先日、日刊スポーツの印刷局でバイトしていたころの話を書いた。1981年当時はちょうど活版から電算写植への移行期で、活版と電算のページが混在していた。大型コンピュータのシステムがダウンすると、急遽活版で組むなんていうこともしていた。
同じ年に本の雑誌でもバイトを始めたが、こちらも当時は活版印刷だった。写真主体のビジュアル誌は、この頃すでにオフセット印刷だったが、小説誌や週刊誌などもみんな活版だった。
活版というのは、凸のハンコをググッと押しつける感じなので、紙の方も多少へこむ。活字のファンというのは、この押しつけた感じ好きなので、平版印刷で力強さのないオフセットに対しては、敵意をいだいていた。
同じ年に本の雑誌でもバイトを始めたが、こちらも当時は活版印刷だった。写真主体のビジュアル誌は、この頃すでにオフセット印刷だったが、小説誌や週刊誌などもみんな活版だった。
活版というのは、凸のハンコをググッと押しつける感じなので、紙の方も多少へこむ。活字のファンというのは、この押しつけた感じ好きなので、平版印刷で力強さのないオフセットに対しては、敵意をいだいていた。
字を読むことを生業とする校正のお姉さんも、「オフは目が疲れる」と言っていた。ただこれに関してはちょっと疑問を持っている。目が疲れたのはゲラの出力の仕方や紙質のせいじゃなかったのかなあ……。オフセットと活版で、本当に目の疲労度が違うものなのかは、定かではない。
目黒考二の「本の雑誌風雲録」(1985年刊)という本の担当もしたのだが、この時の装丁は平野甲賀さんだった。そしてカバーの印刷には凸版を指定された。凸版というのは凸版印刷株式会社のことじゃなくて、凸のハンコを使う印刷方式のこと。
平野さんは独特の描き文字を使った装丁で有名だが、描き文字で凸のハンコを作って印刷をするという指定だった。つまりカバーに凸版でググッと印刷することによって、力強さ、レトロっぽさを演出しようという意図だった。
しかし、これは印刷会社から断られてしまった。すでにこの頃、平野さんのリクエストに応えられるような印刷機が少なくなっていたということだ。仕方なくオフセットで印刷したのだが、しばらくすると他社から、平野さん装丁で、カバーを凸版で印刷したものが刊行された。
その本を印刷した会社では、カバーに凸版で刷る印刷機の手配がついたということだ。思い返すと今でも悔しいよ……。
平野甲賀さんは打ち合わせの時に、いろんな話をしてくれた。今でも覚えているのがヘラブナの話だ。内容は……忘れた。ただヘラブナとは何の関わりもなく生きてきた私に、一生懸命ヘラブナの話をしてくれたことだけは覚えている。
ちゃんと覚えているのは、「凝ってもいいけど、凝っていると分かるようじゃダメ」という話だ。たとえばデザインで言えば、パッと見て「凝ってますねえ」というのは、ダメだということ。凝っても構わないけど、それが見え見えにならないのが匠の技。
これは職人仕事には何にでも当てはめることができるんじゃないだろうか。ちょっと噛みしめてみて欲しい言葉だ。平野さんは、その仕事へのスタンスやスタイル、独特の風貌と物腰で、今でも私にとっての憧れの人だ。
●別人「群ようこ」ができたころ
初めて私が作った本は「沢野ひとしの片手間仕事」。そして、学生時代にあと二冊、「むははは日記」(椎名誠)と「午前零時の玄米パン」(群ようこ)という本を作った。
群ようこは当時、本の雑誌社唯一の社員で、経理から雑務までを一手に引き受けていた。編集作業はほとんどしていなかったが、不定期刊だった「本の雑誌」に連載をしていて。その原稿で一冊単行本を作ることになったのだ。
私が編集を担当する段階で、決まっていたのは小B6という判型のみ。それからしばらくは書店をまわり、どんな造本にしようかとイメージを膨らませた。当時ヒットしていた本には林真理子さんの「ルンルンを買っておうちに帰ろう」があった。奥村靫正さんデザインのかなりインパクトのある表紙だったが、これははっきり言って意識した。
群ようこは林さんと同じ日大芸術学部文芸学科の出身だったこと。また、群ようこがまだデビュー前の新人だったのに対し、林さんはすでに人気のエッセイストだったからだ。ただ本のイメージとしては「ルンルン……」のようにド派手で目立つのではなく、可愛くて目立つような本にしたいと思っていた。
そして書店めぐりをするうち出会ったのが、高峰秀子さんの「台所のオーケストラ」という本だ。この本のイメージで群ようこの本が作りたいと思った。どこが良かったのかと言えば「角背溝付きカバーなし」だったことだ。
「角背」というのはハードカバーの背の種類。通常、ハードカバーというのは、背が丸くなっている「丸背」というのが多い。「角背」というのは、たとえば絵本なんかがそうだ。ハードカバーの背が丸じゃなくて角っとしてるでしょ。アレ。
「溝」というのは、背と表紙の間の溝のこと。「カバーなし」というのは、まあ、カバーがないということですよ。そんな造本にすれば、可愛い本になるんじゃないだろうかと、考えたわけだ。
装丁は「本の雑誌」の創刊の頃からの読者でもあった多田進さんにお願いし、装画は柳生まち子さんにお願いした。本が完成すると、私のもくろみ通り、すごく可愛いものができあがった。しかし、後で取次の人から文句を言われてしまった。カバーがないから汚れるというのだ。
本を作って二冊目の私は、そんなことは全然考えていなかった。しかし、周りの人たちが誰も止めなかったのだから、当時の「本の雑誌」の人々は、誰もそんなことは考えていなかったということだ。
でも四半世紀近く経過した現在でも、別に「午前零時の玄米パン」は汚れちゃいない。カバーはかけていないが、PP(ポリプロピレン)加工がしてある。汚れるだの、何だの言ってデザインに制限かけちゃダメだよ。まあ、確かに造本によっては汚れやすかったり、痛みやすいものもあるので、そういうことは考えなければいけないが、「角背溝付きカバーなし」はそんなに悪いもんじゃない。
すごく可愛い本に仕上がったので、著者も気に入ってくれ、長い間文庫化せずにいてくれた。また、この本の著者近影は私が撮影した。初めて買った一眼レフカメラであるCONTAX RTSに、たった一本所有していた50mmのプラナーf1.4を付けて撮った。けっこう貴重な写真だから、ネガを捜索しておこうかな……。
※この頃の話は以下のような本にまとまっている。
本の雑誌風雲録/目黒考二(角川文庫)
別人「群ようこ」のできるまで/群ようこ(文春文庫)
新宿熱風どかどか団/椎名誠(新潮文庫)
【うえはらぜんじ】zenstudio@maminka.com
◇キッチュレンズ工房
< http://kitschlens.cocolog-nifty.com/blog/
>
目黒考二の「本の雑誌風雲録」(1985年刊)という本の担当もしたのだが、この時の装丁は平野甲賀さんだった。そしてカバーの印刷には凸版を指定された。凸版というのは凸版印刷株式会社のことじゃなくて、凸のハンコを使う印刷方式のこと。
平野さんは独特の描き文字を使った装丁で有名だが、描き文字で凸のハンコを作って印刷をするという指定だった。つまりカバーに凸版でググッと印刷することによって、力強さ、レトロっぽさを演出しようという意図だった。
しかし、これは印刷会社から断られてしまった。すでにこの頃、平野さんのリクエストに応えられるような印刷機が少なくなっていたということだ。仕方なくオフセットで印刷したのだが、しばらくすると他社から、平野さん装丁で、カバーを凸版で印刷したものが刊行された。
その本を印刷した会社では、カバーに凸版で刷る印刷機の手配がついたということだ。思い返すと今でも悔しいよ……。
平野甲賀さんは打ち合わせの時に、いろんな話をしてくれた。今でも覚えているのがヘラブナの話だ。内容は……忘れた。ただヘラブナとは何の関わりもなく生きてきた私に、一生懸命ヘラブナの話をしてくれたことだけは覚えている。
ちゃんと覚えているのは、「凝ってもいいけど、凝っていると分かるようじゃダメ」という話だ。たとえばデザインで言えば、パッと見て「凝ってますねえ」というのは、ダメだということ。凝っても構わないけど、それが見え見えにならないのが匠の技。
これは職人仕事には何にでも当てはめることができるんじゃないだろうか。ちょっと噛みしめてみて欲しい言葉だ。平野さんは、その仕事へのスタンスやスタイル、独特の風貌と物腰で、今でも私にとっての憧れの人だ。
●別人「群ようこ」ができたころ
初めて私が作った本は「沢野ひとしの片手間仕事」。そして、学生時代にあと二冊、「むははは日記」(椎名誠)と「午前零時の玄米パン」(群ようこ)という本を作った。
群ようこは当時、本の雑誌社唯一の社員で、経理から雑務までを一手に引き受けていた。編集作業はほとんどしていなかったが、不定期刊だった「本の雑誌」に連載をしていて。その原稿で一冊単行本を作ることになったのだ。
私が編集を担当する段階で、決まっていたのは小B6という判型のみ。それからしばらくは書店をまわり、どんな造本にしようかとイメージを膨らませた。当時ヒットしていた本には林真理子さんの「ルンルンを買っておうちに帰ろう」があった。奥村靫正さんデザインのかなりインパクトのある表紙だったが、これははっきり言って意識した。
群ようこは林さんと同じ日大芸術学部文芸学科の出身だったこと。また、群ようこがまだデビュー前の新人だったのに対し、林さんはすでに人気のエッセイストだったからだ。ただ本のイメージとしては「ルンルン……」のようにド派手で目立つのではなく、可愛くて目立つような本にしたいと思っていた。
そして書店めぐりをするうち出会ったのが、高峰秀子さんの「台所のオーケストラ」という本だ。この本のイメージで群ようこの本が作りたいと思った。どこが良かったのかと言えば「角背溝付きカバーなし」だったことだ。
「角背」というのはハードカバーの背の種類。通常、ハードカバーというのは、背が丸くなっている「丸背」というのが多い。「角背」というのは、たとえば絵本なんかがそうだ。ハードカバーの背が丸じゃなくて角っとしてるでしょ。アレ。
「溝」というのは、背と表紙の間の溝のこと。「カバーなし」というのは、まあ、カバーがないということですよ。そんな造本にすれば、可愛い本になるんじゃないだろうかと、考えたわけだ。
装丁は「本の雑誌」の創刊の頃からの読者でもあった多田進さんにお願いし、装画は柳生まち子さんにお願いした。本が完成すると、私のもくろみ通り、すごく可愛いものができあがった。しかし、後で取次の人から文句を言われてしまった。カバーがないから汚れるというのだ。
本を作って二冊目の私は、そんなことは全然考えていなかった。しかし、周りの人たちが誰も止めなかったのだから、当時の「本の雑誌」の人々は、誰もそんなことは考えていなかったということだ。
でも四半世紀近く経過した現在でも、別に「午前零時の玄米パン」は汚れちゃいない。カバーはかけていないが、PP(ポリプロピレン)加工がしてある。汚れるだの、何だの言ってデザインに制限かけちゃダメだよ。まあ、確かに造本によっては汚れやすかったり、痛みやすいものもあるので、そういうことは考えなければいけないが、「角背溝付きカバーなし」はそんなに悪いもんじゃない。
すごく可愛い本に仕上がったので、著者も気に入ってくれ、長い間文庫化せずにいてくれた。また、この本の著者近影は私が撮影した。初めて買った一眼レフカメラであるCONTAX RTSに、たった一本所有していた50mmのプラナーf1.4を付けて撮った。けっこう貴重な写真だから、ネガを捜索しておこうかな……。
※この頃の話は以下のような本にまとまっている。
本の雑誌風雲録/目黒考二(角川文庫)
別人「群ようこ」のできるまで/群ようこ(文春文庫)
新宿熱風どかどか団/椎名誠(新潮文庫)
【うえはらぜんじ】zenstudio@maminka.com
◇キッチュレンズ工房
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- デジカメでトイカメ!! キッチュレンズ工房 ~ピンホールに蛇腹、魚眼でレトロでアナログなデジタル写真を撮ろう!~
- 上原 ゼンジ
- 毎日コミュニケーションズ 2007-06-22
- 別人「群ようこ」のできるまで
- 群 ようこ
- 文藝春秋 1988-12
- おすすめ平均
- タイトル通り、人気エッセイストが独立するまでを綴った面白本です
- 面白かった!!
- 手元に1冊
- この本を片手に私も転職しました。
- 生活が溢れる本
- 本の雑誌風雲録 (1985年)
- 目黒 考二
- 本の雑誌社 1985-05