歌舞伎「鳴神」を下敷きにした中村しのぶさんの芝居は、以下のような設定だったと記憶しています。
『ジャングル(?)の奥地で政府転覆を企む鳴神上人は、法力の源が禁欲生活にあったことから、鳴神上人を誘惑して法力を奪うため、上人の元に政府から美女が送り込まれる』
「鳴神」には4名の役者が登場しました。
政府から送り込まれる異装の美女を中村しのぶさん、鳴神上人の護衛をする2名の従者を武盾一郎さんと、陽くん(舞踏家の鶴山欣也さんの関係者か)、そして、鳴神上人役の名前は聞かずじまいでしたが、歌舞伎の養成所でのしのぶさんの知人ではないかと思います。
私は、2日間(もしかすると3日間だったかもしれません)の公演のうち、初日と最終日に行きました。
ただし、私は芝居の稽古にまったく立ち会わなかったという気まずさもあり、初日は会場のオブスキュアギャラリーには入らず、廊下で役者たちが出入りするのを見守ることにしました。
しばらくすると、アラビアンナイトに出てきそうな異国風の装束に身を包んだしのぶさんが二階から降りてきました。
しのぶさんは、楽屋としてギャラリーの真上の部屋を借りていました。
余談になりますが、公演終了後、楽屋がそのまま蟻天嶽の部室になりました。そして、私が「蟻天嶽」を「蟻天国」と間違えていたのは、その部屋の扉に大きく「蟻天国」と書かれていたからでした。
しのぶさんは私が会場の扉の外に居るのを見て、「キョージュは中に入らないの?」と話しかけてきました。
私は、開演時間に間に合わなかったので、今日は外で見守ることにした、と答えました。
すると、しのぶさんは、化粧が上手く出来たか確認して欲しいと言い、手にした蝋燭を顔の前にかざして左右に動かしました。
その時のしのぶさんを、私は一生忘れることはないと思います。
武さんは、しのぶさんを広末涼子のような女の子だと勘違いしたそうですが、私は、最初から女形と紹介されたため、しのぶさんのスッピンを歌舞伎役者らしいスッとした顔立ちだと思っていました。
ところが、その顔立ちの化粧映えすること。
まさに「化ける」という表現がふさわしく、白塗りの顔が蝋燭の赤い炎に照らされているのは、月並みな表現ですが、この世の者とは思えない美しさでした。
その時のしのぶさんは、私を堕とそうとしていたのかも知れません。
それは、私の自惚れではなく、目の前の私一人堕とせないようでは鳴神上人を籠絡する役に説得力はない、としのぶさんは考えたのではないでしょうか。
少なくとも私自身はそう感じたので、「美しさも芸のうち」と客観的に考え、美しさに魅了されるのを思いとどまりました。
いずれにしても、そういう風に心を動かされなければ、第3回で紹介した写真は撮らなかったと思います。

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しのぶさんがギャラリーの中に入ってからしばらくして、従者役の武さんと陽くんが外に出て来ました。
次の出番までしばらく時間があったのですが、二人は楽屋に戻らず廊下で待機していました。
それは、楽屋に引っ込んでしまうことで、次の入りのタイミングを逃すおそれがあったからなのか、私がその場にいたせいで彼らを引き止めてしまったのかは思い出せません。
12月下旬の廊下の気温は寮の外とほとんど変わらず、薄着の二人はその場にうずくまってガタガタ震えていました。
写真は、ギャラリーに入る武さんと陽くん。

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今回の写真は、つい最近撮影した、高円寺の銭湯の煙突に吊るされた鯉のぼりです。(2018年4月29日)

この日は、高円寺で大道芸フェスティバルがあり、駅前で行われた最後のセッションまで見物しました。
その後、新井薬師のギャラリーで知人が展示をやっていたことを思い出し、早稲田通りに出ようと高円寺をウロウロしているうちに、なみの湯という銭湯の前に出ました。
なみの湯は普段からライトアップしているのですが、この時はこどもの日が近かったこともあり、煙突から鯉のぼりを吊るしていました。
その時風が強く、鯉のぼりはたなびいていました。
日が落ちて、足元は暗くなり始めていましたこともあり、鯉のぼりがブレないようにシャッタースピードを上げるため、カメラのISOを高く、露出をアンダー気味に写真を撮り、後で露出を補正しました。
ちなみに新井薬師の展示は終了していました。
【せきね・まさゆき】
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1965年生まれ。非常勤で数学を教えるかたわら、中山道、庚申塔の様な自転車で移動中に気になったものや、ライブ、美術展、パフォーマンスなどの写真を雑多に撮影しています。記録魔