デジアナ逆十字固め…[48]探検隊のドレイとなる
── 上原ゼンジ ──

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●「あやしい探検隊」のドレイ

はじめて「あやしい探検隊」のキャンプに連れていってもらったのは1983年、大学3年の時のことだ。別にオーディションがあったりしたわけではなく、本の雑誌の助っ人の中の一人として招集を受けた。以降、北は青森県大間岬から、南は石垣島まで、20回ぐらいドレイとして参加させてもらった。

初参加の際は椎名誠隊長以下、キムラ弁護士、沢野画伯、釜炊きメグロら東ケト会オリジナルメンバーがそろい、新潟の粟島まで遠征した。オジサン達に囲まれ、おどおどしながら、くっついて行った記憶がある。


集合は当時沢野さんが勤めていた絵本の出版社。ここにキャンプ道具が一式保管されていた。というか、ただ前回のキャンプの時の残がいが、段ボール箱に放り込まれているだけで、鍋釜食器類とともに、しけった蚊取り線香やら、干からびたカボチャの切れ端が発掘された。それをその出版社の新しい段ボールに詰め替え、ヒモを掛ける機械でグルグルと巻いて荷造りをした。

出版社は江戸川橋にあったのだが、そこから上野までは赤帽を使った。軽トラックの荷台に段ボール箱やリュックを載せ、一緒に人間も乗り込む。夜でしかも幌が付いているので、中は真っ暗。ドレイはどこに連れて行かれるのかも知らされていなかったので、荷台で揺られながら不安な思いをしていた。

上野から新潟までは夜行列車を使った。夜行を使ったのは、たぶんこの時が最後。さらにフェリーに乗り継ぎ、翌日の昼前に無事粟島に到着。いや、無事ではなかったかもしれない。ドレイどもが持っていた段ボール箱のヒモが緩み、内容物がはみ出したままズルズルと引きずっていたので、到着したころにはすでに、敗残兵のようになっていたからだ。

探検隊というと何か特別なものを想像されるかもしれないが、言ってみればただのオジサンたちのキャンプだ。最近はアウトドアグッズもいろんなものがあって、すごく便利になっているが、当時は本当にそこら辺にあるものを見繕って持っていった。

テントなんかもすごく進化して、軽くコンパクトになっているが、その時持っていったテントというのは、畳んでもサンドバッグぐらいの大きさにしかならないバカデカテントだった。米軍放出といった感じの10人用テントは、組み立てるとモンゴルのゲルのような形になった。

ここに手足の長いオジサン、歯ぎしりをするオジサン、イビキをかくオジサンたちが、絡まり合いながら寝た。しかし二日目、私は最後になってしまい、寝られるような隙間もなく呆然としていると、もう一人あぶれている人に気づいた。陰気な小安さんだ。

しばらくは二人で言葉を交わすこともなく、焚き火に木をくべていたのだが、蚊帳テントというのが立ててあったので、そこに寝ることにした。蚊帳テントというのは、我々が勝手に呼んでいただけであって、正式名称や使い途は分からない。四角いフレームの周りを、蚊帳のような薄くて透ける生地で囲んであるだけのものなので、雨が降れば水浸しになってしまう。訳の分からないものだが、テントではないはずだ。

蚊帳テントで寝始めてしばらくすると異変に気づいた。やたらと蚊が多いのだ。その時、ジャージの上下を着ていたのだが、露出している部分が蚊にさされてしまうため、足首や手はジャージを伸ばして隠し、頭や顔はタオルで覆った。

しかし、そのテントの中にいる蚊は尋常な数ではなさそうだった。一度入ると抜け出せない蚊取りテントのようなもので、我々は蚊をおびき寄せるためのエサだったようだ。タオルで覆った両耳からは、絶え間なく蚊の羽音が聞こえた。タオルやジャージの上から蚊たちが、一生懸命刺そうとしているのが分かった。この時初めて蚊にも重みがあることを知った。

たまに海外ニュースで、全身ミツバチに覆い尽くされたミツバチオジサンを見かけることがあるが、たぶんあんな感じで我々は蚊に覆われていたのだろう。皮膚を露出していないので、ダイレクトに刺されることはないのだが、とても寝られる状況ではない。

しばらくは真っ暗な中で、蚊に覆われている自分を想像しながら横たわっていたが、ついにガマンができなくなって蚊取りテントから抜け出した。すでに薪も底をついていたので、遠くまで木を探しに行き、フイゴで風を送って火を絶やさないようにしながら夜明けまで過ごした。

粟島中の蚊たちはすべて蚊取りテントの中に捕獲されたのか、その後は蚊に悩まされることはなかった。バカデカテントの中には、朝までヒューヒューというフイゴの音が聞こえていたそうな。

●初めての本作り

同じ年の秋、私は沢野ひとしさんの本の担当編集者になった。交換広告の担当をしていたので、写植の指定は多少できるというレベル。それまでは書籍の編集は椎名さんがしていたのだが、執筆のほうが忙しくなってきたので、私がやることになったのだ。今考えてみれば、よく学生に任せたものだと思う。

ある日、椎名さんから三つの段ボール箱に無造作に詰められた沢野さんのイラストを預けられた。沢野さんは厚手のトレーシングペーパーに絵を描くのだが、小さいものだと4センチ四方ぐらいしかないので、段ボール箱三箱分というのは、かなりの量なのだ。

私の任務はそれらのイラストを使って、本を一冊作り上げることだった。椎名さんは「オレも手伝うからな」と声を掛けてくれた。椎名さんがいなくなると、発行人の目黒さんがススッと寄ってきて、「椎名はああ言ってるけど、手伝ってくれないよ」と耳打ちし、どこかへ消えていった。長年椎名さんと付き合ってきた目黒さんからの的確なアドバイスだった。

決まっているのは判型と「沢野ひとしの片手間仕事」というタイトルだけ。当時「糸井重里全仕事」「仲畑貴志全仕事」といった「広告批評」の「全仕事」シリーズが話題になっていたので、それに対抗して付けられたタイトルだ。まだサラリーマンだった沢野さんが片手間に描いたイラストだったので、片手間仕事というタイトルが付いたというわけだ。

判型はA4変型だったのだが、その時点で私は困ってしまった。本の雑誌はA5判なので、それに合わせたレイアウト用紙しかない。A4の見開きでA3だから、最低B3ぐらいのレイアウト用紙が必要だ。たった一冊のためにレイアウト用紙を印刷することはできない。会社のコピー機はB4までだから使えない。悩んだ末に私は製図板とT定規を買ってきて、手書きのレイアウト用紙を作り上げた。

それから完成までには半年かかった。事務所の鍵を預かり、みんなが帰ったあと、一人沢野さんのイラストを作業台の上に広げ、手を動かした。同じ傾向のイラストを集めたり、自分の感覚でイラストの価値を判断してセレクトする。さらにそれを見開き単位でレイアウトして、ページ順を決めていく。段ボール箱の中の混沌とした状態に秩序を与え、少しずつ形にしていく作業というのが、すごく面白かった。

最近は編集の仕事はしていなかったが、自分の本を作るために写真を選んだり、順番を考えたりという編集作業があり、沢野さんの本を作っていた時の感覚が戻ってきて楽しかった。特にInDesignがあるのがありがたい。

トレスコ(※)もなく、手作りのレイアウト用紙にコピーしたイラストを貼り付けていた時代から考えれば、雲泥の差だ。あまりInDesign使いの編集者というのは聞かないけど、編集作業に使うとすごーく面白いツールだと思う。

※トレスコ=トレスコープの略。調べてみたらトレーシングスコープだの、トレーススコープだの諸説あるようだ。イラストや写真のアタリをとったり、紙焼きに使う機械。デザイン事務所や写植屋さんに置いてあった。

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