海浜通信[006]古書店での幻の見合い
── 池田芳弘 ──

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海が好き、ただそれだけの理由で、大阪市内から和歌山の漁港に移住した。

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昔の話だが、梅田の阪急かっぱ横丁に加藤京文堂という古書店があった。

小さなギャラリーが併設されていて、フランスや日本の幻想文学が揃っていた。「岬にての物語」の蕗谷虹児によって手彩色されたものや、リザード革表紙の「黒蜥蜴」など、三島由紀夫の豪華本もガラスケースに収まっている。

そして端正な雰囲気の主人とは対照的に、目の大きな、およそ古書店の店番には似つかわしくない、若い美人がいつも座っていた。





当時私は三十才に近くなり、行き付けの工芸品専門のギャラリー「心斎橋泉画廊」の女主人から相手はいないのか、うちで展覧会をされている先生たちはどうかなど、しきりと心配されていた。

その頃は特に興味のある存在はないものの、何とはなしに、古書店の店番の女性に惹かれるが、まだ話したこともないと伝えたところ、では今度一緒に出向いて、私がうまくお茶でもご一緒できるように計らうから任せて下さい。そう言われ、後日二人で梅田に向かった。

加藤京文堂に着く前に、陶芸をしている亭主が以前展覧会を開いたので挨拶にと、女主人は少し広めの古書店に入り、私も同行した。そこで今まで知っている古書店とは異質の、非常に元気そうな年配の社長に出迎えられ、女主人は一通りの挨拶を終えて切り出した。

「本日、出向いたのはこの方が、京文堂さんの店番の方を見初められ……」話し終わらないうちに社長は大きな声で「それはめでたい! ぜひ早めに釣書を交わしましょう。あの若さと容姿でこんな地味な仕事に就いてるのは、きっと良い人に違いない、私に任せて下さい」

そうして私のことを色々聞かれたのだが、実は内心そこまでの展開は期待せず、ただ美人だから話をしてみたいというレベルで来たことを言い出すのを、勢いに飲まれた我々は恐縮してしまって、時間ばかりが過ぎていった。

しかし、意を決して事情を伝えたところ、「池田さん、男子というものは一度そういうことを言い出すからには、それなりの覚悟があってしかるべきです」等々と延々お説教を述べられた。

そして結局、目当ての美人にも会わずの帰り道、私たちはお互い気まずく、それから泉画廊に行くことはなかった。

数年前だろうか、再度かっぱ横丁を訪れてみると加藤京文堂は代替わりしていて、もちろんあの時の美人もいなかった。そして今日のように雨が降る日、検索してみると一人の女性が浮かび上がってきた。グレゴリ青山さん。

あの店に長期間勤めていた事、休暇をとっては度々アジア旅行に行き、旅行記を執筆されている事、一時は和歌山で田舎暮らしをされていた事、それらの体験を綴った作品の数々で人気がある事。

画像がまったく見当たらないため、ご本人かどうかはわからないが、きっと今
頃、私の好きな人もどこかで雨を見ているのだろう。


【Ikeda Yoshihiro】
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