(前回から続く)
< https://bn.dgcr.com/archives/20090219140500.html
>
我々「東京の川を巡るエコツアー」のボートは、隅田川をさらに上流に向けて進みます。向かって左側に建っている、リバーサイド読売ビルが気になります。遠目には何の変哲もない四角いビルに見えたけれど、近づくと建物の真ん中がトンネル状の吹き抜けになっていました。これは単に見た目の奇抜さを狙って作られているわけではなく、川から風を通してヒートアイランド現象を緩和するためだということです。周辺の街を快適にするためのデザインなのです。
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我々「東京の川を巡るエコツアー」のボートは、隅田川をさらに上流に向けて進みます。向かって左側に建っている、リバーサイド読売ビルが気になります。遠目には何の変哲もない四角いビルに見えたけれど、近づくと建物の真ん中がトンネル状の吹き抜けになっていました。これは単に見た目の奇抜さを狙って作られているわけではなく、川から風を通してヒートアイランド現象を緩和するためだということです。周辺の街を快適にするためのデザインなのです。
隅田川の両岸は、「隅田川テラス」と呼ばれる遊歩道が整備されています。川に親しむためということですが、「新大橋」手前左側の遊歩道には、段ボールハウスやテントがずらっと並んでいる場所があります。堤防の内側なので、川からはよく見えるけど陸からは目につかない路上生活者の街といったところです。ここだけ密集していう訳は、上に走る高速道路。これが屋根になって雨を防げるかららしい。大潮や台風などで水位が上がると、遊歩道は水に浸かってしまうこともあるらしいのですが、大丈夫なのでしょうか。
さらに進んで両国橋をくぐった後、すぐ左側に神田川の河口があります。ここから神田川に入っていくと、最初の橋「柳橋」と「浅草橋」の間には、ずらりと屋形船が係留されていました。昔ながらの舟宿が集まっているエリアです。中でも古びて趣を感じる屋形船がありました。これは、現役で使われている都内唯一にして最古の木造屋形船だそうです。これからの季節には、花火大会や宴会など大活躍するのでしょう。
しばらく行くと「万世橋」に着きました。昭和5年に造られた石とコンクリートでできた橋です。貫禄ある親柱(橋の両側に設置される石柱)を持ち、橋の袂には船着場の跡など、昔の面影を今に伝える堂々とした橋です。右側には秋葉原電気街のビルが立ち並び、左側には有名な「肉の万世」本店がある場所。
橋をくぐると左側には、瓦造りのアーチが並ぶ「万世橋駅跡」が見えます。3年前までは、交通博物館として使われていた建物です。再開発で大きく変貌をとげる「アキバ」の近くにも、時が止まった場所がありました。
さらに進むと第二の目的地、お茶の水の「聖橋」が見えてきました。昭和2年に造られた、鉄筋コンクリート製の美しいアーチ橋です。神田川を挟んで湯島聖堂とニコライ堂という、ふたつの聖堂を結ぶ橋というのが名前の由来です。遠くから見ると上の直線と下のアーチ曲線に、左右に並ぶ小さなアーチがアクセントになって軽快な印象です。けれど、近づくにつれて大きなアーチが視界いっぱいに広がり、覆い被さってくるように感じます。それは、大きな口をあけたクジラに飲み込まれるみたいな迫力さえあります。陸上からは見えない橋の姿を堪能できて満足です。
この周辺は深い谷なので、両岸が切り立っています。その左右の対比もおもしろい。右側は木の枝は整えられていて、街中にある公園のようです。それもそのはず、区の公園課の管理だそうです。
ちょうど紅白の梅の花が咲いてキレイでした。それに対して、左側の線路下はまったく手入れされていません。木の枝も雑草も伸び放題でまるで廃墟。JRが管理しているようですが、足元は電車から見えないからこれで十分ということなのでしょうか。
「水道橋」の手前右側には、不思議な「入り口」があります。水面まで長く伸びた蔦が、入り口を隠しているので洞窟のようにも見えます。蔦をかき分けて中に入ると、前後に真っ暗な水路が続いています。
「お茶の水分水路」といって、洪水を防ぐために作られた川のバイパストンネルです。じっと見ていると、吸い込まれて東京の「体内」に取り込まれてしまいそうな、不思議な怖さを感じました。実際、流れが速いと吸い込まれて、出られなくなってしまうといいます。
「水道橋」の下では鯉の群れを発見。カラフルな錦鯉もいます。東京の川なんて、汚くて魚も棲めないという印象もあるかもしれません。現在は様々な努力で水質はずいぶん改善したそうです。そのための施設に「EM活性液プラント」があります。これは、EM菌と呼ばれる微生物の力を使って水質浄化を行なう仕組みです。EM菌を培養した「EM活性液」を、毎週10トンも川に流して浄化しているのだそうです。
普段は水も澄んでいて、魚もよく見えるということでした。しかし、実際は濁っていました。訳を聞くと、一週間程前に降った雨のせいなのだという。東京の下水は「合流式下水道」といって、雨と下水を同じ管で流すので、大雨が降ると未処理の下水がそのまま川に流れ込んでしまうのです。この仕組みを改善しない限り、根本的な解決はできないようです。
東京の川を巡るツアーも終了間近、後楽橋の脇に大きな黒い船が泊まっていました。これはゴミ運搬船だそうです。上からは、大きなダクトのようなものが降りています。一般家庭からの不燃ゴミが、この「三崎橋ごみ中継所」に集められて船に積まれ、羽田沖の処分場に運ばれます。一隻でトラック40台分のゴミを運ぶ運搬船が、毎日四往復しているそうです。同じ物をトラックで運ぶよりも、交通渋滞の緩和やCO2排出を減らす効果もあるので経済的。川はそんな使われ方もしているのかと感心しました。
左に曲がると、乗船した新三崎橋防災船着場が見えてきました。ちなみに、防災船着場とは、災害時に川を物資輸送経路として活用できるように東京都が整備している施設です。阪神大震災の時に、道路が思うように使えなくなった教訓が元になったということです。いざという時には、ここから支援物資を上げるそうです。
船着場でボートを降りると、東京の川を巡るツアーも終了。川から東京を見る体験は、たくさんの発見がありました。川の活用についても、水上バスや屋形船のようなレジャーだけでなく、家庭から出るゴミの運搬、災害時の物資運搬、ヒートアイランドの緩和のように、川は街の生活に重要な関わりを持っていることを知りました。
私たちは、知らないうちに川の恩恵にあずかっていたのです。これまでよりも少しだけ東京の川が身近になりました。
NPO法人あそんで学ぶ環境と科学倶楽部
< http://enjoy-eco.or.jp/
>
都心の水辺でエコツアー ブログ
< http://blog.canpan.info/eco-school/
>
神田川に架かる140の橋 聖橋
< http://kandagawa.kingtop.jp/kanda_132.html
>
●神田川編の写真ギャラリー
< http://www.dgcr.com/kiji/20090305/index.html
>
【いしはら・つよし】tsuyoshi@muddler.jp
・ウェブアナ http://www.muddler.jp/
旅の最後は、やっぱり美味しい食事が欠かせません。冷えた体を温めるために「火鍋」を食べました。3種類のスープはそれぞれに美味しい。3人とも夢中で食べたので、たっぷりあった肉と野菜はあっという間に空になりました。
「火鍋厨房 銀座 麒麟」< http://www.ginzatact.co.jp/hinabe/
>
さらに進んで両国橋をくぐった後、すぐ左側に神田川の河口があります。ここから神田川に入っていくと、最初の橋「柳橋」と「浅草橋」の間には、ずらりと屋形船が係留されていました。昔ながらの舟宿が集まっているエリアです。中でも古びて趣を感じる屋形船がありました。これは、現役で使われている都内唯一にして最古の木造屋形船だそうです。これからの季節には、花火大会や宴会など大活躍するのでしょう。
しばらく行くと「万世橋」に着きました。昭和5年に造られた石とコンクリートでできた橋です。貫禄ある親柱(橋の両側に設置される石柱)を持ち、橋の袂には船着場の跡など、昔の面影を今に伝える堂々とした橋です。右側には秋葉原電気街のビルが立ち並び、左側には有名な「肉の万世」本店がある場所。
橋をくぐると左側には、瓦造りのアーチが並ぶ「万世橋駅跡」が見えます。3年前までは、交通博物館として使われていた建物です。再開発で大きく変貌をとげる「アキバ」の近くにも、時が止まった場所がありました。
さらに進むと第二の目的地、お茶の水の「聖橋」が見えてきました。昭和2年に造られた、鉄筋コンクリート製の美しいアーチ橋です。神田川を挟んで湯島聖堂とニコライ堂という、ふたつの聖堂を結ぶ橋というのが名前の由来です。遠くから見ると上の直線と下のアーチ曲線に、左右に並ぶ小さなアーチがアクセントになって軽快な印象です。けれど、近づくにつれて大きなアーチが視界いっぱいに広がり、覆い被さってくるように感じます。それは、大きな口をあけたクジラに飲み込まれるみたいな迫力さえあります。陸上からは見えない橋の姿を堪能できて満足です。
この周辺は深い谷なので、両岸が切り立っています。その左右の対比もおもしろい。右側は木の枝は整えられていて、街中にある公園のようです。それもそのはず、区の公園課の管理だそうです。
ちょうど紅白の梅の花が咲いてキレイでした。それに対して、左側の線路下はまったく手入れされていません。木の枝も雑草も伸び放題でまるで廃墟。JRが管理しているようですが、足元は電車から見えないからこれで十分ということなのでしょうか。
「水道橋」の手前右側には、不思議な「入り口」があります。水面まで長く伸びた蔦が、入り口を隠しているので洞窟のようにも見えます。蔦をかき分けて中に入ると、前後に真っ暗な水路が続いています。
「お茶の水分水路」といって、洪水を防ぐために作られた川のバイパストンネルです。じっと見ていると、吸い込まれて東京の「体内」に取り込まれてしまいそうな、不思議な怖さを感じました。実際、流れが速いと吸い込まれて、出られなくなってしまうといいます。
「水道橋」の下では鯉の群れを発見。カラフルな錦鯉もいます。東京の川なんて、汚くて魚も棲めないという印象もあるかもしれません。現在は様々な努力で水質はずいぶん改善したそうです。そのための施設に「EM活性液プラント」があります。これは、EM菌と呼ばれる微生物の力を使って水質浄化を行なう仕組みです。EM菌を培養した「EM活性液」を、毎週10トンも川に流して浄化しているのだそうです。
普段は水も澄んでいて、魚もよく見えるということでした。しかし、実際は濁っていました。訳を聞くと、一週間程前に降った雨のせいなのだという。東京の下水は「合流式下水道」といって、雨と下水を同じ管で流すので、大雨が降ると未処理の下水がそのまま川に流れ込んでしまうのです。この仕組みを改善しない限り、根本的な解決はできないようです。
東京の川を巡るツアーも終了間近、後楽橋の脇に大きな黒い船が泊まっていました。これはゴミ運搬船だそうです。上からは、大きなダクトのようなものが降りています。一般家庭からの不燃ゴミが、この「三崎橋ごみ中継所」に集められて船に積まれ、羽田沖の処分場に運ばれます。一隻でトラック40台分のゴミを運ぶ運搬船が、毎日四往復しているそうです。同じ物をトラックで運ぶよりも、交通渋滞の緩和やCO2排出を減らす効果もあるので経済的。川はそんな使われ方もしているのかと感心しました。
左に曲がると、乗船した新三崎橋防災船着場が見えてきました。ちなみに、防災船着場とは、災害時に川を物資輸送経路として活用できるように東京都が整備している施設です。阪神大震災の時に、道路が思うように使えなくなった教訓が元になったということです。いざという時には、ここから支援物資を上げるそうです。
船着場でボートを降りると、東京の川を巡るツアーも終了。川から東京を見る体験は、たくさんの発見がありました。川の活用についても、水上バスや屋形船のようなレジャーだけでなく、家庭から出るゴミの運搬、災害時の物資運搬、ヒートアイランドの緩和のように、川は街の生活に重要な関わりを持っていることを知りました。
私たちは、知らないうちに川の恩恵にあずかっていたのです。これまでよりも少しだけ東京の川が身近になりました。
NPO法人あそんで学ぶ環境と科学倶楽部
< http://enjoy-eco.or.jp/
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都心の水辺でエコツアー ブログ
< http://blog.canpan.info/eco-school/
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神田川に架かる140の橋 聖橋
< http://kandagawa.kingtop.jp/kanda_132.html
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●神田川編の写真ギャラリー
< http://www.dgcr.com/kiji/20090305/index.html
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【いしはら・つよし】tsuyoshi@muddler.jp
・ウェブアナ http://www.muddler.jp/
旅の最後は、やっぱり美味しい食事が欠かせません。冷えた体を温めるために「火鍋」を食べました。3種類のスープはそれぞれに美味しい。3人とも夢中で食べたので、たっぷりあった肉と野菜はあっという間に空になりました。
「火鍋厨房 銀座 麒麟」< http://www.ginzatact.co.jp/hinabe/
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