I do not understand[2]吾輩は天国に向かっている
── 田中 実 ──

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吾輩は飼い猫である……いや、飼い猫であった、と過去形で書かないと駄目だろうか。というのも今、ちょうど猫天国へ上っているところだからだ。ふわふわと上昇する流れに乗っているのだが、実に退屈で暇だ。天国というものは、もっと近いものだと思っていたのだが……。このままだと、天国に着くまでに49日くらいかかりそうだ。

まあ、5年という短い一生であったが、想像以上に長生きできたんじゃないかと我ながら思う。5匹いた兄弟の中で、一番長生きしたので悪くはないだろう。とはいえ、5年というのは短いのではないか、と思われる人間も多いのではないかと思う。それは吾輩が、箱入り猫ではないからかもしれぬ。つまり、死ぬまで家に閉じ込められているわけではなく、猫本来の自由気ままに動けたということだ。

それにしても、家から一歩も出られないということは、苦痛でしかない気もする。その点、もらわれてきたこの家は、すこぶる自由であった。やりたい放題。完全放任主義。





そもそも、なんでこの家にもらわれてきたのかと言えば、理由は簡単である。吾輩が「動作の鈍いバカ猫」だったからである。自分で言うのもナンだが、生まれたての時は大変なバカであった。他の兄弟はすばしこくって、捕まらなかったそうだ。

よれよれでのろのろしていた吾輩だけが、捕まってしまったのだ。運が悪かったのか良かったのかは分からない。というのも、もらわれてきたあとに惨事が待っていたからだ。

事の発端は、飼い主が吾輩をねこじゃらしで鍛えたことによる。手のひらに乗るくらい小さかった吾輩は、飼い主の期待に応えて頑張ってじゃれたのだ。そして、完璧にターゲットを捕捉できるほどにまでなったのだ。

そして、ある雪の降る寒い日に、外へと出かけた。と、目の前に大きな猫が現れた。だが、ここで臆する必要はなかった。なにせ吾輩は最強の猫なのだ。ねこじゃらしプレーを完璧にマスターしたのであるからして、この大きな猫にだって立ち向かえるのだ。

フギャッ! 吾輩は最強ではなかった。しっぽは少し噛みきられ、前足も傷つけられた。相手の猫は余計なエネルギーを使うまでもないと思ったのか、立ち去っていった。運良く助かったのだ。最強だったはずなのに、なぜ負けたのか解せぬ。

そして、三日後の金曜日。今度は違う猫だった。この家には餌となるネズミがたくさんいるせいか、多くの猫がやってきていたのだ。この前の猫は、吾輩が仔猫だったので手加減してくれたのだろう。

今度の猫は情け容赦なかった。しっぽは根元から噛みちぎられ、右前足と左右の後ろ足がやられた。特に左後ろ足はひどく傷ついた。腱がやられたのかもしれない。とにかく動かない。内臓もかなりやられた。もうボロボロで、猫の形をした汚い毛皮のようになってしまった。

「猫、ペラペラになってるよ。こんなに薄いと死んじゃうかなあ?」

子供の声が聞こえた。一週間何も食べらなかったので、体は薄くペラペラになってしまっていた。だが、こんなところで死んではたまらぬ。どうにかならぬものか。とは言え、兄弟の中では一番のバカ。このままだと本当にバカな猫のまま、一生を終えてしまうではないか。それは駄目だ。どうにかして兄弟くらいは見返してやりたい。

三週間後……復活した。と言いたいが、もはや前足後ろ足ともまとも動かぬ。人間界で言えば障碍猫である。とにかく、何とか歩くことはできるが走れぬ。食卓の上にあるおいしい人間の食べ物を、とって逃げることは不可能だ。それどころか、ネズミすら捕まえられぬ。見た目には何もできない最低の猫だ。

普通ならここまでかもしれない。だが、吾輩は学習した。体がまともに動かないが、それ故に小さな頭で考えるようにした。ネズミはすばしこくって捕まえられない……とあきらめることはしなかった。

窓の上から観察すると、こっちが捕まえられないのをいいことに、倉庫の中を動き回っている。さらに、よく見るとネズミが出てくる穴は、いつもひとつだ。つまり、その穴の前でじっと待っていればいいのではないか? そう思って実践した。

成功だ! 何ということだろう。体が動かせなくても、ネズミを捕まえることができるではないか。そうだ、もう少し考えてみよう。倉庫内にいても、最初はネズミのしたい放題にしておくのだ。どのみち、ネズミたちもこちらの体が動かないことを知っている。だが、油断大敵。左前足は問題なく動くのだ。

ネズミゲット〜! やればできる……いや考えればできるのだ。自信がついた。ネズミ以外のおいしい餌も食べたいところだ。やはり、人間が食べているマグロなる魚はおいしい。とは言え、そんなおいしいものを猫にくれるはずもない。

が、ここで思案した。テーブルの上に上がっても、人間の食べ物をとらなければよいのだ。逆転の発想だ。人間の食べ物をとるから怒られるのだ。何もしなければよいのだ。人間の反応は意外だった。ある日のこと。テーブルの上にマグロの刺身がでてきた。もちろん吾輩は手を出さなかった。見ているだけだ。

予想外の事が起こった。「ほら? 食べる?」人間が食べているマグロの刺身が、口の前に差し出されたのである。人間の言うことは、ある程度分かる。少し遠慮してからマグロを食べた。

うまい! 本当にうまかった。が、ここで欲を出してはいけない。ひたすら視線を送るだけだ。視線を送る度に、マグロが口の前まで運ばれてくるのだ。普通の猫ではこうはならないだろう。

マグロを食べたければ視線を送ればよい。そう学習した。のだが、あまり視線を送る機会はなく、先に死線をさまようことになってしまった。最後に、消える前に飼い主に挨拶をした。もう、一週間ほど何も食べられず水も飲めないので、飼い主も死期を悟ったのだろう。

「お前は賢い猫だったよ」

その言葉を聞いた後、吾輩は猫天国に向かうことになった。しかし、まだ猫天国には着いていない。賢いだけでは猫天国には行けないのかもしれぬ……。


【田中 実】
〈日本一多いフルネームランキング 男性編第1位〉のなかの一人
I do not understand の意味:わかりません
連絡先:デジクリ編集部