吾輩は猫である、とは日本の有名な作家の本の出だしだそうだ。誰かは知らぬのだが。知らぬのも当然なのだ。吾輩は人間ではなく飼い猫だったからだ。この有名な小説の出だしを真似ると、次のようになるようだ。
吾輩は飼い猫である。名前は寅次郎という。
なぜ寅次郎なのかと聞かれると困るが、吾輩が猫天国に召される前に時々覗き見していた仏壇部屋の棚に、「男はつらいよ」なる古いビデオテープがごっそり並んでいた。ずらりと並んだ四角いVHSビデオテープという物が、猫目にも入ってくる。まあ、飼い主の御仁が多分好きなのだろう。猫天国に行く途中、寄り道をして飼い主の御仁に尋ねたところ、寅次郎とはその映画の主役の名前だそうだ。
しかし、念のために猫仏様にも確認したところ、「前の飼い猫と同じ名前ですね。新しい名前を考えるのが面倒だったと、この猫歴史書には記録されてますよ」とのこと。
大変ありがたくない事実が判明した。御仁はお年を召していたので、新しい名前を覚えられないだろうという、家族の配慮もあったようだ。猫仏様の持っていた、吾輩について書かれた猫歴史書の注意書きをのぞき見すると、そんな猫文字が書いてある。
よく見ると、さらにその下にも注意書きがあるではないか。
※トラ柄だから、トラで。と子供がつけた可能性もあり
虎柄だからトラ……実に安直である。どうやら、この家の歴史書を見たところ、他の猫らも同じ名前になっているではないか。おまけに寅次郎でなく、虎次郎が正しい名前のようだ。まあ、この国の複雑なる漢字はよく分からないが、呼ばれる時は省略される上に、トラと呼び捨てだから、どっちでも問題はない。
それにしても、この家で飼われる猫達はみんなトラという名前なのか? せっかくだから、猫仏様に頼んで過去の家族の歴史書を見せてもらった。飼い猫の名前を並べてみた。
タマ、シロ、クロ、トラ、ハーロック、トラ、トラ、トラ、トラ、トラ
一猫だけ変な名前の猫がいるではないか。一体誰だ? ハーロックって。にしても、同じ名前ばかりだ。人間とはここまでいい加減な生き物なのか? それとも、この家族がものすごくいい加減なのか。今度はもっとしゃれた名前にしてもらいたい。
寅次郎「猫仏様。お願いがあります」
猫仏様「なんでしょう?」
寅次郎「次はしゃれた名前を付けてくれる家族の所に行きたいのですが」
猫仏様「それは難しいでしょう」
寅次郎「どうしてですか?」
猫仏様「それは他の猫達の歴史書を読むと分かるでしょう」
寅次郎「そうなんですか?」
猫仏様「みんな同じトラという名前ですからね」
寅次郎「それは飽きました」
猫仏様「でも、ここにいるのは皆、トラ柄なのですよ。他にどんな名前がありましょうや。どのみち、名前にトラがついてしまいますよ」
寅次郎「……わかりました。でも、トラで始まるしゃれた名前だってあるはずですが?」
猫仏様「仕方ないですね。考えてあげましょう。これから言う名前から選びなさい。その名前をつけてくれる家族のところに飼ってもらえるように、未来の歴史書に書いてあげましょう」
寅次郎「ありがとうございます」
猫仏様「トランプ」
寅次郎「それは、どの猫だって嫌です」
猫仏様「トランジスタ」
寅次郎「嫌です。静電気嫌いですし」
猫仏様「トラック野郎」
寅次郎「嫌です。デコトラなんて」
猫仏様「トラブル」
寅次郎「嫌です。トラブルなく安らぎたいです」
猫仏様「トラえもん」
寅次郎「いいような気もしますけど、権利的にまずそうなのでやめておきます……」
猫仏様「トライさん」
寅次郎「いえ、勉強できないんで……」
猫仏様「トラム缶」
寅次郎「それはドラム缶では……」
猫仏様「ドラ息子」
寅次郎「それは飼い主の息子のことですよね?」
そして、名前が決まらないまま月日は流れた。そうこうするうちに猫天国がいっぱいになり、また魂が人間界に放り投げられてしまった。なんということだ。まあ、どうにか、新しい家族の一員にはなったのだが……。
吾輩は飼い猫である。名前はまだない。
【田中 実】
〈日本一多いフルネームランキング 男性編第1位〉のなかの一人
I do not understand の意味:わかりません
連絡先:デジクリ編集部