海浜通信[008]熊野の創作メルヘンと食
── 池田芳弘 ──

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海が好き、ただそれだけの理由で、大阪市内から和歌山の漁港に移住した。

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雨が降る夜、佐藤春夫の「山妖海異」を読んだ。

冒頭に描かれる熊野の地勢はもちろん、人々の暮らしぶりや気質は驚くべき事に今日と変わらない。しかし、読み進めるうち、遠野物語に代表される有名な民間伝承と同質の、超自然的な怪異が押し寄せて来る。

例えば、水平線の彼方を「ダイナ」と呼ぶのはもちろん初耳だが、あまりに自然に使われるため、この時代では普通だったのだろうかと。これは作者が読み手を異界に導く仕掛けなのだろうかと。

しかも、そこからやって来るのは山犬ではなく「海犬」。また、人間に罵詈雑言を浴びせかける人魚(何とオス)など、これらの伝承は熊野ではポピュラーなのだろうか。

佐藤春夫は南紀を題材にした詩やエッセイが多い。この作品もそうだが、旅情をかきたて、ロマンチックな気分に誘われる。





対して、同じく和歌山出身の有吉佐和子や中上健二の陰気な作品を読んで、よし、和歌山に行こうと思う人がいるだろうか。百年先に残る作品が何かは自明の理だが、それまでの間、読書好きや観光客を増やすのは、私たちの責任ではないだろうか。

私は大阪で生まれ育ったが、良く俎上に上がる織田作之助の「夫婦善哉」など、実際に読んだ人はどのくらいいるのだろう。

織田作は千日前の自由軒という洋食屋のカレーが好みだったそうだが、作品を読んだ人数より、横柄な接客に憤慨した人数の方がはるかに多いと思われるが。

思うに、本音を隠して多勢に合わせて行くと大事なものが見えなくなり、それが地域の力を知らず知らずのうちにそぐ事になるのではないか。

体制に逆らうとか、すぐに値切るとか、いつから大阪の本流になったのだろう。あげくには犯罪が増え、企業の本社は価値のわかる東京に出て行って帰らない。

そんな大阪で和歌山出身の方に会うと、故郷について自虐的な話をする人が多かった。

私が、祖母の代からも縁があり、中学から高校時代には自転車で長い休みの度に和歌山へ行き、それも海で夜明けを迎えたいがために、大阪を夜中に出発していた事。紀伊半島一円のスーパー「オークワ」はほとんど訪問済みである事などを伝えると、ようやく相手も胸襟を開いて故郷の自慢話をしてくれた。

それなのに、こちら和歌山で観光客誘致のため、として取り上げられるのは、ラーメン屋を案内する専門タクシーや、都会のフレンチレストランより「手数のかかった」ジビエ、事もあろうに備長炭を練りこんだ「ヌエのような」創作料理など、誰も本音では胸を張って自慢できない代物ではないのだろうか。

そんなものでっち上げなくても、熊野から和歌山にかけて、B級グルメなど必要ない。こんなにも各家庭で梅干や漬物を漬け、地域ごとの寿司を仕込み、庭先で野菜や果実を栽培する地域があるだろうか。古来からの名物がない大阪から見ると、和歌山は本当にうらやましい。

盆休みの始めに、近所のおじいさんが道沿いの笹の葉をハサミで切っているので、何をしているのか問うたところ、あせ寿司(サバの押し寿司)を包むのに使うとの事。その名を聞いてはいたが、こんなにも身近な材料で構成されているとは知らなかった。

また、二十代の頃に友人達と勝浦温泉へ行った帰途、昼食にと駅の売店で買った秋刀魚寿司のおいしさは忘れられない。急カーブが連続するために酔って戻してしまったが、到着した天王寺駅で再度購入したくらいだ。

できれば、知らない観光客相手でもちょっとした笑顔を心がけよう。住民自らが快く過ごしていれば、自然と人は集まってくるように思う。

ちなみに、私が好きな大阪の作家は上田秋成。「雨月物語」と「春雨物語」も極上の創作メルヘンだろう。


【Ikeda Yoshihiro】
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