わが逃走[270]山でタヌキに会うの巻
── 斎藤 浩 ──

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10月下旬、4日間の短い夏休みをとった。

信州の人里離れた山中に父の隠宅がある。今年はコロナの影響でほとんど使われていなかったこともあり、極親しい間柄の年上の女性Aさんと、様子見がてら滞在してきたのだった。

ベランダの手すりなどそれなりにガタがきている箇所もあったが、建物自体にこれといった問題はなさそうだ。

到着したときの木々はまだ緑色だったのに、日に日に紅葉が進んでいく。秋だなあ。

とくに何をするわけでもなく、よく寝て、本を読んだり絵を描いたりし、よく食べ、よく寝るという正しい休み方を実践していた。

酒も飲んだし、ごはんも食べたし、さあ寝ようと思ったのが午前2時頃。私は布団に入るとすぐ寝てしまったのだが、極親しい間柄の年上の女性Aさんは、しばらく本を読んでいたようだ。

読書灯を消し、さあ寝ようかなと思ったとき、奇妙な気配を感じた。





この家の周囲はほとんど森で、遠くに数軒の別荘があるが、人はきていない。
にもかかわらず、家の前の道を何人かでものを引きずっているような音が聞こえてきた。

道の方から聞こえてきた音は、こんどは庭の方から聞こえてくる。音は家の周りをまわっているようだ。

極親しい間柄の年上の女性Aさんは、恐る恐る、窓をそっと開けてみた。外には誰もいない。音も止んだ。

気をとしなおして、さあ寝ようと思った。すると、こんどはノコギリで板を切るような音が聞こえてきた。「音」は明らかに意思を持ち、こちらが寝ようとすると主張を始めるようだ。

極親しい間柄の年上の女性Aさんに起こされたのが、午前3時過ぎだったか。奇妙な音がするという。

確かに、大工仕事のような音が聞こえる。空気振動として聞こえたのだ。

ノコギリ、砂利を平す音など、機械的な繰り返し音でなく「呼吸」がある。

ギコギコ。ギコギコギコギーコギコ、ギコギーコギコギーコ、ギコギコギコ……と続く。

極親しい間柄の年上の女性Aさんは、怖がってなかなか寝付けなかったようだが、私はすぐに寝た。

これは人ではない。おそらくタヌキだろう。タヌキより人の方が怖い。

寝ぼけながら、そんなことを思った。

音に邪悪なものはなく、どちらかといえば茶目っ気というか愛嬌を感じた。少なくとも危害を加えられることはないだろう。ただノコギリの音がしているだけなので。

私はすぐ寝た。起きていて怖がったところでどうにもならんので、こういうときは寝るに限る。

明け方まで音は続き、極親しい間柄の年上の女性Aさんはなかなか寝付けなかったそうだが、朝になりようやく眠った。

久々の休みということもあり私は熟睡し、そのまま寝続けたが、午前11時に「また音がするよー」と起こされた。

まるで「いつまで寝てんだよ!」と言っているかのように、ノコギリのような音がしている。集合住宅の同じ棟の遠い部屋で、内装工事をしているような音の伝わり方だった。

朝食とも昼食ともつかない食事の後、家の外に出てみた。地面を見たがこれといった痕跡はなし。縁の下も見てみたが、足跡などはなく、物を移動したような跡も残っていない。

ちょっと散歩をしてみた。5分ほど歩くと道路工事をしていた。現場から発する音が、昨夜の音に似ていた。タヌキだかなんだかは、この音を真似ていたのではないか。

日本各地に「タヌキの話」はあるようで、やはり大工仕事等の音真似が得意のようである。

人間の声や電子音までもそっくりに真似る鳥がいるんだから、タヌキが音真似をしたって不思議じゃない。

しかし、たまに森で見かける、いわゆる動物然としたタヌキがそれをしているというのも、微妙に違うような気がするのだ。

猫には普通の猫と化け猫がいるように、タヌキにも普通タヌキとグレードの高いタヌキとがいるのではなかろうか。

この夜の音は、もしかしてグレードアップタヌキになるための進級試験かなにかで、「人間を驚ろかせてきなさい」「はい、がんばります」みたいなやりとりがあったのかもしれない。

だとしたら、ぐうすか寝てしまい悪いことをした。


【さいとう・ひろし】
saito@tongpoographics.jp
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1969年生まれ。小学生のときYMOの音楽に衝撃をうけ、音楽で彼らを超えられないと悟り、デザイナーをめざす。1999年tong-poo graphics設立。グラフィックデザイナーとして、地道に仕事を続けています。