ところのほんとのところ[70]わからなくなりました
── 所幸則 Tokoro Yukinori ──

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先日[ところ]は原子力発電所から30キロ前後の場所にある浜辺に行ってきた。何かを撮りたいという気持ちで行ったわけではない。[ところ]の友人の実家が30.1キロの所にあり、友人が亡き母にいろいろな報告をするために墓へ行く車の、横に乗せてもらって行ったのである。

今まで災害といったものに縁がなく生きて来て、今回[ところ]史上最大の災害が近くで起こった。ドキュメンタリーや報道畑ではない[ところ]としては、みんなの邪魔にならない程度に行ける状況になって来ている今、マスコミやほかのメディアを通さずに、この足で現地に立ち、この目で見て、この鼻で匂いを記憶し、この耳で人々の声も聞きたかった。

[ところ]は写真を撮るために来たのではないので、予備のバッテリーも交換レンズも持っていない。そしてお墓参りをして目前の海を見ると、この写真のような光景が広がっていた。臨んだ海の右に見えるのは、神社と鳥居。亡くなった人や、なくなった物たちへの供養。あの津波にも負けなかったそうだ。


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朝焼けが見える海と空、振り返るとそこにあったはずの街はない。本当に何もない。そういった写真は誰もがたくさん見ているだろうと思い、自分の記憶として撮る程度に、少ししかシャッターを押さなかった。

現地で被災した人々と話した。中高年以上の人々は、素晴らしく強い絆で結ばれ、活気に溢れていると感じた。現地が実家の友人に聞くと、震災前はこんなにテンションが高く元気な人達ではなかったそうだ。そして、今までにはなかったイベントも毎週のように行われ、歌手やイベント系のアーティストたちが被災地の人々のためといってやってくるそうだ。

避難区域に親と共に住んでいる子供たちが、授業の時間になると30.1キロ地点の小学校の校庭に連れてこられ、校庭で体育をしているのをこの目でみた。この子供たちの健康を考えると、これが果たしていいことなのか複雑な思いがする。[ところ]は元気に無邪気に遊んでいる子どもを見て、何がベストなのか考えてもわからない。自分に何ができるのかもわからない。

団結して元気に暮らしている、老人中心のコミュニティができている。それを見る前までは、[ところ]は他の地域に移動したほうがいいとずっと思っていたけれど、高齢者が知らない土地で気のおけない友人を得るのも難しいと感じた。[ところ]にはどうすることが正しいのかわからなくなった。

素晴らしく美しい海、しかし誰も入ることはできない海。それでも地球は何も起きていないかのように朝と昼と夜とを繰り返していく。これからも地球は数百年、数千年と時が流れ、すべてが再生されていくのだろうか。

【ところ・ゆきのり】写真家
CHIAROSCUARO所幸則 < http://tokoroyukinori.seesaa.net/
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所幸則公式サイト  < http://tokoroyukinori.com/
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