[5131] 万年思春期3話目「線と活字」/エセー物語[61]空き家歌会の話 魚と眠る

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《もしもこの掟を破ったら……》

■万年思春期[003]
 3話目「線と活字」
 木村きこり

■エセー物語(エッセイ+超短編ストーリー)[61]
 空き家歌会の話(続・牛さんの話)
 魚と眠る
 海音寺ジョー




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■万年思春期[003]
3話目「線と活字」

木村きこり
https://bn.dgcr.com/archives/20201126110200.html

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活字というものが、私は時々怖くなる。ワープロで文字を打っている間、なんだか身体の中がザワザワしてくることがあるのだ。それはきっと私の、漫画家になった時のある出来事がトラウマになっているからだと思う。今回はその話をしよう。


さて、トラウマの話の前に、私が漫画家になる経緯を少し語らせていただきたい。

私がこの職業を志したのは小学3年生の頃だ。当時少女漫画ばかりを読んでいた私は、某少年漫画原作のアニメーションを見て深く感激した。すぐにお小遣いをはたいて原作の単行本を買い夢中になって読んだ。

その漫画の世界観や人物の形に魅了された私は、同じように漫画家になって漫画を描きたいといつしか思うようになっていた。しかし、私の親は漫画家を目指すことに対してまったく肯定的ではなく、描こうとすると邪魔をする。

結局、漫画絵のイラストを少し描いている程度で中学・高校を過ごし、原稿用紙に漫画というものが描けたのは大学一年の頃だった。当時22歳、いろんなマンガを描いたが、何処の出版社に持っていってもダメだしの繰り返しだった。

今の私に描けることはなんだろうと考えた時、大学のソーシャルケースワーカーさんが「エッセイ漫画はどうかな?」と、私の持病である「統合失調症」の日々を、4コマ漫画にする提案をしてくれた。それは主治医に、自分の日々あったことを上手く伝えられない、私の治療的な意味も含まれていたと思う。

溜まった4コマを選別し16ページの原稿を作り、主治医のところに置いてあった雑誌「メンタルヘルスマガジン こころの元気+」に送ったところ、2本だけ採用され読者投稿ページに載せてもらった。今思えば、漫画の商業誌ではないが、雑誌にデビューした訳である。

当時、すべてアナログで描いていた私は、自分の漫画の吹き出しの文字が活字になるということがすごく嬉しかった。掲載誌が届いた時、本当にわくわくしながら開いたものである。しかし、自分の漫画を見て愕然とした。それは描かれている線が、吹き出しの文字に負けていたからである。

私の漫画の線はあまりにも細く、かといって描き込むタイプの絵柄でもなかったため、セリフの活字の主張が強くなってしまったのである。きっと雑誌の編集の方は、精いっぱい合うモノを選んでくれたと思う。それぐらい私の絵の線は弱かった。

「このままではいけない」と、私は焦った。幸いこの雑誌からはその後も仕事が来ていて、そこで前作の欠点を巻き返すべく、線を太くしたのは今となってはいい思い出である。それから、なんだかんだ漫画雑誌にも持ち込みをし、なんとか大学を出ると同時に単行本を出すことができた。かなり担当や周りの人の協力があった。そのことには感謝したい。

しかし今、漫画に関しては新しい問題に直面している。当時目指していた、いわゆるフィクションの漫画でデビューがしたいと思っているのだ。いくつかの雑誌社で「担当」と呼ばれる漫画を見て指導してくれる方々はいるのだが、実力が足りないのでデビューができていない。

今となっては、私の作業は線画までがアナログで、最終的には吹き出しの中の文字は自分で活字を入れ提出する。その度にザワザワするのだ。あの時のように「線が活字に負けたらどうしよう……」と。漫画の世界は奥深い。いろんな方法を今のうちに試して、いつかこの業界の一線で活躍できる漫画家になりたいと思う。

だが、その道のりはまだまだ長そうだ。トホホ。


【木村きこり】
漫画家/美術家
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■エセー物語(エッセイ+超短編ストーリー)[61]
空き家歌会の話(続・牛さんの話)
魚と眠る

海音寺ジョー
https://bn.dgcr.com/archives/20201126110100.html

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◎エッセイ

空き家歌会の話(続・牛さんの話)

牛さんが主催する、空き家歌会が再始動した。

あと一回で百回目になるはずだった、月二回ペースで開かれてた牛さん主催の借り家歌会が、感染症拡大の影響で中止に追い込まれ、批評会など他のイベントも中止とか大幅延期になり……という時期だった。牛さんのところに限らず、全国、全世界規模で催事やライブが流れてったのは、報道されてる通りである。

名画『カサブランカ』に、フランスのパリが、ナチスドイツによって占領された瞬間のシーンがある。町の衆は皆家に閉じこもって、ナチスの街宣車からの占領宣言を窓越しに覗いている。今現在の、ウィルスによって人間が屋外に出られなくなってるロックダウン、日本の自粛要請シーンとイメージが重なった。

大阪も、感染者数が刻一刻と増えていく報道がなされて、東京に次ぐ増加数にびびらされる。検査数とか、症例とか、大事と思える要素も鑑みねばならないし、マスコミの恣意的な誘導も疑わねばならないが、こうゆう状況において会合の場を持つ、というのは一つの覚悟なのだと思う。

牛さんのそもそもの短歌活動の原点、最初に打ち出したイベントが空き家歌会で、昨年、自分が初めて空き家歌会に参加した日に訊いたところ、当初は牛さんの家で行われたらしい。

そのうち、貸会議室を借りる一般的な歌会のロケーションになってった、とのこと。選のあるスタイルの歌会で、票が一番多かった人は「空き家主」の称号がもらえるのだった。

歌会当日。会場は『らこんて中崎町』谷町線中崎町駅の2番出口から、徒歩1分くらいの便利な立地である。以前、語彙消失歌会が行われたのもここだった(くわしくはバックナンバー『語彙消失歌会のはなし』をご参照ください)。雨が降り出したので、コンビニで雨宿りした。
https://bn.dgcr.com/archives/20180830110300.html


牛さんからのダイレクトメッセージで、「会場には13時開始直前にお越しください」とあり、ぼくの使うJR湖西線は1時間に1本しか電車がないので、時間調整が必要だった。直前というのも、感染予防のためなのだろう。感染予防というと、本当にこのことには気を遣われてた。直前に参加者に来たメッセージには、「ドタキャンOK、少しでも不安があったら、気にせず欠席でOK」と書かれてもいた。

待ってたら牛さんと谷じゃこさんが、2番出口から現れた。じゃこさんが横断歩道越しに自分に気づき、手を振ってくれたので、もう時間的にええんやろかと、ついて行った。

「うーん、どうしよ」牛さんは、会場の机の配置についてしばし悩み、わざと平行をずらし、ガタガタな配置にした。長机に二人ずつ、席を離して座り、それぞれが対面に、つまり向かい合わせにならないように、との席配置になった。

さらに窓とフロアの入り口扉を全開にし、エアコン2台も運転させた。その間に続々と参加者は集まり、牛さんとじゃこさんは、コンビニに詠草のコピーと菓子を買いに行った。従来、菓子を分け合ってぼりぼり食いながら、ディスカッションするのが通例だったが、現況は……。

牛さんとじゃこさんが戻り、参加者もそろった。トータル10名だった。全員マスク状態で席に着いた。詠草(みんなが事前に牛さんに送った短歌が、ナンバー振って列記されてるコピー紙)と菓子が配られる。そして、牛さんが最初の説明に入る前に、鞄からおもむろに何かを取り出した。

「すみません、今日は新型肺炎感染予防のためマスク着用でお願いします。私はさらにフェイスシールドもします」

牛さんは折り畳んでたそれを広げて、顔面に装着した。が、「やっぱり外します」と一秒ではがした。「何じゃそら!」とじゃこさんが即座に突っ込む。

牛さんは「ふだん、職場で使ってる方を……」と、さらにしわくちゃに丸めてたビニール塊を出し、そっちを広げて装着した。「初参加の方もおられるので、まず説明を」

「いいですね、ふっふふ」牛さんは上機嫌だった。初参加の方がいるということ。それは短歌の裾野が、また広がる可能性が生ずるということ。これは、牛さんの念願にかなうのである。

「いいとおもったやつ五つに〇を付けて、その後○の多かった順にみんなで評をしていきます。評の仕方については、色々意見があるんですけど」

牛さんは少し間を置いた。参加者は、マスク越しに牛さんフェイスシールド顔に注目した。

「評は、なに言ってもいいです」牛さんは言い切った。

「まあ……例えば『根拠はないんやけど、何かイヤ』とかでもいいんです」
「いいんすか?」

罵りと見做されるような酷評は禁止、作者の人格攻撃はダメとか、「△という箇所を□に換えてはどうか?」とか言及するのも、エチケット的にやめとこう等の不文律、リテラシーが歌会には存在する。

牛さんは、それももう、ぜんぜん自由で良いと言い切ったのだった。牛さんは静かな笑顔で続けた。「これまでの歌会の経験からですね、たとえ『この作品は全然だめ』みたいな意見が出たとしても、その直後に『そんなことはない、私はこの歌いいと思う』と真逆の意見が出てくるんです。だから自由に発言してもらって全然大丈夫です」と確信的に、完全自由討論に太鼓判を押した。

次に、配られたお菓子について。開始直前、牛さんとじゃこさんがコンビニで買ってきたもので、等分に各席に差し入れされた菓子。

「お菓子ですが、マスク外して食べてる間は、決して発言しないでください。食べ、飲み込んで、再度マスクをしてから発言するようにしてください」
「なるほどー!」

これも、ウィルス拡散に備えた苦肉の策であった。
「もしもこの掟を破ったら……」
牛さんの、年中半閉じの両眼が、くわっと全開域までこじ開けられた。
「ひいいっ」
皆、心臓が口から飛び出んばかりに、震えおののいた。

「もし、このルールを破った人は……」
ここでまた、間を置き、
「破った人の歌を、ボロカスにけなします」
どどーっと皆、椅子から転げ落ちた。
「むしろ、ボロカスに言ってほしいわ!」とじゃこさんが、すかさず突っ込みを入れた。

牛さんから投票用紙が回された。トータル5点で歌を選び、その歌番号を記す。空き家歌会ルールでは、5点使い切りで、例えば1点ずつ5首チョイスしてもいいし、一首だけを5点ということで選ぶ、3点の歌ひとつ、2点の歌ひとつ、という選び方でもいい。誰の投票かわかるように、投票用紙にペンネームも併記する。

「今回は、ここに電話番号も書いてください。もし後日、コロナ患者が出たら、保健所から連絡がいきますんで」
「じゃあ、ペンネームだけじゃなくて、本名も書いといた方がいいんじゃ?」という、意見が出た。
「だって保健所から『か、カ、涸れ井戸さんですか?』と、短歌ネームで確認されたらめっさ恥ずかしいやん」と。

牛さんは「そ、それもそうですね。それじゃ、本名も……」と急遽ルール改定がなされた。

他には、トイレの入り口前に消毒スプレーが設置。玄関の扉も開け放ってすだれだけ下ろし、と、さらなる換気策が施され、歌会は実施された。

牛さんの司会進行は所々に笑いを挟み、もれなく全員に発言の機会を回し、ちゃんと休憩も入れ定時に終わるというタイムキープ。皆、感銘を受けた。

「ぼく、時間配分は得意で高評価を受けてるんです、ふふ」と初っ端の説明で、自由に発言して大丈夫と言われた後、そう付け足された時はフリかと疑ったが、まったくもって本当だった。

いつもなら、このあと懇親会になだれ込んで、歌会で聞きそびれた話や近況などを語り合うが、感染予防のためお開きとなる。できるだけゆっくり歩きながら駅に向かい、とつとつと話しつつ散会していった。

今回強く思ったのは、世間の『正しく振る舞う』という圧力である。大阪に限らず、新聞報道などで感染者数の増加を声高に報じ、そのことに対して何処吹く風かと現政権(当時は安倍政権)は国会休会を決め込み、「お盆も帰省OKよ」「でも年寄りに移さないよう気をつけて」と公言してる。

歌会に限らず、交友、交流のための『基準』との戦いが始まっていて、今回の牛さんの空き家歌会は、いわゆる「新しい生活様式」への敢然たる挑戦なのだなと帰途、湖西線に揺られながら思った。


◎超短編

魚と眠る

何の話をしてる最中だったか、「おれ、魚だから」と亭主が反論して、えっ人間じゃなかったの、とその時はじめて気づいた。

そういえば、アタシが亭主の後ろで包丁でひらひらと襲いかかった時、ひーっと叫んで逃げて行ったことがあった。冗談で急襲するふりをしただけだったのに。魚眼だからきっと見えてたんだな。体毛が硬いのも気になってたのだが、鱗で覆われてたのだな。

「直子さんは鈍いですよ」と、周りからも言われ続けだった。

でも、いいじゃないか。みんなナーバスでピリピリしどうしだったら、嫌な社会じゃないか。魚の夫は、朝に焼魚を出してたのは嫌だったのかな? 共食いだしな。でも残さずおいしそうに食べてたな。魚は気にしないか。

「直子さんは、料理が上手だから」焼魚の件を質したら、亭主は笑って言った。

せめて、魚のくせに長年優しくしてくれる亭主のために、何かやってやらねばなと考え、考えてウォーターベッドを通販で買った。

「うわー、これ、寝心地最高にいいね!」「直子さんが喜んでくれるなら、それが一番だから」

あくまでも、謙虚な夫だった。といっても、この内部ではアタシは寝られないから、上で一緒に寝てもらってます。たっぷん。たっぷん。(500文字の心臓タイトル競作応募作品)


【海音寺ジョー】
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(追記)本エセーに登場する牛さんのことは、バックナンバー『牛さんの話』(2019年2月28日)に詳しく書いてますので、もしよかったらご覧ください。
https://bn.dgcr.com/archives/20190228110100.html


牛さん主催の空き家歌会、借り家歌会、読書会等の最新情報は、下記のツイッターアカウントに随時掲載されてます。参加方法等、くわしく記載されてますので、気になった方は是非行ってみてくださいね。
https://twitter.com/akiya31



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編集後記(11/26)

●偏屈BOOK案内:「中野京子と読み解く 運命の絵」文藝春秋 2017
https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4163906169/dgcrcom-22/


多くの人がイメージする「運命」は、人間の意志も選択も無力で、一切の事象はそうなるように予め決まっているらしいが、わずかなチャンスが残っていると考えたい。という筆者は、運命的瞬間、歴史の転換点、夢や託宣が告げる未来、生死の境、運命の悪女などが描かれた「運命の絵」17点について語る。フルカラーの美しい本である。しかし! わたしが知っていたのはたった1点しかない。愕然とする。

ジャン=レオン・ジェローム「差し下ろされた親指」から始まり、ピエール=ギュスト・ルノワール「シャルパンティエ夫人と子どもたち」まで、見た記憶はあるが作家名は知らない、あるいは初めて見た作品たち。それぞれ見開きで配置され、チェックポイント(絵の見方など)が示される。なんて読みやすいんだ。なんて楽しいんだ。誰もが、実物を鑑賞したくなること必至であろう。

「一度見たら忘れない」のが、ムンク「叫び」だ。「モナリザ」と並ぶほど有名なこの顔。これしか知らんのだ。省略も極まって、性別年齢定かならず。一度見たら忘れがたい強烈なインパクト。卒業後に結成した高校時代の仲間「ひまじんグループ」は、秋の文化祭に毎年出展するという名物同窓生だったが、もちろん各々の「叫び」のパロディ・ポートレートは、女子高生たちに大人気(たぶん)。

エドヴァルド・ムンク「叫び」は1983年、油彩、91×73.5cm、ノルウェーのオスロ美術館蔵。あらためてじっくり見る。みどころが5ポイント。舞台は橋ではなく、かなり高所に設けられた手すり付き遊歩道(実在している)。画面左の中程に、案山子のように真っ直ぐな二人の人物。正直、この存在を知らなかった。瓢箪のような顔を両手が支える坊主頭と、背景の赤い空しか記憶にない。

血のような空の色は、インドネシアのクラカタウ火山噴火の影響と思われる。絵の主人公が必死に両耳を塞いでいるのは、叫び声を聞くまいとしてのことだ。外界を拒否する場合、目も口も閉じるのがふつうだが、この男は目をまん丸に見開き、鼻の孔もいっぱいに広げ、頬がこけるほど大きく口をあけているのはなぜか。声にならない悲鳴を上げ続けているからだ。何が怖いんだ?

「赤い空が、海が、大地が、叫びにあわせて歪みに歪み、うねりにうねり、流れ、かすれ、捩じくれて、こちらの肉体と精神までも責め立てる。近代人特有の『存在の不安』が鑑賞者へドッと押し寄せる」って、みごとな表現だなあ。面白いなあ。見たことのない他の16点についても、じっくり読まねばなるまい。(柴田)


●『SwitchBot Hub Mini』の続き。音声でのコントロールを試した。Amazon Echo(Alexa)を持っていないので、iPhoneのSiriにショートカットを登録し、「Hey! Siri エアコンつけて」と言ってみた。

ら、リビングと仕事部屋のエアコン二台が同時に、ピピッと返事をし、ウィーンと動き出した。

リビングと仕事部屋は引き戸で仕切っていて、エアコンを使う時以外は開けっぱなし。これは家事の動線なんかを考えてのことなんだけど、Hub Miniをテストしている時は閉めていたのよね……。

うちのエアコンはダイキンで揃えていて、リビングと仕事部屋のは同じ機種のサイズ違い。美しいシンクロに目が点になったわ……。続く。(hammer.mule)