海浜通信[002]バイクで行く素潜りの日
── 池田芳弘 ──

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海が好き、ただそれだけの理由で、大阪市内から和歌山の漁港に移住した。

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紀伊半島中部にある、由良町の大引海岸に着いた。そこは和歌山におけるヨットでの初仕事で訪れた場所。



砂がほどほどに粗く、今は漁礁で隠れているが沖合いにぽつんと無人島がある。程よい広さの浜。

扇状の浜の漁港や集落と対になる側には、小さなダイビングショップがあり、山肌には日本初の太平洋単独横断を果たした堀江謙一さんも持つ、ログキャビンばかりの別荘地がある。漁師は朝日を、都会者は夕焼けを眺めたいのだろう。





当時は会員制のフィッシングクラブであった「シーサイド・アシカ荘」の、四階に私は泊まっていた。この近辺で初の、鍵がかかる、しかもベッドを備えた客室であったと思う。

そのクラブが所有していた小型ヨット(ディンギー)に、お客さんを乗せてクルーズしようという企てだったが、そもそも釣り客と家族連れしか来ない場所なので、一日中、本当に延々と一人で乗り回していた。

極めて辺鄙な場所のため、夕食を終えると何もすることがなく、夜明け前には自然に目が覚め、白崎海岸を越えた岬の展望台まで、往復3キロ程度のランニング。

帰るとシャワーを浴び、大阪での毎朝シリアルばかり食べていた生活とはうって変わり、生まれて初めて丼ご飯の朝食をおいしく頂いた。あの一週間は幸福だった。

そのころ私は競技スキー部に所属していて、夏合宿最終日の35キロレースが恐ろしかったため、大阪城を毎日のように走っていた。トレーニングを欠かしたくないため、誰もいない海岸線を走ると老漁師が不思議そうにこちらを見る。私は彼らにはありふれた絶景を満喫していた。

さて、今日の目的であるスキンダイビングは、空気の排出がないため、魚たちと同じ世界に溶け込める。

ジュニアサイズのイカ軍団や、アオヤガラやサヨリも、手を伸ばせば触れられそうな位置でこちらを見ている。まだ若いと思われる、透明感の鮮やかなアンドンクラゲやミズクラゲも、静かに泳ぐと何の影響もない。

私のダイビング用品は、夏休みに市営プールへ行く小学生男子のような軽装で、バスタオルに水着とマスク・フィン・スノーケルだけ。愛用のクレッシーサブは、潜り始めた小学校高学年の頃から憧れのブランドだった。

ロンディン・プロスターは、スキンダイビングにおいて最も使いやすいモデルだと思う。これよりブレードが長いと、岩場を覗き込みながら反転したり、浅い磯を縫うように沖へ出る時などで取り回しが悪い。

その流麗な形は美しく、プラスチック製だが本格的なシュー・ツリーが入っていた。吸い付くような履き心地で、やはり靴はイタリア製が最高峰だと感じる。イタリア製品の持つ喜び、着たり履いたりする快感は、スポーツという晴れ舞台にふさわしい。

ロンディン(つばめ)と名づけられたフィンは、早く泳げるという意味だと思っていたが、海の経験を重ねるにつけ、それは「必ず帰ってくる」という意味も含まれていると思える。

イタリアの古い歌に「つばめは古巣へ」があり、これは失った恋が主題だが、失うのは恋人とは限らない。

タープなどの日除けを持たないため、今日は早めに帰ろう。次は白崎の岩場を潜ろうか。

以前ランニングしていた折り返し地点の展望台に着くと、子供のタヌキが寄ってきた。なでようとするとこちらに近づいて来た。その印象は小さなイノシシに似て、他の生物同様、正面から見る顔は意外に精悍だ。

次の瞬間、指先5センチくらいを噛まれた。私の猫が甘噛みするより強く、猫の丸い口とは異なり、V字型の犬の口だった。噛み跡もなく血も出なかったが、女子小学生なら確実に泣くであろう迫力だった。とんだ人食いタヌキである。

数年前、白浜のアドベンチャーワールドで、閉館前に猛獣達を四駆で檻に追い込むツアーに参加した。鉄とコンクリートの獣舎に猛獣達の咆哮がこだまし、本当に恐ろしい。しかも、鉄格子の隙間から肉を与えるのだ。

私は海で死ぬのが一番いやだと思っていたが、猛獣達に食べられるのはもっといやだと、その時痛感した。

できれば穏やかに美しく死にたい。海を見下ろす断崖の松の木の下で。昇る朝日を望みながら、でなくても十分だ。


【Ikeda Yoshihiro】
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