アナログステージ[番外編]日に千両が舞い落ちる世界に魅了され──其の弐(前編)
── べちおサマンサ ──

投稿:  著者:


──「アレアレそこだよ、旦那さん、いいよう」と叫んでのけぞり、大きく息を吸う。声はだすんじゃねぇ、もらすんだ(さくらん:安野モヨコ)──

前回は、吉原遊郭の世界に染まるきっかけと、その周辺を綴りました。今回は、吉原遊郭で栄えた独自の文化を、ワタクシなりに解釈したものを纏めるか、遊郭の華と謂える、花魁を取り上げるかを迷った挙句、花魁の生き様について書き残すことにいたしました。

日に千両が舞い落ちる世界に魅了され──其の壱
< https://bn.dgcr.com/archives/20110701140100.html
>



●散る花があれば、舞う華もある

先に、吉原遊郭のに精通されているかたは、「なに野暮ったいことを書いているんだ」と嘲笑されるかもしれないが、ご存知ないかたに、この先を面白く読んでいただくためにも、遊女の呼称について少しご説明したします。また、読みかたが特殊なものもあるので、「(お節介)」つきで。

ひとことで「花魁」といっても、文献によって解釈が異なっていたり、読み進めていくうちに、「花魁って結局なに?」と混乱してしまうかもしれません。花魁という呼び方の、もともとの由来は、禿(かむろ:後述参照)が姉女郎のことを「おいらんちの姉ぇさん」と呼んでいたことからだ、と伝えられております。

ほかにも、遊女の最高位を「花魁(太夫)」と解釈しているところもありますが、遊女の呼び名は、その時代によって変わっており、江戸幕末頃には、遊女の殆どを花魁と呼ぶようになり、遊女=花魁という解釈をしているところもあります。妓楼では最高ランクの花魁のことを「お職」と呼び、ほかの花魁とは別に格付けをしておりました。

元吉原時代には、太夫・格子・端と三つのランクが引かれており、最高位である「太夫」と、その下にいる「格子」が、花魁というカテゴリに置かれておりました。明暦の大火後、新吉原に移ってからは、太夫・格子・散茶・局・切見世と五つのランクになり、「太夫」というランクが消滅してからは、中ランクであった散茶が最高位となり、昼三(ちゅうさん)・附回(つけまわし)・座敷持へと派生していった。

また、Wikipediaの「花魁」で記述されているように、呼出しという位が、本来、花魁と呼ばれていた説もありますが、ここでは混乱しないように、自分の部屋以外に、自分専用の座敷や、新造、禿の面倒をみていた上級遊女の総称を「花魁」と呼んでおります。

ほか、遊郭の呼びかたも、廓(くるわ)、傾城(けいせい)と多種あり、べつに傾城=太夫のことを指すケースもあったりして、どうにもこうにも、ややこしくなってしまう。ここでは吉原遊郭内のことは、廓で統一します。

余談になりますが、まだ太夫が存在していたころの吉原では、吉原遊郭で名実(?)ともトップに君臨していた太夫を、高尾太夫(各々の源氏名が付くのではなく、高尾という名前が世襲されてきた)と呼び、嶋原遊郭の吉野太夫とともに、遊郭のシンボル(遊女の憧れ)として存在しておりました。

ちなみに、数年前まで、狂い咲きの艶道を道中していた小梅太夫は、芸人であり、花魁とはまったく関係ないことはご周知のとおりでございます。

●禿から新造、そして遊女になるまで

幼いころに、身売りで吉原に売られた幼女は、妓楼(お店)に仕えるとともに、姉女郎である花魁に面倒をみられ、廓内のしきたりや芸を学ぶ10歳前後の子どもを禿と呼んだ。禿の諸説もいろいろとあるようなのですが、まだアソコに毛も生えていない、禿つるの子どもを当てた説が本当のところでしょう。

禿の中でも、「引込(ひつこみ)禿」という、将来の花魁を約束されたような禿もおり、引込禿は、茶道や華道、書道などの教養や、三味線、琴、和歌などを徹底して教え込まれ、エリートコースを歩むのです。

花魁に仕えながら、遊女としての自覚(というよりも、廓での生き方)を持ち、15歳くらいになると禿を卒業し、新造として本格的な遊女の道を歩み始めることになります。ここでも、振袖新造と留袖新造と分かれるのですが、客を取らずに花魁の元に仕え、新造出しを迎えるのが振袖新造と呼ばれます。

10歳以上で吉原に身売りされ、禿の経験をしてこなかったものは、留袖新造としてデビューし、振袖新造とは違い、客を取って妓楼に勤めるようになる。花魁としての道は遠く、引込禿のようなある意味、将来を約束された道とは違い、出世コースから外れてしまった遊女が殆どであった。

新造出しを終え、晴れて遊女としてデビューするまでの期間を「突出し」といい、この期間は、花魁のアシスタントを勤め、売れっ子の花魁であれば、「廻し(他のお客を同時に掛け持ちする)」は当たり前で、名代(ピンチヒッター)として、花魁の手助けをしたり、花魁が戻るまで酒宴を盛り上げて場繋ぎをしたりと、なかなか多忙の様子。

しかし、振袖新造は客を取ることができないので、当然、名代であろうが、客は新造とヤることはできない。新造だけではなく、一度決めた遊女以外に、他の見世で別の遊女と関係を持つことはご法度とされていた。ほか、遊郭には様々な暗黙のルールがあり、これを破った客は、とても怖ーい私刑が待っているのだ。

突出しが終わると、いよいよ一人前の遊女としてデビューを果たす。10歳のころから順当に廓生活をしていれば、当然(?)のことながら、まだ「男性」を知らない体。禿の頃から見慣れている光景とはいえ、いざ自分が「ソコ」で稼ぐようになる不安は計り知れないものがあったろう。

そんな不安を取り除くかのように、妓楼側は、遊郭のことをよく知り、馴染みも深い年配の上客を、初体験の相手として迎え入れておりました。

●手練手管という魔法

2007年に映画化もされた、安野モヨコ原作の漫画『さくらん』で、とても印象的に残っているシーンがある。映画でも、同様のシーンがあるのだが、「世で生きていく」ということを再認識させられた場面だ。

まだ禿のきよ葉(禿時代の源氏名は、とめき)が、姉女郎の粧ひに抱く嫉妬と、自分が遊女として生きていくことへの不安を隠し切れず、足ぬけ(遊郭から脱走すること)を繰り返していた。女郎として生きていくことを拒むきよ葉に、粧ひがきよ葉の心に入り込む。

「お前のような田舎ごぼうには無理。逆立ちしたって無理。花魁などもってのほか......」
「なにが無理じゃ、バカにするな! 粧ひなんぞ目ではないわ! 引込になって、新造から振りそで、花魁街道まっしぐらじゃ!」

無我で喋るきよ葉。自分が喋らされていたことにも気がつかないところで、粧ひはこう続ける......

「女郎はな、思ったとおりのことを、客に言わせることができるんじゃ。それを、手練手管と言うんじゃ」

粧ひの言葉に、自分の未来を見たのかは分からないが、現実社会でも同様に、上司や仲間、家族の一言で起点となる場面は多々ある。潜在しているもの、客が思うこと(して欲しいこと)など、洞察力にも長けていないと務まらなかったのだ。

花魁として華を咲かせている裏で、先述のように、禿や新造など、妹女郎の面倒をすべて見ていた花魁の出費は大変なものだった。いまの社会で例えると、ノルマ(歩合制)のようなスタイルだったため、客が付かなければ、妹女郎の面倒はもとより、自分の食生活すらままならないものがあった。

収入源は客の懐のみ。いかにして客に気持ちよく金を遣わせられるかが、遊女としての力量にもなっている。しかし、花魁だからといって、指を咥えてても連日大盛業! というこはなく、遊び終えた客を大門まで見送り、「時間が過ぎていくのは罪。もっとあなたと一緒に居たい...」と謂わんばかりに、名残惜しそうな態度をしたり、馴染みの客に手紙を出したりと、「繋ぎ」はマメにしていたようです。現在でもありますねぇ...... 

「えー、もう帰っちゃうの? 終電までまだあるしぃー......。また今度ゆっくり遊びにきてくれる? 約束だよ? あ、私の携番と携アド教えてあげる♪べちおさんだけだよ、誰にも内緒だよ♪」

「○○だけだよ...」といいつつ、同僚や部下も知っていたりするオチがあるんですけどね、アハハ...。でも、、シャツの裾をキュッと引っ張られながら、上目遣いでアヒル口で言われたら、ワタクシはノックアウト確定です。手練手管と分かりつつ、楽しく遊ぶ、それが粋ってもんだ。

◎あとがき

今回は、花魁の前編として、花魁(遊女)になるまでのことを綴りました。内容を纏めるにあたって、いろいろな文献を読んだり既出の漫画、映画などを見たりして思うのは、とにかく読み方や、その背景が微妙に違うところです。なにが正しいのか、どれが本当のことなのか、いまとなっては知る由もありませんが、どれも正しく、本当のことだったとおもいます。

外の世界とは別の、吉原独自の規律を守り、それを守って「遊ぶ」。そこに、どれが正しいことだったんだろう? と疑問に感じるのは野暮かなって。次回は、花魁としての生き様(本当はここがメインで書きたいところなんですけど)を綴ります。

【べちおサマンサ】pipelinehot@yokohama.email.ne.jp
< http://oiran.posterous.com/
> ←番外編コラムのアーカイブ
< http://bachio.posterous.com/
> ←本家
< http://twitter.com/bachiosamansa
> ←フォローしても役に立ちません

○このコラムの趣旨:中学生のころから、江戸時代の文化には興味は持っていた/吉原遊郭といっても、エロ要素はなし。エロ産業としての文化に魅了されたのではなく、「粋と張り」を信条にし、当時のファンションリーダー的な存在でもあった花魁(遊女たち)の生き様に魅了された/オイラは歴史に強いわけでもないので、識者の方が読んだら、オマエは何も分かってない! って怒られそうですけど、「ふーん、こんな見方もあるんだ」くらいでお願いします。