[5116] 18年ぶりのビデオテープのデジタル化2/権力闘争のむなしさ「野望と夏草」

投稿:  著者:



《ビデオは時間の冷凍保存》

■グラフィック薄氷大魔王[677]
 18年ぶりのビデオテープのデジタル化 その2
 吉井 宏

■日々の泡[44]
 権力闘争のむなしさを描く
 【野望と夏草/山崎正和】
 十河 進




━━━━━━━━━━━━━━━━━
■グラフィック薄氷大魔王[677]
18年ぶりのビデオテープのデジタル化 その2

吉井 宏
https://bn.dgcr.com/archives/20201104110200.html

─────────────────

9月から10月にかけて作業した、ビデオテープのデジタル化について、ランダムに書く。その後編。

前編
https://bn.dgcr.com/archives/20201028110200.html


●動画データの仕様

2002年のデジタル化では、1時間番組120本+その他60本ほど処理したところで力尽きた(カセットの数ではなく動画の数)。320×240pixelに縮小、フレームレートを15FPSにしてファイル容量を小さくした。1時間分が400〜500MB。2002年当時には、それでもとんでもなくデカく感じたものだった。

今回作業したのは約300本分(2002年分を再びデジタル化したもの含め)。QuickTimeの高画質で取り込むと、640×480pixelsで1時間分が約1.5GB。Adobe Media EncoderでH.264エンコードしてMP4にすると、フレームレートは変更しないまま、それほど画質劣化せずに400MBほどになる。

●放送日を特定するのがおもしろい

録画のファイル名は日付入りでつけたいのだが、テープのラベルに「何年何月」と書いてあるのは2/3分程度で、日付は書いてない。残りの1/3は番組名しか書いてないw

録画にはいろんな手がかりが入ってる。もっともわかりやすいのは、番宣CMで「◯月◯日◯曜日◯時放送!」とあるもの。その日付は番組放送後一週間以内のはず。カレンダーで調べれば、バッチリ確認できる。あと「来週の収録は◯日です」のテロップも明確。

CMでも映画やCDの発売日、イベントなどは期間に幅があるのでわかりづらい。初期の録画は、VHSから8mmビデオにダビングするときにCMをカットしてるため、日付が分からずじまい。NHKの録画はCMがないのでお手上げ。

「パペポTV」の場合、ファンがまとめた「オープニング使用曲のリスト」ページがあったりして、大雑把に放送時期がわかったりする。
http://hybridpark.sakura.ne.jp/papepo/theme.html


苦労して日付をつけても、辻褄が合わないものがある。日本テレビ系列の「パペポTV」は、月曜深夜に放送してたと思い込んでたのだが、ウィキペディアによれば、何度か変更の後、金曜深夜に落ち着いたらしい。そうだったかなあ……。

月曜深夜じゃないのなら、つけた日付は不正確ということになる。「◯年◯月の◯回目」とするほうがいいだろうと、全部変更した。そもそも関西とは放送曜日がちがうわけだし。

●ダブルビデオデッキもついに寿命?

先にVHSを処理してたのだが、イジェクトされなくなった。電源を切ってしばらく冷まし、再び試すとなんとかイジェクトされたりされなかったり。完全に出ずに止まる場合は、マイナスドライバーで抉り出した。無理にガチャガチャやってたら、内部で「バキッ」と何かが割れ、再生もできなくなった orz

8mmビデオも、残り20本くらいになったところで、映像と音がノイズでグチャグチャに乱れるようになった。クリーニングテープをやっても改善されない。ダメになってるテープもあるんだろうと思ったら、ほとんど全部のテープでノイズの嵐。

そのうち、どういう症状なのかわかってきた。最初の30分ほどが乱れるらしい。たぶん、テープ残量の関係でヘッドへの圧力が足りないとか、そんな感じだろう。後半の再生は問題なし。再生しながら巻き戻すと大丈夫だったりするので、しばらく粘って録画してたけど、ついにはあきらめ、後半だけデジタル化。

●当時のオヤジ軍団と自分の歳

録画から30年近くたつと、出演者がどんなオヤジ軍団でもほとんど年下。どう見ても年下には見えないのが不思議だw

例えば1992年を基準にすると、上岡龍太郎が50歳くらい、鶴瓶が40歳くらい。ビートたけし45歳、大竹まこと43歳だもん。「EXテレビ」に出てくる立川談志や山城新伍でさえ、50歳そこそこ。現在活躍してる中堅お笑い芸人たちより年下!

「朝まで生テレビ」の田原総一郎が58歳で、僕と同い年w 「パペポTV」の新年スペシャルに出てた横山ノックと、「らくごのご」でモザイクがかかるキダ・タローが還暦越えでなんとか年上。

30年っておそろしい。なんちゅうか、ビデオは時間の冷凍保存ってことに、あらためて気づかされる。


【吉井 宏/イラストレーター】
http://www.yoshii.com

http://yoshii-blog.blogspot.com/


30年といえば、今年9月はフリーランスになって30周年なので、何か書くつもりだったのに、すっかり忘れてた。

デジタル化もデータの整理も終了。ビデオカセットは週二回の可燃ゴミに少しずつ出し、あと数回で跡形もなくなる。テレビ台の使わないビデオデッキの下から、ずっとプレッシャーをかけられていた懸案事項が消えてうれしいw 次は棚の最上段のDVD-Rの山をなんとかしたい!

○吉井宏デザインのスワロフスキー

・十二支(丑年)OX
https://bit.ly/37gbNEN


・三猿 Three Wise Monkeys
https://bit.ly/2LYOX8X


・幸運の象 LUCKY ELEPHANTS
https://bit.ly/30RQrqV



━━━━━━━━━━━━━━━━━
■日々の泡[44]
権力闘争のむなしさを描く
【野望と夏草/山崎正和】

十河 進
https://bn.dgcr.com/archives/20201104110100.html

─────────────────

今年の夏、山崎正和さんが亡くなった。僕には名前を聞くと「知性」という言葉が浮かぶ人が何人かいる。その筆頭には「加藤周一」という名が出てくるし、僕と同世代の哲学者としては「内田樹」さんが浮かぶ。亡くなった山崎正和さんもそのひとりである。山崎正和さんの作品を初めて読んだのは、戯曲の「世阿彌」だったのだが、劇作家というより評論家あるいは思索家のイメージが強い。

大学生の頃、山崎正和さんの著作を集中的に読んだ時期がある。もっとも、まだそれほど多くの本は出ていなかった。「世阿彌」は山崎さんが世に出るきっかけになった戯曲で、「野望と夏草」は僕が大学に入った頃に出た新作戯曲だった。当時、山崎さんは新進の戯曲家だったのだ。ただし、正統的で重厚な作風は、当時の演劇状況の中では保守的と見られていたかもしれない。

六〇年代後半から七〇年代にかけては唐十郎の赤テント「状況劇場」があり、寺山修司の「天井桟敷」があり、黒テントの「自由劇場」があり、早稲田小劇場では白石加代子が狂気女優として評判だったし、三田の慶応ではつかこうへいが登場してきた。東大の野田秀樹が出てくるのはもう少し後のことだが、戦後の新劇的なものが否定され(俳優座の大量脱退などもあった)、アンダーグラウンド(アングラ)的な演劇がもてはやされていた。

そんな中、山崎正和さんの戯曲はオーソドックスで、格調が高すぎたのかもしれない。たとえば一九七〇年に発表された戯曲「野望と夏草」は、保元・平治の乱から始まり平家滅亡で終わる物語だ。後白河法王と平清盛の権力闘争を中心に描く。最初の場面では、保元の乱に敗れた平忠正(清盛の叔父)と源為義(義朝の父)が柱に縛られている。兄弟親子が敵味方に別れて戦ったのだ。敗れた崇徳上皇は、弟の後白河院によって讃岐に流される。

もっとも、「腰巻お仙」や「鼠小僧」といったアングラ系前衛劇団の舞台にあまりなじめなかった僕には、「野望と夏草」で描かれた世界の方が大変おもしろかった。その背景をもっと詳しく知りたくなり、「平家物語」を原文で読もうと思うほどだった。実際、講談社文庫版「平家物語」上下二巻を購入し、何とか読み切ることができたのだった。そのおかげで、大江健三郎の小説に出てきた「見るべきほどのことは見つ」という言葉を口にしたのが平知盛だとわかったのだった。

その後、山崎正和さんは「鴎外 闘ふ家長」を出し文芸評論の世界に手を広げる。「世阿彌」も「鴎外 闘ふ家長」も評価が高く、それぞれに賞をもらっている。当時、山崎さんの著作はほとんど河出書房(新社)から出ていた。僕がお茶の水にあった中央大学に入学した頃、河出書房は中央大学の学生会館と接したビルに入っていて、時々、社員がストをやっていた。おそらく、そのビルへ山崎さん(当時は三十代後半)も来ていたに違いない。

その後、僕は評論活動が中心になった山崎正和さんの著作とは縁がなくなってしまう。時々、新聞に寄稿していたものを読むと、社会的・政治的な発言が中心だった。自民党が主宰する有識者会議のメンバーなどにもなっていたと記憶している。山崎さんは、いつのまにか保守派の評論家と目されるようになった。

僕が再び山崎正和さんの著作を読んだのは、八〇年代半ばになってからだった。大学を出て十年、社会人を十年もやっていると、学生時代とは違う視点が生まれてくる。その頃、僕はあるテーマで本をまとめて読むことにし、その一冊として山崎正和さんの「柔らかい個人主義の誕生」という本を手にしたのだ。その評論も何かの賞をもらっていると思う。

その当時、僕は「現代をどう捉えるか」というような、ちょっと漠然としたテーマを抱いていて、様々な評論を読み漁っていた。その中の一冊が「柔らかい個人主義の誕生」だったのだ。その本を読みながら、「山崎さん、最近は戯曲は書いていないのかな」と思ったが、それは僕の情報不足で山崎さんは戯曲もきちんと書き続けていた。

僕が「今の時代をどう捉えるか」というテーマを抱いて、いろんな本を読み漁っていたのは、今から三十年以上昔のことになった。あれは、まだ「昭和」の時代だったのだ。あれから「社会」自体が大きく変化した。現在の世界を山崎さんは、どう分析していたのだろうか。亡くなったニュースを知って、僕はそんなことを考えた。

山崎さんは、古典を題材にした戯曲で世に出た人である。古典の現代語訳にも手を染めている。僕が特に好きな戯曲「野望と夏草」は、保元・平治の乱から平家滅亡までの時代を描く作品だ。歴史上の人物たちが権力闘争を繰り広げる。また、「世阿彌」は能を完成させた人物だが、将軍との確執もあり波瀾万丈の人生である。権力者と文化人の対立が描かれる。この辺は、秀吉と利休の確執を連想させる。

どうも僕は、権力闘争を好む傾向があるようだ。歴史は権力闘争そのもののと言ってもよいだろう。「野望と夏草」にしても、最初に上皇と帝の戦いがあり、崇徳上皇方に味方した武士たちは処刑され、上皇は流罪になる。その権力闘争の功績によって平清盛は隆盛となり、遂には後白河帝をうわまわる権力を掌握する。しかし、清盛の死後、平家は急激に滅亡する。

「野望と夏草」の最後の場面では、後白河法王が出家した建礼門院を訪ねて言葉を交わす。そこでは「権力闘争も結局はむなしい」という雰囲気が醸し出される。僕は「権力闘争のむなしさ」まで描かれていることが好きなので、たぶん「野望と夏草」をよく憶えているのだろう。「夏草」には、芭蕉の「夏草や兵どもが夢の跡」のニュアンスがある。

ちなみに、文学座が上演した内野聖陽の清盛、津嘉山正種の後白河という配役の「野望と夏草」は忘れられない舞台だった。以下のセリフを、あの津嘉山正種の渋い低音の声で想像してみてほしい。

----できることなら答えてくれ。このむなしさに帰るために、ひとはなぜ一度あの栄華を築かねばならぬ。なんのためだ。

ところで、権力闘争とそのむなしさを描いた映画作品というと、僕は「仁義なき戦い」(1973年)を思い出す。呉とヒロシマを舞台にヤクザ社会の頂点に立とうとする人間たちの戦いを描き、戦国時代の歴史を見るのと同じような面白さを感じさせてくれる。裏切りと離反が繰り返され、敗れた人々が死んでいく。だが、呉のヤクザの頂点を獲ったサカイのテッチャン(松方弘樹)も謀殺され、広能昌三(菅原文太)は戦いのむなしさを感じて祭壇に向かって銃弾を撃ち込むのだ。


【そごう・すすむ】
ブログ「映画がなければ----」
http://sogo1951.cocolog-nifty.com/

「映画がなければ生きていけない」シリーズ全6巻発売中
https://www.amazon.co.jp/%E5%8D%81%E6%B2%B3-%E9%80%B2/e/B00CZ0X7AS/dgcrcom-22/



━━━━━━━━━━━━━━━━━
編集後記(11/04)

●偏屈BOOK案内:荒川洋治「文学は実学である」みすず書房 2020
https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4622089459/dgcrcom-22/


うぃきぺでぃあさんというネットの物知りによれば、「実学」とは「実生活に役立たせることを趣旨とした学問のこと」で、工学・医学・薬学・農学・法学・経済学・教育学などを指す。日本の大学では、理学部と文学部で扱う学問分野以外は、概ね実学とされているのだという。わたしが学んだ社会学は役立たずみたいだな。

しかし、社会学よりもっと実学から遠いと思った文学を「実学である」と断言する人がいる。現代詩作家・荒川洋治である。「文学は社会生活に実際に役立つものである。そう考えるべきだ。特に社会問題が、もっぱら人間の精神に起因する現在、文学はもっと『実』の面を強調しなければならない」と息巻く。

「(作家名、作品名をいろいろ挙げ)こうした作品を知ることと、知らないことでは人生はまるきりちがったものになる。それくらいの激しい力が文学にある。読む人の現実を、生活を一変させるのだ。文学は現実的なもの、強力な『実』の世界なのだ。文学を『虚』学とみるところに大きなあやまりがある。

科学、医学、経済学、法律学など、これまで実学と思われていたものが、『実学』として『あやしげな』ものになっていること、人間をくるわせるものになってきたことを思えば、文学の立場は見えてくるはずだ」と締めるが、何を言ってるのかわからない。普段からこのような見方をしているお方、らしい。本について書く日本語の使い手の中で最高峰と、物書きたちの尊敬を一身に受けている、らしい。

こういう現代詩作家が大学で講師をしていて、無垢というより無教養な新大学生たちに「一年間、詩の話をします」と言うと、小説しか興味がない彼らは宇宙人を見るような目になる。人気がない詩は読まれない。でも歴史だけはあるのだ。教壇の荒川は持っていた詩の文庫本をめくる。大正の中頃から昭和の詩のフレーズを摘まみ上げ、それが七五調ではないことを示そうとした。

「例えば、この、室生犀星の〈ふるさとは遠きにありて思ふもの〉。(指で数える)ふ・る・さ・と・は。あら五音だわ。と・お・き・に・あ・り・て、七音。〈お・も・ふ・も・の〉。ここも五音だ(教場ざわめく)。それなら宮澤賢治。あ・め・に・も・ま・け・ず。あらあ、七だ(まずい、深みにはまってしまった)。それなら、中原中也。〈幾時代かありまして〉。七と五か……(学生たち爆笑)。まあね、これくらい、それからも、七五調は、根強い、ということになります!」

「これでは、しまらないので、〈太郎の屋根に雪ふりつむ〉(三好達治)を運良く見つけ出し、「これは七と六」と、宝くじでも当てたように、ぼくが一人叫んだところで、教室内に、安堵の、ため息がもれる……。」いやー、わかるわかる。わたしは教職課程をとらなかったのに、超法規的ルートで小学校の産休代用教員になって、やっつけ本番の立ち往生を経験したのであった。それにしても、3960円の値付けは大胆というか……。(柴田)


●大阪市廃止は否決された。拮抗したなぁ。前回は大阪市がなくなるってことで反対したけど、今回は投票用紙に書き込む直前まで悩んで賛成に入れた。無党派。

大阪市だけの投資や対策では、万博やIRでガーーーーッと行けないんじゃないかなと思ったのだ。こういうのって中途半端にお金かけても、捨てるようなものだから。

でも大阪都構想(名前悪いよねぇ)や、維新までもが否定されたとは思っていない。大阪府と大阪市の足並みを揃えるために、市民に不便を強いることに抵抗されただけだろう。不便にならないよと言われても、実際に国からのお金は減るし、住所変わるし、デメリットが目立つ。

いま維新が府と市を握ってて、同じ方向いてて上手くいってる。なので、このままでもいいんじゃないの? って思う人は多いだろう。大義のために手を取り合って動いてくれるなら、市を廃止までしなくてもいいのに〜と。

とはいえ、少子高齢化で東京一極集中の時代、地方は疲弊する一方で、カンフル剤は必要。続く。(hammer.mule)