歌う田舎者[12]君の瞳に乾杯/もみのこゆきと

投稿:  著者:  読了時間:10分(本文:約4,800文字)


ホテルのバーでカクテルを傾ける一人の女。物憂げにペーパーバックをめくりながら、時折、シェーカーを振るバーテンダーを見るともなしに眺めている。
「もう一杯お飲みになりますか」
「そうね......イングリッド・バーグマンをいただけるかしら」

ウォッカとアクアビットを注いだカクテルグラスにクレームドバイオレットを1tsp。アクアビットはイングリッド・バーグマンの生まれたスウェーデンの蒸留酒だ。薄紫色の透き通る液体は、凍りつくように冷たい。女はほそい指でグラスの脚を持ち、ボトルが並ぶ棚の向こうに広がる夜の光を見つめた。その瞳に映っているのは苦い過去の幻。


で、この女、誰ですか。
もちろんわたくしですわ。なにか文句でもあって?

わたくし、このところストレス溜まり放題で、耳から鼻血を吹きそうな毎日だったのですわ。原因はモンスタークライアントの、それはそれはひどい言葉責めですの。言葉責めと言っても勘違いしないでいただきたいわ。「このメス豚、どこをどうして欲しいのかその口で言ってみろ」とか、そういう下品な方面ではございませんことよ。あぁら、どなたも勘違いなさらなかったかしら?

お代も支払わないのに、わたくしをタダ働きさせようとするなんて、ずうずうしいにもほどがありますわ、あのクソババァ。あら、クソババァだなんて、わたくしとしたことが。おほほほほ。これでは他のお客様に申し訳が立たないと顔を曇らせていたら、クソババァは逆上しましたの。坂本龍馬が近江屋で暗殺されたのも、ゲルマン民族が大移動したのも、恐竜が絶滅したのも、全てわたくしのせいだと唾を飛ばして罵るのです。全く失礼な方。わたくしが何年生きているとお思いなのかしら。仙人じゃありませんことよ。

でもリアルワールドではどこまでも小心者なわたくし。少々理不尽なことを言われても、いつもなら唇をかみしめ、にっこり笑って耐えるのです。けれど、このクソババァには、もう少しで「ええい、黙って聞いておれば、そちの傍若無人なる振る舞い、もう許せん! 刀の錆にしてくれるっ!」と、太刀の一つも浴びせてやりたい気持でしたの。なのに唇からこぼれた言葉は「お、お怒りはごもっとも。ご多忙でいらっしゃるのは重々承知いたしております。本来なら手討ちにされてもいたしかたなきところかと存じますが、今回ばかりは平に、平にご容赦を賜りたく、伏してお願い奉ります??!」。
あぁ、わたくしって、なんて意気地なし......。




くっそーーーーっ!。酒や酒や、酒もってこーい!。「酒は天の美禄なり。少のめば陽気を助け、血気をやはらげ、食気をめぐらし、愁を去り、興を発して、甚人に益あり」(※1)と貝原益軒先生も言っておられるではないか。酒でも飲まんことにはやってられんわ、ケッ。

そんなわけで、某ホテルで大きな仕事宴会があった某日、お客を送り出したあと、一人でこっそりバーの扉を開けたわたしである。地元ホテルのバーなど行ったこともないのだが、これも"経験"by辺見マリというヤツだ...♪ぃやめてぇ あいして〜ないな〜ら〜♪(※2)。一人では間が持たないかもしれないので文庫本もちゃんとバッグに入っている。「正しい大阪人の作り方」(※3)だ。えっ?。

わたしは昔から三角食べができない人間なのだ。先日「正しい大阪人の作り方」に手を付けたばかりなので、これをきれいに片づけてからでないと、次の本に移れない体質なのである。そりゃあホテルのバーなんだから、できれば「長いお別れ」(※4)とか「さらば愛しき女よ」(※5)あたりにしておきたかったのだが、悲しいかな、人間年を取るとなかなか習性を変えられるものではない。まぁ、わたしが将来「正しい薩摩人の口説き方」なんて本を出すときの参考になるかもしれないし、酒でも飲みながら構想を練ってみることにしよう。

誰もいないカウンターの右端に陣取り、さりげなく周りを観察する。カウンターの中にはバーテンダーが一人。ホールを担当する見目麗しい女性は、シルクサテンの白いブラウスに、マキシ丈の黒いタイトスカートを纏っている。年の頃は20代後半か。ボックスシートは半分くらい埋まっている。流れるのはRound About Midnightだ(※6)。

しかし、わたしが物憂げに目を落とす文庫本には「見知らぬおばちゃんに、いきなり、『兄ちゃん、浮かん顔してるなぁ。おばちゃんのおっぱい吸わしたろか?』と言い放たれ、大笑いされた」(「困った大阪人」の章)などと書いてあるのだ。フッ......スーパークールだぜ。

カウンターで、大阪人についての学習に没頭していたところ、左端に新参の客が来たようだ。さざめく会話のノイズにまぎれて、カウンター越しの会話が聞こえる。
「こんばんは。いらっしゃいませ」ホール担当の女がおしぼりを差し出す。
「あぁ、何かくつろげるカクテルを」
待て待てちょっと待て。なんや、このおっちゃん。くつろげるカクテルだと??
「お疲れのようですね。上着をお預かりしましょうか」
「あぁ、頼む」

苦み走った男のオーラがクラスター爆弾のように炸裂して、カウンター右端のわたしにもグサグサと刺さってくる。ハードボイルドを気取っていやがるな。脳内にはあのナレーションが流れ出す。
♪ハードボイルドGメン'75 熱い心を強い意志で包んだ人間たち♪(※7)。
いったいどんな男だ? トレンチコートの襟を立ててソフト帽でもかぶっていやがるのか? と左目の端で盗み見ると......。

えーっと、わたしは脳内で口ずさんだ。
♪ハンプティ・ダンプティが 塀の上
♪ハンプティ・ダンプティが おっこちた(※8)
風船のようにまるまると太った50がらみの男だ。苦み走ったハードボイルドオーラを正しく炸裂させるためには、あと30kgの減量と筋力トレーニングが必要だろう。男はサーブされたカクテルを目の高さまで掲げ、乾杯のポーズを取って女に微笑んだ。うひゃー! なんだ、そのポーズ! あんた今、絶対脳内で「君の瞳に乾杯」(※9)くらい言ったよな。

男「今日、この夜をゆっくり過ごしたいとおもってるんだ」
おいおい、なんだそれ。歯が浮くぜ。しかも微妙に粘着質。
女「まぁ、そうですか。ゆっくりお過ごしくださいね」
ああ、隣の口説きモードが気になって、読書に没頭できなくなってきた。
男「僕は会社を経営しててね、今日はここで会合があったんだけど、いや、みんなの話をまとめるのに苦労したよ」

そこから吹き荒れる自分語りの嵐。ハードボイルドな男は、自分のことなどペラペラと語ってはならんと思うのだが、しゃべるしゃべる、どこまでもしゃべる。♪じ〜まんはつ〜づく〜よ ど〜こま〜で〜も〜♪(「線路は続くよ」のメロディーで)。そして、その話の隙間には、ニヒルなため息が挟まれるのだ。眉間に皺をよせ、虚空を見つめて「フッ......」。

ボックスシートも満席に近くなってくると、ホール担当も忙しい。女は話を遮るのに苦労しているようなのだが、男は全く気付かないどころか「君が僕の話をもっと聞きたいと思ってるのはわかってるんだ、ベイビー」くらいの勢いである。

ホテルのバーで携帯なんぞ取りだしてピコピコやりたかないのだが、もー我慢できなくなったわたしは、twitterとmixiで実況中継を始めた。

男「君はどうしてここに? どんな人生を送って来たの?」
ぷぷっ。初対面のあんたになんで人生語らなきゃならんのだよ。
女「えぇ、お酒が好きだったので、こういう勉強をするのもいいかと思って」
男「ずっと地元?」
女「しばらく東京に居たこともありました」
男「どうして戻って来たの? いや、立ち入ったことかもしれないけど、彼氏といろいろあったとか」
いきなり彼氏かいっ。余計なお世話だろ、思い切り。
女「いえ、そういうわけではないんですが......ところで子供さんはいらっしゃるんですか」

お、逆襲にでたか。家族を思い出させて我に返ってもらおうという作戦だな。
男は一瞬ひるんだが、気を取り直し、ねばつく視線で女を見つめる。
男「フッ、子供ね。......ねぇ、僕のことはあらかた話したけど、君のことは東京にいたことだけしかわからない。もっと知りたくなる」
お〜い、おっちゃん、笑わすな。誰があんたのことあらかた話せとリクエストしたんか。♪あ〜なたの〜過〜去など〜 知り〜たくな〜いの〜♪(※10)。

そして男は何度はぐらかされても、執拗に連絡先を教えてほしいと懇願する。最終的に、男は女から連絡先を手に入れたものの、それは会社の名刺。「仕事以外の電話は取次できないんです」と、やんわり拒否られていた。ふはははは。しょーもないハードボイルド男だ。

結局、「正しい薩摩人の口説き方」の構想なんか、ぜんぜんまとまらんかったやないか。まぁ、もののついでなので、皆の者に一つだけ薩摩藩の秘密を教えてしんぜよう。総務省の統計によると、薩摩藩は町中で泣き崩れる人の数が日本一なのである。しかし町中で泣きながら歩く女がいても、それは悲しいことがあったわけではない。「君、誰かに振られたの? ぼくが慰めてあげよう」などと的外れな口説き文句など発してはならない。正しい声かけの文句はこうだ。「君の瞳に降灰?」

昨年に引き続き、元気すぎる桜島。今年の爆発的噴火回数はすでに500回超えである。


※1「養生訓」貝原益軒
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※2「経験」辺見マリ
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※3「正しい大阪人の作り方」わかぎゑふ
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※4「長いお別れ」レイモンド・チャンドラー
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※5「さらば愛しき女よ」レイモンド・チャンドラー
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※6「Round About Midnight」Thelonious Monk
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※7「GMEN'75」
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※8「完訳マザーグース」
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※9「カサブランカ」
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※10「知りたくないの」菅原洋一
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【もみのこ ゆきと】qkjgq410(a)yahoo.co.jp
働くおじさん・働くおばさんと無駄話するのが仕事の窓際事務員。かつてはシステムエンジニア。
茂田カツノリさんが薩摩藩に来られるという。もし茂田さんがコンタクトレンズ(特にハードコンタクトレンズ)利用者であったなら、「命が惜しければ、眼鏡で来るがよい。さもなくば、敵の襲撃に遭って泣くことになるぞ」(敵=火山灰)とお知らせしたいのだが、iPhone 4の白が予約できないので、腹いせに黙っておこう。あ、このデジクリが配信される頃には、すでに薩摩藩に入国しておられるやもしれぬ。