[5200] 固定電話を再評価する/再生までの定点観測

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《ヒリヒリと痛い映画だ》

■再評価大百科[011]
 固定電話を再評価する
 吉田貴之

■映画ザビエル[109]
 再生までの定点観測
 カンクロー




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■再評価大百科[011]
固定電話を再評価する

吉田貴之
https://bn.dgcr.com/archives/20210401110200.html

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固定電話を持っていないなんて社会人としてけしからん、というような時代がありました。携帯電話やインターネットが普及した今でも、その感覚を持っている中高年は多いようで、しばしばSNSでも話題として取り上げられます。固定電話を持つ意義や用途は残っているのでしょうか。

□固定電話とは

そもそも、固定電話が電話の主流だった頃、「固定電話」というような呼称は使われていませんでした。携帯電話が開発、実用化されてからも、「電話」といえば固定電話のことを指していました。

2000年に携帯電話の契約数が、固定電話の契約数を上回ったそうですので、その前後に「固定電話」の呼び方も一般的になってきたように思います。

□固定電話の普及率

携帯電話がこれだけ普及しているからといって、固定電話の契約数がどんどん減少しているかといえばそうでもなく、現在も世帯普及率は6割〜7割程度はあるようです。ただし、世代による差が明確になってきており、世帯主の年齢が40代では7割程度であるのに対し、20代では1割未満だそうです。

□固定電話の現状

仕事ではまだまだ現役感のある固定電話ですが、現在、個人が固定電話を使うシーンはかなり少なくなっているように思います。先程紹介した固定電話の普及率も、IP電話やひかり電話などの設置数も踏まえて計数されているようですので、実際に連絡手段として固定電話を使っている人の数はもっと少なくなるのではと推量します。

ただし例外があって、高齢者は固定電話をメインに使っている場合が多く、営業や勧誘のターゲットになっている、というデータもあります。

□固定電話のよいところ

固定電話の優れているところをみてみましょう。ひとつは音質の良さです。携帯電話での通話や、インターネットを使った通話の品質が良くなった、といっても、固定電話の音声品質には及んでいないようです。

また、固定電話は地域ごとに番号が割り振られており、アイデア次第で防災やビジネスなどに活用することができます。前述したように、固定電話は世帯単位で設置されています。逆に言うと、携帯電話は個人に紐付いているのです。ビジネスなどで代表番号として使う場合は、固定電話が好まれます。

□固定電話のよくないところ

固定電話の一番のデメリットは、「専用の電話回線が必要である」というところでしょう。電話回線の維持には相当の手間や費用がかかっていることは、想像に難くありません。現在の電話回線を使った固定電話の運用は、2020年代半ばにはなくなる予定になっており、前述のIP電話などへの置き換えが進んでいます。

□固定電話は残る

回線は置き換わり、重要度も変化していきますが、固定電話がゼロになることはしばらくなさそうです。会社や家族など、場所に紐付いたコミュニティがあるかぎり、連絡手段としての固定電話は残っていくのでしょう。コミュニティのあり方も変容している昨今、その保証は難しいのも事実ですが。


【吉田貴之】info@nowebnolife.com

イディア:情報デザインと情報アーキテクチャ
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https://www.watchjournal.net/


兵庫県神戸市在住。Webサイトの企画や制作、運営を生業としながら、情報の整理や表現について研究しています。


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■映画ザビエル[109]
再生までの定点観測

カンクロー
https://bn.dgcr.com/archives/20210401110100.html

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◎作品タイトル
私というパズル

◎作品情報
原題:Pieces of a Woman
公開年度:2020年
制作国・地域:カナダ、ハンガリー
上映時間:126分
監督:コーネル・ムンドルッツォ
出演:ヴァネッサ・カービー、シャイア・ラブーフ、モリー・パーカー、エレン・バースティン

◎だいたいこんな話(作品概要)

マーサはオフィスで華々しくベビーシャワー(出産前祝い)のパーティーまでしてもらい、円満に産休に入った。パートナーのショーンは、河口近くに架ける大きな橋の現場監督を務めていて、いかにも肉体労働者という風情だったが愛情豊かで出産にも協力的。マーサの実家の協力も得ながら、二人は理想的な形でその時を迎えようとしていた。

自宅での出産を望んでいたマーサには、妊娠期間中に信頼関係を深めてきた助産師がいたが、いざ陣痛が始まり連絡を入れてみると、他の妊婦の出産に立ち会っているため来られないことが分かり、一時は混乱に陥る。

急遽、代理で駆けつけた助産師イヴと共に、痛みを伴う出産を乗り切ったのも束の間、マーサとショーンの赤ちゃんは息を引き取ってしまう。

その後、喪失感から心を閉ざしてしまったマーサは、ショーンとの関係も悪化していく。さらにマーサの母エリザベスが、子供の死の責任は助産師にあるとして強引に民事訴訟を進め、ますますマーサは傷を深めていくのだが。

◎わたくし的見解/あした世界が終わっても

序盤で、何故これほどまでに出産シーンをリアルタイムに近い形で見せ続けるのだろうか、との疑問はすぐに解消される。陣痛が始まり破水して、助産師の手を借りて、苦しみながらもどうにか我が子の産声を耳にすることができた。その出来事が、この作品にとって何よりも重要な情報であるからだ。

その後、パートナーとの関係性が壊れていく段階も、マーサに対する荒療治とも言える助産師への責任追及に躍起になる母親との溝の深まりも、すべてが丁寧にすくい上げられるせいで、かえって鑑賞者にとっては、噛み砕くことも飲み込むことも困難な、苦しい時間が過ぎてゆく。

まるで、ジョン・カサヴェテス映画のように、ヒリヒリと痛い内容だ。マーサのパートナーのショーンは、我が子を亡くした悲しみを放出して何度も涙を流して嗚咽する。マーサの母エリザベスは、理不尽なその死に怒りをあらわにして喚く。

しかしマーサ自身は、あまりにも大き過ぎる痛みから感情の起伏をほとんど見せなくなる。ときに周囲の言葉が地雷となって、過剰に反応し取り乱すことがあっても、ある時まで悲しみを心のどこかにぎゅうぎゅうに押し込めて、堅く閉ざしてしまっていた。

喪失と再生というテーマそのものも、その見せ方としても新しさは少しもない作品だが、だからと言って古さも感じない。なぜなら、根源的なもの、普遍的なものを真摯に描き出せているからだと思う。

ラストシーンはあまりにも象徴的で、現実のマーサのその後と捉えてよいのか迷いが生じるものだった。けれども、りんごの木が大地に根をはり、立派に育ち、赤い果実を輝かせているのを見ると「世界が終わってもリンゴの木を植える」という名言の放つ、希望への信頼を失いたくないと切に感じた。


【カンクロー】info@eigaxavier.com
映画ザビエル
http://www.eigaxavier.com/



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編集後記(04/01)

●偏屈BOOK案内:青柳武彦「マッカーサーの呪い 永久革命の種 今なおアメリカの罠に嵌まったままの日本」ハート出版 2017
https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4802400497/dgcrcom-22/


大東亜戦争ではルーズベルトが日本を戦争に引きずりこんだ。終戦後、マッカーサーは「永久戦争の種」、すなわち「日本の軍国主義者が侵略戦争を行なったので、米国が正義の鉄槌を下した」という虚構を日本人に信じ込ませるというプロパガンダを展開した。WGIP(War Guilt Information Program:戦争責任情報プログラム)である。

占領開始からわずか2週間もしないうちに、まず国家の基本的な政治秩序を破壊するために、「神道の否定」を命令、2か月後には教科書をすべて点検し、都合の悪い部分は黒塗りさせた。4か月後には占領政策の邪魔になると思われる人物を「公職追放」した。

さらに8か月後、130万人の教職員を対象に大規模な審査を行い、占領政策に不適格な思想を持つと判断される人物を追放、排除した。さらに「教育勅語」を禁止、言論弾圧の総仕上げとして、GHQは7000種類以上の書物の廃棄を命令した。

日本人の精神活動の文化的遺産は、ことごとく葬り去られた。現代の焚書である。

「戦勝国がここまで敗者の文化と精神的分野にまで立ち入って、一方的かつ傍若無人のふるまいをするのは、戦後処理の歴史に残る大事業といえよう。しかし、こんなやり方は国際法違反であるだけでなく、日本が受容したポツダム宣言にも違反するものだ」

敗者の尊厳と独立を奪うために、勝者は必ず敗者の歴史を否定する。米国は東京大空襲、原爆投下、極東軍事裁判などを正当化するために、「日本の軍国主義者が国民を騙して侵略戦争を始めたので、その罰として連合国から大空襲のあい、かつ原爆まで投下されてしまった」という大ウソの観念を日本人に刷り込むことにより、精神的武装解除を行ったのだ。それはほぼ成功している。

「連帯意識と連帯責任感、及び潔い反省心を持つ日本人の心の中で強い贖罪意識が生じ、それは自虐史観となって現れた。そして、それは左傾化した教育に利用されて自律的に再生産と増幅を重ねて現在に至っている」。わたしが臨時採用の教員生活で感じた、何とも言えない違和感の正体はこれだったのかもしれない。

米国が「自分たちは悪くない。悪いのは日本だ」と猛烈に連呼したのは、この大戦に至った経緯、及び東京大空襲(国際法上は非戦闘員や非軍事施設に対する攻撃行為は禁止事項)、さらに終戦直前の広島、長崎への原爆投下について、かなりの後ろめたさを感じていたからだ。そして、日本の戦力と抵抗の激しさにも、よほどの恐怖心を持っていたからに違いない。

日本人を憎み日本文化を蔑んだのがマッカーサーである。日本を理解しようとする姿勢は皆無、こんな人物が最高責任者として占領政策を仕切っていたのは、日本にとって最大の不幸であった。

ところが、「われらの敬愛するマッカーサー元帥」と、おおかたの日本人は讃えたんだから、お人好しにもほどがある。無知、バカ、といってもいいけど。真相が分かってからの、日本人の失望と絶望は大きかった。それでも、いまだにマッカーサーを信奉する気持ちが抜けきらないでいる人もいるらしい。

特に憲法学者の中には、せっかくマッカーサー様がつくって下さった「平和憲法」だから、絶対に守るべきであるとの僻見に捉われたままの人がいる。GHQが推進した左傾化により、日本の教育は大きく歪められ、日本人として生まれたことを恥ずかしいと思う亡国的な反日日本人を、せっせと育てて来た。つづく(柴田)


●FAXのために固定電話(IP電話)を残しています。/負けちゃったんだもん。

/「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかります」続き。それを、真実と言い切るには、統計と要素の検討が必要かと。そのおしゃべりな委員長さんがいても時間がかかるわけで、もし女性がいなくても時間かかるのではないでしょうか。

校長先生とか、何かの長とか、めっちゃトーク長いですやん。貧血で倒れたことあります!

会議で、「まだ終わらないのかな」と思いながら、発言しなかったことはあります。詳しい人が別にいるから出番なしって時に。

忖度してまったくしゃべらない女性陣もいたりするし。和ませるための会話をしてくれるありがたい人は男女問わずいるし。まぁ理事会に参加するだけのパワフルな女性なら、チャンスがあれば発言してくれるはず。

が、だからって長くなると思っちゃうのは、その人たちの発言は不要と思っている=決定事項が既にある、なんじゃないかなと勘ぐってしまいますわ。続く。(hammer.mule)