[2263] 霧が流れる波止場の夜

投稿:  著者:  読了時間:20分(本文:約9,500文字)


<どんなに訳わかんない内容でも、大切にしておく>

■映画と夜と音楽と…[343]
 霧が流れる波止場の夜
 十河 進

■うちゅうじん通信[5]
 秘伝、瞑想と読書と技法とコンセプト作り。
 高橋里季

■デジクリトーク
 「ヨウコちゃん」
 服部幸平


■映画と夜と音楽と…[343]
霧が流れる波止場の夜

十河 進
< http://bn.dgcr.com/archives/20070831140300.html >
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●浅草のマルベル堂で撮影したプロマイド

先日、新宿ゴールデン街の「深夜+1」で呑んでいたら島根からきたという年輩の人と会った。おそらく団塊世代であろう彼は、西田佐知子のプロマイドを取り出し「浅草のマルベル堂へいって買ってきた」という。西田佐知子は関口宏と結婚して引退したはずだから、もう何十年も見てはいないが、熱烈なファンはいるものだと感心した。

もっとも僕が強く反応したのは「浅草マルベル堂のプロマイド」である。そのプロマイドを見た途端、僕は二十数年前にマルベル堂を取材したことを思い出したのだ。その頃、僕はカメラ雑誌の編集部にいて、毎号八ページの体験取材レポートを担当していた。

水中写真、料理写真、海洋写真、スポーツ写真などを実際に体験するのである。そのシリーズで「浅草マルベル堂でプロマイド撮影を体験する」という回があった。相棒はカメラマンの加藤孝である。僕が体験しているシーンを加藤クンが撮影し、それを誌上で吹き出しなどを入れながら展開する。

浅草マルベル堂のお店は、浅草の仲見世にある。狭いスペースにプロマイドが数限りなく貼られている。昔、歌手や映画スターの人気度は、マルベル堂のプロマイドの売上で計られたものだった。売上ベストテンが明星や平凡といった芸能誌に掲載されていた。

僕が取材したのは撮影スタジオの方だ。店から少し離れたところにあり、スタジオと暗室があった。スタジオといってもそんなに広くない。バック紙があり、その前でポートレートが撮影できればいいのだ。そのスタジオに多くの人気スターがやってきたことに思いを馳せ、僕は感慨に耽った。

マルベル堂の取材で印象に残ったのは、5×7インチサイズというカメラである。妙に縦長の比率でポートレートには向いているが、あまり一般的ではない。いわゆるブローニーサイズのフィルムを使うなら、6×6とか6×7インチサイズがよく使われる。6×6サイズはハッセルブラッドで有名だ。

さて、マルベル堂取材の最後は、僕自身がモデルになってプロマイドを撮ってもらうことだった。マルベル堂の人が「どんなポーズでいきますか」と言う。僕は撮ってもらうなら絶対コレだと決めていた要望を口にした。

──マドロス・スタイルでいきたんですが…、できれば赤木圭一郎風に。

途端に加藤孝が笑い出した。マルベル堂の人も声はあげなかったが、確かに笑った。僕は少しムッとしたが、笑われるのは仕方ないなと諦めていた。

だが、マルベル堂のプロマイドなら、波止場で船を係留するロープを巻き付ける鉄のキノコのようなもの(名前を知らないのだ)に片足を乗せ、その膝に肘をのせて拳であごを支えるポーズしかない。衣装はもちろん派手な横縞のマドロスシャツに船員帽だ。日活スターはもちろん、美空ひばりだって得意のポーズだった。

●船員は昭和三十年代の粋なスタイルだった

瀬戸内の港町に育った僕にとって、霧笛はなじみの深いものだった。霧が深い夜は、ボォーと長く伸びる霧笛の音が街中に響いた。物悲しさが漂った。それは霧で前方がよく見えないために、船が自分の所在を知らせ注意を喚起するためのものなのではあるけれど、どこかロマンチックな響きだった。

昭和三十年代、船員もロマンチックな存在だった。「マドロス」という言葉は歌謡曲にもよく取り上げられたし、映画ではヒーローとして登場した。日活映画でマドロス役が多かったのは、赤木圭一郎だったという印象がある。たぶん「霧笛が俺を呼んでいる」(1960年)に出演しているからだろう。

今年の春、熊井啓監督が亡くなったときの新聞記事を見て、最初に僕が思いだしたのは「霧笛が俺を呼んでいる」だった。もちろん、その記事のどこにもそんなことは出ていない。1964年に「帝銀事件 死刑囚」で監督デビューし、社会派監督として活躍した…。もちろん、それで間違ってはいない。

しかし、僕にとっては熊井啓は「霧笛が俺を呼んでいる」の脚本担当者なのである。「地の群れ」(1969年)も僕には思い出の映画だが、監督になる以前、「霧笛が俺を呼んでいる」の脚本を書いていたことに僕は親しみを感じるのだ。

その脚本だって、実はパクリである。「夜霧よ今夜も有難う」(1967年)がハンフリー・ボガートの「カサブランカ」(1942年)の翻案であったように「霧笛が俺を呼んでるぜ」は「第三の男」(1949年)の翻案である。「第三の男」が公開されたのが昭和二十七年の秋、それから八年足らずのうちにパクってしまうのだからおおらかな時代だった。

霧がたちこめた波止場に船から男(赤木圭一郎)がひとり降りてくる。通りがかりのトラックを止めて「街まで乗せていってくれ」と言う。船員帽にピーコート、お定まりの船員バッグを肩にかけている。街に着いた男は昔なじみの親友(葉山良二)に会いにいくが、彼は死んだと聞かされる。

親友の恋人(芦川いづみ)と共に親友の死について調べ始めた男に刑事(西村晃)がつきまとう。刑事は親友が麻薬の密売をやっていたと告げるのだ。男は信じない。だが、やがて死んだはずの親友が生きているとわかってくる。

事件が解決した後、霧の波止場を男は親友の恋人と歩いている。「どこへいらっしゃるの」と聞く芦川いづみに「そうさなあ、霧笛にでも聞いてくれよ」と赤木圭一郎は答える。赤木圭一郎は、このとき二十歳だった。とても二十歳の青年とは思えない渋さがあった。

赤木圭一郎は1961年二月に二十一歳で死んだ。僕が初めて「霧笛が俺を呼んでいる」を見たときには、もう伝説のスターになっていた。その墓には花が絶えないと聞いた。映画を見て納得した。数年だけの俳優生活だったが、どの映画からも甘さの中にある「暗さ」のような魅力が伝わってきた。石原裕次郎や小林旭と違い、赤木圭一郎は陰のあるヒーローだった。

●対照的なふたつの映画のラストシーン

「第三の男」は有名な映画だから、公開当時「霧笛が俺を呼んでいる」を見た人たちはすぐに翻案だと気付いたと思うのだが、案外、小難しそうな洋画を見る観客層と日活映画の観客層は違っていたのかもしれない。「第三の男」はインテリが喜びそうな作品である。

「第三の男」は、ツィターという楽器を有名にした。タイトルバックはその楽器の弦のアップが映り、主題曲と共に弦が震える。その主題曲を弾いたアントン・カラスも一躍有名になった。最近ではエビスビールのコマーシャルで「第三の男」の主題曲が使われている。

舞台は戦後間もなくのウィーン。英米仏ソの四国が分割統治をしている。アメリカから友人のハリー・ライム(オーソン・ウェルズ)を訪ねてやってきた三文作家ホリー(ジョセフ・コットン)は、ハリーが死んだことを知らされるが、ハリーの愛人アンナ(アリダ・ヴァリ)を訪ねた夜にハリーを見かける。

やがてハリーが水増ししたペニシリンの横流しで大儲けし、当局に目をつけられたために替え玉を使って死を偽装したことが明らかになる。ホリーはハリーが横流ししたペニシリンで多くの人が死んだことを知って当局に協力し、ハリーを追いつめる。

「第三の男」には有名なシーンが多いけれど、極めつけはやはりラストシーンだろうか。これは原作を書いた(元々、映画用に書いたもの)グレアム・グリーンが前文に書いていることだが、ラストシーンについては映画の手柄であることを明言している。

原作では、語り手であるキャロウェイ少佐がホリー(原作ではロロ)とアンナが手を組んで去るのを目撃して終わっている。それを監督のキャロル・リードは変えてしまった。もちろん、だからこそ「第三の男」は深い余韻を残すのだ。

ハリー・ライムを埋葬し、ホリーはキャロウェイ少佐のジープに同乗して並木道になっている墓地の中央の道を送られ、心惹かれているアンナを追い越す。かなり追い越したところで、ホリーは「止めてほしい」と言って車を降り、並木に凭れてアンナを待つ。

遠くから歩いてくるアンナ、手前の並木に凭れてタバコを吸うホリーをカメラはずっとフィックスで捉える。しかし、アンナはホリーを見向きもせずに通り過ぎフレームアウトして映画は終わる。長い長いワンカットは映画史に残る名場面になった。

「霧笛が俺を呼んでいる」と「第三の男」を見比べて思うのは、ラストシーンの違いである。もちろん大衆娯楽作品のヒーローである赤木圭一郎がヒロインに無視されて終わるわけにはいかない。主人公に惹かれるヒロインはさりげなく慕情を口にし、ヒーローはそれを知りながらキザなセリフを吐かねばならないのだ。

後に社会派と呼ばれ、作品に徹底的に執着する監督になった熊井啓が、「第三の男」をベースにしたシナリオを書きながらラストシーンにこだわらなかったとは思えない。これは僕の単なる想像だが、会社上層部の指導が入ったのではないだろうか。

それでも、僕は「霧笛が俺を呼んでいる」のラストは好きだ。映画としては名作にはなり損なったが「どこへいくかって? そうさなあ、霧笛にでも聞いてくれよ」というセリフは、赤木圭一郎ファンなら誰でも知っているほど有名になった。

「霧笛が俺を呼んでいる」には、葉山良二の妹の役で少女の面影を残す吉永小百合が出演している。難病で入院している少女なのだが、いつもの吉永小百合の明るい優等生的(関川夏央さんは「級長のような」と形容していた)な演技を思い出すと何だか懐かしい。

あれから半世紀近くの時間が過ぎて、熊井啓監督が亡くなった。吉永小百合は、テレビコマーシャルや広告ポスターで、すっかり落ち着いた大人の女性の姿を見せている。赤木圭一郎の墓は、今でも花が絶えないのだろうか。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
先日、どうしても見たかった映画を追っかけて新宿文化ビルの小さなロードショー館で見ました。夏休み期間中とはいえ平日の午前中で、周囲はすべて女性。かなり年輩の人もいたが、若い女性が多かった。「嵐」の五人が主演だから、仕方ないかもしれませんね。

●305回までのコラムをまとめた二巻本「映画がなければ生きていけない1999-2002」「映画がなければ生きていけない2003-2006」が第25回日本冒険小説協会特別賞「最優秀映画コラム賞」を受賞しました。
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■うちゅうじん通信[5]
秘伝、瞑想と読書と技法とコンセプト作り。

高橋里季
< http://bn.dgcr.com/archives/20070831140200.html >
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暑いですね。イラストレーターの高橋里季です。

前号で書いた「集合の輪の図」の「タマシイ」っていう場所に「文化」は在る、ような気がします。身体と社会の間に。だから文化の話は、タマシイの話なの。
前号< http://bn.dgcr.com/archives/20070727140100.html >

この、身体と社会の間の領域っていう事が、難しいと思うの。個人と全体、具体と観念、いろんな問題を含む領域だものね。そうか、この場は「言葉の領域」とも言えるのかも。そういえば、言霊っていう考え方もある。

「私は、人間というシステムに絶望している」という立場と、「人間というシステムの絶望性を私は大切に考えている」という立場とか、表現の方向性が、多彩に枝別れする領域かもしれない。それでも、何千パターンの可能性の中から、私が選べる方法は、そんなに多くはないの。たとえば、絶望に絶望している私、って事になるほど私は自由ではないと思います。

今、私が考えている「人間というシステムの絶望性」というのは、たとえば、おいしい肉料理を食べながら、動物を殺す残虐行為や、人間同士が殺しあう可能性、食べ続けなければならない死の脅威、などなどを刻々と考えられるという事。こういう事って、神様のせい?

「絶望的」というのは、「仕方がない(逃れる方法がない)状態の事」だから、「有り難い方法」を探すのだ。私は、文化というのは、こういう事の為にある「有り難い方法」だと思っています。

簡単に洋服を選ぶ時でさえ、ヒトは、どんな行為が自分の属する社会では非難の対象になるのか、または、どんな批判なら、口に出して言ってもいいのか、また、どういう事なら社会的価値を認めてもらえるのか、などなど判断し続けている。これも、人の脳というシステムの絶望性だけれども。つまり、「予測する脳、可能性を何パターンも考える脳」なのだと思うの。さらに、予測不可能性の底知れない恐怖に耐えつつ予測するという事。この事は、「死ぬ事を知りつつ生きる」という絶望に集約できると思います。

なんてったって、客観的観念的には、死ぬ事はわかってるのに、自分の身体で死んだ事のある人は誰もいない。たぶん、死ぬのが怖いのではない。想像を絶するという事が怖いのだ。もしかしたら、死ぬって事は、ものすごく苦しくて怖くて痛いかもしれないじゃない?

さて、絶望あってこその文化、予め人間というシステムに組み込まれた絶望の中にあって、「絶望を破壊せよ!」というのは、神に背く行為だろうか? 瞑想の中にでてきた「破壊」という言葉を何とか大切にしながら、コンセプトを考えていきます。

----背いていいんだ。時間は、いつも私の背後から流れて来るんだもの。----

瞑想中に、---神様には背いていいのだ---とかいう、確信的ではあるけれど、根拠のない励ましを思い付いたのでした。瞑想中に考えた事は、「どんなに訳わかんない内容でも、大切にしておく」というのが、瞑想をうまく進めるコツだと思います。

そんな事で私は、自分の絵の中に「絶望(ありのままのヒトの宿命?)の破壊」が、あって良いのだ! と、やっと自信を持ったのでした。デフォルメという技法が、その破壊の印(しるし)になってるの。うん、うん、いいぞ。と思って、そんな事をコンセプトノートに書いた。なんとなく、神様は、ヒトが何を考えてても許してくれるような気がするの。

けれども、この時の私は、気分的には泣きたいような気持ちになっていました。「なんか、すごい難しいテーマだけど、デフォルメの仕方は、どうするの?」

実際、コンセプトがやっと固まってくると、「どう描くのか」という問題は、すさまじく難しくなっている。たぶん、私が、難しくしているの。なんだか、持っている技法の中ではこなせない「考え方」の方向に、技術を伸ばして行く訳なのね。

泣きたいような気持ちで、気ばらしに「時間が流れるメビウスの輪のブレスレット」というのを作ってみたわ。心細くて、お守りが欲しくなったのね。簡単にできるので、次号、「高橋里季の お守りメビウスの輪のブレスレットの作り方」につづく。

【たかはし・りき】イラストレーター。 riki@tc4.so-net.ne.jp
弓田純大写真展「SIDE-P」を見て来ました。オススメ。9月1日(土)まで。
< http://www.tosei-sha.jp/ >
最近、読んだ本。---講談社ブルーバックス「進化しすぎた脳」---面白かった。
・高橋里季ホームページ
< http://www007.upp.so-net.ne.jp/RIKI/ >

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■デジクリトーク
「ヨウコちゃん」

服部幸平
< http://bn.dgcr.com/archives/20070831140100.html >
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携帯電話に二年くらい前から間違い電話が掛かってきていた。変なオヤジの声(自分もオヤジだけど)。声の感じから50歳くらいだと思う。ある時期、集中して掛かってくるんだよね。

「もしもし……。もしもし……。もしもし……。もしもし……。」
プチ。ツー、ツー、ツー……。

ずっとこんな感じ。舌足らずで、何か妙に幼児っぽい声。「もしもし」と数回言って以後一分間ほど無言。そしてそのまま切れる。いつもこのパターン。最初は聞いていて虫酸(むしず)が走りました。

で、この声で用件五件とか入れる。ひとの携帯の簡易留守録のメモリ、全部使いヤガッテ、コノ。友達とかお客さんが吹き込めなくなるじゃんかっ。

と怒っていましたが。一年後くらい、思い出したかのように突然掛かって来て。しかしその日は違っていた。

〈用件1〉
「もしもし……。もしもし……。もしもし……。……。ヨウコちゃん、どうしたの? ヨウコちゃん、寂しいよ……」
プチ。ツー、ツー、ツー……。

誰だよ「ヨウコ」って?


〈用件2〉
「もしもし……。もしもし……。もしもし……。……。ヨウコちゃん、寂しいよぉ、ヨウコちゃん、寂しいよぉ……」
プチ。ツー、ツー、ツー・・・。

折り返しでこっちから電話掛けたいけど、いつも電話番号は「非通知設定」。やり方が情けないというか。汚いというか。

その時連続して掛かってきたので、急いで出てオヤジと初会話。

「あのね、あなた間違い電話してますよ! 全然関係ないトコへ掛けてんの! 聞いてます?!」

相手のオヤジ、いきなり電話を切って逃げました。
あ、ちくしょう。

翌日、マナーモードにしてる自分の携帯にかなりの留守電数がカウントされてました。もちろん相手はオヤジです。

「ヨウコちゃん、ヨウコちゃん!」の大連呼です。ヨウコの携帯に、いきなり「おとこ」が出たから不安と嫉妬に狂ったか?

しかしこの「ヨウコ」。もし確信犯で、最初から当てずっぽうの電話番号をオヤジに教えていたとしたら……。この日本でオマエの嘘の為に迷惑を被っている人間がココにいるんだぞ!(と怒りたくもなる)

そしてしばらく掛かって来なくて忘れていた去年の年末。来ました! オヤジからの「ヨウコちゃん」電話が。

オマエなぁ……。

こういう人間にはまともに会話しても、もう無駄です。なので「そういう人間用」の会話をする事にしました。

「もしもし……。もしもし……。もしもし……。……。ヨウコちゃん、寂し…」
「俺のオンナにちょっかい出すんじゃねぇ。てめえ殺すぞ!」

電話は急いで切れました。もちろん以後オヤジからの電話はありません。
やっぱり平和が一番ですね。

【はっとり・こうへい】イラストレーター
< http://www.ko-hei.jp/ >
頻繁な間違い電話で困ったことは、過去にも一度あります。こちらは固定電話でしたが。「もしもし、品川郵便局ですか?」というやつ。違うっていうのに……。しかも「え?! 違うんですか?」と、相手は妙に不愉快になっているのね。何でオレが怒られるのよ? どうも局内のどこかの番号とウチと番号が近い並びなんでしょう。相手が公共性のある施設なだけに、ある時期多く掛かって来て困りました。

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■編集後記(8/31)

・「世界陸上2007大阪」がおもしろい。じつにおもしろい。陸上競技のルールはわかりやすいからな。しかし、やかましい。じつにやかましい。なにごとが起きたのかと思わせる大絶叫にはうんざりさせられる。リアルな中継とは別に、絶叫バージョンもアフレコで作られていて、たびたび流されているように思うのだが、真相はどうなんだろう。おこちゃま言葉の千葉真子(アスリートキャスターだってさ)ら四人か五人、やかましく出てくるのがうっとうしい。そして、もっともうっとうしいのが織田裕二だ。ひとりではしゃぎまくっている。やたらハイテンションでしゃべり続ける。まともじゃない。普通こんな調子でずっとしゃべっている人物がいたらビョーキである。俳優としての織田裕二は悪くないと思うが、このキャスターぶりはいただけない。でも、もう6大会連続でこのはしゃぎ役をやっているようで、いったい誰が評価して起用を続けているのだろう。ひっこんでくれと思う視聴者のほうが多いのではないか。コンビのおかめ顔・中井美穂はまあいい。あまり織田に引きずられていない。もしかしたら、織田をバカにしているのかもしれないと思うときもある。だいたい、スポーツ中継番組にタレントキャスターが必要なのか。局アナでいいから、もっと淡々と進行してもらいたいものだ。すごいボディの女性がマイク持っているなと思ったのが、フィールドサポーターの小谷実可子だった。この人のレポートはなかなかいい。一番すてきだったのが、なんという人か知らないが街なかで関西弁まじりのレポートをしていたことだ。これぞ大阪の大イベントだ。日本と世界との差が半端じゃないのをまざまざと見せつけられる毎日。(柴田)

・世界陸上が徒歩圏内で開催されている。試験の課題があるので、積極的に行こうとは思わない。ワールドカップの時は二度も見に行ったのに。暑いわ、入場料が高いわ、記録は出ないわ、日本人選手の活躍はないわ、である。安い席では選手が豆粒程度にしか見えず、体験よりじっくり見られるTVの方が良いような気がしてしまう。そのTVもあんまり面白くなくてすぐに消しちゃう(編集長ごめんなさい)。陸上のことをあまり知らない人間向けに、競技の見どころ、歴史やら記録、参加選手の詳細を映像つきでいいから詳しく紹介してくれたらいいのにな。国際映像だから? でもオリンピックあたりだと、知らない競技でもどこを見ればいいのか、トップ選手のすばらしいところはどこなのか、どこがどう違うのかなど解説者が教えてくれて面白いよ。あ、トンデモレポーターのインタビューにこけそうになったりしたよ。どうせ空席だらけなら、席を開放して学生や子供らが積極的に世界レベルを感じられる場所にしてくれたらいいのに。とにかく私のまわりでは世界陸上は盛り上がってない。スポーツ好きの友人らも生観戦までは興味がないらしい。それにこっちでは、あんまり世界陸上の宣伝ってやっていないよ。ミナミに特設施設は作られていたけど閑古鳥。近くのショッピングブラザやファミレスには、多人種が入り乱れていて、おにぎり類を買って行かれたりするそう。観戦には興味がないが、非日常は見てみたいな。/陸上競技って体格が大きな要素を持つよね。階級は作らないのかしら。体重別、身長別で。競技人口が増えるかもしれないのにね。(hammer.mule)