[5205] ゲッターロボを思い出す/ボーナスについて考える

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《腕がドリル!!!》

■わが逃走[278]
 ゲッターロボを思い出すの巻
 斎藤 浩

■crossroads[103]
 ボーナスについて考える
 若林健一




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■わが逃走[278]
ゲッターロボを思い出すの巻

斎藤 浩
https://bn.dgcr.com/archives/20210408110200.html

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感染拡大に対するエライ人のコメントが「想定外です」だったことに驚いたが、改めて考えてみると周囲はみんなイエスマンなわけだから、ウソはついてないのかもと思い直し、やりきれない気持ちになった。

そんなときは現実逃避に限る。久々にアマゾンナントカビデオのリストを見てみると、なんと「ゲッターロボ」があるではないか!

「ゲッターロボ」は私が幼稚園に入るか入らないかの頃、大好きだった番組だ。当時はまだアニメという言葉はなく、テレビ漫画と呼称していた。

原作は「マジンガーZ」と同じく永井豪だが、幼稚園児にそんなことは知る由もない。

マジンガーZは(アシュラ男爵が)コワかったのでテレビから離れて見ていたけど、ゲッターロボは明快なキャラクターとメカの魅力で、テレビにかじりついて見ていた。

ゲッターロボは合体メカの始祖的存在で、3機のゲットマシンと呼ばれる飛行機・イーグル号、ジャガー号、ベアー号の組み合わせにより、特徴の異なる3種のロボット・ゲッター1、ゲッター2、ゲッター3に「チェンジ」する。

この変形・合体がものすごくおおらかなのだ!

変形・合体というよりも、モーフィングに近い。飛行機が膨れ上がり、どう見ても格納されているはずのない腕や脚が生えてくる。

しかし、当時はみんな「そういうもの」として捉えていたので、まったく問題はない。変形合体の矛盾点を突かないことこそ、テレビ漫画を見るときの作法だということを、こどもはみんな知っていたのだ。

この作法は「ターミネーター2」の液体金属ロボットという設定が現れるまで、綿々と受け継がれていったはずだ(「コン・バトラーV」や「バルキリー」についても語りたいが、それはまたの機会に)。

そしてこのゲッターロボ、それぞれの得意技はもちろん、どの機体がどの部分を担っているのかが伝わるなど、記号性を伴うデザインが実に魅力的だったのだ。

イーグル(赤)、ジャガー(青)、ベアー(黄)には、それぞれ熱血漢、ニヒルなやつ、デブの3人が乗る。
ゲッター1、ゲッター2、ゲッター3にも、そのキャラクターが投影されるというわかりやすさ。

ゲッター1(頭部がイーグル、腹部がジャガー、下半身がベアー)は、熱血漢の主人公・リョウが操縦するヒーロー然としたロボで、わりとどうでもよかったのだが、ゲッター2(頭部がジャガー、腹部がベアー、下半身がイーグル)が、とにかくカッコいいのだ。

ニヒルなやつ・ハヤトが操縦するゲッター2は、シュッとしたプロポーションで、サイボーグに例えれば002、科学の忍者に例えればコンドルのジョー的存在で、空でも飛びそうな印象にもかかわらず専門ジャンルは地中。

腕がドリルなのだ。
腕がドリル!!!
このカッコよさはどうだ!
もう一度言う、腕がドリル!!!

スマートなプロポーションと、地中専門という地味さのギャップ。空を飛ぶように穴を掘って進むゲッター2に、幼稚園児の私は惚れ込んだのだった。

不二家パラソルチョコレートを見たら、ゲッター2のドリルを思い出すほど好きだった。

そして迫力あるゲッター3(頭部がベアー、腹部がイーグル、下半身がジャガー)!! 柔道家・ムサシの力強さを印象づけるデザインは、おそらくガンタンクにも影響を与えたであろう。

特筆すべきはジャガー号の役割だ。飛行形態では3機のゲットマシン中、最もスマートで速そうに見えるシャガー号が、ゲッター3の下半身となるときには両脇からキャタピラが生えて全体が膨れ、巨大な上半身をがっつりと支える土台となるのだ。

まるで、F14トムキャットが超大型ブルドーザーに化けるかのような、変わり身っぷりなのである。この二面性に並々ならぬ魅力を感じたのだった。

80年代に入るとリアルな設定を求めすぎた結果、アニメのキャラクターデザイン(メカデザインを含む)から明快さが失われた時期があった。

『Zガンダム』などは、敵と味方のデザインが入り乱れ、ただでさえ難しい設定がよけいわかりにくくなったように思う。

キャラクターデザインとはストーリーを伝えるための記号なんだということを、ゲッターロボから改めて感じたのであった。

三つ子の魂百までというが、今でも一つの画面に相対する要素を同時に表示したがったり、ビジュアルと真逆のコピーを配置したがったりと、ゲッターロボから受けた影響は本業に活かされているといえよう。

美は対比と調和にあり。


【さいとう・ひろし】
saito@tongpoographics.jp
http://tongpoographics.jp/


1969年生まれ。小学生のときYMOの音楽に衝撃をうけ、音楽で彼らを超えられないと悟り、デザイナーをめざす。1999年tong-poo graphics設立。グラフィックデザイナーとして、地道に仕事を続けています。


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■crossroads[103]
ボーナスについて考える

若林健一
https://bn.dgcr.com/archives/20210408110100.html

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こんにちは、若林です。

4月になって、非常勤の仕事も始まりました。電車に乗っていると、新入社員らしきスーツ姿の若い人たちを見かけます。

まだまだ感染症の影響による暗いニュースが多い世の中で、数少ない明るさを感じる光景です。新しい生き方、働き方を作るのはこれからの若い人たちなので、ぜひ頑張って欲しいものです。

■就活の決め手は?

新入社員のみなさんが関係するのはもう少し先だと思いますが、今回はボーナス(賞与)のお話です。

就活の時に、志望する会社を決める時のひとつの条件として、ボーナスが良いかどうかというのがあると思います。でも、これからはボーナスが職業を決める上でのポイントにはなりません。ちなみに、Wikipediaによると、ボーナスについてこのように説明されています。

賞与(しょうよ)とは、定期給の労働者に対し定期給とは別に支払われる、特別な給料のことで、ボーナス(bonus)やお給金とも呼ばれる。欧米ではいわゆる特別配当・報奨金の類である。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B3%9E%E4%B8%8E


ボーナスって日本だけの制度かと思ったら、海外でもあるんですね。海外のボーナスがどんな性質のものかわからないのですが、ここでは日本のものについて述べていきます。

ボーナスというと特別にもらえるお金、ご褒美的な意味があるように感じます。確かにかつてはそうだったのかもしれませんが、現代ではちょっと違います。

今、企業で働いている多くの方は、ボーナスの支給を前提に生活設計を行っていると思います。もしボーナスが支給されないとなったら、ローンの支払いができなくなるとか、子どもの学費が支払えなくなるなどの影響が出てくる方も多いでしょう。

企業側としてもボーナスの支給を前提に、予算を組み人員配置を決めています。つまり、ボーナスは給料の一部であり、特別なお金ではなく、もちろんご褒美でもないんですね。

ボーナスが年収の一部ということは、本来月々支給される給料を減らして、その分をボーナスという形で支給しているということ。そんな風に私には見えています。

一般的に会社員の給料(月々受け取るお金)というのは、業績とか外的要因で変動することがありません。

これが会社員という働き方のメリットのひとつですが、逆に会社員であるがゆえの制限(会社の仕事以外の仕事ができない、決まった時間拘束される)とのバーターであるとも言えます。

しかし、ボーナスは業績や外的要因による影響を考慮して増減できます。もちろん、増える場合もありますが、安定した収入が得られるのがメリットの会社勤めにおいて、唯一収入が減る可能性があるわけですから、そうなると「ご褒美」ではありませんよね。

増額となった場合も、増額となった要因への自分自身の貢献度がわからないことが多い。特に大企業の場合は、担当している事業によって決まることが多いため、個人レベルの結果が反映されにくいのが実情です。

あんまり仕事してない人でも、儲かってる事業に所属しているというだけで、ボーナスが増えることがあるのです。

昨年来の感染症拡大の影響もあって、働き方が多様化し、会社を辞めて会社を起こしたり、個人事業主としての独立を志向する方が増えています。

しかし、ボーナスがなくなることに対する抵抗感から、家族の反対にあうことも多く、自分の思う働き方に転向できない要因のひとつにもなっています。

繰り返しますが、ボーナスは年収の一部でありご褒美でもなんでもないので、年収レベルで問題なければ、ボーナスがないことはデメリットでもなんでもないのです。

ボーナスという制度は会社員(およびその家族)の収入に対する感覚を狂わせるものなので、廃止してしまえばいいのに、と私は考えています。実際、ボーナスとしてもらうよりも、その分を月々の給料に振りわけてもらった方がメリット大きいはずです。

新入社員のみなさんも、何年か経てば自分の働き方を見直すタイミングがくると思います、その時のひとつの視点になれば幸いです。


【若林健一 / kwaka1208】
https://crssrds.jp/aboutme/


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編集後記(04/08)

●偏屈BOOK案内:藤原正彦「我が人生の応援歌 日本人の情緒を育んだ名曲たち」小学館新書 2020
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1954年公開、高峰秀子主演の「二十四の瞳」はVHSで、DVDで、何度も見て何度も涙したものだ。もちろん、一人でこっそり見るに限る。

「この映画の最大の特徴は、全編にわたって、唱歌『仰げば尊し』が使われているところだろう。特にクライマックスといえる卒業式のシーンで、この歌を合唱する。

一番はまだ平気だ。しかし二番になると私はこらえきれなくなる。〈身を立て 名をあげ〜〉のところに差し掛かり、〈みぃをぉー〉……と音が高くなるに引きずられ、感情も高ぶってくる。と同時に、決まって声が出しにくくなる。

この卒業式の場面で、ガキ大将の私は子分どもに涙を見せては、と我慢していたが、どうしようもなかった。こっそり周りを見ると、誰もが涙を拭っていた。先生も泣いていた。この場面で涙を流さない者がいたとしたら、よほど感受性が鈍いか、非国民だ。」

わはは、非国民ときたよ。わたしは「おもえばいととし このとしつき」を、「おもえばいくとし このとしつき」だと思いこんでいた。ピアノ教師の妻に聞いたら、同じことを言う。ところが、正しくは「思えば いと疾し」であった。たいそう早い、という意味である。

筆者がそういう意味だとわかったのは、古文を習い始めてからだ。「やよ」という呼びかけの感嘆詞など、それまで耳にしたこともなかった。「仰げば尊し」で生まれて初めて本格的に味わったのだった。

今の卒業式では「仰げば尊し」は、「内容が古い」「文語が難しい」などの理由で、全国各地の学校の卒業式からは排除されているようだ。

〈仰げば尊し我が師の恩〉がダメ。先生を仰ぎ見る=尊敬を強要している、それを生徒に歌わせるのはおかしいというバカバカしい理屈もあるらしい。長幼の序を学校で教えなくて、どこで教えるのか。

また〈身を立て 名を上げ〜〉は、立身出世を強いていて、民主主義的でないという。大成することがなぜいけないのか。世間では子供に「夢を持て」と言うではないか。

文語が難しい、という意見はどうか。それはいえる。文語体は古文を習わないとわからない。わたしたち老人は、子供の頃、意味も正確には分からないまま歌っていて、終わると何かをなしとげたようないい気分であった(はずだ)。

「意味も分からず覚える。そして後になって意味が分かる。これでよい。文語入門として〈仰げば尊し〉は絶好の教材なのである」

「泣かなくなった女子大の卒業式で、ある時、ひとりさめざめと泣く学生がいた。見ると面識のあるアメリカ人留学生だった。博士課程で国文学を学んでいた学生だった。きっと、立派な博士論文を書いたに違いない、と思った」この本の末尾、うまい締めであった。

では、いま卒業式で何が歌われているのか。「billboard-japan」によれば、旅立ちの日に、巣立ちの歌、門出の歌、ビリーヴ、未来へのマイルストーン、これがベスト5だった。J-POPっての? 一つも知らない。

また「二十四の瞳」を見ようと川口市の図書館で検索したら、まさかのVHSだった。衝撃というべきか。戸田市にはDVDがあったから、即入手した。いつ見ようか、楽しみである。

この本に掲載されている名曲の詞で素敵なのは、すみれの花咲く頃、春の唄、さくら貝の歌、湖畔の宿、誰か故郷を想わざる、長崎の鐘、暁に祈る、赤蜻蛉、津軽のふるさと、荒城の月、君恋しなどだ。旧人類のセレクトか。

筆者はもともとは音痴だったが、長年歌い続けた結果、極端にうまくなった、という。泣く子も黙るほどの美声になった、という。この人は自慢が多い。わざとだと思うが。

「私は本書に集められた、私を造った歌が、読者一人一人を造った歌でもあることを願っている。一人一人がそんな歌を歌い、自らの人生の軌跡をたどることにより、山あり谷ありながら、振り返ればなかなかよい人生だった、と感じていただければうれしい」

短歌は五七五七七、俳句は五七五、日本人は古来、五七調、七語調を好んできた。数学的にいうと、5と7は素数である。素数とは自分自身と1以外に約数のない数字のことだ。数学敗北者のわたしでさえ知っている。

俳句の文字数を足すと5+7+5=17、短歌は5+7+5+7+7=31、両方とも素数である。つまり日本人のリズムは「素数」で成り立っているのだ。この大発見は筆者しか唱えていないが。(柴田)


●マンガ『9番目のムサシ』続き。ピッコマの説明には「人類を破滅の淵から救う“闇の国連”UBと、ムサシの活躍を描く美由紀スーパー・アクションの決定版!!」とあった。

第一話は、ある女子高生が銃や爆弾を使うような人たちに命を狙われる。主人公は彼女を守る転入生で、そのUBのメンバー。狙われた理由は、転入生は実は……という話。

スケールの大きな話なのに、視点は身近で、異世界無双みたいなところがあって、でもちゃんと少女マンガ。まだ少ししか読んでないけど、面白いわ。

有名な俳優さんが主演すると、超ネタバレになって1話は面白くなくなっちゃうし、短編もあるので、膨らます必要があるけど、動いているところ見てみたいなぁって。

あり得ないから、すっきりするというか……主人公がかっこいい〜! 主人公なのに、その人目線や気持ちの表現はほぼないんだけど。(hammer.mule)

高橋美由紀公式サイト
https://t-miyuki.jp/


『9番目のムサシ』ピッコマ
https://piccoma.com/web/product/2851


https://ja.wikipedia.org/wiki/高橋美由紀(漫画家)

デビュー時の連載は「週刊少年マガジン」だったのか〜
『9番目のムサシ』はシリーズ化して今も連載中なのね