《「うーん」「こりゃ重いね」「かせきさいだね」》
■羽化の作法[62]
1997:段ボールハウス絵画、役者、そして神戸
武 盾一郎
■LIFE is 日々一歩(75)[ウェブ]
作図に役立つ、Adobe XD(1)
森 和恵
■エセー物語(エッセイ+超短編ストーリー)[21]
化石斎VS.地縛霊の話
スイングバイ
海音寺ジョー
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■羽化の作法[62]
1997:段ボールハウス絵画、役者、そして神戸
武 盾一郎
https://bn.dgcr.com/archives/20180529110300.html
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1997年の後半は車椅子にペインティングしたり、商店街の店のシャッターに絵を描いたり、「デザインフェスタ」でライブペインティングしたり、新宿梁山泊公演用に段ボールハウスペインティングをしたり、イベント的なペインティングがいくつもあった。
1997年11月15・16日、デザインフェスタでのライブペインティングの写真
また、コリーヌ・ブレの友人が主催するパーティに行くと、日比野克彦が来ていたり、コリーヌに黒田征太郎のオープニングパーティに連れて行って貰ったりと、いわゆる「有名人」と会うことも出来た。
しかしながら、うまく取り入って仲良くなって将来に繋げる、などという器用なことは何一つできなかったのだが。
日比野克彦さんとの初対面では、泥酔して「アートなんてギャラリーや美術館にはない! ストリートにある!(俺を見ろ!)」などと息巻いて喋っていたことだけが記憶にある。
新宿西口地下道にも相変わらず通っていた。1997年12月3日(水)制作ノートNo.12よりこの段ボールハウス絵画を描いていたことが分かった。
●『鳴神』に役者として参加
12月、オブスキュアギャラリーでは歌舞伎役者・中村しのぶさん主催主演『鳴神』の公演が開催された。僕も役者で参加している。キョージュこと関根正幸氏のテキストでもで触れられている。
Scenes Around Me[26]東京大学駒場寮の事(5)鳴神[1]/関根正幸
https://bn.dgcr.com/archives/20180424110100.html
Scenes Around Me[27]東京大学駒場寮の事(6)鳴神[2]/関根正幸
https://bn.dgcr.com/archives/20180522110100.html
キョージュが撮った写真が見つかったのでアップ。
関根正幸氏が撮った写真・1
関根正幸氏が撮った写真・2
舞台の美術と衣装はしのぶちゃんの友人で、イラストレータの「麻子ちゃん」が担当した。衣装は凝っていて、ずっしりと重かった。
みんなで舞台の飾りを作ったり、衣装を縫ったり、稽古をしたり、文化祭のような楽しさがあった。演劇には憧れがあったので、それをほんのちょっと体験できたのはありがたかった。
主人公はしのぶちゃん扮する「雲の絶間姫」、僕は「鳴神上人」の出来の悪い二人の弟子の片割れで、コミカルな役どころだった。みんな役者さんだったり舞踏家だったりと舞台の人だったので、足を引っ張らないようにと懸命だった。
鳴神のストーリーはこちら。
http://www.eonet.ne.jp/%7Ejawa/kabuki/enmoku/narukami.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B3%B4%E7%A5%9E
最後に鳴神上人が暴れて、弟子の首を絞めて投げ飛ばすのだが、怒り狂った表情の演技と僕の首を締める力のあんばいのギャップが印象的で、今でも首を絞める柔らかい手の圧力は覚えている。やっぱりそこは丁寧に気を使うのだ。
『鳴神』の打ち上げの写真
舞台が終わったらそのままオブスキュアギャラリーで打ち上げとなった。誰が撮影したのか覚えてないのだが、後日この打ち上げ写真に写ってる僕を見て、しのぶちゃんが大笑いしていたのを覚えている。ちなみに左の奥にはキョージュが写っている。
●三度目の神戸
これまでに二回ほど神戸に行った。一度目は1996年10月5日(土)〜7日(月)、占い館からのオファーで神戸に壁画を描いた。
羽化の作法[41]神戸占い館での製作と写真展への参加
https://bn.dgcr.com/archives/20170620110200.html
二度目は1997年10月4日(土)〜5日(日)、仮設住宅とテント村「しんげんち」を訪ねた。
羽化の作法[54]コリーヌと神戸行きのこと
https://bn.dgcr.com/archives/20180123110300.html
そして慌ただしく年末を過ごすのだが、その間にコリーヌにもちょくちょく会う機会があって、三度目の神戸行きが決まって行く。
コリーヌは、「僕のようなアーティストが被災地に行くべきだ」と強く主張していた。被災者たちが公園に自主的にコンテナを建て、テント村を作っている非公認避難所「しんげんち」で何かやってみよう、ということなのだ。
「なぜ神戸に行くのか?」「何しに神戸に行くのか?」「具体的な運営はどうなるのか?」「何かフォローしてくれるのか?」そういう最も基本的なことをまったく定めないで、「行ってみて僕が現場でなんとかする」というプロジェクトだった。
震災の年の95年に新宿西口地下道の段ボールハウスに絵を描き始めたのだが、震災に対しては何もして来なかった。そんな後ろめたさのようなものがあった。
だからと言って「復興アート」をやりたい訳ではなかった。被災地に行って、さも意味ありげな「アート」をやりたい訳でもなかった。
「ガチンコでぶつかってみたら何かが生まれるだろう」という方向しかなかった。そして「見知らぬ土地にポンと放り出されて何かやる」という方法は、当時の僕にとっては魅力的に感じられた。
1997年11月1日(土)の制作ノートNo.12にこう記している。
“僕は来年 神への戸をたたきに行く そして向こう側を感じとって行きたい”
(つづく)
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■LIFE is 日々一歩(75)[ウェブ]
作図に役立つ Adobe XD(1)
森 和恵
https://bn.dgcr.com/archives/20180529110200.html
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こんにちは! 森和恵です。暑い夏の日か、ジメジメと梅雨が続きますね。今回は、久しぶりの動画でウェブ学ぼう! の回です。Adobe XDについてのシリーズを始めます。
前回ご紹介したイベントの開催に向けて、連動企画としてお送りします。
【CSS Nite in Osaka, vol.45「All About XD」 w/YATのblog】
http://cssnite.jp/osaka/vol45/
早割りが明日までなので、ご検討中の方はぜひこの機会に。
わたしは、「Bootstrapありきで考えるXDでのページレイアウト」というセッションを担当します。こちらの連載でも、XDとBootstrapにつなげていきますのでお楽しみに。
●最近のXDとわたし
Adobe XDは、ウェブサイトやスマホアプリなどの画面設計を行うツールです。
https://www.adobe.com/jp/products/xd.html
レイアウトに長けたツールで、これまでのAdobeソフトの中だとIllustratorと操作感が似ていますね。
従来のAdobeソフトと設計方針が異なり、「速い・軽い・簡単」に作られているのが驚きです。
ということもあり、わたしもウェブデザインツールとして使い始めたのですが、結局、一番よく使っている機能が「作図」になっています。
というのも、インストラクターという仕事をしているため、講座のテキストを作る作業が多いのです。テキストでは操作手順や仕組みなど、とにかく図をたくさん作ります。
アートボードを50枚ぐらい並べ、たっぷりのスクリーンショットや図をおいても軽く動くXDは、手放せなくなってきました。
ということで、このコラムでは「作図にXDを使ったら、(Illustratorと比べて)楽に作業できるよ」ということを語ろうと思います。
●動画でウェブ学ぼう!「作図に役立つ、Adobe XD」
XDでパス操作を解説した動画をYoutubeにアップしました。
今回の操作のポイントは、下記の通りです。
※ツールの()は、ショートカットキーです。
・新規作成とXDの起動画面の構成
・アートボード(A)ツールとアートボードの作り方
・選択(V)ツール、長方形(R)ツール、楕円(E)ツール
・プロパティインスペクター
・パス(P)ツールとパス描画の基本操作
・パスの方向線の連動を外すには[option]([Alt])キー
・オープンパスは[ESC]キーで終わる
・写真を配置するとシェイプができる
●Adobe XDの基本情報
Adobe XDは、まだ歴史の浅いツールです。現時点で、解説書も発売されていません。(7月以降、たくさん出版されると聞いています。)
日頃の情報源としては、下記を押さえておくとバッチリです。
【Adobe XD勉強会(XD ユーザーグループ)】
https://www.facebook.com/groups/xdstudy/
【ほぼ毎月Adobe XD勉強会 - connpass】
https://xd-study.connpass.com/
※東京では、毎月、XDユーザーグループの勉強会が開催されています。
開催後、スライドや動画が公開されています。
【Adobe XD - ホーム】
https://www.facebook.com/AdobeXDJapan/
※公式のFacebookページです。
【Adobe XD Feedback : Feature Requests & Bugs】
https://adobexd.uservoice.com/
※XDは、毎月バージョンアップを繰り返し、進化しています。ここでは、ユーザーからの機能追加のリクエストを受け付けています。投票数が多いと、あなたのリクエストが実現するかも知れません。
……というわけで、今回はここまで。次回も引き続き、XDを使った作図について、便利な機能を紹介しますね。
そして、久しぶりにYoutubeライブ配信をします。6月7日夜10時半より「Bootstrapありきで考える、XDページレイアウト」でお話します。
チャンネル登録も、お待ちしております。
https://www.youtube.com/r360studio
ではまた、次回お目にかかりましょう!
(^^)
【森和恵 r360studio ウェブ系インストラクター】
r360studio@gmail.com
http://r360studio.com
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■エセー物語(エッセイ+超短編ストーリー)[21]
化石斎VS.地縛霊の話
スイングバイ
海音寺ジョー
https://bn.dgcr.com/archives/20180529110100.html
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◎化石斎VS.地縛霊の話
11年前、ぼくは東京の国分寺市というところでアルバイト生活をしていたのだが、正社員登用してもらって仕事が格段に忙しくなり、職場の近く東大和市に引っ越すことにした。
今回はその時の、引越しの話です。
勤務地近くの公社住宅が空き部屋に入居者募集していて、住んでた国分寺のアパート賃貸契約も更新の時期だったので、ちょうど良いタイミングだったのだ。
アルバイト時代の貯金は底をついていたのだが、「特定物件」というやつが一室あって、3年分の家賃が半額になるというお得プランで、それに飛びついた。
後で調べると、それはいわゆるいわく付き物件のことで、うっ、やべえとたじろいだ。しかし無神論者なので、まあいいか。安いし。と引越しを強行することにした。
公社住宅サイドの定義だと、「住宅の室内及び専用使用部分において死亡事故等が発生した住宅」が特定物件なのだ。
念のため電話で確認もとってみた。「あのー、ぼくビジュアル的なオドロオドロしさには耐性があるんですが脂汁、といいますか液濡れや屍臭には弱いんですが」「いやいや! 完全にクリーニングして、畳や襖(ふすま)も全部とっ換えてますから」と説得され、じゃあいいか、と契約に踏み切った。
引っ越し、近距離は赤帽が安いというセオリーに則り、地元の業者に頼んだ。「パック料金に収めるには微妙に多いですんで、少し荷を減らしといて下さい」と言われ、なら少しずつ自転車で移していくか、と引っ越し日までの10日間、チビチビ手荷物を運ぼうと企てた。
国分寺のアパート→東大和の職場→ちょっと過ぎれば新居、という位置関係だったので、遅番勤務が終わってから深夜、CDボックスなど小物を一つずつ持って行った。
内見で一度入ったことはあったのだが、その、昼間の時とは違って不気味だった。というか、人の気配があった。神も仏も死後の世界も信じてないつもりだったが、ちゃんと何かがいる気配があり、戦慄した。
俗に言う、この世に未練を残してたとか、突然に絶命しちゃって自分が死んだことに気付いてないとか、そういう果ての地縛霊か、と直感した。
無神論者を称し続けてたぼくも、その実感から逃れられず困ったなーと思った。職場の同僚に相談したら「憑りつかれるわ」「お祓いを有料でやってもらったら」と意見してくれた。
しかし、あくまでもケチな性分なので、お祓いに金を払うのなら、割引物件に住むメリットがないではないか、と強気に除霊策は却下した。
そして引越しの日。赤帽さんらがてきぱきと国分寺のアパートの荷物をトラックに移してくれた。
「うーん」
「こりゃ重いね」
「かせきさいだね」
引っ越しスタッフが口々に言った。荷のほとんどが本、ノート、雑誌などの紙類で、嵩の割に重い、ということらしい。かせきさいって何? と訊くと、トラックの積載量を越える重さを積むこと、つまり「過積載」のことだった。
すんませんすんません、使うか使わんかわからん資料ばっかりの荷ですんませんという気持ちで、トラックが出発するのを見送った。そして今後、海音寺ジョーじゃなくて海音寺化石斎と名乗ろうかな? と新ペンネームを構想した。(当時は漫画家になりたかった)
過積載の荷を新居に搬入してもらうと、どういうことか地縛霊の気配が引いた。
資料と称し図書館で廃棄扱いになった大量の雑誌、誰も読まないような一昔前のハードカバー、ブックオフの100円ワゴンで買いまくった文庫、漫画、新聞の切り抜き、ノート、ファイル、映画のチラシ、エロ本……俗念と雑念の凝り固まった大荷物が部屋の中央にドカ積みされたことで、生者の野放図なパワーが怨念を霧散させたのだろう。気配は薄まり、かすかすになっていった。
邪念って強いなあ、とつくづく思った。その後、霊障はなかったが2011年の東日本大震災の時、大型の文庫ラックが真ん中で二つにへし折れて、それらの蔵書が大散乱したので、借りを返されたのかもしれない。
いわく付き物件に住みし者たちが次々と不審死を……という怪談、定番だが今件に関しては、化石斎の辛勝だった。
海音寺化石斎というペンネーム、年とってから俳句をやる時に使おうかな?当時目論んでいたが、このエッセイを書くまで忘れていた。地縛霊のことも忘れていた。成仏して、次の世で幸せになってればいいな。
◎スイングバイ
特定物件……公社住宅でそう呼ばれているのは、変死や自殺者が出たいわくつき物件のことである。家賃が3年間半額になるというので、霊魂の類を信じない俺は即座に飛びついた。
三角の公園が隣にある、首都郊外の古い団地。無信心者の俺でも最初は慣れぬためビクビクしてたが、仕事は忙しいわ、帰ったら寝るだけの生活に追われ、恐怖は雲散していった。
そのうちに前入居者は元大学教授で、孤独死したらしい事を同棟のおばさんの話で断片的に知る。窓から見える公園の亀石を眺めながら、その孤独死した老教授のことに思いをはせる日もあった。
亀石には神通力があるとの噂があり、時々蜜柑などが供えられてるが、その謂れは新参の俺にはわからない。
2年ほどたったある日、終電で帰宅したら着信履歴の出ない電話に1件の留守電メッセージがあった。
「○○さん、私です△です、ご無沙汰してますう、わかりますか、△ですう」
老婆の声だ。たまにある間違い電話のひとつだ。でも俺には、何だかそれが、老教授の遠い遠い昔の恋人だった人の、痛切なメッセージのように思えたのだ。
△さんに届けと、俺はリビングのサッシを全開にし、遠目に見える公園の亀石に「あなたの声は、私が教授に代わり聞き届けました」と心の中で叫んだ。
【海音寺ジョー】
kareido111@gmail.com
ツイッターアカウント
kaionjijoe@
kareido1111@
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編集後記(05/29)
●西部邁「保守の遺言:JAP.COM衰滅の状況」を読んだ(2018/平凡社新書)。これが最後の著作と銘打ってから3冊目、本当の最後の本だ。筆者は23年前から自死への構えをとり、2年前に具体的な行動の細部まで固めていた。今年1月21日に決行。78歳。自殺幇助の容疑で逮捕者を出したのはなんとも……。
JAP.COMなる、著者らしからぬ下品な表題をつけたのはなぜか。大東亜戦争の敗北まではかろうじて残っていた日本民族の廉恥心・公平心・正中(的を射ていること)・勇心が殆ど消滅し、会社員の振る舞いよろしく、目先の利害に反応している日本人の現状は、軽薄めかした表題が似合っているからだ。
日本国憲法は「米定」のものであり、「欽定」でも「民定」でもない。それは日本国民の常識を変更することに狙いがあったのであり、さらには皇室の存在意義を薄めることを意図して作られたものだ。つまり、アメリカの意図によって作られた実験国家「ニッポン」の設計図なのだ。うむ、分りやすい説明だ。
いま「立憲主義」なる煤だらけの単語を世間に喧伝しようとする、いわゆる知識人が少なくない。つまり、大日本帝国憲法を復活させよと言っている、のではない。戦後、公法学そのものに無知なアメリカの若い軍人たちが拙速で作ったモノに過ぎない憲法を、後生大事に守り抜けというのが今風の立憲主義だ。
立憲主義を本気で言うなら「現憲法に重大な欠陥ありと判明すれば、できるだけ速やかに改正する」ということだ。ところが「立憲人」は、現行憲法を不滅の大典としている度しがたきサイボーグ、ロボットであって、まともな人間ではない。「立憲人」は「受け身の法匪」である。うむ、まったくその通りだ。
自衛隊という交戦可能な戦力は、文句なしに現憲法の9条2項に反している。その存在を93%も肯定しつつ、その条項の改正に70%が反対しているというような国民を、筆者は「統合失調症でないとしたら痴呆症を病んでいる。甘く見ても無思考の悪癖に染まっている」と厳しく断じる。「バカだ」とわたしも思う。
9条2項の「前項(侵略の禁止)の目的を達するため」という限定句が笑止千万だ。「侵略をしないでおくために非武装・不交戦」というのは、「日本人は大馬鹿なので侵略と自衛の区別がまったくできない」と「日本人は野蛮極まるので必ずや自衛を口実に侵略をやる」このいずれか、あるいは両方の意味しかない。そんな愚かなことを明文にして、国家の表玄関に掲げているのだから……。
恥ずかしい。国際社会にとっても迷惑である。といった悲憤慷慨があちこちに出ているが、これらは45年余間に著者が書き続けていたことで、この本はいわば「死者の眼に映る状況」論といえるかも。それはそれで読み応えがあるが、最後の本らしさが出ているのは、序文とあとがきだけである。 (柴田)
西部邁「保守の遺言:JAP.COM衰滅の状況」
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4582858724/dgcrcom-22/
●XD触ってみようっと。/「特定物件」……ぎゃー! うちも紙類ばかりだから、大丈夫ってことね! 自分の本じゃないことに気づいて成仏したか、本に夢中になってるとか。元の入居者さんがそういう人だからで、本に興味のない人だったら……。
/セイコーGGP続き。東京では、オリンピックのための工事で開催できないのかなぁと思ったが、そういや世界陸上も大阪だったなぁと。
陸上競技場には、日本陸上競技連盟(日本陸連)公認の第一種から第四種までの区分があって、日本選手権や国民体育大会など、日本陸連が主催する全国規模および国際的な大会ができるのは第一種。
第一種の条件はいろいろある。トラックとフィールドが全天候型舗装で、一周が400m、レーン数は8か9、跳躍場が6箇所以上など。夜間照明設備に天然芝、収容人数15,000人以上。第三種以上の補助競技場を設置(長居は補助も第一種)。
国際陸上競技連盟(IAAF)公認の競技場は、日本陸連とは別の区分けで、日本陸連の方が厳しいらしい。オリンピックや世界選手権などIAAF主催・管轄大会に必要なクラス1や、国際招待大会に必須のクラス2があるが、クラス1は新潟スタジアムと長居陸上競技場のみだったよ。
オリンピック後に大阪で、このレベルの国際大会開催はなくなったりして……。続く。 (hammer.mule)
陸上競技場
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%B8%E4%B8%8A%E7%AB%B6%E6%8A%80%E5%A0%B4
陸上競技場の国際規格と日本陸連の公認競技場の違い
http://www.ktjdragon.com/ktj/ktjs-blog/96784e0a7af662805834306e56fd969b898f683c306865e5672c96789023306e516c8a8d7af662805834306e90553044