[#5096] 玄関のあたりまえも変化した/小川てつオくんのこと14/私とプログラミング(前夜)

投稿:  著者:



《無線から電子工作、そしてプログラミングへ》

■装飾山イバラ道[275]
 玄関のあたりまえも変化した
 武田瑛夢

■Scenes Around Me[80]
 小川てつオくんのこと[14]
 イベント「ヨパクラ」で撮った写真[4](2003年4月〜2003年11月)
 関根正幸

■crossroads[94]
 私とプログラミング(前夜)
 若林健一 
 



━━━━━━━━━━━━━━━━━
■装飾山イバラ道[275]
玄関のあたりまえも変化した

武田瑛夢
https://bn.dgcr.com/archives/20201006110300.html

─────────────────

今年は自宅マンションのリフォームを進めたいと思っていた。しかし、コロナのせいでショールームに行く気分にもなれず、いったん先送りにすることに。それでもマンション全体で計画していた改修工事は、時期を見ながら進めていく方針のようだ。マンションは全体の流れに乗っていれば良いところもあって、ありがたさもある。

この夏、インターフォンの初めてのバージョンアップがあり、モノクロ映像がカラーになった。個別玄関前もカメラで確認できるようになったのが嬉しい。モニタも実際の明るさより、ずっとクリアに映る設定のようだ。工事終了後、自分達で動きながらテスト録画してみたりした。設備が新しくなるだけで嬉しい。

実際はうちの場合、ほぼ宅配の人が映るだけなわけだけれど(笑)。不思議なもので、知らない人でも、どんな人が来るのかが事前に見えているだけで少し安心する。ドアを開ける時に初めてその人物を見るのって、とても怖いのだ。

●来訪者の視線

実家マンションにいた当時、小学生の頃から私は鍵っ子だった。子供の頃はピンポーン! と誰かが来ても、ドアについているのぞき穴から見える情報だけで、来訪者を判断するしかなかった。子供だけの留守番中は、危険なので来訪者には対応しなくていいと言われていたのだ。

こののぞき穴が何という名前か知っていますか? ドアアイとかドアスコープと呼ぶみたいです(たった今調べ)。

オートロックのないマンションではそれは当たり前で、外から来た人も中に人がいるかどうかを、ドアスコープがうっすら光ることで把握していたと思う。そしてそれを防止するために、小さい布や紙で隠せるような仕組みを手作りしていた人も多い。

小さい布の上の所だけをテープで止めたフタみたいなもの。人が来た時はそれをめくって、ドアスコープから外を見る。すると、魚眼レンズのように変形した見知らぬ大人の人が立っているのが見える。留守番中の小学生の私には、そんなのは恐怖でしかなかった。時には外側からのぞき穴をのぞいて来る人もいて、顔がドアップに。ひぃぃ(怖)。

まぁ家族ならこのドアスコープに映る変顔で遊んだりしていた訳だけれど(笑)、見知らぬ人となるとやはり怖い。物理的なドアと穴のガラスが隔てていたとしても、その距離の近さが嫌だ。調べたらモノタロウなどで、カッコいい金属製のドアスコープのフタが売ってるんですね。標準でついているドアもあるのかな。

ドアの下部に新聞受け用の横長の穴があった時などは、そこの扉を外からパカパカ開けたりされて中の様子を知ろうとする人もいた。ここにはガラスもないのでさらに怖い。

便利なはずの仕組みが、自宅の情報が漏れる穴となるのだ。来た人もピンポンして誰も出ないのに、何を知りたいんだろう。もちろん今でも、これに悩んで色々な防御の工夫をしている方も多いと思う。

当時うちでは宅配の注文もしていなかったろうし、「新聞取って下さい」などの営業の訪問が多かったように思う。会社の教育もマナーの常識も今とは違っていたので、その人なりの工夫でドアを開けてもらっていたのだろうか。その後、マンションの改修の時に、新聞受けの穴はなくなり、壁にホルダーケースがつくようになった。

●カメラの普及

私は大人になりオートロック付きの新しいマンションへ引越したので、インターフォンとカメラモニタで外部を把握できるようになった。実家のマンションもリフォームをして、カメラ付きインターフォンにした。

マンションによっても、インターフォンの取り扱いは違うようだ。実家のマンションはインターフォンは個人で改修できるタイプ。私のマンションでは、火災報知器やメインの共有エントランスの宅配ボックス、鍵と連動しているので、マンションでの共通の工事に合わせるしかないタイプだ。

会議に参加すれば意見を述べることは出来るけれど、基本的には多数決。個人的に鍵やカメラを導入することも、既存の設備を傷つけなければある程度は可能だと思う。

実家マンションでは特定フロアのエレベーターのドアが開くと、そのフロアにしかない監視カメラがこっちに向いていたことがありちょっと怖かった。

最近は監視カメラもコンパクトになって、威圧感もなく当たり前になった。しかしどこにカメラがあるのかの意識はしっかりとある。安心感もあるけれど、映されているという感覚も消えないものだ。カメラはどんな人にも、ある種のプレッシャーとして存在しているということか。

今回インターフォンのカメラモニタが明るいカラー表示になったことで、来訪者のユニフォームの色や雰囲気がよくわかるようになった。子供の頃の魚眼レンズから見た人の印象とは全く違う。

マナー教育も徹底されてきて、印象の悪い人も滅多に見なくなった。カメラには自動録画で映像が残る。ある程度たまったら動画の録画は自動消去。うちでは今回この方式になったけれど、録画されるということから、人の意識も変わってきたことは推測できる。

ドアにしてもインターフォンにしても、改修のタイミングは10年以上の間隔を開けるのが普通だろう。平均15年くらいか。うちはもっとかかっていた。そうなると、セキュリティーが時代遅れの状態が続く場合も多いのだ。

ここのところユニフォームを着た詐欺グループや強盗もあるそうで、見た目だけで判断してはいけないと言う。服装や表情もはっきりと映るカメラが、抑止力にはなっていないのだろうか。

コロナ対策で宅配も変わった。自宅にいても対面しないで受け取る置き配が一般化してきて、より安全確実に荷物を受け取るシステムが考え直されるだろう。今回の工事でノンタッチタグになり、ほぼ手で触れずに済むような共有エントランスに変わったのは、ちょうど良かった。ノンタッチタグは非接触タグで、鍵穴に差し込む必要がない。

新しい暮らし方で、玄関の当たり前も変化していく。


【武田瑛夢/たけだえいむ】
装飾アートの総本山WEBサイト"デコラティブマウンテン"
http://www.eimu.com/


任天堂のゲーム「リングフィット アドベンチャー」が予定より早めに到着したので設定をした。リングコンと左足につけるレッグバンドにコントローラーを装着。マンションなので飛び跳ねるのではなく、軽くスクワットするように動けば良いモードを選択することができた。これなら振動も少ない。

モグラたたきやアドベンチャーの最初をプレイしてみたけれど、コレは楽しい。弾力のあるリングコンを押しつぶしたり、引き伸ばす運動で腕がけっこう疲れる。外出が減って相当ナマっているからな。詳しくはもう少しトレーニングを進めてみてからまとめたい。


━━━━━━━━━━━━━━━━━
■Scenes Around Me[80]
小川てつオくんのこと[14]
イベント「ヨパクラ」で撮った写真[4](2003年4月〜2003年11月)

関根正幸
https://bn.dgcr.com/archives/20201006110200.html

─────────────────

今回も岡啓輔さん、小川てつオくん、マイアミくんが代々木公園で始めたイベント、ヨパクラ(ヨヨギ・パーティー・クラブ)で2003年に撮影した写真を紹介します。この年のヨパクラは、夜になってから撮った写真しかありませんでした。

・2003年4月27日

この年の3月、岡さんの引っ越しにともなって岡画郎は閉郎しました。閉郎後、初めてのヨパクラでした。
https://live.staticflickr.com/65535/50410576227_d755d1bf02_c

写真の右側に岡さんとてつオくんが写っています。
https://live.staticflickr.com/65535/50410425821_52f00922a8_c

・2003年5月14日

詳しいことは覚えていませんが、この日、ヨパクラの近くに流しのレストラン(?)が登場したようです。
https://live.staticflickr.com/65535/50410425926_62e371575e_c

鮮明な写真ではありませんが、DJ用のテントの背後にコンロを仕込んだテーブルが写っています。
https://live.staticflickr.com/65535/50419705143_3654f6f1ca_c

・2003年7月21日

ヨパクラにはDJだけではなく、楽器を持ってくる人もいました。バイオリンを弾いているのは知り合いで、見よう見まねで弾こうとしているのを撮影したようです。
https://live.staticflickr.com/65535/50409718543_8ee5fa3b5a_c

・2003年11月10日

この年最後のヨパクラでした。秋も深まってきたこともあり、厚着をして焚き火にあたっています。
https://live.staticflickr.com/65535/50410426306_349b6d12ce_c

てつオくんはこの年の5月に居候ライフをやめ、代々木公園でテント生活を始めました。この日はヨパクラ終了後、発電機やスピーカーなどの機材をてつオくんのテントまで運びました。

機材は当初、岡画郎で保管していましたが、岡画郎が閉郎したのと、てつオくんがヨパクラ会場の近くに住み始めたことから、てつオくんが保管することになったようです。機材の運搬後、皆がてつオくんが開いたカフェ(エノアール)で休憩しているところを撮影しました。
https://live.staticflickr.com/65535/50410576812_9c7287eb90_c


【せきね・まさゆき】
sekinema@hotmail.com
http://sekinema.com/photos


1965年生まれ。非常勤で数学を教えるかたわら、中山道、庚申塔の様な、自転車で移動中に気になったものや、ライブ、美術展、パフォーマンスなどの写真を雑多に撮影しています。記録魔


━━━━━━━━━━━━━━━━━
■crossroads[94]
私とプログラミング(前夜)

若林健一
https://bn.dgcr.com/archives/20201006110100.html

─────────────────

こんにちは、若林です。

さてさて、繰り返しのお知らせになりますが、電子工作に必要な基本的なスキル、それぞれの工作で使われている仕組みの解説、実際に世の中で使われている例などが掲載されていて、電子工作をしながらものの仕組みがわかる本が、今週末発売になります。

エレクトロニクスラボ - ものの仕組みがわかる18の電子工作
https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4873119243/dgcrcom-22/


この週末に見本誌が届きましたが、写真がたっぷり使われた誌面はそれを見ているだけでもワクワクします。きっと、電子工作の楽しさがみなさんにも伝わると思いますので、書店で見かけたら是非手に取ってみてください。

■私がプログラミングに出会うまで

今ではすっかり「子どもとプログラミングの人」と認知していただいている私ですが、私自身の子どもの頃には、プログラミング以前に関心を持っていたことがありました(というよりも、私の子どもの頃はまだプログラミングが一般的ではなかった)。

今回は、電子工作の本発売記念という意味も含めて(?)私がプログラミングの世界に入るまでについてのお話しをしたいと思います。年寄りの昔話にしばしお付き合いください。

■アマチュア無線

小学生の頃から理科が好きで、学研の「科学と学習」など科学の本ばかり読んでいた私は、中学一、年のころにアマチュア無線に出会い、関心を持つようになりました。写真で見た機材がカッコ良かったのと、遠くの人と自由に話せるのがカッコいいと思ったのが主な動機です。中学生なので「カッコいい」が動機ということはよくある話です。

子どもの頃は(まぁ今もですが)裕福ではない家庭に生まれたこともあり、免許をとっても機材を揃えることは難しいことはわかっていましたが、それでも免許を取りたい、無線局を開設したいと、「初歩のラジオ」や「ラジオの製作」「CQ」などの電気や無線関係の雑誌を読んでは、妄想をふくらませていたものでした。

当時、仲のよかった友人がボーイスカウトをやっていて、その活動の一環でアマチュア無線の免許を取ったのが、羨ましくてたまらなかった。

今は珍しくなってしましましたが、昔は電気屋さんといえば「○○電気」か「○○無線」という名前で、「○○無線」を名乗る電気屋さんは電子部品や無線機器を取り扱っていることが多く、これもまた当時の私のあこがれの的でした。自宅近くの電気屋さんの屋根に、高い垂直ロッドアンテナが立っているのを見ては「かっこいーーーー」と通るたびに見上げていた、そんな中学時代だったのです(笑)。

結局、その当時アマチュア無線の免許を取ることはなく、しばらくアマチュア無線のことは忘れていたのですが、働き出し結婚して友人たちと車で移動するようになってから、遊びに行く時の連絡のために免許を取得し無線機を購入しました。子どもの頃とは動機がまったく違いますが、大人になるということはそういうことなのかもしれません(笑)。

そんな理由だったので、購入した無線機(リグともいいます)はトランシーバー型のハンディ機で、自宅にあこがれの垂直ロッドアンテナが立つこともありませんでした。

■BCL体験

アマチュア無線と並行して関心を持っていたのが、BCL。BCLとは、主に短波で放送されるラジオ局の放送を、受信して聴く趣味のことで「ラジオ聴くだけの趣味ってなに!?」って思われるかもしれませんが、短波ラジオだと海外の放送を聴くことができ、インターネットのない時代に、個人が海外のメディアに直接触れることができる、貴重で衝撃的な体験だったのです。

残念ながら、やはり経済的な理由で私自身は短波ラジオを持つことができませんでしたが、友人がソニーの短波ラジオ(これもかっこよかった)を持っていたので、友人の家に入り浸って一緒に放送を聴いていました。

BCLの醍醐味はただ海外の放送が聴けて嬉しいなというだけでなく、「ベリカード」と呼ばれる放送局オリジナルのカードをもらうことにあります。そのためには、放送を受信したことを報告しなければならず、どこで、どんな機器・設備を使って、どれぐらいの感度で、どんな内容だったかなどを書いた文書と返送先(場合によっては返送用の切手も)を一緒に送らなければなりません。

これはあくまでも報告書であって、リスナーのお手紙的なものではありません。放送局に対して「あなたの電波は、この地域まで届いていて、こんな機器を使ってこれぐらいの感度で受信することができましたよ」ということを報告する、技術的な報告書のような意味合いのものです。

この報告書を送ると、放送局から折り返しベリカードが送られてきます。大きさは局によって様々ですが、葉書大のものが多かったと思います。デザインももちろん各局オリジナルで、これを貰うのがBCLの魅力でした。

ちなみに、ベリカードは短波局だけが発行しているものではなく、日本の地上波ラジオ局やテレビ局でも発行している局があるそうです。よほどの難視聴地域でもなければ、放送局が受信報告書を受け取る意味はないかもしれませんが、視聴者サービスのひとつとして提供されているようで、ベリカードの代わりにキャラクターグッズなどが送られてくることもあるとか。

ラジオを聴いて、報告書を書いて、カードが送られてくるのを待つ、この間一か月とか数か月かかることもあるわけですが(送られてこない場合もあります)、インターネットのない時代の趣味というのは、そんなゆったりしたものだったのです。今思えば、贅沢な趣味だなと思います。

■「DX」はかつて無線用語でした

「DX」って言葉がありますね、「デジタルトランスフォーメーション」を略していう時に使われる言葉で、現在では企業や社会のデジタル活用推進の意味で使われます。

無線の世界では、アマチュア無線で海外や見通し距離外の人と通信すること、BCLで海外の放送を受信することを「DX」といい、遠距離通信のことを指しています。
遠距離通信を主にやる人のことを「DXer」と呼びますが、遠距離通信をするためには高いアンテナや感度の良い無線機が必要になり、それなりにお金はかかるので、要は機材自慢と言えます(笑)。

■無線から電子工作、そしてプログラミングへ

最初は無線から始まった電子機器への関心も、(なんども言いますが)経済的な理由で無線に本格的に取り組むことが難しかったため、電子工作へと移ります。当時は大阪に住んでいて日本橋(大阪の電気屋街、東京の秋葉原みたいなところ)へ自転車で毎週のようにでかけていましたので、部品や必要な道具は揃えやすかったのです。

それでも当時の自分には大きな負担でしたので、それほど多くのものを作ることはできませんでしたが。ちなみに、中学時代に使っていたテスターを今でも持っています。

そうやって電気屋街をうろうろしているうちに、当時盛り上がってきていた8bitパソコン(当時はどちらかというとマイコンと呼ぶ方が主流でした)のことを知り、関心はそちらへ移っていきます。店頭のパソコンでゲームをしていて、店員さんにバチンと電源を切られたこともありました。

こんな流れからパソコンに関心を持った私が、パソコンを買ってもらうチャンスを手に入れ、プログラミングの世界へずぶずぶと入っていきます。この続きはまた次回で。


【若林健一 / kwaka1208】
https://crssrds.jp/aboutus/


「エレクトロニクスラボ - ものの仕組みがわかる18の電子工作」
https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4873119243/dgcrcom-22/



━━━━━━━━━━━━━━━━━
編集後記(10/06)

●偏屈BOOK案内:志村けん「志村けん 160の言葉」青志社 2020
https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/486590106X/dgcrcom-22/


志村けんは2020年3月29日逝去、享年70歳。日本中がその死を悼んだ。きっと本になると思っていたら、早くも8月19日に青志社から発行された。編集人・発行人は阿蘇品 蔵、珍しいお名前だ。表1は須藤夕子による、志村けんが僅かに首をかしげたステキなポートレートだ。表4はおなじみ「バカ殿様」の衣装で、アイーンのポーズ。

まえがきで加藤茶が「志村がいた日々」を書いている。うまい。うますぎる。志村が書いたとされる160編のコラムは、「日経エンタテインメント」はじめ多くの雑誌のインタビュー、対談における発言を整理・再構成したもので、各編のタイトル代わりの本文抜き出しがうまい。プライベートを含めて、写真も少なくない。編集者の腕が冴える。いい仕事したな。うらやましい。

志村が今までこだわってきたのは、時間をかけ準備して、細部まで作り込むお笑いである。ネタを考えるだけでなく、番組全体の構成、照明、セット、音楽まで、以前はすべて自分でやっていた。そのために、ありとあらゆるジャンルの音楽を聴き、映画も山のように見る。新しく出たビデオやDVDはすべて買う。家にどのくらいの映像資料があるのか、自分でもわからないという。

コントで共演者に求めるのは、基本的に芝居がちゃんとできる人。それと、「死ぬ」ということがわかる人だという。たとえば加藤茶がウケる場面では、ほかの人たちは自分を「死なせて」、加藤を助ける芝居をする。あえて引き立て役に徹することができるか、ということだ。「おれが、わたしが」な人が多い芸能界、志村にとっては、一緒にやりたくない人だらけだったのではないか。

志村にもすごくウケない時代があった。一生懸命やっている姿って、お客さんは見たくないのだ。いかにも遊んで、楽しんでやってるふうに見せると、お客のほうも楽しくなる。そのことが、やって一年か二年のときに分かったという。「一生懸命やっているっていうのは腹の中に置いときゃいいだけで、お客には『いいなあ、おまえ、好きなことやってて』って思わせなきゃいけないんですよね」。

「よく“ベタ”な笑いって言われるんだけど、それは“腕”がないとできないんだよね。ここでこうなるって分かってて笑わせるんだから、飽きられないために手法を変えたりするんだけど、それもベタができていないとできない。舞台なら内容の6割が、こうなってこうなるという予測どおりに運んで笑えるっていうくらいがいい。6割方予測通りに進んで、あとの4割は予測がつかないってのが、お客さんが一番たのしめて、気分よく帰れるんだよ」

「本書は志村けんさんのインタビュー、対談などにおける発言を再構成したものです。尚、本書で掲載された記事について、著作権者等からの権利申し立てがあった時は、すべて弊社で責任をもって対応致しますので、当社編集部までお申し出下さい」と編集部が巻末に記す。ここまできちんと記す出版人も珍しいと思う。普通の寄せ集め再編集本ではない。じつによく仕上がった一冊である。(柴田)


●武田さんの以前のリングフィットアドベンチャー購入話を読んで、気になってしょうがない。やり続けられないと思うのに、欲しくなっている。

/うちの母親も短波ラジオでカード集めてました。アマチュア無線の免許持ってますっ。無線機持ってませんけど。

/NFCタグシール使ってみたいの続き。iPhoneアプリの『ICカードリーダー』を起動して、かざしてみたら、Edy残高733円。えっ、残高あったの?

2009年12月にチャージし、最後に使ったのは2011年4月。使わなくなった理由は、近くのサンクスが潰れたからだった。

楽天Edyのサイトには、番号が違うと言われて追加できなかった。このカードは廃止されてるから登録できないのかも。使えるのかなぁ。

と、脱線したけど、そのカードをトリガーに使ってみることにした。続く。(hammer.mule)

ICカードリーダー by マネーフォワード
https://apps.apple.com/jp/app/id1478688231


持っている複数の楽天Edyを統合できますか?
https://support.rakuten-edy.co.jp/faq/show/4394?category_id=464

「残高は統合いたしかねます。」