋長次郎」と通称された近藤長次郎については、司馬本では軽い扱いだったような気がする。現実には社中の代表格、この時点では龍馬と比較しても同格以上の存在であり、過小評価してはならない。
龍馬暗殺の実行犯は京都見廻組。それ以外を犯人と断定できる一次史料は皆無である。根拠は今井信郎・渡邊篤の証言。事件直後から実行犯は新選組とする説も流れたが推測レベル。京都見廻組に暗殺の指令を出したのは会津藩公用人・手代木直右衛門で、実弟・佐々木唯三郎に直接指示した。これが正解だろう。その根拠も書かれているが省略。龍馬愛あふれる本。(柴田:シバチュー)
町田明広「新説 坂本龍馬」集英社インターナショナル 2019
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4797680458/dgcrcom-22/
●デジクリ公式Twitter復活。嬉しいので、しばらく書いておくことにした。
/宝塚歌劇が7月17日から復活。自粛解除の実感がじわじわと。
席はひとつ置きになるんだって。最前列は利用せず。……チケット取れる気がしない。立ち見もないだろうなぁ。5組になってから一ヶ月公演になったけど、4組の時みたいに一ヶ月半やるので、そこが救いか。
幕間休憩は5分延長、一日2公演の時の2公演目の開演時間が通常より30分遅い。清掃に時間をかけるんだな。入口には赤外線による体温検知機器。もちろんマスクとアルコール消毒も。
あっ、座席で飲食できないっ。毛布やオペラグラスの貸し出し中止。販売はするらしい。
オーケストラ演奏が録音に。客席降りなし。舞台上や舞台裏での密集防止のため、演出変更。元々30人でやっていた外部公演の大劇場化だから、役は少ないしコンパクトにはできるだろう。今回の出演者数は73人。106期生のお披露目は9月か〜。(hammer.mule)
デジクリ公式Twitter
https://twitter.com/daily_dgcr
復活一作目は、柚香光さんお披露目公演「はいからさんが通る」
https://kageki.hankyu.co.jp/revue/2020/haikarasangatooru/
花組 宝塚大劇場公演『はいからさんが通る』について
https://kageki.hankyu.co.jp/news/20200615_1.html
106期生のお披露目は4/24からのこの公演のはずだった
https://kageki.hankyu.co.jp/revue/2020/welcometotakarazuka/
2017年梅田芸術劇場シアター・ドラマシティ公演
https://www.umegei.com/schedule/655/