日々の泡[44]権力闘争のむなしさを描く【野望と夏草/山崎正和】
── 十河 進 ──

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今年の夏、山崎正和さんが亡くなった。僕には名前を聞くと「知性」という言葉が浮かぶ人が何人かいる。その筆頭には「加藤周一」という名が出てくるし、僕と同世代の哲学者としては「内田樹」さんが浮かぶ。亡くなった山崎正和さんもそのひとりである。山崎正和さんの作品を初めて読んだのは、戯曲の「世阿彌」だったのだが、劇作家というより評論家あるいは思索家のイメージが強い。

大学生の頃、山崎正和さんの著作を集中的に読んだ時期がある。もっとも、まだそれほど多くの本は出ていなかった。「世阿彌」は山崎さんが世に出るきっかけになった戯曲で、「野望と夏草」は僕が大学に入った頃に出た新作戯曲だった。当時、山崎さんは新進の戯曲家だったのだ。ただし、正統的で重厚な作風は、当時の演劇状況の中では保守的と見られていたかもしれない。





六〇年代後半から七〇年代にかけては唐十郎の赤テント「状況劇場」があり、寺山修司の「天井桟敷」があり、黒テントの「自由劇場」があり、早稲田小劇場では白石加代子が狂気女優として評判だったし、三田の慶応ではつかこうへいが登場してきた。東大の野田秀樹が出てくるのはもう少し後のことだが、戦後の新劇的なものが否定され(俳優座の大量脱退などもあった)、アンダーグラウンド(アングラ)的な演劇がもてはやされていた。

そんな中、山崎正和さんの戯曲はオーソドックスで、格調が高すぎたのかもしれない。たとえば一九七〇年に発表された戯曲「野望と夏草」は、保元・平治の乱から始まり平家滅亡で終わる物語だ。後白河法王と平清盛の権力闘争を中心に描く。最初の場面では、保元の乱に敗れた平忠正(清盛の叔父)と源為義(義朝の父)が柱に縛られている。兄弟親子が敵味方に別れて戦ったのだ。敗れた崇徳上皇は、弟の後白河院によって讃岐に流される。

もっとも、「腰巻お仙」や「鼠小僧」といったアングラ系前衛劇団の舞台にあまりなじめなかった僕には、「野望と夏草」で描かれた世界の方が大変おもしろかった。その背景をもっと詳しく知りたくなり、「平家物語」を原文で読もうと思うほどだった。実際、講談社文庫版「平家物語」上下二巻を購入し、何とか読み切ることができたのだった。そのおかげで、大江健三郎の小説に出てきた「見るべきほどのことは見つ」という言葉を口にしたのが平知盛だとわかったのだった。

その後、山崎正和さんは「鴎外 闘ふ家長」を出し文芸評論の世界に手を広げる。「世阿彌」も「鴎外 闘ふ家長」も評価が高く、それぞれに賞をもらっている。当時、山崎さんの著作はほとんど河出書房(新社)から出ていた。僕がお茶の水にあった中央大学に入学した頃、河出書房は中央大学の学生会館と接したビルに入っていて、時々、社員がストをやっていた。おそらく、そのビルへ山崎さん(当時は三十代後半)も来ていたに違いない。

その後、僕は評論活動が中心になった山崎正和さんの著作とは縁がなくなってしまう。時々、新聞に寄稿していたものを読むと、社会的・政治的な発言が中心だった。自民党が主宰する有識者会議のメンバーなどにもなっていたと記憶している。山崎さんは、いつのまにか保守派の評論家と目されるようになった。

僕が再び山崎正和さんの著作を読んだのは、八〇年代半ばになってからだった。大学を出て十年、社会人を十年もやっていると、学生時代とは違う視点が生まれてくる。その頃、僕はあるテーマで本をまとめて読むことにし、その一冊として山崎正和さんの「柔らかい個人主義の誕生」という本を手にしたのだ。その評論も何かの賞をもらっていると思う。

その当時、僕は「現代をどう捉えるか」というような、ちょっと漠然としたテーマを抱いていて、様々な評論を読み漁っていた。その中の一冊が「柔らかい個人主義の誕生」だったのだ。その本を読みながら、「山崎さん、最近は戯曲は書いていないのかな」と思ったが、それは僕の情報不足で山崎さんは戯曲もきちんと書き続けていた。

僕が「今の時代をどう捉えるか」というテーマを抱いて、いろんな本を読み漁っていたのは、今から三十年以上昔のことになった。あれは、まだ「昭和」の時代だったのだ。あれから「社会」自体が大きく変化した。現在の世界を山崎さんは、どう分析していたのだろうか。亡くなったニュースを知って、僕はそんなことを考えた。

山崎さんは、古典を題材にした戯曲で世に出た人である。古典の現代語訳にも手を染めている。僕が特に好きな戯曲「野望と夏草」は、保元・平治の乱から平家滅亡までの時代を描く作品だ。歴史上の人物たちが権力闘争を繰り広げる。また、「世阿彌」は能を完成させた人物だが、将軍との確執もあり波瀾万丈の人生である。権力者と文化人の対立が描かれる。この辺は、秀吉と利休の確執を連想させる。

どうも僕は、権力闘争を好む傾向があるようだ。歴史は権力闘争そのもののと言ってもよいだろう。「野望と夏草」にしても、最初に上皇と帝の戦いがあり、崇徳上皇方に味方した武士たちは処刑され、上皇は流罪になる。その権力闘争の功績によって平清盛は隆盛となり、遂には後白河帝をうわまわる権力を掌握する。しかし、清盛の死後、平家は急激に滅亡する。

「野望と夏草」の最後の場面では、後白河法王が出家した建礼門院を訪ねて言葉を交わす。そこでは「権力闘争も結局はむなしい」という雰囲気が醸し出される。僕は「権力闘争のむなしさ」まで描かれていることが好きなので、たぶん「野望と夏草」をよく憶えているのだろう。「夏草」には、芭蕉の「夏草や兵どもが夢の跡」のニュアンスがある。

ちなみに、文学座が上演した内野聖陽の清盛、津嘉山正種の後白河という配役の「野望と夏草」は忘れられない舞台だった。以下のセリフを、あの津嘉山正種の渋い低音の声で想像してみてほしい。

----できることなら答えてくれ。このむなしさに帰るために、ひとはなぜ一度あの栄華を築かねばならぬ。なんのためだ。

ところで、権力闘争とそのむなしさを描いた映画作品というと、僕は「仁義なき戦い」(1973年)を思い出す。呉とヒロシマを舞台にヤクザ社会の頂点に立とうとする人間たちの戦いを描き、戦国時代の歴史を見るのと同じような面白さを感じさせてくれる。裏切りと離反が繰り返され、敗れた人々が死んでいく。だが、呉のヤクザの頂点を獲ったサカイのテッチャン(松方弘樹)も謀殺され、広能昌三(菅原文太)は戦いのむなしさを感じて祭壇に向かって銃弾を撃ち込むのだ。


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