ところのほんとのところ[74]東急東横ビルは[ところ]世界遺産
── 所幸則 Tokoro Yukinori ──

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[ところ]は2008年の元旦から渋谷の街を撮り始めた。夜明け前から渋谷をうろつきシャッターを切っていた。もともとスナップも風景も得意だった中学〜大学の頃の勘はすぐ戻ってきた。1982年から住んでいるのに、26年間は渋谷を撮らなかったということになる。今は2012年だから、撮り始めて4年目に入っている。

[ところ]は、大学の2年生の頃から人物の構成による作品が増え、気ずくと人物写真家になっていたが、2002年頃から少しずつ気持ちが変わっていった。2006年末に2007年世界フィギュアの6連ポスターを仕上げたときに、なんだか集大成のような気がしたことと、作品集「CHIAROSCURO天使に至る系譜」(美術出版社)を出したことが大きな要因だったと思う。特にこの本では[ところ]の半生を綴っているので、たぶん「生まれ変わりたかった」のだと思う。

2008年の前半に力を入れたのは、渋谷に住んでいる利点を生かしたスナップ写真だった。それも、夜明け直前から夜明け1時間ぐらいの写真ばかり。この写真は好評で連載の話も来たけれど、[ところ]の勘を信じて断った。それまでとは違う考え方の写真を追求した結果、たどり着いたのが「渋谷1セコンド」だった。

これは多くの人にすごく受け入れられた。日本でもヨーロッパでも、写真の世界で評価された。随分いろいろなメディアで紹介もされた。そういう実績が積み重なって行くうちに、渋谷・東地区まちづくり協議会とか渋谷区役所も展示の協力をしてくれるようになっていった。

[ところ]に東急建設株式会社の原和弘さんを紹介してくれたのは、ワイン仲間の建築家・西森陸雄くんだった。原さんからは、渋谷・東地区まちづくり協議会の代表幹事・小林幹育さんをご紹介いただいた。何がどう繋がるか、世の中予想もできない。




そして、2009年あたりから渋谷がどんどん変わって行く気配を感じ始めた。2008年から撮っていたが、あったものがなくなり、なかった所に新しいもの生まれるのを目のあたりにする。記録のつもりで撮っている意識などなかった[ところ]だったけれど、まぎれもなく記録の意味も持つようになっていったことが、いまさらながらに衝撃だった。写真とはもともと記録に使われることが主なる目的だったんだと、改めて気づかされた。

東急の人たちと話していると色々なことがわかってきた。[ところ]の大好きな東急東横のビルがなくなるということ。銀座線が地上3階から、地下に潜ること。東急東横線も地下に潜ってしまう。まったく違う渋谷に変わってしまうという。

それを聞いた時、渋谷がなくなってしまう前に、渋谷のあらゆる路線の駅ビルでもある東急東横百貨店の中や上から、渋谷の街を撮りたくなった。渋谷のランドスケープを撮っている「写真家所幸則」としては当然の感情だろう。

もう時間がない。渋谷を渋谷足らしめている根幹であるこの建物の中、もしくは外からの撮影ができないものか、原さんと小林さんに相談した。2か月後、お二人のお口添えもあり、2日間自由に撮影できる許可がもらえた。

屋上から、パイプを乗り越えて鉄柵から、テラスのような所から。もちろん恐怖感が伴う撮影もあったが、不思議な光景を捉えることができた。東急東横ビルの中に、銀座線が吸い込まれたり、JRが吸い込まれたりする光景は素晴らしかった。こうして、新たな「渋谷ワンセコンド」が撮れたので、必ず発表したいと思う。

[ところ]セレクトの[ところ]世界遺産ともいうべきこの建物は、もっといろいろな角度から撮りたいので、また相談しながら撮り方を考えたい。渋谷をちゃんと残したいのだ。

最後に告知!
発売中の「月刊CAPA」3月号の連載「スローフォト」パリ編、僕の写真感をコラムで書いています。

「日本の問題 Ver.311(収益全額寄付公演)」の最終日のアフタートークで[ところ]がゲストとして話すことになりました。是非足をお運びください。
< http://nipponnomondai.net/ver311/
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< http://stage.corich.jp/stage_detail.php?stage_main_id=26545
>

【ところ・ゆきのり】写真家
CHIAROSCUARO所幸則 < http://tokoroyukinori.seesaa.net/
>
所幸則公式サイト  < http://tokoroyukinori.com/
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