[5117] 山でタヌキに会うの巻 /まちもじ探検記~ぺんてるのロゴが可愛い~

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《ギコギコギコギーコギコ》

■わが逃走[270]
 山でタヌキに会うの巻
 斎藤 浩

■もじもじトーク[139]
 まちもじ探検記~ぺんてるのロゴが可愛い~
 関口浩之




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■わが逃走[270]
山でタヌキに会うの巻

斎藤 浩
https://bn.dgcr.com/archives/20201105110200.html

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10月下旬、4日間の短い夏休みをとった。

信州の人里離れた山中に父の隠宅がある。今年はコロナの影響でほとんど使われていなかったこともあり、極親しい間柄の年上の女性Aさんと、様子見がてら滞在してきたのだった。

ベランダの手すりなどそれなりにガタがきている箇所もあったが、建物自体にこれといった問題はなさそうだ。

到着したときの木々はまだ緑色だったのに、日に日に紅葉が進んでいく。秋だなあ。

とくに何をするわけでもなく、よく寝て、本を読んだり絵を描いたりし、よく食べ、よく寝るという正しい休み方を実践していた。

酒も飲んだし、ごはんも食べたし、さあ寝ようと思ったのが午前2時頃。私は布団に入るとすぐ寝てしまったのだが、極親しい間柄の年上の女性Aさんは、しばらく本を読んでいたようだ。

読書灯を消し、さあ寝ようかなと思ったとき、奇妙な気配を感じた。

この家の周囲はほとんど森で、遠くに数軒の別荘があるが、人はきていない。
にもかかわらず、家の前の道を何人かでものを引きずっているような音が聞こえてきた。

道の方から聞こえてきた音は、こんどは庭の方から聞こえてくる。音は家の周りをまわっているようだ。

極親しい間柄の年上の女性Aさんは、恐る恐る、窓をそっと開けてみた。外には誰もいない。音も止んだ。

気をとしなおして、さあ寝ようと思った。すると、こんどはノコギリで板を切るような音が聞こえてきた。「音」は明らかに意思を持ち、こちらが寝ようとすると主張を始めるようだ。

極親しい間柄の年上の女性Aさんに起こされたのが、午前3時過ぎだったか。奇妙な音がするという。

確かに、大工仕事のような音が聞こえる。空気振動として聞こえたのだ。

ノコギリ、砂利を平す音など、機械的な繰り返し音でなく「呼吸」がある。

ギコギコ。ギコギコギコギーコギコ、ギコギーコギコギーコ、ギコギコギコ……と続く。

極親しい間柄の年上の女性Aさんは、怖がってなかなか寝付けなかったようだが、私はすぐに寝た。

これは人ではない。おそらくタヌキだろう。タヌキより人の方が怖い。

寝ぼけながら、そんなことを思った。

音に邪悪なものはなく、どちらかといえば茶目っ気というか愛嬌を感じた。少なくとも危害を加えられることはないだろう。ただノコギリの音がしているだけなので。

私はすぐ寝た。起きていて怖がったところでどうにもならんので、こういうときは寝るに限る。

明け方まで音は続き、極親しい間柄の年上の女性Aさんはなかなか寝付けなかったそうだが、朝になりようやく眠った。

久々の休みということもあり私は熟睡し、そのまま寝続けたが、午前11時に「また音がするよー」と起こされた。

まるで「いつまで寝てんだよ!」と言っているかのように、ノコギリのような音がしている。集合住宅の同じ棟の遠い部屋で、内装工事をしているような音の伝わり方だった。

朝食とも昼食ともつかない食事の後、家の外に出てみた。地面を見たがこれといった痕跡はなし。縁の下も見てみたが、足跡などはなく、物を移動したような跡も残っていない。

ちょっと散歩をしてみた。5分ほど歩くと道路工事をしていた。現場から発する音が、昨夜の音に似ていた。タヌキだかなんだかは、この音を真似ていたのではないか。

日本各地に「タヌキの話」はあるようで、やはり大工仕事等の音真似が得意のようである。

人間の声や電子音までもそっくりに真似る鳥がいるんだから、タヌキが音真似をしたって不思議じゃない。

しかし、たまに森で見かける、いわゆる動物然としたタヌキがそれをしているというのも、微妙に違うような気がするのだ。

猫には普通の猫と化け猫がいるように、タヌキにも普通タヌキとグレードの高いタヌキとがいるのではなかろうか。

この夜の音は、もしかしてグレードアップタヌキになるための進級試験かなにかで、「人間を驚ろかせてきなさい」「はい、がんばります」みたいなやりとりがあったのかもしれない。

だとしたら、ぐうすか寝てしまい悪いことをした。


【さいとう・ひろし】
saito@tongpoographics.jp
http://tongpoographics.jp/


1969年生まれ。小学生のときYMOの音楽に衝撃をうけ、音楽で彼らを超えられないと悟り、デザイナーをめざす。1999年tong-poo graphics設立。グラフィックデザイナーとして、地道に仕事を続けています。


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■もじもじトーク[139]
まちもじ探検記~ぺんてるのロゴが可愛い~

関口浩之
https://bn.dgcr.com/archives/20201105110100.html

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こんにちは。もじもじトークの関口浩之です。

ここ2週間で、すっかり、秋が深まってきましたね。というか、冬が近づいてきたなぁと感じる、今日この頃です。ウィルスが活動しやすい時期になってきたので、引き続き、手洗いとうがいをしっかりやって、外出時のマスク着用を徹底して、健康を維持したいと思います。

前回、「ウォーキング(早歩き散歩、時々、ジョギング)を週5回実施したいと思います」と書きましたが、今のところ、続いています。三日坊主になってないです。一日、5~8kmのウォーキングをしています。すごい!

犬の気持ちが、最近、わかるような気がします。毎日、体が散歩を欲しがるようになりました(笑)

体重は変化していませんが、体脂肪率は1〜2%改善しました。ここ半年間、ほとんど運動していなかったので、この2週間のウォーキングで筋肉が戻ってきたのかなぁ……。

正直いうと、以前も、意識して運動していなかったです。たまにやるテニスは、ストレス発散って感じでしたし……。とはいえ、コロナ前は週5日、朝と夜に満員電車で揺られて足腰を鍛えてましたし、通勤や外出でそこそこの距離を歩いていたのです。通勤時や外出時は、早歩きを心掛けていました。

でも、コロナの4月以降、自宅でテレワークの日々が続き、外出も極力避ける生活が半年間続いていたので、筋力が落ちていたのは間違いないですね。あのままの生活を続けていたら、怪我をしやすい体になっていたかもしれません。

これから寒くなる季節ですが、このウォーキングの習慣がいつまで続くのか、引き続き、レポートしたいと思います。

さて、今日のテーマは、「まちもじ探検記 ~ぺんてるのロゴが可愛い~」です。

●「ぺんてる」のロゴ

ぺんてるという会社、みなさんも知っていますよね。でも、ロゴマークがどんな形をしているかを思い出せる人は少ないと思います。

答えはこちらです。ジャーン!
http://bit.ly/mojimoji139


「ぺ」の半濁点の形が素敵ですよね。コーヒー豆の形に似ているような気もしますが、違いますよ!

ぺんてる公式Twitter情報によると、ルーツは1951年(昭和26年)頃に、社内のデザイナーさんが、江戸文字「勘亭流」の特徴をとり入れて作成したロゴのようです。それをベースに、1971年(昭和46年)に現在の形になったようです。


英文ロゴの変遷も素敵ですね。現在、使われているモダンなロゴになったのは、1971年(昭和46年)とのことなので、50年前です。けっこう昔、半世紀も前に作成したものなのですね。

ぺんてる本社ビルは、日本橋小網町にあります。茅場町駅と水天宮前駅の中間あたりですね。先日、茅場町に用事があり、ぺんてる本社ビルの前を通ったので、ビルの看板ロゴを撮影しました。

●日清製粉「グループ」の看板の濁点と半濁点

ぺんてる本社ビルから、三越前方面に散歩していたら、日清製粉グループの看板に目が止まりました。「グループ」の濁点と半濁点が、カタカナの「ク」と「フ」に食い込んでいる形です。

濁点・半濁点が食い込んでいる形の「グ」と「プ」は、特に珍しいというわけではありません。「グ」や「プ」が、そのような形をしたフォントは、たくさんありますので。

青空を背景に見えるビルの看板を見た後に、ビル入口の自動ドア扉の上の「日清製粉グループ」の横書きの看板を見たのですが、「あれっ、なんか、文字の形が違う」と感じたのです。

では、二つの看板の文字を見比べてみましょう。
http://bit.ly/mojimoji139b


ビル入口の看板では、「グループ」の濁点と半濁点は食い込んでいないのです。あとで、日清製粉グループのウェブサイトを見たら、こちらの形でした。

そっか、横書きだと気にならないけど、縦書きだと看板の幅が制限されるのと、中心線のバランスの関係で、濁点・半濁点の位置調整をしたということなのかもしれないですね。

確認したわけではないので、本当の理由はわかりませんが、それくらいしか理由は思いあたりません。他の看板や昔の手書き看板において、濁点・半濁点が入ったカタカナやひらがなの縦書き文字がどのように描かれているか、いつか調べてみたいものです。

●11月開催のFONTPLUS DAYライブのお知らせ

「もじもじトーク」をお読みの方でしたらご存知かと思いますが、「文字とデザイン」をテーマとした2時間のオンラインライブ番組『FONTPLUUS DAYセミナー』を毎月開催しています。

12月は師走で慌ただしいので、11月に2週連続で、ライブ放送を開催することにしました。

来週水曜開催の『FONTPLUS DAY Vol. 29』のゲストは、ライター・編集者の雪朱里さんをお招きします。その翌週の『FONTPLUS DAY Vol. 30』のゲストは、ナール・ゴナの中村征宏さんです。

文字や活字に詳しい人なら、ゲストのお二方、知っている人は多いのではないでしょうか。過去に大学等で講演をされることはあっても、オンラインのライブ放送の出演は初めてです。

雪朱里さん、中村征宏さんのお話を、直接聞ける機会は貴重だと思います。もじもじトークの読者のみなさま、ご都合が合えば、ぜひ、ご視聴ください。

下記から申し込みすると、放送時間までに視聴方法の案内メールが届きます。

FONTPLUS DAYセミナー Vol. 29
『時代をひらく書体をつくる。』出版記念座談会
― 雪朱里さんとフォントおじさんのオンラインライブ対談 ―
https://fontplus.connpass.com/event/193325/


FONTPLUS DAYセミナー Vol. 30
ナール・ゴナの中村征宏さんをお招きして
― 中村征宏さんとフォントおじさんのオンラインライブ対談 ―
https://fontplus.connpass.com/event/193616/


では、また、お会いしましょう。


【せきぐち・ひろゆき】sekiguchi115@gmail.com
関口浩之(フォントおじさん)

Facebook
https://www.facebook.com/hiroyuki.sekiguchi.8/

Twitter@HiroGateJP
https://mobile.twitter.com/hirogatejp


1960年生まれ。群馬県桐生市出身。1980年代に日本語DTPシステムやプリンタの製品企画に従事した後、1995年にソフトバンク技研(現SBテクノロジー)へ入社。Yahoo! JAPANの立ち上げなど、この25年間、数々の新規事業に従事。現在、活字や文字の楽しさを伝えるフォント伝道師(エバンジェリスト)、フォントおじさんとして活動。


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編集後記(11/05)

●偏屈BOOK案内:早坂隆「昭和史の声」飛鳥新社 2020
https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4864107750/dgcrcom-22/


表紙カバーの写真は両陛下が海に向かってお辞儀をされているお姿だが、陛下の頭上にタイトル「昭和史(改行)の声」の「史」の字が載った形になっていて、不敬とも思える違和感あるビジュアルであった。すばらしい内容の本なのに、いきなり残念である。

昭和23年12月23日、午後11時57分、4名(東條英機、松井石根、土肥原賢二、武藤章)は死刑執行室へと消えて行った。この日が皇太子明仁親王の(現・上皇陛下)の誕生日であったことは、極めて示唆的、というより極めて陰険である。

いわゆる「BC級戦犯」とは、連合国側による軍事裁判の結果、戦争犯罪類型B項「通例の戦争犯罪」、またはC項「人道に対する罪」を犯した者として、有罪判決を受けた人々のことを指す。国際司法裁判の形式を取っていた東京裁判とは異なり、BC級裁判は各国の「軍事委員会」によって行われた。すなわち、判事は軍人であった。被告はおよそ5700人にのぼり、約1000人が死刑判決を受けた。

大東亜戦争終結後、連合国側が日本の戦争指導者に対して課したのが、極東国際軍事裁判(東京裁判)である。終戦直前の昭和20(1945)年8月8日、アメリカの主導によってロンドン協定が締結。同協定によって、戦争を計画・実行した者を裁きの対象とするために、「平和に対する罪」という「新たな戦争犯罪類型」が生み出された。

この「事後法」に沿って、東京裁判は進められることになった。事後法で裁くということは、近代法の罪刑法定主義に反する行為である。ちなみに、この裁判では「A級戦犯」という言葉が使用されたが、A級、B級、C級という分類は追訴理由の「種類の別」を表したものであり、「罪状の軽重」を意味するものではない。

昭和21(1946)年5月3日から始まったこの裁判において、東條英機は「日本の戦争は国際法に違反しない」ことを一貫して主張した。東條は日本の戦争が「自衛戦争」であることを正面からのべた。しかし、そんな東條も自らの「敗戦責任」については、これを率直に認めていた。「敗戦によって国家と国民が蒙った犠牲を考えれば、自分は八つ裂にされても足りない」というのが、彼の思いであった。

1951年5月3日、米上院軍事外交合同委員会の公聴会に場に立ったダグラス・マッカーサーは、日本の開戦理由に着いてこう語った。

「彼らは手を加えるべき原料を得ることができませんでした。日本は絹産業以外には、固有の産物はほとんど何もないのです。綿がない、羊毛がない、石油の産出がない、スズがない、ゴムがない、その他、実に多くの原料が欠如している。もし、これらの原料の供給を断ち切られたら、日本では1000万から1200万人の失業者が発生し、亡国と化するであろうことを日本政府・軍部は恐れていました。したがって日本が戦争を始めた目的は、大部分が安全保障のためだったのです」

この場合の「安全保障(security)」とは「自衛」の意味である。それはかつて東京裁判で、東條が主張した内容と大きく重なる言葉であった。また、マッカーサーの片腕であったチャールズ・ウィロビーは、東京裁判を表してこう語ったとされる。「この裁判は、史上最悪の偽善だった。こんな裁判が行われたので、私は息子に、軍人になることを禁止するつもりだ」

筆者は大東亜戦争を中心とする昭和史の取材を、20年ほど続けてきた。国内外を問わず、多くの人々を訪ねて、南京戦や特攻隊、BC級裁判といった重要な昭和史の出来事に関する、貴重で多様な体験談「生の声」を得てきた。この本はその集大成である。机上の空論ではない。史実である。ノンフィクションであって評論ではない。「史実に忠誠を誓う」という言葉を心の中で繰り返しながら、一歩ずつ続けた取材の成果である。後書きを含めて315ページ、非常に読みやすく、心に響く本であった。(柴田)


●大阪市廃止は否決された。拮抗したなぁ。前回は大阪市がなくなるってことで反対したけど、今回は投票用紙に書き込む直前まで悩んで賛成に入れた。無党派。

大阪市だけの投資や対策では、万博やIRでガーーーーッと行けないんじゃないかなと思ったのだ。こういうのって中途半端にお金かけても、捨てるようなものだから。

でも大阪都構想(名前悪いよねぇ)や維新までもが否定されたとは思っていない。大阪府と大阪市の足並みを揃えるために、市民に不便を強いることに抵抗されただけだろう。不便にならないよと言われても、実際に国からのお金は減るし、住所変わるし、デメリットが目立つ。

いま維新が府と市を握ってて、同じ方を向いていて上手くいってる。なので、このままでもいいんじゃないの? って思う人は多いだろう。大義のために手を取り合って動いてくれるなら、市を廃止までしなくてもいいのに〜と。

とはいえ、少子高齢化で東京一極集中の時代、地方は疲弊する一方で、カンフル剤は必要。続く。(hammer.mule)